第十五話:暗殺者は手術する
今日は、筆記テストで理解度を試されている。
そうそうにすべての問題を解いて、考え事に没頭していた。
数日前、暗殺者を暗殺した。
同業者を殺すのは気が進まなかったが、やるべきだと判断した上でやった。
エポナが殺される心配はしていなかった。心配していたのは、暗殺が失敗することで、エポナが暗殺を警戒するようになることだ。
『聞き出せた情報はあまり多くはなかった』
拷問の結果、今回の黒幕は貴族派のどこかということがわかっている。
王族派でなかったのは救いだ。
トウアハーデは王族派であり、身内で争うわけにはいかない。
……もっとも王族派と貴族派の争いも、この国単位で視れば十分身内争いだが。
そして、エポナが狙われた理由もわかっている。
ある意味、至極まっとうと言えるものだった。
『それはそれとして、ついにか』
タルトの手術は今晩に行う。練習は十分できたし明日からは休日だ。
俺のように【超回復】があれば、すぐにでも包帯が取れるが、タルトの場合は魔力による自己回復力の強化を使っても二日はかかる。
休日前夜というのは都合がいい。
「試験終了だ。回収する」
試験用紙が回収された。
しばらくするとチャイムがなって、授業の終わりが告げられる。
いつも通り、タルトとディアが駆け寄ってくるが、最近ではもう一人増えている。
「僕、今回の問題かなり解けたよ。勉強会のおかげだよ」
エポナだ。
このクラスの中で勉学方面では致命的に出遅れていることもあり、勉強を教える機会が多かった。
そうしないと、エポナはあっという間に授業についていけなくなってしまう。
そんなことを繰り返すうちに、毎回スケジュールを決めるのが手間になってきて勉強会を定期的に行うことにした。
なぜか、そこにノイシュやフィンまでが参加していた。
「基礎ができてきたな。この調子でいけば、あと半年もすれば俺たちの手助けはいらなくなるはずだ」
エポナはそれなりに頭がいい。
加えて、勇者のスキルで視界に入ったものを一瞬で覚える完全記憶能力をもっている。
話を聞いてみると、それはただの記憶能力ではないらしい。
相手の動きを記憶し、演算・解析し、対応策を編み出すスキル。完全記憶能力など、そのおまけだ。
つまるところ、一度見せてしまった技は次からは著しく通用しづらくなってしまう。
しかも、一度記憶したことを忘れることもないらしい
おかげで、模擬戦のたびに気が重くなっている。
……まあ、このスキルのことを知ることができただけでも近づいた甲斐があったと言えるが。
「頑張っちゃうよ。僕だって、いつまでも落ちこぼれじゃいられないからね」
「期待してる。がんばれ」
怖いな。いったい、どれほどのスピードで成長していくのだろう。
何か聞きづらそうにしているので、言うように促す。
「どうして、こんなにもよくしてくれるの? やっぱり、僕が勇者だから」
目を伏せつつ聞いてくる。
彼女は人との距離を測るのが苦手だ。依存してくるくせに、自信がないから『自分なんて』と考え、それが周囲への不信感に変わる。
悪い子ではないが、少々面倒な子だ。
「それがないと言えば嘘になるな。だけど、それだけじゃないさ。エポナと一緒に居て楽しいから、こうしている。俺は嘘が下手だからね。嫌いな奴と一緒だと不機嫌になる」
「そう、良かった。ルーグは僕が勇者だからいやいや付き合ってくれてるって思っちゃって不安だったんだ。……いつか、こんなにもよくしてくれてる恩を返すよ!」
自分でも、こんな嘘をよく言ったものだと思う。
しかし、必要な嘘だ。それは彼女の弱点を探るためであり、ベストである勇者を殺さないでいい状況を作るために。
タルトが時間を気にしてそわそわし始めた。
「ルーグ様、そろそろ図書室に行かないと、予約している席をキャンセルされちゃいますよ」
「あっ、それやばいね。図書室ってぜんぜん融通利かないし。一秒でも遅れたら、もう他の人に席取られちゃう」
「まあ、あれが使えないなら俺たちの部屋を使えばいいんだけどな。寮の部屋は広いし」
「「それはだめ」」
タルトとディアが口をそろえて、否定する。
なぜだろう?
部屋はタルトが綺麗に掃除してくれているし、見られて困ることはない。
職業柄、見られて困るものはあるが少々のことでは見つからないように隠してある。
……俺たちの不在時に勝手に部屋へと入られることを想定しているからだ。
「ははは、ルーグは尻に敷かれているんだね。ディアとタルト、二人分の尻は重いだろう。どちらかを僕に譲ってみてはどうだい?」
ノイシュが茶化しながら問いかけてくる。
「その気はないさ。二人とも俺の大事なパートナーだからな」
そう宣言すると、タルトとディアは顔を赤くして、エポナはおもちゃを欲しがる子供のような顔でいいなと呟いた。
「とりあえず、急ごう。本当にまずい時間だ」
俺は荷物をまとめて立ち上がった。
◇
休日の夜になった。
タルトの部屋に向かう。
先日、トウアハーデの眼を与える手術は無事終了しており、今日はいよいよその成果がわかる。
「緊張するね。タルトの眼がちゃんと見えるといいけど」
「手ごたえはあったが、万が一はありえる。俺も不安だ」
あの暗殺者を使って、練習は繰り返したし、他でもないタルトを施術するのだからと万全を期した。
「あっ、ルーグ様、ディア様、いよいよなんですね」
タルトは眼帯を右眼に付けている。
ディアのアドバイスを受けて、両目の施術は行わずまずは右眼だけを手術した。
万が一、手術が失敗だったとしても片目の失明だけで済む。
「眼帯をこれから取る。ただ、予め言っておく。絶対に俺を気遣うな。前もって言っておかないと、タルトは手術に失敗していても、俺が落ち込まないよう、見えていると言いかねない」
「……うっ、否定できません」
タルトはそういう子だ。
「それだけは絶対にやめてくれ。責任を取りたいとかそういう意味で言ってるわけじゃない。もし、不調や不備があっても早期にわかれば手が打てる。だがな、時間が経てば経つほど、どうにもならなくなる。どんな些細な不調でもいい。不調か、どうか自信がなくてもいい。すべてを話すと誓ってくれ」
「はいっ、そうします!」
タルトと見つめ合う。
明るい色の左眼が俺を写す。
ゆっくりと右眼の眼帯を外す。
手術により、少し暗い色になっていた。トウアハーデの者に手術をすると灰色になるが、タルトの場合は彩度が落ちる程度にとどまっている。
ずっと眼帯をしていたせいで焦点があってない。
「ルーグ様、かなりぼやけて見えます」
「それは、ずっと眼帯で覆っていたせいだ。この光を見てくれ」
魔力の光を生み出し、それを凝視するように言う。
焦点が合ってきた。
「あっ、ちゃんと見えるようになりました」
「なら、次だ。こっちに来てくれ」
タルトの手を引いて、窓まで移動する。
窓を開けて、はるかかなたの山を指さす。
「まず、手術をしていない左眼だけであの山を見てくれ」
「ちゃんと見えてます」
「なら、あの山の一番てっぺんにある大樹、その幹から伸びる枝の数。それから、その枝にはどんな生き物がいるかを言うんだ」
「見えません。枝どころか、そんな樹があるかすらわからないです」
だろうな。双眼鏡でも使わないと見えない距離だ。
「なら、次は右眼だ」
タルトが左眼に手をあて、手術が終わったばかりの眼で見る。
「すごい、ほんとに大樹があります。それに枝の数までわかります。うっすらとですが、こんなに見えるなんて。十六本。十六本です! でも、その上にいる小動物まではぼやけて見えません」
「身体能力を強化する要領で、目に魔力を込めてみるんだ。ゆっくり、ゆっくりでいい」
「あっ、もっと見えるようになってきまして、リス、それから見たことない鳥が三羽、えっと、それから……カマキリまで」
数キロ離れた先の大樹にとまった虫まで見えてしまう。
それが、トウアハーデの瞳。
「十分だ。他に何かないか?」
「魔力で強化してから、ルーグ様や、ディア様、それに私もきらきらとした光の粒に包まれてるように見えます」
「見えているのは魔力だ。もう少し魔力を込めてみろ。そうすれば、この世界に満ちてるマナまで見えるから」
「あっ、きれい。これが、大気のマナ。世界の力。うわぁぁ、とっても、とっても素敵です。こんなにも、この世界って綺麗だったんですね! これがルーグ様の見ている世界!」
うっとりとした顔で、スカートを翻しながらタルトがくるくると回る。
可愛らしくて見惚れてしまった。
「遠視と魔力視は問題なかった。次が本命だ。動体視力を確認する。タルト、壁ぎりぎりまで下がってくれ」
「こんな感じですか」
「そうだ。今から、ボールを投げるから受け止めるんだ。魔力をさらに込めてくれ。かなり強くいく」
暗殺道具の一つを取り出す。
見た目はこぶし大の白いボール。意外と、これは使いどころが多く、魔法の収納袋である【鶴革の袋】に入れてあった。
ボールにちょっとしたいたずらをしてから振りかぶる。
魔力で身体能力を強化した俺を見て、タルトも身体能力を強化し、さらに眼に力を込めた。
トウアハーデの瞳がその真価を発揮している。
それを確認してから、振りかぶって投げた。
魔力で身体能力を強化させた投球は、時速二百キロ後半にも達する。
タルトはそのボールを受け止めた。
時速二百キロ後半のボールを受け止めるのはすごいことではあるが、タルトならトウアハーデの瞳がなくてもできたことだ。
確認したいのは別のこと。
「うわぁ、お祝いをしてくれるんですか!? 嬉しいです」
「よし、合格だ。タルトに一番与えたかった、超速領域でも視える眼だ」
「えっ、ルーグ、タルト、お祝いってどういうこと。そんなこと一言も言ってないよね!?」
ディアが目を白黒させている。
「ボールにメッセージを書き込んでいたんだ」
「はい、ボールが回転していたのに、ちゃんと読めたんです」
「すごいね、トウアハーデの眼、そんなの、全然読めなかったよ」
ディアが見えないのも無理はない。
時速二百キロ後半という速度だけでなく、一秒間に百回転を超えている。
そんな超速かつ、超高回転するボールに書かれたメッセージを読むなど、普通の眼では不可能だ。
特別なスキルがあれば話は別だが。
「さあ、さっそく王都に出よう。割高だが、たまにはいいだろ」
「そうだね。タルトの手術が成功したお祝いだもん。パーッといかないと」
「たくさん、お料理の勉強ができそうで楽しみです」
こういうときぐらい、純粋に楽しめばいいのに。
しかし、こういうタルトが好きだ。
「手術が成功したってことは、左目も手術ですよね」
「いや、念のため数日みたい。どっちみち明日から学園だ。やるにしても次の休日前夜にやる。それから、これをつけておいてくれ」
「このちっちゃくて透明なのはなんですか?」
「コンタクトレンズという道具だ。それをつけていれば、左右の瞳の色が同じに見える。突然、瞳の色が変わったら周りが驚くだろ?」
「あっ、そうですね。大事に使います」
タルトがさっそく、コンタクトをつけた。
見た目には、今までと変わらない。
「明日からの訓練、大変だと思うが頑張ってくれ。その瞳を使いこなしたとき、今までとは別次元の強さを手に入れるはずだ」
「そうなれば、今まで以上にルーグ様の力になれますね!」
「私が作ってあげた風の魔法も、もっとうまく使えるようになるね。……私も切り札を作らないと。これ以上のポイント差は本当にまずいかも」
今日は病み上がりだから遠慮するが、明日からは実戦形式の訓練の中で、トウアハーデの瞳に慣れさせよう。
見えすぎるという眼は、脳に負担をかける。慣れるまで時間がかかるだろう。
「今日は、いっさい遠慮するなよ。特別予算のほうを使うから」
「へえ、じゃあ容赦なく高いお酒とか頼んじゃおう」
「なら、私は食べるためだけに育てた牛を頼んでみたいです。噂を聞いて、一生に一度は食べたいと思ってました。働いてる牛さんとは比べ物にならないぐらいに柔らかくて美味しいって聞きました」
彼女たちは、こういうときに遠慮するほうが失礼だと知っている。
今日は楽しい宴になりそうだ。
ただ、尾行されないよう気を付けたほうがいいだろう。男爵の子息に過ぎない俺が王都の高級店で豪遊しているなんて知られたら、変な噂が立つ。
店も、客のプライバシーを守る高級店で個室にしよう。
「着替えたら集合だ。いい店に行くからそのつもりでな」
「精一杯お洒落しますね!」
「たしか、ルーグを悩殺できるドレスがあったはずだね」
二人のドレスが楽しみだ。
急いで着替えて、街へ繰り出そう。