天空都市(11)「初恋」
ルルウは神殿の中庭でカミットを待っていた。神殿は夜が深まっても人が多く行き交っていた。カミットはいつまで経っても来ないので、ルルウはため息をついた。リリイは疲れ切ってしまって就寝していたし、ネビウスも自宅で過ごしているとあって、ルルウは話し相手もいないで一人で待った。カミットは普段からルルウとの約束を重視していなかったのでもしかしたら忘れられたのかもしれないとルルウは不安になった。
何もしないでいると寝そうになったので、ルルウは思い切って神殿から出てみた。ルルウは僧衣ではなく、普通の子どもが着るような、もこもことした毛皮の外套を着ていた。服装が変わっただけで参拝客ですら守り子がすぐそばを歩いていることに気づかなかった。カエクスと違い、ストーラはルルウの行動に制限を設けていなかった。護衛の衛兵が四人着いてきたものの、ルルウはほとんど生まれて初めて自由に自分の足で神殿の外を歩いたのだった。
月が輝く雪降る夜に、人々は露店や家々の軒先で焚き火をして、火を囲みながら酒盛りをしていた。もちろん家の中の方が暖かいに決まっているが、空の民は祝祭の夜の雪を浴びることが魂の汚れを落とすと信じていた。ブート人は他人種と比べれば寒さに強かったこともこの信仰文化を可能にしていた。
ルルウは普通の十二歳の女の子であった。世間では十五歳が成人年齢であり、女子は成人してすぐに親の指定した相手と結婚するのが慣わしであった。ルルウは守り子という特殊な身分なので、上級神官の子息と結婚するのが順当な流れであった。それが当然のことだと思っていたが、今ルルウは将来誰とも知らない者と結婚したくないと強く思うようになっていた。
ブート人とジュカ人が結婚するということは現実的に難しかった。そもそもカミットは恋や愛のことがさっぱり分かっていなそうだったし、そうでなくとも明らかにルルウのことを異性として意識していなかった。
それでもルルウはカミットのことを男の子として好きだった。どこがどういうわけでと言葉にすれば簡単過ぎて、実際には一緒に過ごした時間や受けた影響などが複雑に絡み合ったことで、ルルウの中で特別な感情が生まれたのであった。
この特別な夜をルルウはカミットと過ごすことに決めていた。カミットがいつものうっかりで約束を忘れているならば、自分から会いに行ってやろうと彼女は覚悟を決めていた。人混みの中、雪の降り積もる通りをルルウは歩いた。
ルルウは普段は長い距離を歩かないので、小一時間も経たないうちに息が上がっていた。お付きの神官は心配して「守り子。お疲れですか?」と聞いた。ルルウは首を横に振った。
「心配しないで。今夜だけ。今年だけだから」
ネビウスの家がある貧民街の方まで向かったのだが、その半ばでルルウは足を止めてしまった。ルルウは道の脇で民家の焚き火を囲む人々に混ざって、火に手を翳して休憩をした。神官が付き添っていても、信仰の家系の子としか思われず、ルルウはそこで休憩した。その家の人々はルルウに白湯を分け与えた。暖かさに触れるとルルウは何をそんなにがんばってこんなにも寒い雪の夜に出歩いたのかと後悔し始めた。
「やっぱりだめね。私って上手くいかない」
そう呟いて、涙を零しそうになったときであった。
「ルルウ!」
名前が呼ばれた。明るく前向きな声、聞くだけでルルウを元気づけてくれる人の声であった。
ごわごわの毛皮の外套を着て、帽子と手袋をしたカミットが門から駆けてきて、ルルウを抱きしめた。
「おめでとう! 祝祭の儀式すごかったよ!」
「ありがとう。……カミット、忘れちゃってるかと思った」
「遅くなってごめんね!」
お付きの神官は険しい様子でカミットを睨んでいた。火を囲んでいた家の人々がざわざわして、ルルウをまじまじと見始めた。カミットは全く気にしておらず、大きな声で言った。
「ルルウと遊ぶの楽しみにしてたんだ! 行こう!」
カミットはルルウの手を取り、祝祭の夜へと連れ出した。ルルウは嬉しくて笑い、そして泣いた。
遊ぶと言っても、カミットが考えていたのは食べたり飲んだりしながらお喋りをするだけであった。カミットは気兼ねなくいつもの散歩道で食べ歩きしながら、顔見知りの人々にルルウを紹介した。守り子が突然現れれば、人々は有難がって食べ物をどんどん渡した。二人のみならず、お付きの神官も両手をいっぱいに食べ物を持った。
カミットは土産をたくさん持って、客人を貧民街の路地裏にある我が家に案内したのであった。ネビウスは神官を見るやあからさまに嫌そうな顔をして「ルルウは私が面倒見るから、あんたたちは私の家に入るんじゃないよ」と言い出した。神官は「上級神官の指示のとおりにする。明朝にはお迎えに上がるのでよろしくたのむ」とだけ言って帰ろうとした。
「ちょっと待ちなさい」
ネビウスはたった今追い返そうとした神官たちを引き止めた。そして不機嫌に唸りながらも、食材棚から酒瓶を人数分持ってきた。ネビウスはそれを神官たちに渡して「あんたたちのお駄賃だよ」と言ったのだった。
ネビウスはつんつるてんの寝間着姿で、目を擦って眠たそうにしていた。隣室ではミーナが就寝しており、ネビウスも一緒に寝ていたのだが、カミットが大きな声で喋りながら帰宅したので彼女は目を覚ましたのであった。そのようなわけでネビウスはカミットとルルウに「あんまり遅くに外に出ちゃ駄目よ」とだけ言って、すぐにまた寝室に引っ込んでしまった。
カミットとルルウは家の屋上で焚き火をした。傘を立てて雪よけをしつつ、二人は寄り添ってお喋りをした。食べ物はたくさんあったがほとんど食べなかった。やがて夜がより深まると、どちらからともなく眠りに落ちた。
森の呪いが生み出したラッパのような花弁を持つ花が、ぷぱっ、ぷぱっ、と間の抜けた音を奏でた。ルルウはこの音で目覚めるのは二度目であり、一度目がまさにカミットと初めて出会ったときであったことを思い出した。彼女は真隣にカミットが寝ていて、昨夜一緒に過ごしたことが夢のように思われて、今更恥ずかしくなって顔を赤くした。
辺りはまだ暗く、カミットは熟睡していた。森の呪いはどういうわけか二人を起こしたのであったが、ルルウは空の水平線がにわかに白み始めるのを見て察した。ルルウはカミットを揺すって起こした。カミットは寝ぼけていて、ルルウに抱きついて彼女の胸元に顔を埋めた。カミットは首を傾げた。
「ルルウの臭いがするなァ」
カミットはぼんやりした顔でルルウを見つめて、抱きついたまま言った。
「まだ夜だよォ」
「ううん。もう明けるよ」
まだ暗かった空がやがて青みがかり、そして太陽が姿を見せると朱色に染まり出した。カミットは目を見開いた。
「すごい! ルルウ! きれいだね!」
「うん。きれい」
ルルウははしゃぐカミットを抱き返した。
「カミット、こっち見て」
「んん?」
カミットが振り向いたとき、ルルウは彼にキスをした。カミットは驚いて目を丸くしていたが、ルルウはとっくに覚悟を決めていた。
「あなたに会えて良かった。私、カミットのことが好き。愛してる」
カミットは困ってしまって何と答えれば良いか分からなかった。
「僕もルルウのことは好きだけど……」
「分かってる。そういうんじゃないって」
ルルウは切なげに目を伏せた。カミットが彼女の気持ちを受け止められないだろうことは分かっていたのだが直視するのは辛かった。
一方、カミットは顔を真赤にして、ぐるぐると頭の中で考えを巡らした。彼は混乱していた。
「そしたら僕たち結婚するの!?」
ルルウはカミットの予期せぬ反応に動揺した。彼女は早口で言った。
「え!? 違うよ。結婚は結婚。好きは好き。それぞれ別のことだから」
「なんで? あのね、結婚する人たちはキスをするんだよ!」
カミットは海の守り子の弟子をやっていた頃にいくつかの結婚式を見た経験からこのように言ったのだった。
ルルウは切なかったり、恥ずかしかったり、いろいろな感情を抱えていたが、一方では冷静にカミットのことを「本当に何も分かっていないな」と観察した。しかしどうやら彼女の愛の告白は明確に拒絶されてもいなかった。そこで予定していなかった新方針にえいと舵を切った。
「私達、まだ結婚は早いから、……恋人になってくれる?」
「恋人って何するの?」
「二人だけで一緒に遊んだり、お喋りしたり、……キスしたり。夫婦みたいな特別な関係になるの。だめかな?」
カミットは腕組みをして少し悩んだが、断る理由もないと気づくと彼は明るく言った。
「えっと、いいよ!」
その実体がどうであれ、十二歳の冬の年始めの夜明けに二人は恋人になったのであった。
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