第168話 太陽の祝祭(13)「ある家族」
夏が盛りを迎えていた。
太陽の祝祭は夏の真ん中の月の十日の間で行われる。その日がもうすぐに迫っていた。
祝祭の期間中、神殿は市民に食べ物を無料で配る。人々が最も楽しみにしているご馳走は何と言っても犠牲に用いられる豚の肉であった。それらの豚は多くは神殿が農家から買い上げるが、裕福な市民が神殿に奉納する場合もあった。
近頃カミットは手綱を握り、子猪のヤージェを連れ歩くようになっていた。これを見た人々は犠牲の生贄と勘違いしたが、カミットは「僕の家族だよ」といつも訂正した。
カミットの生活のほとんどは仕事を中心としていて、彼がヤージェの普段の世話をするのは困難であった。カミットは最初は職場にもヤージェを連れて行ったが、エニネがすぐに注意して、これもできなくなった。
しかしヤージェは火の呪いを抱えているため、目を離すわけにはいかなかった。
結局、ヤージェの面倒の大半はネビウスがすることになった。ネビウスがどこへ行くときも、彼女の足元ではヤージェがブヒブヒ鳴いていて、彼女は一族の会合に出た時に友人に愚痴った。
「子どもが動物を拾ってくるとこうなるのよ」
※
太陽の祝祭において、職人組合は神殿と大いに関わり、協力をする。
祝祭の最重要行事は呪いの化身を太陽の化身に捧げる犠牲の儀式である。その意義は、呪われた者たちがまだ人の意識を保っている間に大化身に食らわせることで、その身を自然に返そうというのである。
職人組合の安全保障部門は日頃から呪いの化身の数を把握し、記録しており、犠牲の儀式の成果を踏まえた上で次年度の計画を策定する。世の中に出回る呪いの量を鑑みて、継承一門の戦士や呪い殺しの傭兵を適切に動員するためである。
ところが、神殿にある価値の天秤がこの数日で決して無視できない大きさの呪いを量り取っていた。事によると、犠牲にしなくてはならない呪いの量は例年より遥かに多くなるかもしれなかった。
エニネは神官からの報告書を職場の事務机に持ち帰ると、こめかみに手をやり、ぼやいた。
「もう祝祭がすぐだっていうのに」
これを聞いて、カミットが閃いて言った。
「ヤージェのせいかも!」
「え、なんて?」
「あのね! 僕の猪は火の呪い子なんだよ!」
「あら、そうなの。この前のあの豚ね……」
このところエニネは寝不足が続いていて、反応が遅れた。直後に彼女は勢いよく立ち上がり、大きな声を出した。
「呪い子を都に持ち込んだの!?」
「呪い封じの手綱があるから大丈夫だよ!」
カミットはさも当たり前のようにエニネに説明した。
エニネは落ち着くために椅子に座り直した。
「じゃあ、あなたの豚を生贄に捧げれば大丈夫そうね」
「ええ!? だめだよ! ヤージェはもう僕たちの家族になったんだよ!」
呪われた動物を飼うなんて普通ならありえないが、エニネはカミットのことを普通とは思っていなかった。彼女は落ち着いて聞いた。
「ネビウスが許しているのね?」
「そうだよ! だからヤージェは食べちゃだめなんだよ!」
「困ったわ。また掟と揉めそう」
「そしたらさ。グウマに言って、承認してもらおうよ!」
「あなたがその猪を飼っていたいなら、守り子様には言わないことね。もし知られたら、事情なんて聞かずにその猪は溶岩の海に放り込まれるわ」
「うーん。そっか」
エニネはこの呪われた猪の問題を一応は棚上げにした。
※
エニネはその日の晩、歓楽街のとある店で兄のカリドゥスと食事をした。舞台上では派手なドレスの歌手が色っぽく歌っていたり、露出の多い衣装の踊り子が舞っていたり、そういう店だった。街そのものがエニネが普段くるような場所ではなかった。
エニネは挨拶よりも先に文句を言った。ただし店についてではない。
「嘘の報告をするんじゃないわ」
「何のことだ」
「カミットに呪いの豚を持ち帰らせたでしょ」
「あの子猪は呪い持ちだったのか?」
カリドゥスはわざとらしくとぼけた。
エニネは苛ついてため息をついた。
「そうやって人を馬鹿にしていればいいわ」
「怒るなよ。ヤージェのことは仕方なかった。年寄りどもの思惑があるのさ」
「どっちにしても、カミットには諦めさせるしかないわね」
エニネが投げやりに言うと、カリドゥスはにやにやと笑った。
「あいつは人の言う事なんて聞かないぞ」
「知ってる」
カリドゥスは給仕から酒を受け取り、これを飲みながら言った。
「カミットは死を恐れていない。戦士の才能がある」
「急に何の話?」
「獲物にとどめを刺す才能もある。これは英雄の資質だ」
「だから何の話を?」
エニネが苛々しても、カリドゥスは動じなかった。彼らは兄妹であり、この程度の緊張は互いに慣れていた。
カリドゥスは酒を飲み干して、ジョッキをテーブルに置いた。
「太陽の都は正しく理解していないが、カミットは既に三体もの魔人にとどめを刺した。歳が子どもでも、あいつは終わりの島の英雄なんだ。火の猪はその英雄の武器になる」
「あれは呪い子なのよ?」
「英雄に武器を捨てさせるのは、どんな戦士でも良い判断とは思わない。お前の輝く経歴にケチがつくぜ」
カリドゥスの物言いには含みがあった。戦いの場は男の世界であった。職人組合職員といえども、安全担当職は傭兵との交渉が円滑に進むという事情があって男性優位であり、エニネはそこでも例外的な立場にあった。エニネの失敗はそのまま「だから女は分かっていない。」という批判に繋がりかねないのである。
だとしても言われっぱなしのエニネではない。
「偉そうに言ってくれるわね。誰があなたたちの仕事を管理していると思ってるの。私の成績を知りもしないで」
「ヤージェのことは見て見ぬフリをしろ。ついでにカミットには余計なことをべらべら喋らないように注意してやれ」
「いやよ。兄さんの言う通りになんて絶対にしない。魔人を倒したからって、急に偉ぶって気に入らないわ。兄さんも、カミットだって、たまたま上手くいってるだけよ。色んな傭兵や戦士を管理してきた立場から言わせてもらうと、そうやって調子に乗るのが命取りになるのよ。せいぜい気をつけなさい」
「良い助言だな。ありがたく受け取っておくぜ」
カリドゥスは余裕たっぷりに言ってのけた。彼は通りかかった給仕に酒を二杯持ってくるように注文した。エニネのジョッキはまだ空いていなかった。
「私、まだ飲んでるんだけど?」
「お前の分じゃない」
カリドゥスはエニネの後方を指さした。
店の裏方の方から、豪華なドレスを着たナタブの女性が出てきた。彼女は店の歌手であり、先程まで舞台で歌っていたが、出番を終えたところだった。客たちは店の人気歌手の登場に沸き立った。
その歌手の女性の名はドゥリメといい、彼女こそがエニネとカリドゥスの母であった。
ドゥリメは兄妹がいるテーブルまでやってきて、先ずカリドゥスを熱烈に抱きしめ、彼の頬にキスをした。
「会いたかったわ! カリドゥス、私の息子、終わりの島の英雄!」
「ありがとう、母さん。歌、良かったよ」
カリドゥスはエニネに対するときとは違って、やたらと優しい雰囲気であった。
ドゥリメは声高に彼女の息子が英雄であることを叫び、周囲に喧伝した。人々はドゥリメの機嫌を良くするために、カリドゥスに歓声や拍手によって称賛を送った。
このときエニネは母と兄の様子を冷ややかに眺めていた。
ドゥリメは彼女の不機嫌な娘の視線に気づいていて、カリドゥスをことさらに強く抱きしめながら、エニネを罵った。
「あんたはまだ私のことが嫌いなのね! カリドゥスみたく、私を抱きしめて、キスをなさいよ! いったい誰があんたの学費を出してやったと思っているの!?」
カリドゥスはドゥリメを宥めて、椅子に座らせた。
「母さんは今日は大事な話があるんだろ?」
「そうよ!」
ドゥリメはたった今の剣幕が無かったかのように、少女のような無邪気な笑顔になって、エニネに言った。
「私、結婚するのよ! 祝祭の日に婚姻するの。あなたたちは豪族の一族になれるのよ!」
エニネは事前に聞いていなければ、驚きと呆れでとてもドゥリメが満足する反応はできなかっただろうが、彼女は用意してきた通りの笑顔と言葉を提出した。
「まあ、そうなのね。それは誇らしいことだわ。おめでとう!」
ドゥリメは一応はエニネの祝福を言葉とおりに受け取り、「私の頭の良い娘がそう言ってくれて嬉しいわ!」と言った。
今後は、週に一回、日曜日の午後の更新を目指します。




