二人のヒトシ
優しく髪を撫でる手。それは徐々に下に降りていき、アナンのブラウスのボタンに手をかけた。
がばっとアナンは体を起した。
すると花村ヒトシの邪気のない笑顔が視界に入る。
「は、花村くん?!なんで!」
確か小太りの男に薬みたいのを嗅がされて気を失ったのを覚えていた。
しかし今、ヒトシが目の前にいるのがアナンにはわからなかった。
「父さんから奪い返したんだ。あんたはもう俺のものだ」
ヒトシは動揺するアナンの頬を両手で包み、キスをしようとした。
「花村くん!」
アナンはバシッとヒトシの手を振り払うとキングサイズのベッドの隅に体を寄せた。
「往生際悪いなあ。アナン。あんたはもう俺のものなの。誰も助けになんてこない。父さんは海の藻屑となったし、ヨウスケは骨折くらいしてるかもなあ」
ヒトシは顔色変えずそベッドの上のアナンに近づく。
「海の藻屑って!?何があったの?」
アナンはベッドから降りようとしたが、ヒトシはアナンの腕を掴むとベッドの上に組みふせた。両手をつかまれ、足をヒトシの足によって押さえつけられ、アナンは動きがとれなかった。
「アナンは父さんが気になるの?やっぱり花村だから?俺のほうがいいと思うけどな」
ヒトシはアナンに強引にキスをしようと唇を重ねた。
「いっつ」
ヒトシは顔を歪めると唇を離した。唇から血が少し出ていた。
「無駄な抵抗だよ。アナン。あんたは俺たち花村から逃れられない」
「こんな風に無理に抱くのが楽しいの?!」
アナンはヒトシを睨みつけた。銀色の瞳に囚われるかもしれないがその際どうでもよかった。自由を奪われて抱かれるのがいやだった。
「ぞくぞくして楽しいよ。でもそのうち無理やりじゃなくなると思うけど」
ヒトシはアナンの両手をひとつの手で掴むと、空いた手でアナンの頬を掴んだ。
自分を見るように顔を向けさせる。
「アナン、楽しもうよ」
ヒトシの唇が重なる。頭の奥がジンとしびれるのがわかった。もう唇を噛もうなどと思わなくなっている自分がいた。何度も繰り返されるキスはアナンの意思を奪っていった。
「ほら。気持ちいだろう」
抵抗しなくなったアナンの手を離すとヒトシはそのブラウスのボタンに手を掛け、慣れた手つきでボタンをはずしていった。
白い肌があらわになり、ヒトシはその胸に顔をうずめる。
甘い香りがヒトシを包み、気分が高まるのがわかった。
「!」
ふいにキーンという頭が割れるような音がした。それは強烈な痛みを持つ音でヒトシはベッドから転げ落ちた。
「くそ!ヒトシか!」
俺は町田先生を殺す気はない。このままお前が抱くようであれば俺がお前を殺す!
頭の中の声がそう言った。
「わかった。わかったからやめろ!」
ヒトシがそう言うと音が止み、頭痛がとまった。
ベッドの上のアナンは我に返り、開かれたブラウスを閉じるように手で握り、ヒトシを睨みつけていた。
予想外のことだった。
完全に融合したつもりだった。こうやってヒトシの良心が出てきて自分の行動を止めたことが信じられなかった。
しかしあの頭痛は強烈だった。頭が割れそうな痛み、確かに死をもたらしておかしくないと思わせる痛みだった。
「アナン。続きはまた今度な」
ヒトシはベッドの上で愕然としてるアナンに手を振ると部屋を出て行った。
「はじめまして、青井さん」
学会に発表するために、準備を進めようと宮川教授の自宅にきたら、花の島で見かけた男がいて青井ノゾムが眉をひそめた。
「いやあ、すまないねぇ。青井くん。君と会うというとこの中山くんもぜひ一緒に会いたいって言ってね」
宮川教授が笑いながら青井ノゾムにそう言った。
「青井さん、俺の名は中山ノボル。宮川教授の研究を手伝っていたことがあるんだ。あんたが研究していることに興味ある。それで今日は宮川教授に無理を言って同席させてもらった」
中山は眼鏡の奥の目をノゾムにじっと向ける。
「そうなんですか?いやあ、僕の研究なんてつまらないものですよ」
ノゾムは笑顔を二人に向けたが、今日は何を言っても無駄なことがわかっていた。
宮川教授に学会で発表する際の後ろ立てになってもらおうと思ったが、この中山は宮川教授と親しそうだった。ノゾムが何を説明しても中山によって否定されればすべてが虚偽、非科学的なものを笑い飛ばされる可能があった。
ノゾムはとりあえず適当な話をして宮川家を後にした。そして自分を追ってくる中山の存在にも気がついていた。
「青井さん、ヒトシと町田アナンはどこにいるんだ?」
中山はノゾムの肩を掴むと強引に振り向かせてる。
「中山くん、僕が答えると思うかい?」
ノゾムは中山の手を振り払うと皮肉な笑みを浮かべた。
それとほぼ当時に中山の背中にカチャッと音がして硬い物が当たる。
「中山さん。あんたが花村側につくとは思わなかった」
拳銃を背中に当てて、南守アキオが中山のすぐ後ろでそう囁いた。
「俺はどちら側でもない。南守さん、参った。しまってくれ」
中山が両手を上げるとアキオは銃を懐にしまう。幸運にも人気のない場所でそれらの動作は誰に見られることがなかった。
「青井さん、あんた、こう考えたことはないのか?誰も犠牲を出さないために花村の延命方法を研究する」
背中を向けて歩きだすノゾムに中山はそう言葉を投げかけた。その側を歩くアキオは中山の言葉を無視して先を歩いている。
「中山くん。僕はそんなこと考えたこともないよ。花村など死んでしまえばいいんだ。今回は研究しやすい赤子を手に入れるために動いているだけだよ。花村の延命のためではない」
ノゾムは立ち止まると顔だけ中山に向け、そう答えた。
「また女性が犠牲になるんだぞ。それでもいいのか?あんたの姉と俺の従姉妹と同じように」
中山はそう叫んだがノゾムは無関心で、アキオの乗る車に乗り込んだ。




