36年前の罪
「マコさん」
ふいに背後に現われた人物を見てマコは目を見開いた。そしてその表情が険しいことに眉をひそめる。
「何かあったの?」
「マコさん、シュンイチさんは?」
マサシはマコの問いに答えず、間髪いれずそう聞いた。その様子に焦りが見える。
「兄のところへいるはずよ。今日は臨時会合とか言っていたけど……」
「ありがとうございます」
マサシはマコの言葉を最後まで聞かず、そう言うとその場から姿を消した。
「何かあったのかしら?」
誰もいなくなった台所でマコはそう呟いた。
普段は穏やかなマサシの険しい顔、急いで出て行った息子のヨウスケ、兄のところへ慌てて行った夫のシュンイチ……。
3人の様子にマコは何かが起きようとしているのを感じた、
「ほら、水」
ヨウスケはそう言って隣に座るアナンに水の入ったペットボトルを渡した。
二人は海岸に来ていた。人の姿はなく堤防に打ち寄せる波音しか聞こえなかった。
街頭の薄暗い明りが二人を照らしていた。
「ヒトシに……ヒトシに抱かれたのか?」
ヨウスケの言葉にアナンは口に含んだ水を吐きだす。
「げ、お前。汚いぞ!」
「あんたが変なこと言うからでしょ!まだよ。まだ、キスだけですんだわよ。おかげさまで」
アナンは鞄からハンカチを出して口元を拭いた。
「北守……あんたも所詮島の人間よね。私なんて死んでも構わないと思ってるでしょ?」
アナンは暗い海を見つめながらそう問いかけた。ヨウスケは何も答えられなかった。
「ねぇ、これ読んでみて」
アナンは鞄から青井メグミの日記を取り出し、ヨウスケに渡す。
「ああ!これ。お前が持っていたのか!」
車に置いたはずの日記が消えていたので不審に思っていた。アナンが取ったのだとわかりヨウスケは眉をひそめる。しかしアナンの必死な形相を見て、日記を開いた。薄暗い街灯の明かりを頼りに読み始める。
そして2ページほど読み進めてアナンが逃げ出した理由がすぐにわかった。
それは36年前誘拐されてきた少女の日記だった。
ヨウスケはそんなことが行われたという事実を知らなかった。花村家に嫁ぐ女性はアナンのように偶然を装って連れてこられるのだと思っていた。
「……ひどいな」
「そうでしょ?!これは犯罪よね?」
ヨウスケの言葉にアナンはすくっと立ち上がると叫んだ。
「私の場合も病気の教師なんて嘘で、転勤させたんでしょ?」
アナンの言葉にヨウスケは答えなかった。しかしアナンは答えを知っていた。
「私もそのうち監禁する気でしょ?そして花村くんの子供を生ませる。私が死んでも誰も構わないんだわ」
アナンは感情を高ぶらせはらはらと泣き出す。
ヨウスケはその泣き顔をただ見つめていた。何を言っていいかわからなかった。
アナンが島に来るまではそのつもりだった。大学の時に寝たのも遺伝子情報を手に入れるためだけで他意はなかった。
しかしこうやって泣くアナンを見ると、どうしていいかわからなくなっていた。
「ねぇ。北守。お願い。私を逃がして……。私は死にたくないの。手遅れにならないうちにお願い」
アナンはヨウスケの両腕を掴んでそう訴えた。
「マサシ!?」
東守家の座敷でシュンイチが東守タカノリと話していると、マサシが不意に現われた。
「シュンイチさん、何があったんですか?ヒトシの気配が消えました。おそらく島を出たと思います。何が起きてるんですか?」
マサシはタカノリに目を配ることもなく、シュンイチただ一人を見つめている。
「ヒトシが……」
シュンイチはマサシの問いに一瞬考え込むような顔をした後、口を開いた。
「ヒトシは多分、南守と一緒にいるはずだ」
「南守……アキオさんと?どういうことですか?」
シュンイチの返事にマサシは眉をひそめる。
「マサシ。それは俺から説明しよう」
東守タカノリは立ち上がるとマサシの顔を見てそう言った。




