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ネビウスクロニクル  作者: 石井
空の都編
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天空都市(8)「融和」

 空の化身(アデケレ)は孔雀山脈の方角へ飛び去ったので、浮船の船団も空の都(パラテラ)へと帰った。空の化身(アデケレ)は都の上空を飛んだ際にリリイを返しており、空港に到着したルルウを真っ先に出迎えたのはリリイその人であった。空の化身(アデケレ)の勝利に浮かれる守り子や市民とは違ってネビウスは醒めていた。彼女はルルウと抱き合ってはしゃいでいたリリイの手を取った。


「大化身に使い潰されないようにするのも守り子の技量の内よ」


「私は空の化身(アデケレ)と一緒に戦ったの。使われてなんかいない」


「だったらどうして、あんた、そんなに真っ白なの」


 ネビウスの口調は脅すようであった。リリイはネビウスの手を払おうとしたが、彼女の肉体にはその力が無かった。それで仕方なく風の呪いを使おうとすると、ネビウスの左目の青い瞳がリリイを直視し、呪いの風が掻き消えた。リリイは怖がってネビウスからどうにか逃げようとしたが、ネビウスは強い力でリリイを引き寄せて、顎を掴んで口内を覗き込んだ。


 唇、舌、喉の奥に至るまで、全てが真っ白だった。およそ血の通う生き物としてはあり得ない白さがリリイを蝕んでいた。リリイが涙を浮かべると、ネビウスは診察を終えて言った。


「それ以上白くなったら消えてしまうわ」


 守り子を囲んでいた人々の祝賀の雰囲気は消沈した。空の化身(アデケレ)の力を引き出した守り子が呪いの返りを受けたのだと彼らは理解していた。


 ネビウスはリリイに当面の間は呪いを使わないように指示した。リリイは手足の筋力が低下して、歩くのはおろか、何かを掴んだり、カップを持つことすら覚束ない状態であった。何もかも風の呪いにより代替していたので、リリイは呪いを禁止されては身動き一つ取れなかった。このような状態から回復するには、苦しい訓練を忍耐強く続けるしかなかった。


 リリイは神官ドルイドに触られることを嫌ったので、ルルウが甲斐甲斐しく世話をした。ルルウはリリイに厳しくできなかったので、その役割はネビウスが担った。リリイが風の呪いを使おうとすると、そこにネビウスがいなくとも青い炎が突如吹き上がって風の呪いを焼いてしまった。リリイはこれまでのように辛くなったら風の呪いで飛んでいってしまうということができなくなり、ルルウの支えなしには出歩くことができなくなり、ルルウが用事があるときには寝台ベッドでぽつりと一人寝て過ごしていた。


 あるとき守り子の寝室の窓から、葉っぱの髪の毛をしたカミットがひょこりと顔を出した。彼はルルウを探しに来たのであったが、リリイが一人でいるのを見ると露骨に「しまった!」という顔をして頭を引っ込めた。


 呪いを封じられてはいても、呪い子が近づいたことに気づかないリリイではなかった。彼女は寝台ベッドに寝たままで叫んだ。


「逃げんじゃないわ! 出てきなさいよ!」


 カミットは渋々窓から部屋に入って、リリイに挨拶をした。


「元気?」


「そう見える?」


「僕は体じゃなくて気持ちのことを聞いてるんだよ。あのね、僕は元気だよ!」


 カミットはにかりと笑った。リリイはため息をついた。


「ルルウに会いに来たんだ」


「知ってるわよ。しょっちゅう私達の邪魔しに来るものね。ルルウは忙しいの。公務や勉強があるし、暇な時間があったら私の訓練をしないといけないんだから。付きまとうのは止してね」


「でもルルウが会いに来てって言うから」


「大人は思って無くてもそう言うのよ。めちゃくちゃ嫌いな相手にも、また会いましょうってね!」


「僕たちは大人ではないよ」


「減らず口を叩くんじゃないわ」


 カミットはルルウの寝台ベッドにごろんと横になった。リリイはぞっとして「ひい」と変な声を出した。


「何してんの!」


「リリイが僕と話したそうだから、じっくり聞こうと思って」


「はァ!? 私があんたなんかと話したいわけないでしょ!」


「そっちが寝てるから僕も寝てやろうと思ったんだ」


「私がこうなってるのは私のせいじゃない!」


 カミットはうんうんと頷いた。そして笑顔で言った。


「僕のせいでもない」


 リリイは手足が自由に動かせれば、頭を掻きむしりたい気分であった。


「ああ! もういや。話が噛み合わない」


「お互いね」


「ルルウのベッドからどきなさいってば!」


 カミットはわざとルルウの寝台ベッドでごろごろと寝返りを打ち、リリイがきいきい叫ぶのを聞いてにやにやと笑った。リリイが疲れて口数が減ってくると、彼は提案したのであった。


「訓練を手伝ってあげよっか?」


「あり得ない。あんたとだけはやりたくない」


「ルルウは守り子だから忙しい。ネビウスも魔除けの祠を直すので忙しい。ミーナは勉強で忙しい。僕はハルベニィが店番をしてないときは暇なんだよね」


 カミットは立ち上がると、おもむろにリリイに近づいた。リリイは悲鳴を上げた。


「あっち行って! 近づかないで! いや! 誰か助けて!」


 守り子が大声で訴えても、衛兵は現れなかった。主席上級神官(ドルイド)であるストーラは前もって指示を出しており、リリイに近づいてよい者としてカミットのことが周知されていたからである。


 カミットは「よいしょ」と言って、リリイを助け起こして、歩行を補助した。カミットはやや強張った声で言った。


「きれいな羽だね」


「なによ! 変な色って言ったくせに!」


「きれいだよ」


「気持ち悪い! 二度と言うな!」


 カミットはどれだけ悪態を付かれても、にこにこと笑った。強引に歩行訓練をさせられるリリイにとって妹をたぶらかす宿敵に助けられることは屈辱以外のなにものでもなかった。幼い頃から呪いの天才として持て囃されてきた守り子のリリイにこんなにも率直に振る舞ってくる相手はいなかった。神官ドルイドなどはリリイが暴れたり罵ったりするだけで怯んでしまうものであった。だから今もリリイが拒否すれば誰も訓練を手伝うとは言い出さないし、守り子に無理やり何かさせようとする者はいなかった。


 歩行訓練において、リリイはカミットに支えられると奇妙な安心感を得た。単純なことであり、神殿で公務や勉強をして過ごしている女の子のルルウよりも、槍や弓の稽古で体を鍛えている男の子のカミットの方が力強かった。リリイはカミットに支えられて歩き、ぼそりと呟いたのであった。


「……こんなやつのどこが良いんだか」


 公務を終えて戻ってきたルルウは驚愕した。リリイがカミットの補助で訓練をしていたことが驚きの第一ではあったが、ルルウは顔を赤くして「リリイのお世話は私の仕事だから!」と言って、リリイとカミットの間に割って入ったのだった。





 魔人討伐を終えて以来、カミットは具体的な目標を失っていた。ネビウスはミーナにはどこの都市でも神殿通いをさせていたが、カミットに対してはそういう主義とでもいう感じで指示を出さなかった。ネビウスか、そうでなくては師匠が予定を組んでくれないならば、カミットは自分ですべきことを探さねばならなかった。困っていた彼にとってハルベニィは人生で初めての良い遊び相手だった。ハルベニィは店を開けば必ずやってくるカミットを拒みはしないものの、依然として心を開いてはいなかった。


「お客さん。俺はお前のお友達じゃないんだぜ」


 カミットはハルベニィに促されると、てきとうに食材を指定して銅貨で支払った。「それでね」と話を続けようとすると、ハルベニィが手をカミットの顔の前に出して制止した。


「俺は商売をしているんだぜ」


「でも今はお客さんいないし」


 昼は過ぎて、客足のピークは終わっていた。ハルベニィは萎んだままの貨幣袋を見て項垂れた。


「今日はしまいにするか」


「仕入れに行くの!?」


 カミットは期待で目を輝かせた。ハルベニィはカミットの勢いに押されて仰け反った。


「お前は連れてかねえよ。話がややこしくなりそうだ」


「これ見てよ!」


 カミットは銅の腕輪を見せつけた。


荒れ地の都(ペキ)の職人腕輪か」


「僕は魔人を三体も倒した英雄だよ! 僕が言って、ハルベニィが品物を安く買えるように説得する!」


 ハルベニィは「ひひ」と卑屈な笑い方をした。


「良いかい、坊っちゃん。商人や鍛冶職人は武器を買ってくれる英雄のことは好きだが、武器を買わない英雄には用が無い」


「僕は商売を手伝うんだよ?」


「傭兵なんてのは俺にとっちゃあそれだけの存在ってことだ。腕っぷしが強い連中が剣を振る。俺みたいな痩せは賢く稼ぐ」


 ここでまたハルベニィは「ひひ」と笑った。


「自分のことを強いと思っているやつはただの乱暴者さ。自分のことを賢いだなんて思っているやつはただの卑怯者さ。乱暴者と卑怯者は根っこは似た者同士なくせにお互い大嫌いなんだよ。こいつらが握手をするのは銭が稼げるときだけだ」


「ハルベニィは頭が良いよ!」


「止せよ。俺は愚か者で良いんだ。そうでないとバルチッタみたいになっちまってつまらねえだろ」


 カミットは首を傾げた。


「何でこういう話になったんだっけ?」


「お前が英雄であることを自慢して商売すると言ったからさ」


「そっか! 商人は英雄が嫌いなんだ!」


「傭兵どもを見てみろ。カリドゥスは話が分かるやつだが、ほとんどはまともな稼ぎができなかった乱暴者のクズばかりだ」


 ハルベニィは商人としての仕事にカミットを深く関わらせたがらなかった。カミットがいくら言っても、仕入れのような重要な仕事には連れて行かなかった。


 ただし彼はカミットを都合よく利用することもあった。カミットが「リリイがおやつを欲しがるんだ」と言うと、ハルベニィは請求先が神殿だと知っていて、珍しい果実を季節外れの高騰価格で売りつけた。

お読みいただきありがとうございます。

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