襲撃
「あと四十分くらい後に駐車場Bに来て。そう、藍色のクーペでナンバープレートはH825セよ」
ヒトミは電話を切ると、アナンを抱き上げて車に乗り込むヒトシの後ろ姿を木の陰から見つめた。
(まさか、すんなりといくとは思わなかったわ。おもしろくないけど、まあ、手間が省けていいわ)
そう思いながら木に寄りかかり、煙草を吸おうと鞄の中を探っていると携帯電話が鳴った。サイレントモードにしてあるので電話はウーとうなり声を上げている。
ヒトミは携帯電話をカバンから取り出し耳元に当てた。
「伯父さん?ええ、順調よ。多分あと一時間以内で事は済みそうよ」
彼女の言葉に、笑い声が返ってくる。
電話の相手は、守家の一人南守だった。
「母さん?ああ、大丈夫よ。母さんは知らないから。それじゃあ。後でね。伯父さん」
電話を切るとヒトミは今度こそ煙草の箱を取り出し、中から煙草を一本引き抜いた。そして火をつける。ニコチンのキツイ香りが回りに漂った。彼女は目を細めるとおいしそうに煙草を吸い、口から煙を出す。
「ヨウちゃん、今日は飲まないのかい?」
「ああ、今日は運転手だからな」
店のマスターにそう答え、ヨウスケはコーヒーを口に含んだ。
さっきからヒトミの言葉が気になっていた。
彼女が情報を持ちすぎてることもおかしかった。
『私は何でも知ってるわ。今からあることもね』
そう言って笑ったヒトミの表情がいつもにまして意味深だったような気がする。
「マスター、俺帰るわ。じゃあ、また」
ヨウスケはカウンターに五百円玉を置くと店を出た。
ヒトミと別れて三十分が経とうとしていた。
(ここからレストランに急いで戻れば五分以内でつけるはずだ。 ヒトシの誕生日まであと三ヶ月ある。何も今日じゃなくてもいい)
ヨウスケはレストランに向けて足を速めた。
花火の音はもうほとんど聞こえていなかった。
ヒトシはそっと後部座席に町田アナンを下ろし、Tシャツを脱いだ。
アナンは自分の体が自分の体ではないような感覚に襲われていた。
お酒を飲んでもいないのに酔っているようで感覚が不確かだった。
ヒトシはアナンの着ているシャツのボタンをひとつずつはずすと胸に顔をうずめた。
そして顔を上げてアナンを見つめる。
お互いに無言だった。
アナンはヒトシの銀色の瞳に囚われていた。
ヒトシは自分の中から沸き起こる欲望に勝てなかった。
アナンに触れてその腕に抱きたかった。
不意に音が鳴り響く。それはヒトシの携帯電話の着信音だった。
その音がヒトシの理性を呼び戻す。
(何やってるんだ。俺は!)
ヒトシはアナンから体を起こすと携帯電話をポケットから取り出した。画面にはヨウスケの顔を写っていた。
「先生、ヨウスケからだ。ごめん。俺どうかしてた」
そう短く言うと、ヒトシはTシャツを着直し車から出る。そして携帯電話で話し始めた。
残されたアナンは感覚が戻ってくるのがわかり、自分がしようとしたことを考えショックを受ける。
(かなり年下、しかも生徒、そして今日会ったばっかり……。最低すぎて、吐き気がするわ)
アナンはため息をつくと窓から見えるヒトシの背中を見ながらシャツのボタンを留め始めた。
(本当、これじゃ、すぐ寝る女と思われてもしょうがないわよね)
自分で自分を安売りしたようでアナンは自己嫌悪でいっぱいだった。
「誰だ!うっ」
ヒトシのそんな声がしたかと思うと車のドアが開かれ、数人の男の姿が見えた。
同時に車に人が乱入してきて、鼻と口元に薬品のかかった布を押さえつけられた。
気が遠くなり、視界の隅に倒れているヒトシの姿が見えた。
「事は済んだのか?」
「多分な」
男達のそんな声が遠くで聞こえ、意識が途切れた。
「ヒトシ?ヒトシ?!」
ヒトシの怒鳴り声が聞こえ、急に電話が切られた。
「くそっ!」
ヨウスケは自分の車を停めた場所へと走りだした。
嫌な予感が的中だった。しかもヒトミが絡んでいるのは間違いなかった。