第1話
人界暦1482年。魔族が人類圏へと侵攻を開始した。
北の大陸。世界の最果てに位置する枯れ果てた大地。そこは魔族たちが朝も夜も関係なしに争いあう血の大地でもあった。
北の大陸の周囲の海は荒れ狂い、年中嵐が吹き荒れていたこと。
魔族たちが目の前の闘争にしか興味を持たなかったこと。
そうした理由からこれまで、互いに存在は知っていたものの、人族やそのほかの種族が暮らす世界と、魔族たちの世界が交わることはなかった。
しかしある時、一人の魔族がその圧倒的な力で他の魔族をねじ伏せ、大陸を統べることを成し遂げた。彼は魔王を称し、次の戦いの相手を求めて北の大陸の外へと目を向けた。
かくして、魔族による人類侵攻は始まった。
人類圏アリエス大陸に位置する小国、レーベン王国。小国ながらも建国のむかしから魔法の探求が盛んであり現在も多数の優秀な魔法使いを抱えるレーベン王国は各国の中でも確かな存在感を放っていた。
優れた魔法技術に支えられ長らく平和を保っていたレーベン王国だが、着実に侵攻を進める魔族の脅威は王国に暮らす人々の生活に少しずつ不穏な陰を落としつつあった。
王国の領土は人類と魔王軍の争う最前線からは遠いものの、このままではいずれ国土が戦火に包まれることは最早自明である。レーベン国王アルフレド三世は国民から兵隊を徴収し軍隊を編成。税も貨幣から穀物に変え、民が飢えない程度に取り立てを増やした。
打てる手はすべて打つ。アルフレド三世は大賢者マリウスに協力を求め、古の文献からある秘術をよみがえらせた。
勇者召喚。膨大な魔力と引き換えに異なる地平から勇者を呼ぶ術である。
伝承によると勇者は一人で万の軍勢に値するほどの力を有しているという。
伝承故の誇張があるとしても、勇者が強力な存在であることには期待が持てる。
そして今、王城の一室で大賢者マリウスの手により、儀式が行われようとしていた。
複雑な幾何学模様と魔法文字がびっしりと書き込まれた魔法陣を囲んで、数人のローブ姿の男たちが呪文を唱える。
そのうちの一人。深い藍色のローブをまとい、床に届くかという真っ白いひげを生やした背の高い老人。顔には深い皺が刻まれ、エメラルド色の瞳は深い知性の色をたたえている。
彼こそが300年の長きを生き、その長き年月のほとんどを魔術の研鑽に費やした王国一の魔術師、大賢者マリウスその人であった。
魔法陣がほのかに輝きだす。
その様子をアルフレド三世をはじめ王国の重鎮たちがかたずをのんで見守っていた。
次第に輝きは増し始め、ついには誰も目を開けてはいられないほどのまばゆい白光が部屋を満たした。
「成功か!?」
大臣の一人が声を上げる。
光が収まった時、魔法陣の中心には裸の男が一人、直立していた。
凛々しい顔立ち、黒曜石のような神秘的な輝きの黒い目。
そして何より、顎のあたりまで伸びる、鴉の羽のようにつややかな黒髪が特徴的な男であった。
男は召喚のショックで意識がはっきりしないのか、ぼうっとした目でしばらく宙を見つめていたが、やがてその両目から静かに涙を流し始めた。
その場にいる大臣たち、王、そして大賢者マリウスでさえ、目の前の男の涙の意味を理解することはできなかった。
全員がただただ困惑し、涙を流しつづける男を見つめていた。
ベタベタだって?その通りだよ