青井ノゾム
「ヒトシ、ここだ」
ボートから降り、車に乗り換え、南守アキオは人気のない場所を走っていた。目的の場所は青井ノゾムの家だった。家は街から少し離れた場所に寂しく建っていた。家の中ではヒトミとノゾムが待っているはずだった。
家に着き、インターフォンを鳴らすとヒトミが不用心にも確認せずドアを開けた。
「あ、伯父さん。ヒトシ?一人?」
アキオの隣にいるのがヒトシただ1人だとわかると、ヒトミは少しがっかりしたような表情になった。
「まあ、いいわ。とりあえず入って」
しかし微笑むと二人を中に入れた。
家の中は薄暗いスタンドライトが灯っているだけで、全体が見渡せなかった。リビングルームには古い洋風な家の雰囲気とは不釣り合いなテレビが置かれており、画面から眩しい光と騒がしい音を放っていた。そして髪が肩まである男が1人、ソファーに座ってテレビを見ていた。
「ノゾム、来たわよ」
ヒトミがそう言うと男は振り返った。年頃は40代後半だった。髪が肩まであり、目が細く鋭い顔つきだった。体は細身で座っていたが長身だと思われた。
「ああ、よく来てくださいましたね」
男――ノゾムはその鋭い眼を細めると穏やかに微笑み。そして立ち上がった。
「南守さん、ありがとうございました。で、母体のほうは?」
「町田アナンは来ない」
南守アキオの後ろのいたヒトシがそう言葉を発した。ノゾムは目を細めたままヒトシを見つめる。
「花村ヒトシくんか。はじめまして。僕は青井ノゾム。君のおばあちゃんの弟ということになるだろうな」
ノゾムの言葉にヒトシはぎょっとして目を開いた。ノゾムはその反応をおかしそうに笑った。アキオは知っているのか顔色を変えなかった。ただ無表情にノゾムを見ている。
「積もる話はあとにしようか。どうして母体の町田アナンを連れて来られなかったんだい?」
ノゾムは口元に笑みを浮かべたまま、その鋭い眼をヒトシに向けた。
「俺は薬をもらいにきただけだ。あんた達には協力しないし、町田先生は渡さない。あんたがばあちゃんの弟であろうと俺には関係ない。」
「そう、そう言うことなんだ。残念だね」
ノゾムはそう口にするとヒトミに目配せした。ごく小さな動作でヒトシは気がつかなかった。次の瞬間、痛みがしたと思うとヒトミがその腰に注射器を刺していた。
「……あんた!」
ヒトシが注射器を払いのける。ガシャンと音がして床に落ちた。しかし中の液体はヒトシの体の中に入った後だった。
「何をしたんだ?」
「ちょっと眠ってもらおうと思って。大丈夫。明日には気持ちよく目が覚めるから」
ヒトミは妖艶に笑いながらそう答えた。
「ヒトシくん、ちょっと僕の研究に協力してもらうよ。悪いことはしないから大丈夫だよ。だって僕の姉の孫に悪いことなんかできるわけないだろう?今はゆっくり休むといいよ」
ノゾムの猫撫で声を聞きながらヒトシの意識は遠のいて行った。
「青井ノゾム……。母の弟ですか?」
「ああ、そいつがお前達を研究したがってる。しかも狙いは今度生まれるはずの新生児だ」
東守タカノリの言葉にマサシは目を細めた。そしてなぜアナンが狙われたのかわかった。
「青井はヒトミの大学の助教授だった。それで南守も引き込まれたんだろう」
タカノリは表情を変えずそう言った。
「……ヒトシがなぜアキオさんのところへ?」
「それはヒトミが薬を持っていることをちらつかせたからだろう」
「薬?」
「そうだ、出産しても母体が死なずにすむ薬だ」
「そんなもの可能なのですか?」
「さあな。嘘でもヒトシは信じたんだろう。ヒトミはヒトシの心に漬け込み、薬を渡す交換条件として町田アナンを連れてくるようにと言っていた。アナンを連れて行けないが薬は欲しい。だから南守について青井のところへ行ったんだろう。薬を力で奪う気に違いない」
タカノリの言葉にマサシは唇を噛んだ。
「多分、青井はまだ町田アナンに執着してるはずだ。ヒトシはあと3カ月の命だ。それより先に赤子を作らせて、研究材料として自分の手元に置くつもりだ。赤子は扱いやすいからな」
「だから、また町田アナンを狙ってくるということですか?」
東守タカノリの言葉に苛立ちを隠せないまま、マサシはそう聞いた。
「多分な。北守もそう思うだろう?」
「ああ。多分。そして青井はヒトシを利用するはずだ。また未熟なヒトシは青井にとっては扱いやすいはずだからな」
その答えにマサシは目を見開いてシュンイチを見つめた。
「ヒトシを……」
そして唇を噛み締めた。瞳が銀色に輝く。
息子を利用しようとする青井が許せなかった。
「シュンイチさん、アキオさんの、青井のいるところがわかりますか?」
「行くつもりか?」
「ええ、ヒトシを返してもらいます」




