第158話 太陽の祝祭(3)「準備の始まり」
ある男が職人組合本部を訪ねた。彼は銀の腕輪をしており、傭兵職の中級職人であった。
男の名はカリドゥス。彼はナタブ人種であった。小麦色の髪を上げて後ろへ撫でつけ、冷静沈着な雰囲気の中にも野心が溢れて隠せない、独立心の強さを感じさせる顔貌をしていた。
ナタブは頭髪以外では体毛のほとんどない露出した皮膚をしているのが外見の特徴であった。また他人種と違って、固有の能力を持たない。
継承一門の戦士がコーネ人を中心として、その他はブート人、ヨーグ人によって構成されることは、人種の運動能力の格差を示していた。ナタブやジュカ人は体格や筋力の不利があるので、戦闘に向いていないのだ。
そんな中、カリドゥスは魔人殺しによって名を馳せ、ナタブの期待の新星であった。二十六歳の彼は全ての魔人を殺すことこそが、彼の経歴を黄金に輝かせ、傭兵職の親方への道を切り開くと考えていた。
そのために彼は故郷へ戻ってきた。
予約を取り付けていた相手は職人組合職員のエニネである。
カリドゥスは応接室に案内され、椅子にどっかりと座った。
少し遅れて、エニネが部屋に入った。
「よう。子猫ちゃん。元気にしてたかい」
エニネは十八歳のコーネ人女性で、見知らぬ男に子猫ちゃんなどと言われれば、すぐさま引っ掻いていただろうが、彼女はすっかり大人びた様子でカリドゥスに微笑みかけた。
「ええ、もちろん。お久しぶりね。カリドゥスお義兄さんこそ」
「俺も元気さ」
カリドゥスはエニネの姿を見つめた。エニネは二年前にはまだナタブの姿をしていたが、今は猫の顔貌や耳を持ち、体には豊かな体毛、手足には爪、そしてカールした尻尾がふわんふわんと揺れていた。
ナタブと他人種の混血は特殊で、十五歳前後で親のどちらかの見た目に急激に変貌するのだ。
「……俺もコーネ人になりたかったぜ」
「あんまり意味なかったけど」
「継承一門と話をするなら、君の猫耳と尻尾が効果抜群だろ。奴らは猫どうしか、魚か鳥としか話したがらない」
エニネには近頃の交友関係の進展を考えると、カリドゥスの発言には頷けるところが大きかった。
「たしかにね……」
「おっと、忘れない内に渡しておこう」
カリドゥスは「土産だ」と言って、海の都と空の都の工芸品である海笛と羊毛生地をエニネに渡した。
エニネが喜んで感謝を言うのも束の間、彼らは仕事の話しに取り掛かった。
「ネビウスがいるんだろ? だったら魔人もいるぜ」
「十二剣師レッサが同じことを言い張ってるけど、私たちは判断しかねてる」
「いずれにせよ、俺の手下どもは太陽の都に留め置く」
実はカリドゥスが本当に話したかったのはこんなことではなかった。彼はいくつかの事務的な話題をこなしてから、さりげなく切り出した。
「カミットはどうしてる?」
その名が出た途端、エニネは深い溜息をついた。
「魔人殺しの小さな英雄さんは、継承一門の本拠地で大暴れ。本当なら火あぶりの極刑なんだけど、ネビウスが掟を捻じ曲げてまでして守ったわ。カミットはここ数日は街に出てきてないみたい」
継承一門嫌いのカリドゥスは既に知っていた話であるものの、彼はそれでもおもしろく感じて、声をあげて笑った。
「思い上がった連中には良い薬になった」
「私は笑えないけどね」
「ネビウスに伝言してくれ。しばらく俺がカミットを預かる」
「やめなさいってば。問題がややこしくなるから」
「呪い殺しには知恵と体力が効く。頭の中まで猫並の連中はそれが分かっていない。俺はカミットを上手く使える」
カリドゥスは戯けた風な身振りで付け足した。
「俺には実績がある」
※
カリドゥスと会った日の昼過ぎのこと、エニネは職人組合の特別な鍵を持って、古の民の一族の街を訪れた。太陽の都に多数ある民族街の一つだが、この街はあまりに特殊だった。
その街を訪れるためには、いくつかの錠のかかった扉を専用の鍵で開けて、薄暗い裏通りを決まった順路で進まねばならない。
一族の者はこの面倒な手順を踏まなくても街に辿り着けたが、エニネは定められたやり方に従うしかなかった。
火山の遺跡に似た特徴として、迷い込んだときに抜け出せなくなるという恐ろしさがあった。永遠に同じような通りを歩き続け、古の民が通りかかることに期待するしかないのだ。なお死人が出たということはなく、迷っている者がいる場合には何日か以内には助けてもらえる。
とは言え、エニネは迷った挙げ句に腹を空かせて彷徨うなんて絶対に嫌だった。彼女は手元の書簡に記された秘密の暗号を頼りに、古の民の街を目指した。
背の高い建物に挟まれて薄暗い通りを何度も曲がり、七つの扉をくぐったとき、その街は現れた。
古の民は一見するとナタブに似ているのだが、彼らはその多くが白髪と褐色の肌を持ち、不老長寿であるために全員が十代の少年少女のような見た目をしている。
そういう人々が家々の集う広場に集まって談笑や食事をしていた。
エニネは緊張した。
この得体の知れない者たちが古代から終わりの島を支配してきたのである。彼らは特別な知識や技によって、神話の時代の災害から島を守り、現代に至るまでの全ての基礎を作り上げた。
エニネはコーネ人であり、明らかに彼らと違う見た目をしていたが、誰も気に留める様子はなかった。彼らは自分たちのお喋りに夢中で、エニネが何度か話しかけても気づかれず、彼女は大きな声を出さねばならなかった。
「もし! ネビウスはどちらにいらっしゃるでのしょう?」
話し込んでいた五人の古の民は皆して首を傾げた。
「さあ? 私達は彼女と友達ではないから」
「そう。失礼しました」
エニネは脱力したが、このあとは勇んで次々に広場の人々に話しかけた。ところが誰も知らないと言う。百人かそこらと言われる、古の民がこの狭い街で誰もネビウスの家を知らないのだ。
エニネは段々と寒気がしてきた。彼女が困っていると、声をかけてきた男がいた。つばの広い帽子を被り、外套を着た男であった。ヴェヴェという名であったが、エニネには知るはずもない。
「お嬢さん。ネビウスはだいたい端っこにいる。暗い通りの目立たない家が彼女の好みだ」
「はあ? ……それはどちらに?」
「それは言えぬ。我々は彼女を語らぬ。そういうことがこの前、会議で決められたのだ。私が述べたのは一般的な彼女の性質を推測するものであり、具体的な事実に触れたわけではない」
「え、なんて?」
「それではさらばだ」
エニネは頭がおかしくなりそうな思いをしながら、街を歩き回った。
ネビウス邸は奥まった裏通りの突き当りにひっそりと佇んでいた。幸いにして表札は立てられており、エニネはようやく正気に戻れる思いがした。
郵便受けには手紙がぎっしりと詰まっていた。エニネが訪れたときにちょうど黒い梟がやってきた。その梟は首からぶら下げていた鞄から書簡を取り出し、器用に開封して、中身の紙だけを無理やり郵便受けに突っ込んで、飛び立っていった。
エニネは扉をノックした。
最初は反応がなかったが、ここまで来て帰れないので、エニネは再度乱暴に扉を叩いた。
すると家の中から、どどどど、と駆けてくる音がして、扉が中から勢いよく開いた。
「誰!? うるさいなあ!」
怒って出てきたのはカミットだった。彼はやってきたのがエニネと知ると、以前と変わらぬ無邪気な笑顔を見せた。
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