第16話 職人組合(4)「満たされぬ器」
実は中級職になったばかりのエニネはお金の取り立てを自分で仕切るのは今回が初めてだった。エニネは最速の輝く経歴を形成してきた反動で、ここにきてケチがついたことに深く傷ついた。しかも最近は苛立ちが募り、夜もあまりよく眠れず、昼は集中力が低下して、日々の業務で些細な失敗が増えていた。
心配した上司はエニネに休暇を取るように薦めたが、エニネは断った。代わりに彼女は徒弟の指導を辞退したいと申し出て認められた。カミットの預かりは他の中級職員となった。
エニネの不快の種は無くなったはずだが、受付業務では相変わらず、場違いな子どもの大声が別の受付台から聞こえてきており、これはエニネの頭を痛くした。
その日、エニネが受付業務を終えた後に、依頼札の確認と記録をしていると、受付台の向かいからひょこりと葉っぱ髪の頭が出てきた。カミットがにやにやと笑っていた。
「エニネ! 元気?」
エニネはことさら大きくため息をついた。
「あなたの顔を見たら、どっと疲れたわ」
「みんながエニネを心配してるよ! 最近失敗が多いって!」
エニネは額に青筋を立てて言った。
「余計なお世話よ。どっか行きなさい」
カミットはエニネの言うことを無視して、受付用のの椅子に座って、ジュースを飲み始めた。
「仕事の邪魔よ」
「エニネは僕が嫌い?」
エニネは札を持つ手を止めた。カミットを真っ直ぐに見て言う。
「大嫌いよ」
「なんで?」
カミットはエニネの「嫌い」をまるで気にしてない様子だった。エニネは自分のことを気持ちが強いと思ってきたが、カミットを見ていると自分なんて可愛いものだと思えた。張り合うのも馬鹿馬鹿しくて、エニネは苦笑した。
「どうしたらあなたみたいなのが育つのかしら。ネビウスの教え方を知りたいわ」
「ネビウスは何も教えなかったよ。毎日のんびりお茶とピクニックをしてた」
「はい、はい。良かったわね、あなたが天才で」
「天才?」
「そう言いたいんでしょ? 何も教わらなかったけど、何でもできるって」
おつむと口が直結しているような喋り方をするカミットがわずかに沈黙した。エニネは不安になって、ふと視線を手元から上げた。
カミットは真っ直ぐな瞳でエニネを見ていた。
「なんで僕が嫌いなの?」
「……鬱陶しいからよ」
「どういうところが?」
「急に大声を出す。勝手なことをする。自分の成果をやたらと自慢する」
カミットは相変わらず少しも傷ついていない様子で、腕組みをして首を捻った。
「うーん。それってダメなこと? なんでダメなの?」
なんでと言われると、エニネは個人的に腹が立つからとしか考えつかなかった。
「分からないわ。私は目上の人にそういう振る舞いをしたことはないもの」
「ネビウスたちの里ではね、年上とかそういうのは無かったんだよ。僕たちはみんなが一緒だった。里長は少しだけ厳しかったけど、怒られたことはないよ。ネビウスだって、里を出てからはなんだか怖いけど、ずっと、いつも優しかった」
「不思議な場所ね。穏やかな、時が止まったような雰囲気があなたたちを癒やしていたんでしょうね」
「エニネにも来てほしかったな」
「いやよ。そんな退屈な場所じゃ生きるかいがないもの」
カミットは一瞬黙った。この少年の沈黙はなにやら緊張感を漂わせるところがあった。エニネが何かを言わねばと焦りかけたとき、カミットは唐突に言った。
「ねえ! 僕たちは師匠と徒弟ではなくなったから、もう友達だね!」
エニネが次の言葉を思いつかずに返事が遅れると、カミットが薄い紙に包んだ飴玉を受付台に置いた。
「里のおやつだよ。疲れたときになめると元気になる。あげる!」
仕事が終わった後、エニネはトンチンカンなことばかり言うカミットが残していった飴玉を帰り道でなめた。舌の上でころころと転がし、味わったことのない不思議な甘みが口の中に広がると、体が温かった。エニネはなぜだか溢れ出した涙を流れるままにして歩き続けた。
※
荒れ地の都とその周辺領域は決して豊かな土地ではないが、住民が食べるに困らぬ程度の穀物はきちんと育つ。今では当たり前のそんなことも、かつては違った。
「子供らよ。我らの荒れ地はかつては麦一本も実らぬ、枯れた大地であった」
ベイサリオンはこの地の最も偉大な神官であった。彼は邸宅の庭に近所の子どもたちを集めて、土地の歴史を教えていた。季節が秋めき、祝祭が近づいてきたので、子どもたちに祭の意義を教えようというのだ。
「古き呪術師は土の精霊と分かち合い、その力を借りることで、不毛の地に命をもたらした。今、当たり前にある我々の生活は先人のたゆまぬ信仰によって与えられたのだ」
子どもたちは眠そうにしていたが、その中の一人、ミーナことシリウス・プロメティアという少女だけは食い入るようにして話を聞き、ベイサリオンが地面に描いた化け蜘蛛、土の大精霊の絵を見つめていた。
ベイサリオンのスクールに通う子どもたちはいずれも将来有望な呪術師の卵であるが、その彼らと比べても、ミーナの才覚は際立っていた。土の精霊も風の精霊も、ミーナの命令を待っているかのように、彼女の行く先々に現れる。精霊に話しかけることと話しかけられることは、似ているようでいて全く違う。呪術師にとって天から授けられた才能は後者である。
講義が終わる頃になると、いつの間にやらネビウスがやってきていて、テラスの椅子にかけて茶を飲んでいた。ミーナは駆け出していって、若い娘の姿をした母に抱きついていた。ベイサリオンもネビウスと軽く話した。
「ミーナは良い呪術師になれるぞ」
「そうなの?」
「たったの三ヶ月で風と土と和解した。呪いに向き合う姿勢も実に勤勉だ」
「ミーナは偉いのねェ」
ネビウスはミーナの頭を撫でながら、くすりと笑った。二人はかねてからミーナの才能について、意見が別れていた。
ベイサリオンはネビウスとテーブルを挟んで向かいの椅子にかけた。
「祝祭を終えたら海の都に発つのか」
「うーん。冬の海風は堪えるし」
「春を待てば良い」
「だけれど魔人をどうしようかなァ」
ネビウスがこの話題を自ら切り出すのは珍しかった。ベイサリオンは手で合図をして、秘書および家人や家政婦をその場からはけさせた。
「古の民はまだ動かないのか」
「会合は一昨年あったから、次回は再来年だって」
「島の危機なのに臨時の会合を開けないのか」
「無理、無理。私達はのんびりしている。きっとこの島が沈没する直前までのんびりよ」
「やれやれ。この老体が働いているのに君たちときたら」
「気持ちなら私達の方がヨボヨボなのよ」
ネビウスが首を竦めて言うと、ベイサリオンはつい笑った。
ミーナは二人の間で首を傾げていた。
この日、ネビウスはわざわざ足を伸ばしてミーナを迎えにきたわけではなかった。ネビウスとベイサリオンは待ち合わせをしており、このあと用事があったのだ。
二人はミーナも連れて、市内のあちこちにある野ざらしの小さな祭壇を見て回った。祭壇の供え物が人知れず消えるのは精霊がこっそり食べるからと言われるが、近頃は供え物がそのまま残ることが増えていた。
祭壇にベイサリオンが現れると、参拝していた市民は彼の来訪を喜んだ。ベイサリオンは彼らの相談を聞いて励ましの言葉をかけた。
その横でネビウスは祭壇を掃除したり、供えられている果実や穀物、野菜などの様子を見たりした。ネビウスは果実を凝視していたかと思うと、徐にかじり、グベッとすぐに吐き捨てた。
ベイサリオンが見かねて注意した。
「ネビウス。それは供え物だぞ。検査にせよ、一言言ってからにすべきだ」
「もしかしたらと思ったけど、果実から霊が抜けちゃってる。これが原因よ。だから精霊たちはこの供え物を食べない」
「霊は戻るのか?」
「分からないわ」
ネビウスは神妙な面持ちで祭壇の供え物を見つめていた。




