砂の海(9)「連鎖」
ウスバルネロはその生涯のほとんどを幼体のクジラジゴクとして過ごし、羽化して成体となったあとは一週間ほどでその生涯を終える。人間の生活に影響がないのであれば放っておいてよいが、問題は産卵の場所として選ばれるのが砂海の巨大サボテンであり、そこはしばしば人間の集落となっているからであった。
特に砂の海で最も大きいウスバルネロともなると、だいたいは決まって砂の海で最大の集落であるサボテン砦を産卵の標的とする。
ミーズたちの努力も虚しく、もう一匹のクジラジゴクも羽化を終えた。番のウスバルネロは互いを運命的な相手として歓迎しあい、その透明で美しい羽をきらきらとさせて絡み合うようにして空を舞った。
「すごい! 綺麗!」
砂船に乗っていたカミットは感動して叫んだ。彼は同意を求めて周囲を見回した。するとヨーグ人漁師たちは持っていた槍を取り落とすなどして呆然として、絶望の眼差しで空を見上げていた。
どうやらまずいことになったのかもしれない、とカミットは思った。
番のウスバルネロは雄が雌の真上で抱きつきながら滞空して、尾を擦り合わせて交尾をした。風の精霊たちが祝福するかのように番の周りを飛び交い、幻想的な輝きで彩った。
夫婦の門出に精霊の祝福は良い縁起ということで、人間の結婚式では見届人の神官が精霊を呼び出して光の輝きで式を彩る。その伝統は自然界の現象に由来していたのであった。
「結婚だ!」
カミットはこれまた感動して叫んだのであった。彼は漁師たちのことを考えるのは一旦止めて、貴重な光景をしっかりと記憶に焼き付けるよう観察した。
交尾を終えたウスバルネロはサボテン砦の方へ飛び去っていった。
漁師たちはいつまでも項垂れていられず、散らかった船上を徐に片付け始めた。彼らは口々に愚痴った。
「これから仕事が増える」
「太陽の都が怒り出すぞ」
「最悪だ」
砂海の民は現在のサボテン砦を放棄せざるを得ないだろうから、新しい中枢拠点を選ぶことになる。これまでの砂海の航行路に大きな変更が加わるだろうから、それらの調査や対応も必要だろう。今後数年かけて、彼らは利を生むことのない、損を少なくするための仕事に追われるのだ。ただでさえ貧しい砂の海の民にとってこのことは大きな打撃となるに違いなかった。
※
戦士たちはサボテン砦に帰還した。家に帰るためではなく、住民の避難を手伝うためであった。
彼らは砦が見えてくると唖然とした。ウスバルネロは一体がサボテン砦の上壁に叩きつけられて無数の棘で串刺しにされて腹を食い破られており、もう一体は有形の姿はもはや無く、残っていたのはバラバラに引き裂かれた遺骸だけであった。砦のあちこちにウスバルネロのち切れた肉体の破片が散らばっていた。
事情を飲み込めないでいる男たちにカミットが教えた。
「空の化身だよ!」
彼は天高くを指さした。七色の尾羽根を靡かせて優雅に飛ぶ姿は終わりの島の空の支配者、空の化身に違いなかった。本来ならば孔雀山脈の外では低空粋に姿を表すことのないその大いなる存在がわざわざ出張してきてウスバルネロを退治してくれたのであった。
砂の海の最も高名な呪術師であるディシタはネビウスに尋ねた。
「砂の海は太陽の化身の縄張りだってのに大丈夫なのかね。これも島の異変の所為なのかい?」
「最近は仲が良いみたいよ」
波止場で二人が話しこんでいたところに、カミットが到着した船から飛び降りて駆けてきた。
「ネビウス! ウスバルネロの卵はどうなったの!?」
「空の化身が食べちゃったわ。高いところに卵を産めばイルカたちに食べられないで済むけど、こういう不運もあるのね」
「ええ!? せっかく結婚したのに?」
「自然ではよくあることよ」
「そっか! なんだかかわいそうだね」
ネビウスはくすりと笑った。
「坊やはみんなと一緒にその結婚を止めに行ったんでしょ?」
「そうだけどさ」
これにて一件落着となりそうであったが、ツクサ人は黙っていなかった。ミーズはネビウスに苦情を申し立てた。
「空の都が今件に関わるつもりであったなら、我々の労は無駄もいいところだ! ネビウスはこのことを事前に教えるべきであった!」
「知らないわ。まさかこんな遠くまで空の化身が出てくるなんて。異例だわ」
ネビウスはとぼけるばかりでミーズの主張を受け止めず、すぐに話を逸した。
「砂獄返しの後は宴でしょ? あんたもカリカリしてないで楽しんできなさいな」
「鯨骨の鎧が負けたのだ。とても祝う気分ではない」
ミーズは不機嫌に言い捨てたのであった。
※
その夜、サボテン砦で催された砂獄返しの祝宴ではウスバルネロの肉がごちそうとして振る舞われた。カミットが串焼きにした肉を家族全員の分をもらって、ネビウスのところに持っていくと、彼女は顔を引きつらせて「私は遠慮しておくわ」と言った。
カミットは首を傾げた。
「美味しいよ?」
「坊やが食べたら良いんだわ」
「ミーナは?」
ミーナはネビウスにぴたりとくっついて、こちらも苦々しい様子で首を横に振った。
「そっか!」
カミットは手元にいっぱいの三人分の串焼きを持て余した。そこで砦の中をうろちょろしていると、ツクサ人の一団を発見して、ミーズが果実のジュースをちびちび呑んでいるところに声をかけた。
「串焼きがいっぱいあるんだ!」
「うむ。少しもらおうか」
ツクサ人は日頃から慣れ親しんでいる味なので、彼らは当然それを食べる。ただし彼らは地上では仮面をしていて、飲み食いのときにはすばやくささっと仮面の下から済ませなくてはならず忙しい。
カミットはこの不思議な者どもに妙な親近感と興味を抱いた。彼はミーズや他の墓守たちの輪に混じって話した。
「ミーズが宴に来てくれて良かった!」
「これだけ働いたのだから、少しは憂さを晴らすべきなのだ」
「そっか!」
カミットは当初の印象に反してミーズがどうやら気分屋らしいことを見て取った。厳格に見えて、それどころか実は気さくである。
そこでカミットはツクサ人の地下遺跡についてミーズに聞いてみた。すると彼はちょっとした講義をした。
「太陽と程遠い我らの故郷は太古の昔、もっと、もっと地下深くに至ったという。しかし時を経て、我らの知恵と力は衰えた。今ではもう、我らは地表近くで先祖の遺産を守るばかりに成り果てた」
「地下は空気が無いから?」
「いいや。違う。地下には本当に恐ろしい怪物がいるからだ」
「どれくらい怖い?」
「言い尽くせようものか。我らの傀儡の力を持ってしても克服し得なかった怪物であるぞ」
「そっか。見てみたいなァ」
「怪物をか?」
「うん!」
ミーズは仮面の下の目を見開き、やがてにやりと笑った。
「それを見ないで済むがゆえ、我らは生きていられるのだ」
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