第166話 太陽の祝祭(11)「野生の呪い子」
シグルマはその子どもの猪をとてつもないお宝であるかのようにして、カミットに見せた。
カミットは大喜びした。
「ネビウスに丸焼きにしてもらおう!」
シグルマはカミットの反応にがっくりと拍子抜けして、彼に注意した。
「阿呆! 魔獣を焼いて食うやつがあるか!?」
「食べちゃだめなの? だったら要らないや」
「勘の鈍いやつだな。あれは火の力を持った獣の中でも稀有な、霊力に満ちた魔獣だ。大人になれば、その牙と脚でもって、どんな密集陣形をも打ち砕くだろうよ!」
「ふーん。そっか」
カミットは知らない言葉の意味を聞かずに、そのまま流した。
シグルマの宣伝文句がカミットにはさっぱり響いていなかった。シグルマは腕組みをして唸った。
「おまえさんは突破力のある騎馬がいかに有用か分かっていないか」
「突破力!?」
「お?」
その言葉は少年の想像力を刺激した。カミットは興奮しだした。彼は戦いにおいてはしばしば生まれ持った小柄な体格を不利に思うことがあった。その不得意を補えるものはぜひとも欲しかった。
「魔人を倒すのに役立つかな?」
シグルマはきっかけを得るや、たちまちそこに集中した。
「おうとも! 敵であれば何であれだ! 怒りの火を全身に纏って、血肉を燃え上がらせ、痛みを忘れ、眼の前の敵を粉砕するまで走り続ける! それが火の猪だ!」
「すごい!」
「どうだ? 欲しいか?」
「欲しい!」
「よおし。ただ、それにはもう少しやらねばならないことがあるんだが、その前に先ずは少し触れ合ってみるのが良いだろうな!」
「んん?」
ここでカミットはすぐさま警戒した。魔物飼いが養豚農家や羊飼いなどとどう異なるのかを彼は知らなかった。魔物飼いには組合がないので、ありふれた職種でもないだろうと思われた。
秘境の里を出て以来、カミットはそれなりに世の中を見て回った。そのため彼は世の中の人々がそれほど親切ではないし、財産を意味もなく譲り渡すこともないと知っていた。ところがいざ受け取ってしまったら、もはやカミットの所有ということにななる恐れがあった。
シグルマは手袋やら何やら、いろいろと用意しだして、火の猪を檻から出す準備をしていた。
カミットはシグルマに言った。
「僕、そんなにお金ないよ。ネビウスも買ってくれるか分からないし」
「おい、おい。金など要らぬ。俺は同族やその親族には化け物どもの対価は受け取っていない。これは俺の純然たる厚意だ」
「え!? そうなの?」
「あっはっは。たとえばな、ネビウスはお前さんを育てるときに、そのために掛かった費用を取り立てたか?」
「そんなことしないよ」
「ネビウスのつるんでる友達どもはお前さんに何かを請求したか?」
「そっか! シグルマはネビウスの昔からの友達だもんね!」
「そういうことだ」
シグルマはすっかり準備を整えて、火の猪を檻から取り出そうとした。そうして彼が檻を開けた瞬間であった。
火の猪はすさまじい脚力で飛び出し、シグルマに頭突きした。
「んぐごっ!?」
シグルマは悲痛に叫んで、頭を抑えた。彼は「痛え、痛え」と叫んで、転げ回った。
火の猪はその駆けた跡に火を起こしながら、走り去った。
シグルマは大声で言った。
「ああ! 大変だあ! カミットよ。あれを捕まえてこないと、近くの山が火事になってしまうぞ!」
カミットはそんなことになっては大変だと思い、
「捕まえてくる!」と叫んで、火の猪を追いかけて、走っていった。
カミットが去った後で、シグルマは顔を抑えていた手を外し、むくりと起き上がり、全くの無表情で檻などを片付け始めた。
※
カミットが火の猪を追いかけていると、猪の群れが別方向から突進してきた。戦いになるかと思われたが、猪たちはカミットには襲いかからず、並走しだした。彼らは逃げている子供の猪を追いかけているらしかった。
結局、猪の群れの目的はシグルマによって奪われた子供だったのだ。シグルマが巧みに隠していたので、子供の行方が分からず、猪たちは手当たり次第に人里や農家を襲っていたのである。カミットはそのことに気づき、走るのを止めた。猪たちを見送る彼の気持ちは温かった。
彼は去りゆく猪たちに語りかけた。
「家族は一緒が一番だよね!」
カミットが安堵した直後であった。
ちょうど猪の家族が合流したであろう辺りで、炎が吹き上がった。火はたちまち辺りの草木に燃え広がった。
カミットは何事かと思い、すぐさま駆けつけた。彼はこのまま山火事になってはまずいと思って、自らの森の呪いに命じて、水泡を生み出す不思議な木々を生み出して、火事に対応させた。その一方で、彼自身は猪たちの観察に集中した。
燃え落ちる木々の中、猪の群れが小さな子供を遠巻きに取り囲んでいた。猪たちは恐ろしい声で吠え合って、彼らの雰囲気は穏やかではなかった。
子供の猪は群れに混ざろうとして走っていくが、これを大人の猪が吠えて脅かして、近づかせなかった。
子供の猪は懇願するかのように必死に吠えたが、群れの猪たちはけっして受け入れなかった。
そしてあろうことか、猪の群れはその小さな子供の猪を踏みつけて殺そうとしだした。
カミットはその行為の意味を理解していた。きっとその小さな猪は呪いを宿して生まれた子供なのだ。ネビウスが以前語っていたことには「野生動物の呪い子はそれぞれの種で呪いの問題を処理している」という。それがまさに今、カミットの眼の前で起ころうとしていた。
呪い子は危険である。呪いの蝕みによって、やがては人食いの怪物になってしまうからだ。それを未然に防ぐために神殿や継承一門の戦士たちが存在している。自然の中にもその不都合を解消するための本能が野生動物に備わっている。
シグルマは魔物飼いを名乗った。
ところがこの世に魔物飼いという職業は存在しない。なぜなら終わりの島にはどんな職業でも組合があって、魔物飼いの組合は存在しないからだ。したがってシグルマは職人組合に登録される正規の職人ではないのだ。
魔物というのが呪い子のことならば、もしかしたら飼いならすことで、その呪いと和解させられるのではないかと思われた。世には知られていなくても、古の民ならばそういう特別な知恵と技を持っているかもしれなかった。
猪の子供は悲痛な叫びを上げて、助けを求めているように見えた。
カミットは決意を固め、突進した。彼は猪の群れの中に分け入り、子供の猪の前に立った。彼は猪の群れに向かって吠えた。
「あっちいけ!」
猪たちは珍妙な乱入者に少し戸惑っていたが、やがて群れの一頭がカミットに向かって突進した。
カミットは逃げることなく、その場に立ち続けた。
彼には森の呪いがあった。
その呪いは宿主の危機のときには力強く守ってくれるのがお決まりだった。たとえそれが燃え盛る火の海の中であろうと。
猪がカミットに突撃しかけたとき、巨樹が大地を割って出てきて、猪を受け止め、押し返した。
猪たちは騒然としたが、その立派な牙から火を吹かせて威嚇した。
巨樹の方はそんな威嚇はお構いなしであった。大きな房に水泡を蓄える花を咲かせると、それを辺りに撒き散らして雨を降らせた。
火の猪たちは分が悪いと見てか、しばらく吠え続けた後で退散した。
※
シグルマは高所の岩の上に立ち、カミットが猪の群れを退ける様子を眺めていた。彼は嘯いた。
「カミットめ。やはり化け物を連れていたか。いや、もしやあれは……」
このときシグルマは周囲の気配を察した。彼はにやりと笑って、わざと周りに聞こえるように言った。
「狩人ども。狩るべき相手は俺ではなかろう」
十一人の傭兵が大岩を取り囲んでいた。
カリドゥスが岩に上って言った。
「俺もそれなりに経験してきたが、貴様ほど怪しいやつには会ったことがない」
シグルマはこれを言われて、声をあげて笑った。
カリドゥスは剣を突きつけて言った。
「猪が暴れているのは貴様のせいか。貴様を殺せば、獣どもは大人しくなるかな?」
「その問題は直に解決する。呪いを受け持つ者が現れたからな。ほれ、見ろ!」
シグルマの視線の先では、カミットが猪の子供を抱き上げていた。
2022年11月16日「第27話 東の港街(5)槍の加護」について、描写の修正とルビの追加をしました。




