天空都市(12)「呪い比べ、別れ」
年明けから二ヶ月を費やし、ネビウスは地域の祠と祭壇を修繕し終えた。地域の霊的安定が取り戻されたことによりリリイが復調して、いよいよこれから呪いの指導が始まると思われた矢先、ネビウスは空の都を発つと告げた。春の終わりの月のことであった。
「太陽の都に行くわ」
ネビウスはいつものように神殿のストーラを訪ねて言った。ストーラはリリイを抑える重しがなくなることを危惧していたが、世の中のことを自らの意思で動かすような性格でもなかった。彼は爽やかに笑った。
「世話になった。賢者の貢献を語り継ごう」
「そういうの要らないのよ」
「一杯やるかね?」
「当たり前でしょ」
二人は昼間から乾杯した。ストーラはネビウスの懐に入り込んだ例外的な神官となった。彼は一度はネビウスを怒らせたが、それ以降は彼女の方針を尊重して好きにやらせた。夏まではいると思われたネビウスが急に予定を変更したことについても、彼は文句一つ言わなかった。
双子の守り子はストーラほどあっさりしていなかった。ネビウスの弟子であるルルウは純粋に親愛の気持ちから、ネビウスとの急な別れを深く惜しんだ。一方、リリイはネビウスを呪いにおいて超えようと息巻いていて、ネビウスの指導を熱望していた。近頃はすっかり調子を取り戻していて、ネビウスがルルウに挨拶を済ませてさっさと帰ろうとしているところにリリイがやってきて挑発した。
「本気の私はネビウスなんかよりすごいんだからね!」
「はい、はい。あんたはすごいわ」
ネビウスは受け流すかに思われたが、ゆらりと振り向いて、恐ろしげに言った。
「呪い比べをしましょうよ」
リリイは顔を引きつらせた。
「どういうつもり? 私をいじめるんでしょ!」
「あんたが私に負けないって言うからよ。最後に私が時間割いて、呪いの技量を見てやろうって言ってんの。どうするのよ。やるの? やらないの?」
リリイは腕組みをしてうんうんと唸った。彼女は苦し紛れに言った。
「だったら青い火は禁止よ! 風の精霊が嫌がるんだもの」
「私が手加減したら呪い比べにならないでしょ」
「青い火はずるいからダメなの! そうじゃなかったらやらない!」
リリイが言い張ったので、ネビウスはこの条件を了承した。
※
ネビウスはあくまでも指導目的でリリイと呪い比べをするのであって、守り子を打ちのめす意図はなかった。そうではあってもやはり、守り子の敗北は市民を不安にさせるので、この呪い比べは浮島の本神殿にて非公開で行われた。
空の化身は神殿上空を優雅に飛んで、我が子の巣立ちを見守る母のように、どこからでもリリイの様子を見ていた。
呪術師の呪い比べは火や風によって相手を打倒するのではない。どちらがより深淵な加護を精霊から得ているかを比べるためには必ずしも暴力は必要なかった。
リリイは杖を手放し、風の呪いでふわりと浮いた。旋風を起こして飛び上がると、その後を半透明な輝くトンボが追った。風の精霊の大群が突如として現れたのだ。
ネビウスは右目を赤く煌めかせ、周囲に火を纏う蝶、火の精霊を呼び起こした。蝶は赤熱した鱗粉をちらちらと舞わせて、ネビウスの周囲を赤や橙の暖色の光で満たした。
風と火を象徴する精霊が礼拝堂の天蓋近くで混ざり合って飛んだ。数ならば風の精霊が圧倒的に多かった。火の精霊は一体ずつが強い輝きを放っていて、風の精霊の大群の中でも確固たる存在感を示した。そうしているうちに徐々に一部の風の精霊が赤熱し始め燃え始めた。
リリイは焦って叫んだ。
「負けちゃだめ! 私達は風になるの!」
願いは呪いである。リリイが念じて叫べば風の精霊は答えた。火に飲まれそうになった風の精霊が再び風を起こし、大気に透ける清らかな姿を取り戻した。
しかしネビウスは手を抜かなかった。彼女は口元に笑みを浮かべて独り言のように言った。
「原始の声を聞きなさい」
火の精霊は風の精霊が形成する小さな竜巻の中に突っ込んでいくと、赤熱して鱗粉を噴出させた。赤い輝きはたちまち風の精霊を赤く染め上げ、トンボの姿はそのままに火を宿す精霊と変わり果ててしまった。
リリイを宙に浮かせている風の精霊は辛うじて残っていたが、礼拝堂の中は今やどこもかしこも燃え盛る鱗粉が舞って照りつけていた。
リリイは泣きそうになるのを我慢して唇を噛んだ。彼女は黙ったままで強く念じた。このとき天高くから耳をつんざく空の化身の鳴き声が響いた。極彩色の羽を持つ巨鳥である空の化身は専用の出入り口として作られた天窓から飛び込んできて、リリイの背後に付いた。すると風の精霊がたちまち勢いを取り戻した。
ネビウスはリリイに文句をつけた。
「あんたねェ、それはズルなんじゃない」
「空の化身が勝手に来たの。これも私の力よ! 降参してもいいのよ!」
「じゃあ、こっちも手加減なしね」
ネビウスは左の青い目を煌めかせた。青い火の玉がネビウスの周囲に漂い始めた。
「やだ! それはいや!」
リリイが叫んでも、ネビウスは手を緩めなかった。青い火の玉は宙に浮かんで自在に動き回り、衝突した風の精霊を次々滅ぼした。
空の化身はしばらく様子を見ていたが、リリイが劣勢と見ると動き出した。緩慢な様子で翼を羽ばたかせると、青い羽だけをナイフのように鋭くさせて、風に乗せて飛ばした。その羽はネビウスの青い火にぶつかると互いに相殺して消滅した。
「やったわ!」
リリイは無邪気に喜んだ。
ネビウスは空の化身をじとりと睨んだ。
「人がくれてやったものを乱暴に扱うんじゃないわ」
腹を立てたのはネビウスだけではなかった。
しゅるる、しゅるる、と舌を啜るような奇妙な音が礼拝堂に響き始めた。突如、ネビウスの周囲に青い火が勢いよく燃え上がり、それらは連なって一筋の細長い姿を形成した。青い火であったものはやがて青い大蛇となった。大蛇はネビウスに巻き付いて、その頭をネビウスの肩に乗せ、空の化身に向かって牙を見せつけて威嚇した。
リリイは空の化身を背後にしていても、それでも緊張して言った。
「そうなのね。それがネビウスの呪いの秘密」
「秘密なんかじゃないわ。出てくるかどうかは彼女次第だもの。哀しみの化身はあなたに興味を示したのよ」
青い大蛇の姿をした哀しみの化身は床を這って、空の化身に近づいた。次には青い炎の翼を生やして飛び上がった。するとネビウス一人に巻き付く程度の大きさから、一瞬にして空の化身に匹敵するほどの巨体に変貌した。哀しみの化身は飛び上がった勢いで空の化身に巻き付いて捕縛してしまった。
リリイには空の化身の意識が流れ込んできていた。空の化身が抱いていたのは懐かしさと深い愛情であった。太古の大昔から終わりの島に存在してきた大いなる化身どうしは、土地を巡る呪いによって、その根源的な部分において互いを見知っていた。空の化身まで篭絡させられては、リリイにできることはもう無かった。呪い比べの勝敗は既に明らかだった。リリイはため息をついた。
「なんだ。私だけが置いてけぼりなのね」
地表に降りると、リリイは杖を拾って自分で立った。元気をなくして項垂れていると、ネビウスがリリイに近寄って言った。
「もう少し教えられることがあるはずだけれど、それは今度の機会ね」
「今度っていつよ。古の民って時間の感覚がおかしくて、今度って言って何十年とか言うんでしょ」
「太陽の都、牢獄の都、この二つの都が大丈夫になったら。上手くいけば、二年か三年てとこかしら」
「急ぎなさいよ。私、待ちくたびれちゃって気が変わっちゃうかも」
ネビウスとリリイが話していると、空の化身がリリイの隣に降りてきた。哀しみの化身は空の化身から離れると、その体の大きさを小さな蛇の姿に変えて、ネビウスの元に戻ってきた。ぱたぱたと翼を羽ばたかせてネビウスに取り付くと、ネビウスの手首辺りから皮膚に溶け込むようにして溶けて消えてしまった。リリイはこの様子に興味を持った。
「私も空の化身をそういう風に連れ歩きたい。大化身の力を自由に取り出せるようになれば、本当に達人て感じだもの!」
「容れ物次第だわ。リリイがそれくらい大きな器になれば、そういうこともあるかもね」
「へぇ! なんか面白いかも!」
リリイは空の化身に抱きついた。空の化身は慈愛の瞳でリリイを見つめ、翼でリリイを優しく抱きしめた。
※
ネビウスは浮船で太陽の都に向かうことにした。リリイとルルウ、上級神官のストーラ、他にも天文台の研究者たちなどが空港に見送りに来た。
カミットはルルウと別れの挨拶をした。
「元気でね!」
「ありがとう。カミットも元気で」
カミットは努めてにこにこと笑ったが、ルルウが悲しげな様子でいたので不安になった。リリイは目を細めて見ていて、ため息をついて呆れた。
「あんた、馬鹿ね。他にもっと言うこと無いの?」
ルルウはリリイを睨んだ。
「そういうこと言わないで」
「だってそうじゃない! こいつって本当に気が利かないのよ!」
リリイがぎゃんぎゃん吠えていると、ネビウスがリリイを呼び出した。カミットとルルウは改めて二人きりで話した。
「カミット。あのね。私、短い間だったけど、すごく幸せだったの。あなたのお陰よ」
「んん? そっか! どういたしまして!」
カミットはここにきて急に緊張しており、滝のような汗を流した。彼はネビウスや他の人たちに見られているかもと思うと恥ずかしい真似をするわけにはいかないと思った。英雄たる者、恋人の不安と悲しみをきちんと取り除かねばならないと彼は考えた。
「また会いに来るよ! 困ったことがあればいつでも!」
「うん。ありがとう」
「ルルウを泣かせるなってリリイが言ったんだ。だからね。……あれェ?」
カミットが話している途中でルルウは涙をぽろぽろと零し始めた。ところが泣いているというのに、彼女は本当に幸せそうに笑っていた。
「あなたに会えなくなるのが辛いの。でもね。本当はこの街で一緒にいる間でも、会えないときはいつでも辛くて悲しいの。今は幸せよ。あなたが今、目の前にいてくれて」
ルルウは微笑みかけた。
「私のカミット。私を忘れないでね。私があなたを想い続けることを覚えていてね」
別れの口づけをした。
浮船が出発し、空港で手を振るルルウはすぐに見えなくなった。
カミットは甲板で座り、小さくなっていく空の都をぼんやりと眺めた。
空の都編 おわり
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