第十二話:暗殺者は勇者に認められる
初撃はなんとか防ぎ、横目で審判を見る。
やっぱり、あれでは手が上がらないか。
今回の模擬戦は授業ということもあり、いいのが一本入れば、それで終わりだ。
しかし、空中にナイフを置いただけの一撃では、一本とは認められなかったようだ。
あれで終わってくれれば楽だったのに。
しょうがない、怪我をしないようにこの戦いを終わらせるよう全力を尽くす。
この瞳を持つ俺なら、それができる。
「さあ、次行くよ」
エポナが心底嬉しそうに、顔を上気して腕を振り上げ、襲い掛かってくる。
よほど、この戦いが楽しいらしい。こういうキャラじゃないと思っていただけに意外だ。
エポナの武器は理不尽なまでの身体能力。
それだけで俺が積み上げてきたすべてが圧倒される。
ただ、つけ入る隙はある。
予備動作が大きいせいで狙いが見え見えだし、体の動かし方も拙く、攻撃と攻撃の合間に溜めがある。
なにより、エポナの攻撃は素直すぎる。
一流に近づけば近づくほど、戦いが思い通りにならないことを知っている。
だから、相手の動きを見ながら、フェイントを入れたり、途中で動きを変えられるように工夫する。
しかし、そういったことを考慮してない故に、動きに変化がない。
予備動作が大きく、しかも攻撃が素直だからこそ、実に読みやすい。
二度、三度躱すうちにだんだん慣れてきた。
勇者の速さと、その動きの癖を体感できるのは非常に大きいし、弱点も見えてきている。
勇者は身体能力は規格外でも、動体視力は超人的とはいえ、トウアハーデの眼には劣る。ここだけは俺が勝っている。
なかなかの収穫だ。戦って良かった。
……まあ、このまま生きて戻れたらだが。
「すごい、すごい、どうして当たらないのかな? 僕より遅いのに!」
頭がちかちかする。酷使しすぎた脳が悲鳴を上げている。
見えすぎる眼と高めすぎた集中力、無茶な回避で一撃たりとももらっていないのに、俺の体はぼろぼろだ。
致死の攻撃を躱すたび、汗が噴き出て、寿命が縮みそうになっている。
どんどん、気持ちが削られていく。
あまり長くは持ちそうにない。
しかし、心は乱さない。焦ったところで事態は改善せず、それどころか隙を生む。
「どうしたの! ルーグも攻撃しなよ。じゃないと、訓練にならないよ!」
そんなことはわかっている。
だが、わずかでも攻撃にリソースをさけば、回避が追いつかなくなる。
あの攻撃力だ、受けきれないし、防御したところで壊される。
そのせいで回避以外の選択肢がない。
だが、もう少しだ。
眼が慣れ始めている、エポナの呼吸も癖も覚えてパターンも読めてきた。
加えて、どんどんエポナの攻撃は大振りになっていく。
「当たれ、当たれ、当たれ!」
当たらない、その焦りから、より速く動こうとし、無駄な力が入り始めた。
ただでさえ単調な動きがさらに単調になり、読みやすくなる。
そして、そういう状況になれば一番得意な動きにすがる。
騎士団長を沈めた一撃が来た、ただの踏み込みからのアッパー。
今までのように予備動作から動きを読むのではなく、それより前、エポナが攻撃モーションに入ると同時に俺は動いていた。
それはもはや、予測の領域だ。癖と呼吸がわかれば、そうするように誘導もできる。ただのギャンブルではない。
とはいえ、どれだけ布石を打ってもリスクはある。しかし、唯一、俺が勝てる可能性があるとすればこれしかない。
こうしなければ、躱すだけでなく攻撃を加える時間は得られない。
こういった手が通じるのが、エポナの弱点。
……ある程度の力量をもったものを相手にこんな真似をすれば、別の攻撃手段に切り替えられてしまう。
しかし、それをするほどの力量も冷静さもエポナにはない。
エポナは予備動作より先に俺が動いているのに、馬鹿正直に踏み込み、拳を振り上げてくるが、ぎりぎり拳の外に退避が間に合った、そして伸び切って硬直する一瞬を狙い、カウンターの突きを放つ。
こつんと軽い手ごたえ、次の瞬間、風圧に吹き飛ばされ、リングの遥か彼方に吹き飛ばされて、リングアウト。
ろくに受け身も取れず、何度も地面に叩きつけられようやくとまる。
……まあ、正面からカウンターを狙えば、こうなるよな。
本当にやっていられない。
「勝者! ルーグ」
審判はよく見ていたようでリングアウトの前に有効打が認められて勝利を拾うことはできた。
硬直した一瞬を狙ったカウンターだから見えたというのもあるが、あれを見逃さないとは、さすがにSクラスを見ているだけはある。
「ルーグ様、すごいです!」
「信じられない、あの化け物みたいな勇者に勝っちゃったよ」
「彼のことはだいぶ買っていたけど、その上を行かれたね。フィン、彼と同じことをできる自信があるかい」
「冗談。カウンター決めるどころか、躱せる自信もねえよ。……ルーグ・トウアハーデ、とんでもなくいい眼と読みを持っている。悔しいが、勇者はもちろん、ルーグにも勝てる気がまったくしねえ。そういうノイシュはどうなんだ」
「僕も同感だ。だからこそ、彼がほしい。僕が君と彼を従えれば、なんでもできる」
俺たちの戦いを見ていた、クラスメイトが興奮しながら、俺たちの戦いを語っている。
……手札を隠したまま、なんとか勝てたな。
トウアハーデの瞳を、動体視力の強化にしか使っていないし、遠目に見てわかるものでもない。
立ち上がろうとして、失敗した。
ひどく息が乱れている、足は笑い、全身から汗が噴き出してる。
思った以上に消耗していたようだ。
体力的なものではなく、精神的なものが大きい。
超回復でも心だけはどうにもならない。
……これが実戦だったらと考えるとぞっとするな。
こっちは疲労困憊だと言うのに、エポナのほうは無傷。俺は一発もらうどころか掠れば終わりで、あっちはカウンターを当てても表皮一枚程度のダメージ。
本気で、嫌になる。
これを殺さないといけないのか。
そのエポナがこちらにやってきて、手を差し出してきた。その手を掴むと引き起こされた。
「ルーグ、君と会えて良かったよ。また、君と戦いたい」
その言葉でバトルマニアであるという懸念がより強まった。
道理で、俺なら壊れないなんて物騒なことを言うはずだ。
「驚いた、戦うのが好きだったとはな」
「そういうわけじゃないんだ。僕は勇者だから、強くならないといけない。そのためにはいっぱい訓練しないといけないのに、僕と戦うとみんな壊れちゃう。強くなりたいのに、強くなれない。このままじゃ、僕より強い魔族とかと戦ったら負けちゃうってずっと不安だったんだ。だけど、ルーグは壊れないから、ちゃんとした訓練ができる。やっと強くなれる。ねえ、また今日みたいに模擬戦をしてもらえないかな? 僕にはルーグしかいないんだ!」
そういう意味か。
模擬戦であろうと、エポナと戦って無事に済むものはいない。
エポナの動きがあれだけ拙いのは、まともな訓練ができなかったからだろう。
戦いの中でしか身に付かない技術は多く、その相手がいない。
戦いが好きというわけではなく、勇者としての使命感があのセリフを言わせていたようだ。
もし、この提案を受け入れれば、エポナにとって俺は替えが利かないかけがえのない存在となり、深い絆ができる。
とはいえ、わりと命がけだった。
こんなことを繰り返していれば俺は壊れるだろう。
それでも……。
「ああ、喜んで。俺も得るものはあるからな」
こういう命がけの戦いで、俺も強くなれるのは間違いない。
勇者を丸裸にしながら、俺自身も強くなれ、しかも信頼を得ることができる。
損得計算で得が上回った。
問題は、それで勇者がさらに強くなってしまうことだが、メリットのほうが大きいと判断している。
「ふふ、楽しみだね。先生に頼んで、模擬戦は全部ルーグにしてもらうようにするよ」
「ははは、それは光栄だ。だけど、勇者と戦う機会を俺だけで独占するのはずるい気がするな。みんなも戦ってみたいだろ」
助けを求めて、クラスメイトの顔を見るが、全員そっぽを向きやがった。……タルトやディアまでも。
彼らもわかっているのだ。
エポナと模擬戦をすれば確実に騎士団長の二の舞になると。勇者に取り入るより、命を優先した。
「みんなも文句はないみたいだね。僕、がんばるよ」
この瞬間、すべての模擬戦で命がけの戦いをさせられることが決まった。
……大怪我は覚悟しておこう。
だが、後遺症が残るような怪我は絶対にしないよう気をつけなければ。
◇
その日、授業のあとエポナに座学でわからないことがあると教えを請われ、それが終わるとディアとタルトの訓練を行い、ようやく部屋に戻って来れた。
座学のとき、今までよりもずっと心を許しているのが感じられた。
やはり、あの提案を受け入れたのは正解だったらしい。
「ルーグ様、かなり体に疲れが溜まっていますね。気持ちいいですか」
「ああ、最高だ。タルトのマッサージは世界一だよ」
「嬉しいです。私、がんばっちゃいますね。本当に硬い」
タルトがマッサージをしてくれていた。
汗をかいてもいいように薄着になっており、いろいろと目に毒だし、タルトの柔らかな肌が密着して、男としてはかなり辛いものがある。
だが、気持ちいい。
固くなった筋肉がほぐされていく。
こうなったのは筋肉を使いすぎたというより、極度の緊張のせいだろう。
「命がけだったからな。あの模擬戦、教官たちも何を考えて、俺に勇者の相手をさせたのか」
「単純に、ルーグ様以外なら壊されるからだと思います」
「一歩間違えれば、俺もそうなる。……まあ、普通の医者に治せない怪我を負っても父さんならなんとかしてくれるとは思うけど」
「それはトウアハーデの強みですね」
そうしているとノックの音が聞こえた。
タルトに目くばせをして、着衣を整えさせ、俺自身も部屋着に着替える。
タルトが扉を開けた。
「やあ、ルーグ。今日はすごかったね。いいものを見せてもらったお礼に差し入れを持ってきたよ」
「ノイシュか。疲れているとわかっているなら、放っておいてくれないか」
「あはははは、いいのかい。僕のお土産はこの差し入れだけじゃない。君が欲しがっている情報を教えてあげようと来たのに」
「エポナのことか」
「そうだ。エポナ・リアンノン。彼女には秘密がある」
「……彼女。やっぱりあれは女なのか」
戸籍上は男、この学園にも男性として入学している。
「やっぱりってことはうすうす気づいていたんだね」
「まあな、服で隠しているが骨格は女と考えるほうが自然だ。それに、ノイシュがエポナに接する態度をみればわかるさ。俺は同じ目線の友人として距離を縮めようとしたが、おまえは恋人として近づこうとしていた」
「ははは、ばれてたか。色恋なら簡単だと思ってね。ああいう子は少し優しくするところっと落ちるから」
そう言ったノイシュをタルトがジト目で見ている。
タルトは純情なところがあるから、そういうのに抵抗があるのだろう。
「タルトちゃん、そんな怖い目でみないでくれ。別に弄ぶつもりなんてないんだ。勇者を取り込むことができれば、僕の夢に近づく。ちゃんと男女の関係になれば最後まで面倒を見るつもりだし、きちんと愛する。動機はあれだけど、本気だよ」
「それで、その手札を明かしたのは、それが難しくなったからだろう?」
「ご名答、今日のあれで、君に心が傾いたようだからね。……君と同じように、彼女と戦っても壊れないことを証明できればいいんだけど。あいにく、僕じゃあれには付き合えない。信じられないよ、あの速さに対応できるなんてね」
「ぎりぎりだったがな」
「まあ、そういうわけで恋人になるのは難しそうだから、君の友達として近づくことにした。それなら、君がより深い関係になったほうが都合がいい。どうして、男として育ってきたかだけど……」
ノイシュの説明に耳を傾ける。
その内容は大よそ想像通り。
貴族の女が、男として育つ理由なんてそれぐらいしかないか。
魔力を持たない貴族に生まれ、男として育てられた。
二重苦だ。ああいうふうに育つのもわかる。
それにしても、あの勇者様はいくつコンプレックスを抱えれば気が済むのだろう?
「ノイシュ、ありがとう。これでよりいっそう仲良くなれそうだ」
「役に立てて良かった。じゃあ、僕は行くよ。お節介かもしれないけど、あんまり深入りしないほうがいいかもよ」
「心得ている。俺はノイシュと違って、恋人として接するつもりはない」
ほどほどの距離感が必要だろう。
頼られても依存はされないぐらいに。恋人として接するつもりはないと言ったとき、タルトが横でほっとしていたのがおかしくて可愛い。
「それから、ノイシュ頼みがある。明日は休日だろ。俺は用があって、この学園を留守にする。エポナを見てやってくれ」
「見てやってくれね……わかったよ、あれを守る必要があるなんて微塵も思えないけど、友の頼みだ。引き受けよう。貸しにしておく」
ノイシュが去って行く。
「そう言えば、ディアはどうした。訓練の後から見ないが」
「図書館で調べ物があるらしいです。訓練の後、着替えて直行しました」
「そうか。まあ、いい。あとで話しても納得してくれるだろう。……タルト、頼みがあるんだ。明日は休日だ。弁当を作ってもらえないか? ピクニックにでも行こうかと思って」
「あっ、それ素敵ですね。腕によりをかけて作りますよ」
ピクニックは気を張り詰めっぱなしの二人に息抜きをさせるため……そして、俺の新必殺技を試すためでもある。
訓練室ではトウアハーデの技術を隠しながら教えられるが、部屋を壊すわけにはいかないためできることは限られる。
訓練室で必殺技を開発したが、その制約故に寸止めで、実際に使ったことはなく、それでは実戦で使えない。
だから、思う存分暴れられる場所を見つけておいた。
ピクニックを楽しみつつ、新必殺技を思う存分振るうのだ。
明日は、楽しい休日になりそうだ。
勇者を狙う暗殺者は気がかりだが、エポナを殺せる暗殺者などいないし、ノイシュが見てくれているのなら安心できる。