天空都市(9)「対話」
一時は復調したかに思われたリリイであったが、再び体調を崩した。咳き込んだ際に青白い霊気を吐くと、彼女は怯えて震えた。ネビウスは魔除けの祠を修繕するので忙しく、代理でバルチッタが診断して薬を与えた。
主席上級神官であるストーラは最悪の場合を想定して、バルチッタを呼び出してこっそり聞いた。
「回復するのか?」
バルチッタは険しい表情で言った。
「俺は絶望的な状況だと診ている。だがネビウスが見限らないなら、可能性はあるんだろうよ」
「あのような状況の場合、普通はどれくらい保つのか」
「今日明日にでも化身になっておかしくないと思うが、守り子は特別なのかもしれねえ。なんでヒトの意識があるのか不思議なくらいだぜ」
バルチッタは医者の弟子としてネビウスから学んだことを正しく述べていた。古の民が語り継ぐ知識は膨大な経験に基づく。呪いの返りにより白化や変態などの身体的変化がもたらされ、その最後に侵されるのが魂であった。ヒトがヒトでなくなってしまい、ヒトを食う怪物に成り果てた結果が呪いの化身であった。神殿は呪いの化身を厳密に管理しており、完全に化身となってしまう前に死なせることを掟に定めていた。ストーラはいざとなったらリリイを殺すことを決断しなければならず、神経を尖らせていた。
一方、ネビウスはリリイが体調の良いときに訪ねてきて呪いの指導をした。ルルウにさせるような単純な反復練習ではなく、魔除けの祠からランプに入れて回収してきた精霊と対話する練習であった。
不思議な光に包まれて半透明な体色をしたトンボ、風の精霊がネビウスの手提げランプから飛び出して、中庭を飛び回った。中心で椅子にかけるリリイに対して、風の精霊は代わる代わる寄ってきて、友好的な様子で踊り舞った。リリイは精霊と心通わすことなど幼い頃から手慣れたものであった。今更ネビウスに指導を受けることなどないと思っていた。
ネビウスはそういう生意気な弟子に対して対策を用意していた。彼女は風の精霊たちを並ばせると、これ見よがしに矢じりのような編隊飛行をさせたり、宙返りなどの曲芸飛行をさせたりと、まるで操るかのように様々な芸をさせた。しかもヒトの命令を聞いた精霊は姿を消してしまうものだが、ネビウスの命令を受けた精霊たちは留まり、中庭を好きに飛び回った。
リリイは悔しがって負け惜しんだ。
「秘密の道具を使っているんでしょ。古の民のズルよ!」
「長く生きていると暇つぶしにいろいろ練習するんだわ。怠け者で我慢できないあんたには難しいかしら」
「そんなこと言って、私騙されない。風の精霊に上手く命令できるからなんだっていうの。私は風の精霊と心の友なんだから、ネビウスみたいに卑しい自慢なんてしないわ」
「友達だって言うなら、そんな風に呪いの返りでひどいことになってるのはどういうことかしら」
「古の民がズルをしているんでしょ。私、悔しくないわ。化身になるのだって怖くない!」
「ベイサリオンはあんたみたいなことにはなってないのよ」
リリイはしばらく反論していたが、ぐすぐすと泣き出してしまった。しかしこれで手を緩めるネビウスではなかった。
「さあ、やりましょ」
ネビウスは風の精霊を集めて、リリイに向かわせた。リリイは泣き叫んで、手で払おうとした。しかし風の精霊は一瞬は散っても、すぐにまたリリイに纏わりつくのであった。リリイは個々の精霊に対して、少し離れて欲しいと願いかけて、ようやく解放された。ネビウスはにっこりと笑った。
「そんなつれないこと言わないのよ」と言うなり、指をぱちんと鳴らして、散り散りになっていた風の精霊をリリイにまた集めさせた。リリイは悲鳴を上げたが、最終的には風の精霊との話し合いに向き合わざるを得なくなった。
※
冬の終わりの月、その最後の日に空の民は夜通しで年越しの祭りをする。人々は孔雀山脈の各地の神殿や祠に参拝して精霊の加護を得る。
これに先立ち、守り子は地域の主要な神殿を訪れて精霊が祭壇の中で暮らしていることを宣言する。この二年の間は都神殿の神官がその儀式を代行していたが、それ以前はリリイが行っていた。今年は峰の魔人討伐があったので、人々は守り子が儀式を行うことを待望していた。リリイが体調不良で都の神殿から出られないので、ルルウにその役割が期待されていた。
問題はルルウが精霊の所在を感じ取る霊感を持っていなかったことである。ネビウスは一応はルルウに精霊の痕跡が強い石を選ぶ練習などをさせたが、一ヶ月足らずの練習でほとんど成果は見られなかった。
ネビウスが付き添って教えてやればいいという単純な話ではなかった。守り子は地域の精霊に対する人々の代表であって、精霊に関して他者の助言を受けているようでは人々を失望させかねないからだ。
ストーラはネビウスが事前に各地の神殿で祭壇を点検していることを述べて「これまで祭壇から精霊が失せたことはありませぬ」と遠回しな言い方でルルウに助言をした。
結局覚悟が定まらぬままルルウは神殿参りを迎えてしまった。浮船で神官を引き連れて、山々に点在する町や村を訪れたのだが、その最初の町に降り立ったときであった。
雲の合間から空の化身の美しい姿が見えて、極彩色の尾羽根が煌めいて、守り子を出迎えた人々は強い感動を覚えた。ルルウは空の化身の姿を見て、胸を熱くした。ルルウは空の化身の存在だけはどんな精霊とも違って確信を持って実感できた。彼女は大いなる存在が背中を押してくれるように感じた。
ルルウは人々が見守る中、町の神殿で祭壇の前に立った。彼女が長杖を掲げると、祭壇が輝きだして、風の精霊が飛び出して舞った。ルルウは目に涙を浮かべて、声を震わせて宣言した。
「精霊は加護を与えた!」
人々は歓喜の声を上げたのであった。空の平和がたしかに帰ってきたのだと人々は実感するようになった。儀式はどこの町や村でも同じように成功した。こうしてルルウが滞りなく守り子の仕事をしていると、都に残されたリリイは歩く練習をしながら愚痴を零した。
「ルルウができるなら、私はもう要らないわね」
このときリリイの歩行訓練を手伝っていたのはカミットであった。彼は聞いた。
「なんで?」
「私は精霊の加護と呪いだけが取り柄だもの」
「ルルウは呪いが上手くないから、やっぱりリリイはいないと困ると思うよ」
「私、頭も良くないし、呪いができるだけ。でもネビウスほどではないし」
「でもネビウスは来年には太陽の都に行っちゃうよ」
「私、我儘で、我慢できないし。信仰のこともちゃんとやらないし」
「でもルルウはちゃんとしているから大丈夫だよ」
リリイはやや沈黙してから吠えた。
「私、馬鹿じゃないし、我儘じゃないし、我慢だってしようと思えばできるんだけど!」
カミットは首を傾げた。彼はリリイを難しい女の子だと思っていた。下手なことを言うとリリイは癇癪を起こして大変なことになるので、カミットはてきとうに済ませようと思った。
「そっか! じゃあ大丈夫だね!」
「大丈夫じゃない!」
「んん? 何で?」
「私、もやもやしてる!」
「ふーん」
カミットは「何で?」と聞かなければ良かったと思った。彼は歩行練習を再開させて、リリイを支えながら一歩ずつ慎重に進んだ。その間にもリリイは大声で言った。
「あんた分からないの!?」
「もやもやって何?」
「ここに居たいのに居たくないってこと!」
「分かんない。僕は僕だよ。リリイはリリイだ。居る場所は居る場所だ」
「ああ、あんたって本当に駄目ね」
「僕は駄目じゃないよ」
「分かってないやつはそう言うのよ」
「リリイは僕を嫌いだから駄目って言うけど、リリイ以外には言われたことないよ。だから僕は駄目じゃない」
カミットが淡々と言うと、リリイが顔を引きつらせた。
「なによ!? 気持ち悪い喋り方して!」
「リリイ以外には言われたことないから、僕は気持ち悪くない」
暴言を吐かれたり、悪態をつかれても、カミットは少しも揺らがなかった。彼は幼い頃からネビウスにしっかりと愛されて育った。この先何があろうとネビウスは彼を愛し、応援してくれるのだと分かっていた。出会って間もないリリイから何を言われようと、魂の核たる部分には傷一つ付かなかった。
リリイはため息をついた。
「鉄か何かで出来ているのかしら、あんたの心って」
「心は心だよ?」
「はい、はい。もう良いわ」
しばらく練習をしていると、リリイはぽつりと言った。
「あんたのこと、べつに嫌いじゃないから」
するとカミットはぱあと明るい笑顔になった。
「本当!?」
これにはリリイが驚いた。
「なによ。そんな嬉しいの?」
「うん!」
「……やっぱり、あんた馬鹿ね」
「なんで!?」
カミットはリリイに嫌われていないと分かると、彼女にもっと親切にしようと思うようになった。ここしばらくは暇さえあればハルベニィのところへ遊びに行って、リリイの手伝いはルルウへの義理立てとして最低限取り組んでいたのだが、このとき以後は積極的にリリイを助けに来るようになったのであった。
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