批判について考える
ひ-はん【批判】
①批評し判定すること。ひばん。②人物・行為・判断・学説・作品などの価値・能力・正当性・妥当性などを評価すること。否定的内容のものをいう場合が多い。
(広辞苑・第四版より)
批判されるとへこむ。辞書によると「否定的内容のものをいう場合が多い」とある。小説投稿サイトに自作を投稿するさい、一番批判の的になるのは言うまでも無く小説だ。しかし、ついでのように作者にまで批判が及ぶ場合もある。そうなると、投稿サイトの場合、作者同士の泥沼のような喧嘩が始まる事もあるものだ。
「小説家になろう」には、お気に入りユーザー登録という機能がある。
例えばサイトを利用し始めて間もない頃。キーワード検索で好みのジャンル……例えば『猫』など……を探して読み、その作品に感想を書くとする。「おもしろかったです」「続きが気になります」「美しい表現だと思いました」など。そうすると、作者から返事が来る。「ありがとうございます」「感想もらえてうれしい」など。
そのようにして、好きなジャンルを通して作者同士の交流が始まり、お互いに作品を読み合うなかで、「お気に入りユーザー登録」しあうという流れがあるものだ。この機能、お気に入りの作品の新着が逐一通知されるため、大変便利だ。
しかし時の流れというか、人間関係が深まるにしたがって、価値観の相違が時として思わぬ争いを引き起こす事もある。決裂、いわゆる「作者同士の喧嘩」が起こるのだ。わりと定期的に。いわゆる創作界隈というのは眺めてみるに、喧嘩が多いと思う。これが学校や職場なら鬱になるというものだ。
批判・批評・罵倒・嫌味・嫌悪の露出・名指しの暴言に被害妄想ならびに思いやりの欠如等々。文字のみの交流であるがゆえに、その表現は鋭いし刺されば痛い。面前だとおおよそ口に出来ないような文句が、感想欄や活動報告に刻まれたりする事がある。
ひとたび喧嘩が勃発するや、それら人間的負の要素が複雑怪奇に混じり合い、誰が本当の事を言っているのか分からなくなる。そして、はた目から見た喧嘩は醜い。醜いんだけども何か見てしまうのはたぶん、小説と同じなんだと思う。恋愛小説の中に暴力や性の表現があれば刺激的で面白いように、人間関係のもつれの中にそういった汚さを見るのは刺激的である。喧嘩は一種のショーになる。野次馬は喜び、もっとやれと煽って、そして祭りになるのだ。
しかし、私はこう思う。お気に入りユーザー同士が泥沼の喧嘩を始めると、めんどくさい。そして困るし嘆かわしい気持ちが何よりも勝る。「どっちの味方なの」と催促され、回答を控えていると、どちらかが痺れを切らして怒ってくる。「お前もあいつの仲間なのか!」と。こういう怒られ方をすると、小学生の頃の学校帰りの喧嘩を思い出して、「あの時なぜか、よっさんと喧嘩したなあ。そのあとはエッコと喧嘩したんだ。そして結局私が悪者になるんだよ、いつもそう。あの二人は幼稚園から一緒だもんね、私はだいたい仲間外れ」とかいう当時の悲しい気持ちが蘇り、記憶と小一時間戯れる事になる。
あとは、名指しで「燃やす」「間抜け」とか書かれた時は、落ち込んだし嫌な気持ちになった。しかし、喧嘩している人が何で喧嘩になるのかというと、悪口にいちいち反応して、反論するからなのだ。
感情的になって同じような言葉をやり返したら、暴言をコメントした人はサッと自身の暴言を削除し、やり返したコメントだけが残る。そしてそれが、運営への通報の対象になる。こういう構図があるので、何ら具体的な根拠が示されていない批判……これを悪口とか誹謗中傷というんですが……に対しては、すぐにやり返さないで、誰か心ある人に相談するようにしたほうが良い。
最後に、作品に対する批判に関して思う事をつらつらと。
例えば「面白く無い」などという感想を貰ったら、嫌な気持ちになりますよね。これは、大体の物書きが頷くところだと思います。「いや、できればどこがどう面白く無いのか五千文字以上費やして示して欲しい、それが私に対するあなたの愛だと思うから」とかいう人には、知り合いの「ドS感想文博士」を紹介したいと思います。私は嫌ですね、延々と自作の面白く無さを公の場で語られるなんて。でもまあ、そうなったらなったで、別にいいんですが。
私は、面白く無いと思った文章があったら、読むのをやめます。他にも読みたい本があるからです。なので、面白く無いなどと感想を書く人の気持ちがよく分からない。そもそも、そういう気持ちを感想にするという発想が無いからです。あとは、言われた人の気持ちを考えると、あんまり酷い感想は書きたくない。
なんだろなあ。結局のところ、読まれなければ感想など来ないんですよね。心が動かなければ、何の感想も出てこないんですよ、読者としては。なので、批判であれ何であれ、何も無いよりはましなんだとも思う。あとは、作品をかなり読み込まないと出てこないような批判はむしろ、作者を感動させる場合がある。良い批判者というのは、単なる賛同者よりも良き友である場合がある。批判者をただいたずらに排除するのはもったいないとも言える。
ということで、批判との付き合い方としては。
・とりあえず何か美味しいものを食べる
・信用できる人と話して落ち着く
・物書きとしての目線で、自分を見る。今置かれた状況において自分は、主人公か悪役か。もしも主人公ならば、辛くてもよしとする。悪役でしかないならば、改めるのは己の方だと反省する
・あらゆる出来事をネタにすると思って、気を取り直す
これでいいんじゃないでしょうか。そもそも頼まれもしない文章を書いている物書きという人種はひたすら、自分の事しか考えられないエゴイストなんですから。そんな事やる暇があったら多くの善良な人は、美味しいご飯を作ったり部屋を綺麗にしたり、誰かの話に耳を傾けたりして日々忙しく過ごしているものです。もしくは労働して、一円でも多く稼いで家族を楽にしようと頑張ったり。まあ、そういう感じですわいな。