呪いの霊峰(17)「本神殿」
空の都近郊を周遊する本神殿の浮島は特別だった。ほとんど全ての浮島が古の民の別荘であるとされる一方で、本神殿の浮島は純粋にブート人が古代から信仰の拠点としてきたからだ。
そのため本神殿の浮島では劇場や運動場、食堂や浴場といった遊びや生活のための施設跡がなく、巨石を積み上げて建設された本神殿と無数にある小さな祠などの信仰に関わる建造物だけがあった。
ルルウは島に降りて立ち尽くした。二年近く人が立ち入っていなかったため、その島のあらゆる物が蔦に覆われていた。現状は活発で綺麗好きな空の化身が全く活動していないことを物語っていた。ストーラや神官たちも荒れ果てた本神殿の現状を嘆いた。
神殿に続く大通りを大気を揺らめかせて灼熱のライオンが歩いてきた。太陽の化身であった。彼は太陽の都から終わりの島上空の浮島を渡ってきた。本神殿の浮島は霊峰と空の都に最も近く、太陽の化身は仙馬との衝突を避けるためにこの浮島を第一の避難先としたのであった。
太陽の化身は周囲に放っていた熱を弱めた。彼はコウゼンに顔を寄せて軽く頬を擦り付けた。その次にネビウスに歩み寄った。ネビウスは柔らかい笑顔で彼を迎えて、太陽の化身を抱擁し、豊かな鬣に顔を埋めた。太陽の化身の鬣とネビウスの赤髪が混ざり合うようにして互いに赤熱して輝いた。太陽の化身はネビウスを慈しむように舐めた。
ルルウは彼女と同じく守り子であるコウゼンの反応が気になった。大化身は空の化身もそうであるが、人に力を貸すことはあっても基本的には慣れ合わないものであった。ネビウスは太陽の化身と特別に親しい様子であり、太陽の都の立場から言えば、受け入れがたいはずだった。コウゼンはルルウの視線に気づいて苦笑した。
「仕方あるまい。私はまだ太陽の化身との付き合いが浅い。古き者たちの絆に文句はつけられぬ」
「でも私だったらきっと傷つく」
大化身が守り子だけを受け容れる神聖なる存在であることを理解していればこその二人の会話だったが、一方でカミットはこういう常識に疎かった。
「僕もやりたい!」
カミットは叫ぶや太陽の化身に突進した。
太陽の化身は獅子の唸り声で威嚇し、鬣を燃え盛らせた。カミットは危うく燃やされそうになったが、瞬間的に森の呪いが根と蔦を発生させてカミットを止まらせた。
「なんで!?」
カミットは危険など気にしておらず、森の呪いを手で払いながらネビウスに向かって叫んだ。ネビウスはくすりと笑った。
「彼は子どもが好きじゃないのよ。それに森の呪いも嫌みたい」
「僕も触りたいよ! 海の化身は仲良くしてくれたよ!」
「坊や。仲良くなるためには思い出が必要なのよ」
「うーん。……そっか」
カミットは項垂れて、とぼとぼと引き返して、ルルウの横に戻った。
このあと一同は太陽の化身の案内で神殿の奥へと向かった。
※
千人以上を収容できる本殿最奥の礼拝堂、吹き抜けの天蓋の下、祭壇に卵のような形になった巨大な純白の羽毛の塊があった。ルルウが近づくと、大化身の全体を包むようにして折り畳まれていた尾翼が開かれた。
内部には体を丸めた巨鳥、その胸部に惨く貫かれた孔があった。傷口からどろどろとした青白い粘液が溢れ出ていた。固まった粘液は何重にもなって穴を塞いでいた。
孔の表面、固まった透明な粘液が膨れている中に取り込まれた人影があった。翼の腕を持つブート人の少女、ルルウと瓜二つの外見を持つ空の守り子のリリイであった。
ルルウが駆け寄ろうとすると、すかさずネビウスが引き止めた。
「リリイが!」
「あなたまで取り込まれたら困るの。私の仕事を増やさないのよ」
ネビウスは腰に手をやり、一同に言った。
「今から空の化身とリリイを切り離すわ。でも失敗するかもしれない。誰がやってもだいたい失敗することだから、私がしくじっても文句を言わないでちょうだいね」
次にネビウスはコウゼンを見た。
「太陽の化身は空の化身に力を分けるつもりみたい。そうするとしばらくは太陽の化身も弱ることになる。あんたに許可を取るんじゃないの。びっくりされても困るから事前に教えただけ。私に怒るのは間違いよ」
「怒るものか。私は空の都を救いに来たのだ」
「あんたの子分たちにもきちんと理解させときなさいよ」
ネビウスは言い終わりにコウゼンの横に立つ黒毛の剣師にわざと視線をやった。ネビウスが懸念していたのは彼に限った話ではなかったが、とりあえずは目の前にいる継承一門の者に要望を食らわせたのだった。
ネビウスがくどいほどこの後の作業の結果に対して保険を張り続けている間に、カミットが勝手に空の化身に近づいた。孔の傷から青白い粘液が噴出してカミットに降りかかった。森の呪いはただちに大きくて強靭な葉を何枚も発生させて傘を作ってカミットを守った。
こればかりはルルウですらも本気でカミットを注意しそうになった。ところがネビウスが何も言わなかった。カミットは好奇心から勝手な行動をするいつもの感じとは少し違って、彼は次々と大きな葉っぱを打ち出したり、低木を発生させて身の回りに壁や足場をを作ったりして、明確な目的を持っていた。カミットは大工も驚くほどの手早さで空の化身の胸に空いた大孔を取り囲む作業場を作ったのだ。
「ネビウス! 早くやろ!」
「はい、はい。坊やはせっかちね。このあとが大変なんだから焦らないのよ」
ネビウスは梯子を上って、孔のところまで上がってきた。ネビウスは先ず、カミットにいくつかの寄生植物や吸血植物を作らせて、空の化身の傷に宛がうことで処置をした。次に傷口と結びついている粘液の塊を丁寧に切り離した。こうした作業の間にも青白い液体が傷口から噴き出して、ネビウスやカミットに降りかかった。ネビウスはそれらを青い火で焼き、カミットは体中を覆わせた呪いの草花によって身を守った。
途中で空の化身が暴れだした。カミットが作った足場は崩壊し、ネビウスもカミットも放り出された。カミットは毒性の食霊植物によって、空の化身をおとなしくさせた。ネビウスは「良い仕事ね。先にそっちをすべきだったわ」と言って、カミットを褒めた。
ネビウスは空の化身の体内に身を乗り入れて、皮膚表面ばかりでなく負傷した内臓を修復したり、血管に呪いの植物の管を縫合したりと、様々な作業を行った。全ての工程を難なくこなしたネビウスであったが、リリイを救出するのには慎重であった。彼女が取り込まれていることが空の化身の生命維持に直結している可能性があったからだ。
この間にも紐船の復旧がさらに進められており、呪いに長けた神官や民間の呪術師、そして大工や料理人などの人材であったり、ネビウスが要望していた資材や薬品なども追加で届けられるようになった。
さらには神聖な場所には来てはならないお尋ね者のバルチッタまでやってきた。本来ならば剣師たちは太陽の腕輪が反応して罪人の存在に気づくはずだが、今回はストーラがバルチッタの身分を偽称する空の腕輪を与えていた。バルチッタはコウゼンを見て脂汗を滲ませていたが、偽称に成功すると返って調子を良くして、ネビウスの助手として生き生きと働きだした。
リリイの救出と空の化身の治療は同時に行われなければならず、空の化身の巨体を貫いた大孔の治療はネビウスとカミットをして四日も要した。
ネビウスは空の化身の傷を処置し、多肉性の寄生植物で孔を埋めた。そうして最後の作業では、太陽の化身が空の化身に寄り添って、膨大な生命力を目に見えるほどの霊気に変えて与えながら、同時にネビウスがリリイと空の化身を繋いでいた膨大な管を断ち切った。
ネビウスはリリイに纏わりついていた粘膜を全て剥がして、彼女を抱き抱えた。姿形ならば妹のルルウとそっくりなのに、リリイは髪や肌の全身が白色化して変わり果てた姿となっていた。
リリイは空の化身から切り離されるとすぐに意識を取り戻した。彼女は眼前を覗き込んできたカミットに驚くどころか、にかりと無邪気に笑って言った。
「あなたにルルウはあげないわ」
「んん? どういうこと?」
リリイは困惑しているカミットを無視して、彼女を抱き抱えていたネビウスにも言った。
「あの子は私の物だから」
「はい、はい。これだから嫌よ。双子って気味が悪いの」
ネビウスはうんざりして言ったのであった。ネビウスがリリイを運び出すと、夜明け頃の早朝で人々は休んでいたが、ずっと見守っていたルルウはすぐに駆け付けた。ルルウはリリイに抱き着いた。
「リリイ! 遅くなってごめんね。ごめんね……!」
「謝らないで。私たち、ずっと一緒だったわ」
リリイは筋力が弱っており自分の力では立てなくなっていた。それでもネビウスが診断したところ、根気良く運動を続ければ以前の健康を取り戻せそうだった。
霊峰の戦いはこうして終わった。魔人は滅び、守り子は帰ったのである。
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