砂の海(4)「蝕み」
呪術師は土地の人々のほとんど全ての心配事に対して相談に乗る。彼らは人間の様々な機微に対して敏い。精霊がもたらす呪いの巡りを感じ取れるからである。
しかし呪術師は彼ら自身の悩み事について相談できる人が自分よりも卓越した呪術師くらいしかおらず、使命感から人々を助ける一方で自らは不安と孤独に苛まれることが多かった。
ディシタはサボテン砦の最も優れた呪術師であった。三十一歳のヨーグ人である彼女は幼い頃から呪いの才能を発揮して、砦の人々を助けてきた。時には砂の海に点在する別の集落へ求められて出張することもあった。優れた呪術師として呪いの返りとも無縁に思われた彼女であったが、二十代の半ば頃から毛髪が白化し、肌は皺を増やした。そして今は老婆のような見た目になってしまった。
ディシタは彼女が一人で暮らす家にネビウスを招いた。ディシタが私情を話すと、ネビウスは言った。
「離婚しなくたって良かったじゃない」
「私のようなのが近くにいては良くないことが多い」
「追い出されたわけでもないならなおさら。ほら、診してごらん」
ネビウスはディシタを寝台で横にさせ、ディシタの胸に手を置き、微かな青い火を灯して当てた。ディシタは治療を受けながら、この青い火に興味を持った。うとうとして眠気に襲われながらも、彼女は努めて意識を保ちながらネビウスと話した。
「どうしてこの火は呪いの蝕みを和らげられるんだい?」
「なんでかしらね。できるものはできるのよ」
「私もこれを使えたら良かったんだけど」
「自分には効かないのよ。それにね、ちょっとは楽にしてあげられるけど、実際には気のせいみたいなものよ」
ディシタはネビウスが治療を続ける間、少女の姿をした古の民であるネビウスをよく観察した。
ネビウスは背丈が低かった。平均的なヨーグ人と比べれば頭一つ分ほども小さかった。ただし華奢ではなくて、むしろ肩や腕はがっしりとしていたし、足腰の土台も頼もしかった。その体つきは剣の達人でありかつ地海空のあらゆる場所を旅してきた人の力強さを感じさせた。
白髪と褐色の肌は古の民の外見的特徴だが、ネビウスは一族の大半の者がそうである白髪ではなく灼熱の赤髪をしていて、特異な存在として知られていた。青い火を自在に操ることに加えて、しばしば古の民の共通見解から外れた行動をしてきたので、良くも悪くも異端として知られた。
炎の賢者の内実が遠い昔から変わらず続いてきたことを理解しながらも、ディシタはその孤高に共感と哀れみを覚えた。
「賢者の痛みは誰が分かってくれるんだい。悩みはないのかい?」
「生意気を言わないのよ。あんたみたいな小娘に心配されるものかしら」
ネビウスがぴしゃりと言うと、ディシタは声を上げて笑った。彼女を叱りつける者などこの砦にはもういなかった。ディシタは思わぬ驚きとともに暖かな感動を抱いたのであった。
「小ちゃい頃の師匠や母様、姉たちを思い出した。今じゃあっちが頭を下げてくるようになっちゃったけどね」
ネビウスは青い火の制御に集中しだすと、ディシタの話にあまり相槌を打たなくなった。呪いを焼く青い火はより微細な動きでディシタの内側に侵入してその魂に染み渡った。ディシタは全身を巡る暖かさに包まれて眠りに落ちた。
※
ネビウスがディシタの呪いを治療している間、ミーナはその隣にぴたりと付いて観察していた。ディシタが眠ってしまうと、ミーナはネビウスに話しかけた。
「お母さん。私も化身になっちゃう?」
ネビウスは頷いた。
「そのうちね」
「そのうちっていつ?」
「十年以内くらいよ。でもね、もしかしたら明日かもしれないし、今日かもしれないのよ」
ディシタの体に異変が見られるように、呪いを使う者は呪いに蝕まれる。そしていつしかヒトではない、人食いの怪物になってしまう。ミーナもまた呪いの才能に恵まれており、全ての呪術師と同じく、いつかは呪いの化身になる定めにあった。ミーナは時折このことが信じられなかった。
「今はなんともないのよ。今すぐ化身になるなんて信じられない。明日だって。でもいつかはなっちゃうの?」
「なるわ」
ネビウスは断言した。
ミーナは涙を浮かべて問うた。
「カミットに呪い殺しを練習させているのは、私を殺させるため?」
この問いかけにより、ネビウスの完全な制御下にあると思われた青い火が一瞬だけ不安定になった。このことはミーナに言葉以上の真実を悟らせた。
しかしネビウスの返しはミーナの予想と違った。
「あの子は全部、自分で決めるでしょうね」
親子がしんみりしていると、ここにもう一人の子であるカミットが駆け込んできた。
「ネビウス! 僕も地下に行くよ!」
カミットは元気が溢れ出ていたが、ディシタは眠っていたし、ネビウスはその治療に集中していて無言、そしてその隣でミーナがぐすぐす泣いているという状況であった。カミットはハッとして深刻な様子で言った。
「お姉さん、死んじゃったの!?」
ネビウスはカミットを手招きして、横に座らせて抱き寄せた。
「ディシタは息をしているでしょ? 今は蝕みの治療中よ」
「死んでないね。良かった!」
カミットはしばらく待っていなくてはならないと分かると、次にはスナイルカ猟の話を始めようとした。
いつもはカミットの話を楽しく聞くネビウスであったが、このときは一旦止めさせた。
「坊や。実はね、生き死にの話はとても繊細なのよ。愉快に見送ることもあるし、厳かに悲しむべきこともあるの。ミーナが死んじゃったら、あなたはどう思う?」
ネビウスが優しい雰囲気ながらも説教を始めると、カミットは反抗的に口をひん曲げて黙り込んだ。
ミーナは不安そうにネビウスとカミットの様子を伺っていた。彼女にとってカミットがミーナの呪いと死をどのように見なしているかは重大事であった。
やがてカミットは言うべきことを考え終え、すらすらと答えた。
「家族が死んだら僕は悲しいよ。元気でなんていられないよ。僕が大きな声で死んだとか死んでないとか言ったのは間違いだった。ごめんなさい」
言葉とは裏腹に最後の謝罪の一言は吐き捨てるようであった。言い終えた後などはさらに不機嫌な様子で腕組みをして、険しい表情になって、決してネビウスと目を合わせまいとしていた。ただしネビウスの抱きしめる手を解こうとはせず、あくまでその腕の中で小さな反抗を示すに留まっていた。
ネビウスは柔らかな笑みを浮かべた。そして「坊やは優しい子」と言って、カミットの頭を撫でた。
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