天空都市(1)「予感」
雪が積もった。標高の高い空の都は冬の化粧を施されて家々も路面も全てが純白に覆われていた。
「空の都はなんて切なくて美しいのかしら! まるで私みたいだわ!」
守り子のリリイは神殿のテラスから街を見下ろして言った。彼女は空の化身に取り込まれていた間に髪の毛や肌、眼の色に至るまで体の全てが原因不明の白色化を起こしていた。
仙馬の襲撃により致命傷を負った空の化身をこの世に繋ぎ止めるために、リリイは二年もの間を空の化身と共に文字通り一心同体となって耐えてきた。
その弊害は見た目ばかりではなく、彼女は筋力の衰えによって歩くことができなかった。ところが彼女は移動となれば自由自在であった。精霊の加護を認められて選ばれた空の守り子は通常の神官や呪術師など比較にならないほどの風の呪いの達人であった。リリイは自分の体を浮かせてどこへでも行けたのだ。
リリイが双子の妹であるルルウと違うのは信仰に対する姿勢でも顕著だった。ルルウが公務に取り組んだり、神官たちと勉強会に勤しんでいる間、リリイは勝手に神殿を抜け出してしばしば天文台にいるネビウスを訪ねてきた。予定をすっぽかして遊びに出てしまうことなど日常茶飯事で、リリイは厳しい指導者であったカエクスを亡くした今ではまさに糸が切れた凧であった。
その日もリリイはネビウスが書物を執筆している周りでふわふわと浮かんでまとわりついていた。リリイは両手足をばたばたさせて騒いだ。
「つまんない! 暇!」
「うるさいわねェ。あんた、どうせまた逃げてきたんでしょ」
「私かわいそうだったんだからもっと優しくして! みんな優しくなくて嫌!」
ネビウスはルルウとリリイを指導するようにカエクスから遺言されていた。しかし今となってはネビウスは気が重かった。
「困ったわ。こんな分からんちんの小娘だったなんて。カエクスの遺言は果たせそうにないわ」
「死んだ人のことを言うのはズルい!」
「ああ! もう、うるさい! 私は仕事中よ」
「うるさくない!」
リリイは筋力トレーニングなどのリハビリをせねばならなかったが、それは我慢と忍耐を必要としていた。リリイは根気強く苦手なことに取り組める性格ではなかった。ネビウスが面倒を見に来たときはいくらか取り組むのだが、少し注意されるとたちまち機嫌を損ねて飛んで行ってしまう。ネビウスがおらず、ルルウが優しく介助したときには、わざと大げさに「痛い、辛い」と喚いてルルウの同情を引き、そしてけろりとした顔になって「お茶しましょ」などと言い出す始末だった。
ネビウスはルルウには優しかったが、リリイのことは鬱陶しがった。しかしリリイはネビウスの不機嫌など全く気にしなかった。リリイはネビウスにルルウを渡さないというようなことを言ったが、本人はネビウスにかなり懐いていた。まるで多くの時間を既に過ごしてきたかのように彼女はネビウスのことを知っていた。
「ねえ、ねえ。あの美味しいおやつをちょうだい」
「何のことよ」
「ルルウにあげてたでしょ」
ネビウスたちが東の港町まで浮船で旅をしたときにそのようなことがたしかにあった。ネビウスはため息をついた。
「あんたねェ。妹の記憶を盗み見するのはいくら双子の姉妹でもまずいと思うわ」
「あの子の記憶は空の化身を通して勝手に入ってくるの」
「ルルウは?」
「あの子は呪いの才能が無いから」
「不公平だわ」
「今は見えてないのよ。空の化身と繋がっていたときだけよ」
「なら良いけど。……んー、良くはないけど。過ぎたことは仕方ないわ」
リリイはネビウスの眼前に顔をねじ込んで急に聞いた。
「ネビウスって人を好きになったことある?」
「あんたみたいながきんちょが私に恋だの愛だのを聞くなんて百年早いわ」
「私は無いんだけどさァ」
「そうでしょうね」
「今、子供だからって思ったでしょ! 違うわ。男の子って馬鹿で好きじゃないし、恋人も欲しくないってこと。なんでコウゼンたちは帰っちゃったの!? 私、あの黒毛のコーネ人の剣師が気になってたの! きりっとした顔立ちも良かったんだけど、知的で物静かなのに剣が強いって真逆な良さがあるのって素敵! 年上で良い感じだったのに! 私、恋をし損ねた!」
「……ほんと、うるさい子ね」
ネビウスははたと気づいて書物を机に置いた。彼女は真顔になってリリイを注意した。
「あんた。人の気持ちに強引に踏み入るのは止しなさいよ。ろくなことにならないわ」
「もちろんよ。でもネビウスのところの葉っぱ頭がおかしな気を起こさないように見張らなきゃって思ってるの!」
「あのねェ、そういうのが余計なのよ。子どもには分からないのかしら」
「妹を守るのは姉の務めでしょ!」
リリイは大声で喋っていたので、周囲の研究者たちに会話が丸聞こえであった。ネビウスは念のため守り子との会話は他言厳禁とした。リリイが飽きて帰った後で、天文台の所長がネビウスに茶を差し出して「平和ですな」と言った。ネビウスは「たしかにねェ」と言って頷き、茶を啜った。
※
カミットは空の都の職人組合で空の化身の美しい鳥の刻印と峰の魔人討伐を証明する文言を銅の腕輪に刻んだ。彼はまだ十一歳だったので傭兵の徒弟になるための最低年齢である十五歳になっておらず、相変わらず職歴無しの名誉職人とでも言うべき身分であったが、本来ならば傭兵としての経歴は輝かしく彩られていた。
ほぼ同じ経歴である荒れ地の都出身の傭兵たちは傭兵団の名を「三体殺し」と改称し、最も重要な変化として彼らの腕輪は初級の銅から中級の銀へと格が上がった。中級職人は報酬歩合や依頼の選定において初級職人よりも大きな優位を持っているという違いがあった。
ただしカミットは職人組合と仕事のやりとりをしたことがなく、腕輪によって得られる利益には無知だった。彼はとにかくカリドゥスたちの銀色の腕輪の見た目が羨ましかった。カミットが酒場で「ずるいよ! 僕だって欲しい!」と喚くと、傭兵たちは面白がってあえて新しい腕輪を見せびらかして自慢し、カミットはそれで余計に怒った。カリドゥスなどは苦笑して「十五歳になるときには一気に金の腕輪になるさ」と励ましたのであった。
この頃カリドゥスはカミットをあしらうために使える新たな文句を見つけていた。
「ルルウとの予定はないのか? また遅刻するぞ?」
「んん!? 行ってくる!」
カミットが忘れかけていたルルウとの約束のために酒場を飛び出すと、酒場の外で待っていたミーナと合流した。この後三人で呪いの練習をしようというのである。元々はカミットとルルウの二人でやるつもりでいたのだが、ネビウスの指導で一緒だったこともあり、いつのまにかミーナが居合わせるようになっていた。カミットはいつものことだが彼を待っていたミーナに文句を言った。
「時間どおりに来たら、僕を呼んでよ」
普段は従順なミーナだが近頃はカミットに反逆することがあった。彼女はつんとして言った。
「今来たところよ」
「いつも今来たって言う」
「ほんとだもの」
「ふーん。そっか」
カミットはこの日は怒ったり喜んだりして気持ちが忙しかった。彼は腕輪をミーナに見せて自慢した。
「ほら! 新しい魔人討伐の証明文とあと空の化身の刻印だよ!」
ミーナはカミットにぴたりとくっついて腕輪をまじまじと見た。
「カミットはすごいね」
「ありがとう!」
このあと二人は大通りで雪道を転ばないように手を繋いで歩いた。神殿が見えてくるとミーナがカミットに聞いた。
「ルルウのこと、好き?」
「んん? もちろん好きだよ」
「……私のことは?」
「好きだよ」
「シルクレイシアは?」
「好き!」
ミーナはむすっとして、カミットに体を寄せた。彼女は恨めしそうに聞いた。
「みんな好きなの?」
「ミーナもそうでしょ」
「私はお母さんとカミットが好き」
「ふーん。そっか」
このときカミットは言われてみればネビウスが一番好きだと気づいた。ただし自分の存在そのものと深く結びついた家族に対する愛情と友人に対する親愛の気持ちは性質が少し違うように思われた。この意味ではカミットはミーナを家族だとは思っていたが、彼女はカミットが十歳のときに急にできた新しい家族の一員なのであって、ミーナのことをどのように捉えればいいのか今も分かっていなかった。出会った当初から気が合う感じはしていなかったが、そうは言っても一つ屋根の下で暮らしていれば大事な存在にはなっていた。少なくともネビウスから言われて家族なのだからカミットが守らねばと思う程度には。
二人はこのあと奇妙に沈黙したままで神殿のルルウを訪ねた。カミットはいつも通りだったが、ミーナはどんよりとして俯いていた。ルルウは二人を見て聞いた。
「何かあった?」
「何もないよ。そっちはリリイがいるのは珍しいね」
ルルウの背後にはリリイがふわふわと浮いていた。口を尖らせて何やら不満を抱えている様子であった。双子の姉妹はカミットが来る直前に口喧嘩をしていたのだが、ルルウは「ううん、大丈夫」と言ってごまかした。
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