それはすべてを解決します
小鳥たちが窓の外でおしゃべりをしている。他愛無い世間話を。どうやら隣町とを繋ぐ街道で火竜がでたらしい。中々珍しい話だった。
しかし、それが耳に入っていてもラマリにそんなことを気にしている余裕はなかった。ラマリは朝から頭を抱えていた。
「なんで! なんで髪がこんなに伸びてるの!?」
昨日寝る直前に確認した限りでは肩に掛かる程度しかなかった明るい茶髪が、今は何故か上半身を起こして尚寝台に垂れるほど伸びている。
自分以外誰もいないはずの屋根裏部屋で、ラマリは怒鳴った。
「魔女! あんたの仕業でしょ!」
するとそれに呼応するかのように、ラマリの脳内に声が響いた。
『せいかーい。お礼は?』
「誰が言うもんですか! やっぱり! 今度は何したの? とゆーかなんでこんなことしたの!」
『暇だったからちょちょっと増毛しただけー。ほら、この前の男は髪が長い娘が好みって言ってたしー。親切? ってやつかなかなー』
「暇潰しで人の髪を伸ばさないで! そもそもあんたがそーゆーことばっかりするから変な女って思われるのよ! あーもー。どうやって言い訳しよう。今日も仕事あるのに……」
『気に入らないなら切ればいいじゃーん。今回は別に色変えたわけでもないしー。でも勿体ないなー。結構珍しい素材使ったんだけどなー』
「鋏と鏡。ほら、今すぐあんたの魔法で出しなさい」
「魔法なんて使えませーん。いまだに魔術と魔法の区別もつかないお馬鹿さんのお願いは聞けないなー」
殴ってやりたいところだが相手は体を持っていない。睨みつけたくても目を見ることもできない。逃げようにも魂がひっついているので離れることもできない。
ラマリは再び頭を抱えた。
ラマリの体には物心ついた時から厄介な隣人が住んでいて、ラマリはそれが普通だと思っていた。心の中で話しかければ相手をしてくれて、問題が起きれば助言をくれ、不思議な力を行使する隣人を、皆心の中に住まわせている。そう思っていた。
それが誤った認識だと気づいたのは五歳の頃で、しかし、真に気付いたのは十四歳の時だった。
五歳の誕生日、ラマリは家塾の先生が友達の父親と特別仲良くしていることを知り、仲間外れはかわいそうだと魔女に唆され、友達の母親にそれを教えた。当然盛大な諍いが起き、少なくない血が流れることとなった。結果としては友達の両親は仲直りし、一応丸く収まった形になった。だが、そこでラマリは始めて魔女を疑うことを知った。
八歳の匕分祭、ラマリは水不足に悩まされる町について思案していたところ、簡単に雨を降らすことができる魔術があることを魔女に教わり、それを実行した。その大魔術は無事町の水不足を解消したが、暴雨とでも呼ぶべき雨で熟しきった花麦の穂は全て落ちた。穂はまた別の魔術で回収できたが、ラマリは魂魄疲労で数日動くことができなかった。その日ラマリは魔女の術佳の異常性を知った。
そして、十四歳のよく晴れた日。街外れの迷宮跡地で遺産が見つかり、それが神代由来のものだという鑑定結果から、聖なるものとして協会に運び込まれた。街の賢人にはそれの用途が分からなかったが、魔女はそれを町に大いなる災いを呼ぶものだと断じた。その頃にはラマリも魔女の異常性を十分に感じていたため、魔女の言葉には耳を貸さないことが増えていたのだが、いつになく真剣な口調で魔女が忠告してきたため、ラマリはそれに対処することとした。
協会に忍び込み、魔術で蔵を開け、魔女の指示通りに遺産を処理した。
「本当にこれで危険はなくなるのよね?」
『綺麗さっぱりなくなるよー。本当だよー』
迷ったが、ラマリは魔術を行使した。
結果、協会は爆散した。
幸いなことに、全身に大火傷を負ったラマリ以外の怪我人はいなかった。しかし、神殿消失の犯人と断定されたラマリは、二級の非人指定を受け売られることになった。当然の結果であり、弁護の機会は与えられなかった。自分を買おうとしている相手の顔を見るまでは、ラマリも諦めて売られるつもりだった。
魔女が囁いた。
『あんな蛞蝓みたいなののお嫁さんになーる? それとも私と仲良く逃げるー? 力貸してあげるよー』
ラマリは魔女の悪辣さを知った。
ラマリは逃げた。魔女の力をそれを容易にした。しかし、魔女に頼らざるを得ない場面は多く、魔女への負債はラマリに堆積していった。おかげで、八年たった今でもラマリと魔女のなあなあな関係は続いている。
しかし、ラマリは決して忘れることはないだろう。治療を受けるラマリの脳内に響き渡っていた魔女の哄笑を。
『だーかーらー。言ってんじゃーん。私は悪い魔法使いに全部引き裂かれちゃってー。なんとか魂を避難させただけの善い魔女なんだーって。だからもっと自由にさせてー。私のお願いを聞いてよー』
「お会計四三八ルティになります」
ラマリは魔女の言葉を無視してにこやかに笑顔を振りまいた。
魔女に一番効くのは無視だ。この魔女はものすごい技術を持っているからかとても目立ちたがり屋だ。誰かに凄いと褒められることが好きだ。誰にも構われないことが一番嫌いだ。だからこそ無視する。やり過ぎるとまた実力行使に出てくることもあるが、怒っていると伝えることが大事だ。だから無視する。ラマリは鉄の意思で自分にしか聞こえない声を聞き流した。
あまりわめかれると魔女以外との会話ができないが、
「なあ」
「はい?」
ラマリは凄く嫌な予感がした。そして、それは的中した。
「もうちょい安くならんか?」
「……なりません」
「この端数切ってくれるだけでええんや。ちょいっとここの四をな」
「四は端数じゃありません。そこを切り落としたら三八ルティになっちゃうじゃないですか」
「じゃあ三でええ。四〇八ルティ。な? 大した額じゃないやろ」
「いえ、その。困ります。私が店長に叱られるので」
『大した額じゃないなら払えばいいのにねー』
思わず魔女に同意してしまいそうになった。しかし、グッとこらえる。
こうした客は意外と多い。半端に帝都に近いせいか、自称こなれた商売人が多く来るこの町は、よそのやり方を持ち込もうとする客が多いのだ。
だからラマリは以前から前払い制にしてほしいと店長に言っているが、一向に変わる気配がない。なんでうちの店だけ後払い制なのか。ラマリのここ最近の一番の疑問だった。
そのあと押し問答をし、なんとか客に額面通りの値段を払わせると、ラマリは一息ついた。しかし、休む間もなく次の厄介ごとが襲い掛かって来た。
「ひゃっ」
ラマリは尻を撫でられた。褶を手で隠しながら慌てて振り返ると、そこには厄介な常連客がにやにやとうすら笑いを浮かべていた。
「や、や。ラマリちゃん。今日もいい天気だねぇ」
「……いらっしゃいませ」
いつもこうだ。ただの挨拶と言わんばかりにラマリの客を撫でまわしていく客だ。近づかないように気を付けていても意識の隙間を縫って近づいてきては、さっと胸やら尻やらを撫でていく。殴り殺したい気持ちでいっぱいだが、以前したときは大ごとになり店を追い出されかけたので我慢する。お金がないラマリには住居と職を同時に得られるこの店は貴重な存在だった。
再びにゅっと伸びてくる手を払いのけ、ラマリは嫌そうな顔を隠そうともせずに言った。
「ご注文は?」
「ラマリちゃん、今日は帽子かぶってるんだね? 似合う似合う」
「ご、ちゅう、もん、は?」
「ははは、怒ると可愛い顔が台無しだよ。そんなんじゃ僕くらいしか嫁の貰い手がいなくなるよ」
『いつものことながら、気持ち悪いねー』
全くもって同感だった。しかし魔女のことは無視する。
このまま席を離れても良いのだが、そうすると喧しく鐘を鳴らし続けるのだ。そしてまた一からやり直し。なので怖気の走る軽口を無視し、ラマリは機械的に同じ言葉を繰り返した。
しかし、今日は粘られた。いつもなら十度繰り返すころには何かしら頼んでくるのだが、一向にラマリを下らない世間話から解放する気配がない。他に待っている客がいないので問題にはならないが、それこそが不幸の原因だということには後日気付いた。
苦戦するラマリの耳に軽やかな鈴の音が響いた。救いの来客だ。ラマリはぱっと表情を明るくし、常連客はちっと舌打ちをした
ラマリがにこやかに店の入り口の方へと視線を向けると、そこに立っていたのはよく知った顔だった。
「え、フィルさん」
「こんにちは、ラマリちゃん」
ラマリの顔が赤くなった。名前を呼ばれるだけで嬉しかった。そんな自分が嫌いになりそうだが、それでも嬉しいものは嬉しい。
フィルはたまに店に来てくれる青年で、荒事を生業としているせいか爽やかな顔に反して体つきは逞しい。こんな場末の食堂の一従業員であるラマリにも優しく対応してくれる紳士であり、糞みたいな親父客ばかり接客していたラマリにとってあこがれの人だった。しかし、既婚者である。そして、以前そうと知らずに告白してしまったこともある。そのため多少気まずくはある。
だが、フィルはラマリの気持ちにきっぱりと断りつつも、以前と変わらずににこやかに接してくれる青年であり、心の清涼剤であることには変わりなかった。
ラマリはフィルを空いている奥の席に通し、お盆を胸の前で構えた。
「いつもの定食お願いできるかな」
「は、はい! お昼に来るなんて珍しいですね」
「外回りをしているうちに同僚に弁当を食べられてしまってね。ラマリちゃんには迷惑だったかもしれないけど」
「いえいえ! そんなこと! 全然!」
声もいいのだ。落ち着きの感じる、ざらざらとした低音。こんな声を耳元で囁かれたらどんな気分になるんだろうか。ラマリが想像して悶えたことは一度や二度ではない。
その時、ラマリの体に異変が起こった。
フィルは不思議そうな顔をしてラマリをみている。
「ん? どうしたの、ラマリちゃん。お盆落したけど」
「い、いえ! なんでも、なんでもないです」
ラマリが両手で尻を抑える。そこにあるものを見られるわけにはいかない。なぜか突然前触れもなく生えてきた細長い尻尾など、見られたらどんな顔をされるのか。
ラマリは小声で唸る。
「魔女……あんた!」
『尻尾を生やすって諺あるじゃーん?』
「あるけど! 本当に生やす奴がいるか!」
油断した、とラマリは歯噛みする。一日に二度も魔術をかけてくるとはラマリも思っていなかった。しかもこんなに一目のつくところで。一歩間違えれば意思を投げられて排斥される種別の異常を起こしてくるとは思っていなかった。
何故尻尾を生やしたのか。それは今はどうでもいい。恐らくただの嫌がらせだろう。どうやって尻尾を生やしたのか。それも今はどうでもいい。どうせやり方を聞いても一片たりとも理解できない。ラマリが今考えるべきは、これをどうやって隠すかだった。
幸い、長さはそれほどではない。褶の中に隠せる程度だ。丁度腰と尻の中間から生えてきたので上着の裾からはみ出ているが、それを褶の中に入れてしまえばいいだけだ。ただ、この尻尾、ラマリの意思に反して動き回り、暴れ回る。恐らく諺通り、ラマリの感情に従って勝手に動くのだろう。それをどうごまかすか。ラマリの脳はかつてないほど全力で稼働していた。
「爪切鶏の定食ですね? しょ、少々お待ちを」
とりあえずは、隠すことが先だ。そう判断してその場を離脱しようとしたラマリだったが、それは新たなる客によって阻まれた。
乱暴に鈴を鳴らして入って来た客は、人相の悪い男だった。きょろきょろと店内を見回し、ラマリに視線を合わせる。
ラマリが逃げる間もなく、その男はラマリに近づいてきた。そして、尻尾を見られないように勘定台に押し付けたラマリに対して、小声で問いかけた。
「店長は?」
「え、店長ですか? 今日は休みですが」
「そうか。休みか」
男がにじり寄ってくる。ラマリは危険を感じて身を引こうとする。しかし、勘定台を背にしているので、それ以上下がることはできなかった。
男は懐に入れた手をラマリにだけ見えるように引き出した。その手には大振りの刃物が握られていた。
「大声は出すな。金を出せ」
『わお。強盗じゃんー』
男は強盗だった。
ラマリの脳内で様々な思考がよぎった。店は何とか採算が取れているが、決して儲かっているとは言えない。もし何かあって客足が遠のけば一月も立たずに潰れるだろう。借金はないが余裕もない。金を持っていかれしまえばたちまち明日の食材さえ用意することはできなくなるだろう。それは困る。店長には恩がある。着の身着のままのラマリを何の下心もなく従業員としてこき使ってくれたのは店長くらいだ。常連客も好きではないが嫌いでもない。彼らが来なくなれば少しは寂しいだろう。
ここはラマリの居場所だ。無くなると困る。
決意と共に顔を上げたラマリの腹部に、強盗の刃物が押し当てられた。
ラマリの決意は一瞬で崩れ去った。自分の命の方が遥かに大事だった。
「早くしろ。抵抗しようと考えてんじゃないだろうな」
「そんなわけないじゃないですか。ちょっと待ってください、すぐ出すんで、だから刺さないでください。命だけは勘弁してください。いや本当。死にたくないです。お願いします。すぐ出します」
「わめくな。わかってるんならいい。さっさとしろ」
「へへへ。ちょっとお待ちを。すぐに出すんで」
泣きそうな愛想笑いをしたラマリの視界に、更に驚くべきものが飛び込んできた。
店の入り口の扉、その硝子の部分から通りが見えるのだが、そこに竜がいたのだ。
竜と一口に言っても種類はたくさんいるが、蜥蜴や亀のような半端ものではない。四肢と翼を持ち、鋭い牙と鋭い爪を蓄えた、巨大な竜だ。店の中から頭部が見えない時点で、その大きさだけで、人が勝てるような種類の竜ではないとわかる。真っ赤な鱗と、長い尾。全身に熱を纏っているのか、周囲の空気が歪んで見える。
顔を引き攣らせたラマリに、強盗がいらいらと腕を振り回す。
「ああ? 何睨んでやがる」
「に、睨んでないです、後ろ、後ろ」
「何わけわかんなこと言ってやがる! そんなのに引っかかるとでも思ってんのか!」
「し、静かに、気づかれます!」
襲われる。その恐怖に慌てふためくラマリの耳に、魔女の間延びした声が響いた。
『一級友好指定種。滅竜だー。珍しいー。一日に二度も見られるなんてー』
「い、一級って」
『すっごく強い。本気で暴れられたここの街なら消えると思うよー。綺麗な鱗だー。やっぱり良い色だー』
その言葉にラマリはぞっとするが、友好指定種だということを思い出して気を落ち着ける。友好指定されているということは、理由もなく人を襲うことはない。こちらから刺激しない限り攻撃してこない、友好すべしとされている種族なのだ。だから大丈夫なはずだった。
「おい、なにごちゃごち言ってやがる。さっさとしろ」
「は、はい。すみません」
そう、そんなことよりラマリは自身の身に差し迫った危険をどうにかすべきだった。
しかし、ラマリが強盗に愛想笑いをした時、何故かラマリは竜と目が合った。その顔は店を覗き込んでいた。縦長の動向がラマリを睨み付けていた。
ふと、ラマリは思った。先ほどの魔女の言葉に何かなかったかと。何か引っかかる言葉がなかったかと。
「魔女」
『なーに』
「竜を見たのが、今日二度目って?」
魔女は楽しそうに語った。
『ちっさい竜が屋根裏に迷い込んでたんだよねー。丁度いいから触媒にしたんだー。ほら、ラマリの髪伸ばすのにねー。使っちゃったー』
竜が臭いを嗅いでいる。まるで何かを探しているかのように。
『ああ、親子かもー。結構似てるからねー。ほら、眼のあたりとかー。鱗の形とかー』
ふんふんと巨大な鼻を扉に押し付けている。中に目的のものがあるのだろうか。いや、目的の物の残骸が。
『大丈夫だってー。後片付けはちゃんとしたよー。あ、けど、ラマリの髪には魔力の残滓が残ってるかもー。まあしょうがないよねー。そこはねー。魔術の限界というかー。この世界の法則だからー』
ラマリの全身からぶわっと汗が噴き出した。ラマリは状況を理解した。強盗のことなどどうでもよくなるほどの危機だった。
完全に思考が止まり、動きも止めてしまったラマリに、強盗は舌打ちした。どうやら埒が明かないと判断したようだった。
「もういい、後ろ向け、俺がやる」
「向けません」
ラマリは反射的に答えていた。尻尾を見られては不味い。その思考が勝手に言葉になっていたようだった。
強盗はまさかの抵抗に、一瞬呆気に取られた。しかし、すぐに顔を真っ赤にすると、烈火のごとく怒り始めた。
「ああ? なんだてめえ! いい加減に――!」
刃物を振り上げた男の手を、フィルが掴んだ。
「そこのあなた、店員さんが困ってます。それに、これはなんですか」
「て、てめえ、離せ。なんだ、この馬鹿力」
「この刃物、穏やかじゃないですね。ちょっと話を聞かせてもらいましょうか」
フィルさん格好いい、とラマリ心のどこかで黄色い歓声が上がった。しかし、それも一瞬のこと。強盗など既に危機でも何でもないのだ。街が消えるかどうかの瀬戸際なのだ。そんなものに意識を割いている余裕はない。
フィルが強盗を鮮やかに組み伏せるのを尻目に、ラマリは魔女に向かって助けを求めた。
「どうしよう魔女!」
『あれー? もっと罵倒が飛んでくると思ってたんだけどー。いいのー?』
「良くないけど! そんな場合じゃないでしょ! どうすんの? 私も死ぬよ! そしたらあんたも死んじゃうんでしょ!」
『そうだけどー。どうでもなるでしょー。ラマリには色々魔術教えてるしー』
「何一つ教えてもらってないわよ! 効果も分からない呪文なんて唱えられるわけないでしょ!」
ラマリはどさくさに紛れて胸を揉もうとしてくる常連客の手を払いのけ、悲鳴を上げた。ラマリが魔女から教えてもらったのは、楽しくなる魔術だの遠くの方の魔術だの内容がさっぱり想像のつかないものだけだ。しかもやたら呪文が長かったりでまともに覚えているものはいくつもない。そんなものがこの状況で役に立つとは思っていなかった。
魔女がくすくすと笑った。
『えー、相手を大人しくさせる魔術とか教えたじゃんー。便利なのに使ってないのー?』
「そんな怪しげなの使えるか!」
と言いつつ、ラマリはその魔術の存在を覚えていた。何故ならその魔術は非常に呪文が単純なのだ。今でも恐らく正確に言うことはできる。使おうと思えば使える数少ない魔術だ。
『けど、あれならこの竜にも聞くと思うよー。やっちゃえよー』
「なら効果を教えなさい!」
『だからー、相手を大人しくさせる魔術だってー。本当だよー。嘘じゃないよー』
滅竜の鼻息で扉の硝子が溶けた。どうやら滅竜はラマリがそれだと気づいたようだ。ラマリの髪が我が子を材料に作られたものだということに気付いたようだった。怒りに満ちた視線をラマリへと向けてきている。
もう一刻の猶予もない。
やるなら、今しかない。
勝算はなかった。しかし、魔女の異常性はラマリが一番よく知っている。魔女ができるというならばできるのかもしれない。いや、恐らくできるのだろう。魔女の傲慢さは神以上だ。滅竜には効果がありませんでした、などと魔女の矜持が許容するわけがない。
ラマリは拳を握り締めた。フィルの声が聞こえる気がするが、内容はもう頭に入ってこない。尻を撫でようとした手を蹴りつけ、勘定台で圧し潰す。
ラマリは駆けた。
「素は超越なり。従うは正円――」
掲げた手に魔力が凝縮される。
「顕現せよ!」
強大な魔力が荒ぶり。
滅竜は爆発した。
その爆風は店を吹き飛ばし、三つの通りを一つにまとめた。熱風により町全体の硝子が割れ、轟音から半数の住人が一時的な難聴に陥った。重傷者十八名、軽傷者二五三七名。被害総額およそ一五〇〇〇〇〇〇ルティ超。〈滅竜の災禍〉と呼ばれたその災害は、その町の知名度を帝都に次ぐものへと押し上げた。
爆心地から生還した、最も怪我の大きかった女性は、後にこう語ったと言う。
「魔女のことは一生信用しません」
その言葉の真意を理解していたものは、それを言ったラマリ以外にはいなかった。