砂の海(2)「砂上集落」
砂上集落は砂の海のあちこちにあって、海賊が隠れ家にしているほか、太陽の都が管理する砂船の停泊所となっている。ネビウスが目指していたのは正規の集落であり、彼女は海賊や尊王派ジュカ人などと関わりたくなかった。
ところがカミットは尊王派ジュカ人たちに強い興味を持った。カミットはネビウスの言いつけを破って、百人近くのジュカ人が暮らす住居区画に向かった。カミットは尊王派ジュカ人の頭目であるフィブロが広間で講義していたところを訪ねて挨拶をした。
「ネビウス・カミットだよ! よろしくね!」
フィブロは腕組みをして険しい目つきでカミットを睨んだ。
「子どもが勝手に出歩くべきではない」
カミットは首を傾げた。
「なんで?」
カミットが聞き返すと周囲の雰囲気がひりついた。どこであっても大人は子どもの上位者であった。大人の言う事に理由を求めることは非常識で無礼なことであり、相手次第では問答無用で殴りつけられかねなかった。しかしこのときフィブロはカミットがジュカ人の王家の血を引いているかもしれないと考えていて、そうであるからこそ彼の考えではカミットは護衛なしで一人でうろうろしてはならず、彼はぐっと堪えて説明したのだった。
「ここは危険だ。海賊の巣窟なのだ」
「ネビウスがいるから大丈夫だよ。僕には森の呪いもあるし」
「森の呪いは生まれつきか?」
「うん。ずっと一緒だよ」
「君が危ないと思ったときに助けてくれるか?」
「だいたいはね。あんまりやる気を出さないときもあるよ」
フィブロは訝しんで、さらに質問しようとした。しかしカミットは自分のことを話しに来たのではなかった。
「僕はジュカ人の技を教わりたいんだ。誰かに弟子入りさせてよ!」
「子どもは家の仕事を継ぐべきだ。ネビウスの子だと言うなら、賢者になる道を志すべきであろう」
カミットはフィブロと話すのはつまらないと感じ始めて、頼み事を諦めて話を切り上げた。彼は自分のすることに指図を受けたくなかった。
※
カミットは集落全体の探検を始めた。砂海サボテンの内部は空洞となっていた。そこでジュカ人が提供する木材を用いて多層構造建築が作られて、砂の海に人の住める集落が出来上がったのであった。
砂海サボテンの中に作られた集落で最も重要な作業は下層階における水の汲み出しであった。全ての階層において中央は吹き抜けとなっており、そこで縄を使って桶の上げ下ろしが行われている。
カミットは手すりから身を乗り出して、暗くて見えない集落の底を見つめた。カミットが夢中で観察していると、背後からミーナが声をかけた。
「カミット。お母さんがダメだって言ってたのよ」
「ミーナも見てよ!」
カミットが誘うと、ミーナはカミットにぴたりとくっついて一緒に暗闇の底を覗き込んだ。
「怖いわ」
「面白そうだよ! もっと下に行ってみようよ」
「でもお母さんが」
「ネビウスは怒らないよ。あっ! でもミーナが怖い思いをすると僕が怒られるから、ミーナは留守番だ」
ミーナは唇を噛んでムッとした。彼女はカミットの手を握り、決して離れまいとした。
「私達は一緒よ。いつでも、どこでも」
「僕はネビウスと喧嘩したくないからなァ」
ミーナはカミットを睨んだ。ぞっとするほど美しく育ちつつある少女が恐ろしい悲しみを湛えた瞳でカミットを捉えていた。カミットは困って、ぽりぽりと頭をかいた。彼は一秒で結論を出した。
「まあ、いっか! ここには魔人も月追いもいないだろうし!」
二人は集落の上下を立体的に繋ぐ階段を降りていった。降りられる最下層まで行ったと思うと、まだ階段の続きがあるというのにその前の門をヨーグ人の警備兵が封鎖していた。カミットは警備兵に言った。
「僕は根っこの底を見たいんだ」
ヨーグ人の兵隊は言った。
「地下は誰も行ってはならぬのだ。暗闇の底は流転の洞窟に続いている。怪物の虫たちの世界だ」
「虫がいるの!?」
カミットは目を輝かせた。ミーナは不安そうにカミットの手をぎゅっと強く握った。このときカミットはミーナを邪魔だと思っていた。ミーナがいなければ森の呪いで外壁を伝って、地下層にこっそり忍び込めたかもしれなかった。
近くの小屋からヨーグ人の老婆が出てきて、カミットに言った。
「闇の誘惑を怖れなさい。そうでないと、あんたみたいなのはすぐ飲み込まれてしまうんだよ」
カミットは老婆の見窄らしい様子に驚いた。老婆の背中は曲がり切っており、服とは思われぬボロ布を着て、地を這うようにして歩いていた。見た目の醜さも酷かったが、何より臭いが不快であった。その臭いは月追いが放つ腐臭のようであった。カミットがちらりと見たら、ミーナは平気そうにしていた。カミットはただならぬ嫌悪感を老婆に抱いて、強く言い返した。
「僕は怖いものなんてないよ。闇だとか、そういうのも知らない」
老婆は眼球が飛び出るのではないかと思われるほど目を見開いた。その目はミーナに向けられていた。
「そっちの女の子はよく怖がれている。闇を知っているからだね」
「ミーナは牢獄の都から来たんだよ」
「そうだろうねェ。私のようなのを見てもなんともないんだから」
「ねえ、お婆さん!」
カミットが呼びかけると、老婆は聞くものをぞっとさせる奇声で笑った。
「無理もないけれど、私をお婆さんと呼ぶのはお止し。こんな身なりでも、私はまだ三十一なのだから」
カミットは思考が止まって、体を硬直させた。彼が老婆と思っていた女は呪術師であり、彼女は呪いの返りを受けて化身になりつつあったのだ。酷く醜い見た目と鼻を突く異臭もそのためであった。カミットは気まずくなるとてきとうに話を切り上げて、地下を見たいという気持ちもどこかに引っ込んでしまって、ミーナを連れて急いでネビウスがいる宿へ帰った。
この出来事をカミットはネビウスに報告しないで済ませたかったが、ミーナに見られていた手前、仕方なく夕食の席で白状した。いつものことだがネビウスはカミットが言いつけを破ったことには説教もなく、彼女はカミットが呪術師の女を老婆と間違えてしまったことについて淡々と考えを述べた。
「怒られちゃいないんでしょ?」
「うん。たぶん怒っていないと思う」
「だったら良いじゃないの」
「でも傷つけたかもしれないんだ」
「そういう勘違いとかを一々構っていたって仕方ないのよ。間違えないに越したことはないけどね」
ネビウスが話す間、ミーナは小刻みにこくこくと頷いていた。カミットは家族から励まされたことにより、呪術師の女を傷つけてしまったかもしれないという自責の念から解放されて、話して良かったと思った。カミットが思い返すに、いつでもネビウスは彼に優しかった。何を話しても、それほど悪くは言われないし、助言をするにしてもその根底は愛に基づいていた。それでも近頃カミットはネビウスに恥ずかしい失敗を知られたくないと思い始めており、昔のように何でも報告するわけではなくなっていた。
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