第十九話:暗殺者は失敗する
勇者エポナがオークどもを圧倒する。
腕を振るだけで、ひき肉が出来上がり、時折放つ炎の弾丸はオークの先頭から最後尾まで貫通し、視界の外へ飛んでいく。
戦いではなく、一方的な虐殺にしかすぎなかった。
オークは恐怖という感情を持たない、ゆえにこれだけ圧倒的な生物に挑み続ける。
隣に立つノイシュが震えながら声を絞り出す。
「あははは、なんだ、あれ、あまりにも僕らと違いすぎる。初めから、こうしとけばよかったんだ。エポナだけで十分だ。僕たちがここにいる意味なんてない」
ノイシュは模擬戦で俺と戦っているところは何度も見ているが、こうして本気で暴れているエポナは初めてであり、その規格外さに動揺している。
「だろうな。こんな役割分担なんてせず、エポナを単独で突っ込ませれば、とっくに殲滅できていたかもしれない」
「わかっていたような口ぶりじゃないか。なら、どうしてこんな策を」
ノイシュの言葉が遮られる。
弾丸のような勢いで、オークの頭が飛んできたからだ。
さきほどからトウアハーデの眼には魔力を注いでいた。だからこそ、ぎりぎり反応できた。
ナイフの柄で飛来するオークの頭の側面を叩いて軌道をずらすと、背後の壁に深く深くめり込んだ。
こんなもの、まともに受ければ腕が逝くから流した。
直撃すれば魔力持ちであろうが無事ではすまないだろう。
ただの流れ弾、本気のエポナは腕を振り回しただけでこうなってしまう。
「これが答えだ。オークよりもエポナの戦いに巻き込まれるほうがよっぽど怖い。だから、エポナが本気を出すような状況を作りたくなかった。ノイシュ、ここから先、気を抜くなよ」
「全力で逃げたいところだね」
「この状況でも敵前逃亡には変わらないのが辛いところだ。逃げていいなら、俺だって、とっくにそうしているよ」
後ろを見る、魔力切れのディアと精神力を使い尽くしたタルトがゆっくり下がっているところだ。
せめて彼女たちが安全圏にたどり着くまで、ここを死守しないと。
いくらエポナでも、あれだけのオークは同時にさばけない。打ち漏らしが出る。
ほらさっそく来た。
エポナの脇を二匹ほどが抜けてくる。
あの二体は俺たちが倒そうとノイシュと目くばせしたときだった。
「このクソ豚ぁ! 僕から逃げられると思うな!!」
エポナの右手に魔力が高まり、詠唱をすることなく魔力を魔力のまま、オークに向かって放つ。
詠唱が必要な魔法をわざわざ使うのは、無色の魔法はほとんど攻撃力を持たないから。
もし、魔力の塊をぶつけるだけで有用な攻撃手段になるのであれば、だれも詠唱が必要な魔法なんて使いはしない。
だというのに、エポナの一撃は膨大な魔力量と、さらに勇者特有の複数のSランクスキルによって強化され、必殺の威力と化していた。
全力で跳ぶ。
その魔力塊はオークへの直撃コース。問題はその先にタルトとディアがいる。
あれは、オークを貫通して、背後の二人に当るし、今の彼女たちでは躱すことも受けることも不可能。
……全力を出すか? 俺は【超回復】を駆使して常人の十倍近い魔力放出量を持っている。しかし、それを隠し、あくまで常識内で考えられる魔力の高さ程度に抑えている。
全力を出せば、無傷で防げる。……いや、そのカードは隠したままでも対応できるか。
覚悟を決める。
魔力を通すことで、魔物の被膜で出来たインナーを強化する。もともと、この皮の持ち主はそういう性質を持っており、防具となった今でも、変わらない。
さらに堅いだけじゃなく、二重構造をとっており、硬質化する層と、衝撃を吸収する層の二つに分かれている。魔力を十分に注げば最高の守りになるのだ。
これも隠したい札だが、魔力の異常な高さを晒すよりましだ。
オークをぶち抜いた魔力塊を背中で受ける。
肩の骨が砕けた。全力で踏ん張るが、吹き飛ばされる。
……うまく受けられた。勇者の一撃を止めて、この程度で済むなら御の字だ。【超回復】であれば数分で回復できる。
ただ、このままじゃタルトたちとぶつかるな。
魔力塊を地面に向かって放つ。
エポナのように必殺の威力にならなくても、反動で方向を変えるぐらいはできる。二人への直撃コースから外れた。
この勢い、受け身をとっても骨の一本や二本は覚悟しないといけないだろうが、それぐらいなら構わない。
「ルーグ様!」
だというのに、タルトが飛び出し、ぶつからないよう軌道変更した俺を受け止める。
ぼろぼろで、魔力で身体能力を強化してない状態なのに。
タルトを巻き込んで数メートル転がる。
ようやく、止まったが、俺を受け止めたタルトは気を失ってる。口内を切ったのか、口の端から血がこぼれていた。
「タルト!」
なんで、庇った!?
体を強化していない状態で、あんな勢いの俺を受け止めれば、こうなるのはわかっていただろうに。
……いや、わかっている。
タルトは俺を守りたかったから無茶をした。
そういう子なんだ。
前を見る。
エポナと目が合う、怯えた顔で俺を見ていた。
さきほどまで、戦いに酔っていた人間とは思えない。
眼に見えて動きが悪くなった。
動きに迷いが出始める。
それでも、問題はない。なにせ、オークの渾身の一撃すらエポナに傷一つつけることができないのだから。
か細い声で、すがるように話しかけてくる。
「ぼっ、僕、そんな、つもりで、わざとじゃ」
そんなことはわかっている。
俺が許せないのは自分だ。
エポナが全力になれば、こうなることがわかっていたから、策を練っていた。
それだけじゃなく、異常な魔力という札を隠したままうまくやれるとうぬぼれ、失敗してタルトにそのツケを払わせた。
タルトなら、俺を守ろうと受け止めるのは想像できていたのに。
悪いのは俺だ。
「抜かれた奴は俺が何とかする。前だけ見て戦え!」
その言葉を絞り出す。
気にしてない、事故だ、エポナのせいじゃない。
理屈はそうでも感情は別だ。今、そんなことを口にすれば、きっと嘘くさくなってしまうから。
◇
それから、十五分ほどでオークたちは全滅し、学園に戻ることとなった。
エポナはタルトが倒れてから、動きは悪いままだったが、それでも圧倒的に強かった。
撃ち漏らしは増えたが、ずっと後ろにいた教官たちもいよいよ前に出てきたおかげでなんとかなった。
……気になるのは、エポナが全力を振るってから、ぴたっとオークの援軍が止まったこと。
あれだけ、どこからか湧き続けていたのに。
きな臭い。
状況から、考えるにこれは偵察じゃないだろうか?
エポナの全力と弱点を知るためのもの。
そのために、あれだけのオークを捨て石にしたとすれば、いったい本命の戦力はどれぐらいだ?
オークたちの進行ルートを考えるかぎり、この国有数の商業都市を落として、経済と流通にダメージを与えるつもりだったようだが、それすら囮だというなら、何が本当の狙いだ?
首を振る。
今は、そんなことを考えている場合じゃないタルトの治療に集中しよう。
「ルーグ、タルトは大丈夫そう」
「大丈夫だ。打撲と骨折に擦り傷、どれも治せる」
帰りは行きよりも大きな馬車を使っている。
寝台付きのもので、そこでタルトの治療をしていた。
軍医もいたが、俺のほうが腕がいいので、こうして対応している。トウアハーデが医術の名門ということもあり誰も口を挟まなかった。
一通り処置は終わらせて、今は俺の魔力を使い自己治癒力を強化しているところだ。
「良かった。ほんとびっくりしたよ。タルトがぴくりとも動かなくなったんだもん」
「俺もだ。でも、無事でよかった」
タルトの頭を撫でる。
そうしていると、座席と寝台を隔てるカーテンが開かれる。
「あの、その、僕、謝りにきて」
エポナは目を合わすのが怖いのか、下を向いている。
「……あれだけ激しい戦いだったんだ。巻き込んでも仕方ないさ」
気持ちの整理はできた。
自然に、気にしてないふうに言えたはずだ。
「でも、その、タルトに悪いことしちゃって」
「謝れば、タルトも許してくれる」
「そう、そうだといいな。えっとね、ルーグも怪我させてごめん。僕、また、これだ。戦場に出るたび、戦いになると、真っ赤になって、暴れて、気が付いたら、みんなを怪我させて、だから、僕は」
エポナの拳が震えている。
「僕は、変わりたかったんだ。真っ赤になっても、ちゃんと周りが見えるぐらい強く、だから、ルーグの模擬戦で、真っ赤になるぐらいに熱くなるぐらい本気でやって、それでも誰も怪我させないですんでたから、ちょっと自信が出てきて、今日は大丈夫だと思ってたのに、やっぱりダメで」
……模擬戦で強くなりたいというのはそういう意味だったのか。敵に勝つためじゃなく、自分を自分で制御できる強さを欲しがっていた。
「それにちょっとだけ、ルーグなら僕を止めてくれるんじゃないかって、そんなふうに思ってて。あははは、勝手だね。それから、もういっかいごめん。やっぱり、僕、勇者なんて無理かも」
そう言い残して、元の場所へ帰っていく。
ディアが苦笑いをしている。
「悪い子じゃないようだね。それに、ルーグのことものすごく買ってくれてるよ」
「そうだな」
……俺なら止められるか。
それは買いかぶりすぎだ。
そして、エポナの弱点がようやく見えた。
他人を巻き込むことを気にするくせに、力の制御がひどく未熟なところだ。
そこは、勇者疑惑のあったセタンタとはまったく違う点だ。セタンタは、自分が気持ちよく戦うためなら周囲の被害など一切考えなかったが、彼女は気にして動きが鈍る。
もし、エポナを殺すなら周囲に彼女の友人がいる状況で襲えば勝率が跳ね上がる。
問題は、その友人とやらが俺たちであること。
「ディア、俺はエポナに謝ったほうがいいと思うか? きつい言葉は使わなかったが、タルトを守れなかった苛立ちを態度に出してしまったんだ。タルトが倒れたとき、ひどい顔でにらみつけた」
「私が好きなルーグなら謝ると思うよ」
「そうだな、向こうが落ち着いたら謝りに行く」
エポナは、俺がいれば大丈夫だと思っていたのに、俺はエポナを止められず、それどころか彼女に憎しみと苛立ちをぶつけてしまった。
深く傷ついているだろう。下手をしたら、戦場にでることが怖くなってしまったかもしれない。
どちらにしても、それでは可哀そうだ。
勇者は将来的に殺さないといけないと女神に言われたが、殺さなくてもいい可能性はある。
それまでは、友人でいると決めた以上、フォローしよう。
「それから、タルトにも謝らないとな。本当は、もっとうまく助けられたはずなのに」
つくづく自分の未熟さが嫌になる。
「そう思うなら、キスでもしてあげたら。一発でご機嫌になるよ」
「そうだな、そうしよう」
「あれ、冗談のつもりだったのに、その反応!? 今ぜんぜん躊躇いなかったよね!? もしかして、タルトとはもうキスしてたりするの!?」
「……そんなことはないさ」
そう言えば、魔力共有のために行っているキスは秘密だった。
「ずるい、私もキスしてよ。ルーグ、あれっきりだよね」
そうして、帰るまでディアにいろいろと探りを入れられ、学園に戻るころにはタルトが目を覚まし、謝罪すると逆にタルトから全力で謝られた。償いをすると言っても受け入れてもらえない。だからこっそり、サプライズをしようと決める。
そして、明日はさっそくエポナに会って謝ろう。
こういうことは早ければ早いほどいい。