第3話
「マリウス殿、“毛の支配者”とはどういったギフトなのでしょう?」
初めに沈黙を破ったのはアルフレド王だった。
俺もまずは一番にそれを知りたかった。この場にいる者たちの反応を見るに俺のギフトとやらは望まれていたものとは違うみたいだ。
「文字通り解釈すれば、毛を統べる能力ということになりましょう。」
それが本当なら、この上なく素晴らしい能力だ。俺は内心うっとりとした心地になる。
「しかし王よ、ご存じの通り石板でわかるのはギフトの名のみ。その特性、使い道は所持者にしかわかりません。いいや所持者ですらすべてを理解しているものなどいないといっていい。そのうえ“毛の支配者”というギフトは儂の知る限り今まで記録に上ったことは一度もない。オリジナルだ。」
マリウスの声はわずかに興奮を帯びていた。王が苦笑して髭を撫でる。
「そうでしたな。少し動転していたようだ。アカシ殿。アカシ殿には貴方のギフトがどういったものかおぼろげながら理解できるはずだ。」
「すみません。分からないんです。」
実際自分にそのような力が与えられたと言われても、それらしき感覚はない。困惑が募るばかりだった。
「いいえ、アカシ殿にはわかるはずです。目をつむって。意識をゆっくりとうちへと向けて、自身の奥にあるものの尻尾をつかむのです。」
マリウスがそう言って、俺の額に軽く触れる。
「儂も力を貸しましょう。さあアカシ殿。」
やってみないと始まらないか……。
マリウスの言葉に従い意識を集中させる。だんだんと心が落ち着き、意識が深く潜っていく。
マリウスが何か働きかけているせいだろう、今まで体験したことのない感覚である。トランス状態というやつだろうか。やけに粘性の高い暗い水を掻き分けながら沈んでいくような…、例えるならそんな感じだ。
とりとめもない記憶群が矢のように高速で過ぎ去っていく。
だんだんと自分という存在の最奥に近ずいている。そんな実感が確かにあった。
最早周りにあるものは意味をなさない。混沌の領域に入ったのだ。
もうこれ以上深くは潜れない。そう感じたその時、自分の奥底に微かに脈打つ何かを感じた。そちらへと手を伸ばす。指先が触れる感覚。
掴んだ。そう確信した次の瞬間、ばちりと何か強い力に弾かれた。
全身に痛みが走り、たまらず俺は目を開いた。
なんだかやたらと重い頭を軽く振り、右の掌を開閉する。わずかだが、俺自身の力に触れた感触が残っていた。
「わかりましたか?」
アルフレド王が玉座からわずかに身を乗り出す。
「はい。なんとなくですが、やはり私のギフトは毛を自由に扱う力のようです。生やしたり、伸ばしたり、散らしたりといった……。」
予想を外れぬ答えに、落胆の声がまばらに上がる。
俺としては非の打ちどころのない能力だと思うが、確かに戦闘向けの能力ではない。俺が召喚された目的を考えるに失望されるのも十分に理解できるというものだ。王やマリウスもそれを分かっているが故に、あからさまに落胆の表情を浮かべたものに咎めるような視線を向けたものの、彼らを言葉で非難することはなかった。
「しかし、アカシ殿のギフトは毛の“支配者”。第一級のギフトということになる。その力を決めつけてしまうのは早計でしょう。」
大臣の一人がそこはかとなく漂いはじめた鬱々とした空気を払拭するように明るい声を上げた。
「第一級?」
俺の疑問にマリウスがすかさず答える。
「はい、アカシ殿。ギフトにも格がありまして、格に応じて名が変わるのです。支配者の名を冠するギフトはある系統のギフトの中で極めて上位に位置する物。たいていの人間が初めに与えられるのは下位のギフトで、その者の研鑽や素質など様々な要因が絡み合って上位のギフトへと昇華するのです。そのうえ昇華までの道のりは困難を極め、下位のままに一生を終えるものがほとんど。ですがごく稀に生まれ持って上位のギフトを所持するものが現れ、そうした者達は例外なく歴史に名を残しておる。ですから支配者の名を冠するギフトを与えられたアカシ殿が、強力な力を有していると考えるのはなんらおかしなことではないのですよ。」
要するに俺は努力もせずに突然強大な力を与えられたという訳か……。そう考えるとあまりいい気分ではない。ずるをしている気分だ。
「ところでアカシ殿。勇者のギフトとはその者の願いに因るところが大きいと聞きます。よろしければ教えてはいただけませぬか?勇者殿の願いとはどのようなものだったのでしょう?」
アルフレド王の目が好奇に光る。俺はその言葉に自身のギフトについて納得した。
「ああ、やはりそうだったのですね。私はただ自分の髪を取り戻したいとだけ……。」
あの白い世界で出会ったあの存在は俺の願いをこのような形でかなえてくれたのか。
一人でふむふむと頷く。
ふと顔を上げると、全員が不思議そうな顔で俺を見ている。
「あー、疑問に思われるのも、もっともです。訳をお話ししましょう。長くなりますがよろしいですか?」
大半の人間が肯定の意をしめしたので、俺は話し始めた。
「きっかけは私が十六の時でした……。」
明石春道は真面目で誠実な青年であった。父親は警察官、母親は幼稚園の職員。優しく穏やかな母に対し父親は厳しかったが、どちらも春道を深く愛していた。春道には妹もいた。彼女は優秀で、様々な分野に才能をみせた。
春道にとって家族は誇りであった。
そんな家庭で春道はとりたてて大きな事件もなく健やかに育つ。
風向きが変わり始めたのは高校に入学してからであった。
春道には水上優吾という幼馴染がいた。彼と春道は幼稚園から中学までともに学び、竹馬の友といった仲であった。そして二人は中学を卒業したあとも同じ高校に入学することになる。勉強は春道のほうができたので優吾が追いかける形であった。
社交性に富んでいた春道は高校にはいってすぐに周りに溶け込んだが、優吾にははじめクラスに春道以外の友人はできなかった。優吾は気が小さく内気な性格が災いしたのだ。中学までは周りは小学校以来の顔見知りばかりであったので気にはならなかったが、高校という全く新しい環境でうまく立ち回るということができなかったのである。
春道がそのことに気付いて話の輪に引き込み、そのつながりの友人はできたもののやはりそれ以外の友人を作ることには踏み出せなかった。
集団の中で浮くんじゃないか、悪く思われるかもしれない、そうした思いが胸中に渦巻き、優吾は交友関係を築くことに身を投じる勇気がでなかった。
実際には優吾が過敏になっていただけなのだが、その時の優吾の中に劣等感の種が植え付けらることは避けられなかった。
事件は二学期のはじめに起こる。
ある日の昼休み、春道は委員会の用事で教室を開けていた。思ったより用事が長引き、次の時間が移動教室だったこともあり、用意を取りに戻るため教室へと急いでいた。
教室の扉に手をかけたところ、小窓から奥の窓際に優吾の姿を見つけた。
ーーなんだあいつもまだ移動してなかったのか。
春道は扉を開けて声をかけようとしたが、その時後ろから声をかけられた。声の主は隣のクラスの男子生徒で、三時間目に貸した教科書を返すために呼び止めたという。
少しそいつと話したあと、教室に入ると優吾の姿はすでになかった。
ーーあれ、いつ出て行ったんだ?窓が開いてるな……、まさかここから?なんでそんな?
春道達の教室は校舎の一階にあるので窓から出ることは可能である。だがそんな必要がどこにあるだろう。春道は不思議に思い、先程優吾がいた方へと近付こうとした。ちょうどその瞬間、誰もいない教室に鐘の音が鳴り響いた。授業の開始を告げるチャイムに春道はあわてて教室を飛び出す。
ーーやばいぞ。あの先生、時間に厳しいんだよな。
駆け込んだ先の教室で教師に叱られたこともあって、春道はその時の疑念をすっかり忘れてしまった。