第十話:暗殺者は授業を受ける
トレーニングルームで運動してから、シャワーを浴びて部屋に戻る。
原始的だが、地下水を利用したシャワーまであって、いたれりつくせりだ。
ベッドも文句がない。貴族好みの無駄に柔らかく体が沈んでしまう物ではなく、適度な硬さがあり人間工学に基づいた物で疲れが取れやすい。
この環境を失いたくないものだ。
眠りにつく前に、今日の訓練について考える。
まず、俺は新たな必殺技の開発に成功した。魔力を注げば注ぐほど容量が増える魔法の袋を使った技だ。
これは強力な武器になってくれる。まだまだ改良の余地があるが形になったのは喜ばしい。
次に教え子二人についても振り返る。
ようやくだが、ディアに基礎体力がついてきた。もともと剣の手ほどきを受けていたからこそ、これだけ短期間で基礎ができた。
これならば応用編に入っていいだろう。
ディアは魔法主体で戦うとはいえ、体の動かし方を知り、自衛能力を持つことは大きなプラスになる。
ディアの訓練は順調と言っていい。
問題はタルトのほうだ。
「……懸念したとおり、やっぱり速さに目が追いついてないか」
タルトはトウアハーデの肉体改造、卓越した魔力による身体強化、さらには自らの属性である風による加速によって、超高速戦闘を行うことができる。
だが、その速さに目が追いついていない。
相手が一流程度なら、問題にならないが、俺や父クラスが相手になった際には、たやすくカウンターを取られ、その速さ故に一撃で致命傷を受けかねない。
改善する方法はある。
一つ目は自らが制御できる速度しか出さない訓練をすること。それは現実的ではあるが、最大の長所を殺すことになる。
二つ目は俺と同じようにトウアハーデの眼を与えればいい。
あの目があれば、超動体視力を得られる。
父からすでに施術方法は受け継いでいる。手術自体は可能だし、そして、どっちみちいずれ生まれる我が子に施す前に誰かで実践は必要だった。
渡りに船だと言える。
……しかし、失敗すればタルトは失明してしまう。
せめて、実験台が欲しい。もちろん、罪人相手には何度も行っているが、魔力持ちでない場合はほぼほぼ失敗する施術であり、あくまで工程を覚える訓練にすぎない。
万全を期すなら、魔力持ち相手に施術を行って、きっちりと成功させてから、タルトに施術したい。
どこかに、魔力持ちで自由に使ってもいい実験体はいればいいが、そんなもの都合よく転がっているわけがない。
「次に、暗殺の依頼があったとき、対象を確保するか」
対象を行方不明として処理しよう。
まずはさらい、実験台にする。
それが一番いい。
問題は学園にいる間は、そうそう暗殺する機会なんてないこと。
父はよほどのことがない限り、自分で暗殺稼業を行うだろう。
もし、俺に依頼をするとすれば、父ですら達成困難な暗殺。
できれば、そんな超高難易度の依頼は受けたくないものだ。……いや、もう一つ受ける可能性がある依頼があるか。この学園内にターゲットがいれば、父は俺を使おうとするだろう。
◇
寮全体に鐘の音が響き渡る。
起床の鐘だ。
制服に着替えて、部屋を出てリビングに向かう。
姿見に映った姿を見る。
黒をベースに青いラインを入れた制服だ。
そして、腕章は金で彩られている。これはSクラスの証だ。腕章を見るだけで、この学園ではクラスがわかるし、学園内施設でもさまざまな優遇が受けられる。
やりすぎ感はあるが、そういう方針なのは仕方ない。
「ルーグ様、おはようございます」
「おはよう、タルト。その制服は可愛いし、よく似合っているよ」
「これ、かなりしっくりくるんですよ。動きやすいし、自分でも気に入ってます」
くるっと回るとタルトのスカートがひらりとした。見えそうで見えない。……いや、別に見たいわけじゃないが。
タルトの服は制服とメイド服のあいの子というべきものだ。
使用人枠の生徒は、それとわかるように制服のデザインが違う。
「私もそっちのほうが良かったかも。そっちのほうが可愛いもん」
ディアが眠そうに目をこすりながらやってきた。
タルトの制服と比べると、すらりとしたシルエットで、きりっとしている。
「そうですか? ディア様に似合うのは絶対にそっちだと思います」
「同感だな。ディアには可愛い服よりも、綺麗な服のほうがよく似合う」
「……そう言われると照れるね。でも、ちょっとうれしい。私もタルトも自分に似合う制服で良かったね」
たしかにな。ディアに綺麗な服が似合うように、タルトには可愛い服が似合う。
毎日、こんな二人を見れるのは眼福だ。
「二人とも、忘れ物がないかチェックはしたな。初日が大事だぞ」
「そんな間抜けなことしないよ」
「昨日、なんどもチェックしましたから大丈夫です。……よしっ、朝食が出来ました」
タルトが皿をリビングに並べる。
メニューはコーンスープ。それから、焼きたてのパンにレタスを乗せて、その上には半熟のスクランブルエッグ。これにタルト特製のトマトソースをかけて食べる。
質素だが、これがなかなかいい。
「この食材、どうしたんだ?」
「昨日の夜、朝食を材料支給にするか、食堂を使うか聞いてきたんです。それで材料と言ったところ、今朝届いていました」
「そうだったのか、いい判断だ。食べ慣れたタルトの食事はほっとする。昨日から気を張ってばかりだったからありがたいよ」
「朝は三人でゆっくりとしたいし。食堂より、こっちのがいいよ」
そうして、まったりと朝の時間が過ぎていく。
食後は、昨日タルトがお祝いで焼いたケーキの残りと紅茶を楽しみ、昨日の疲れは吹き飛んでいた。
◇
寮を出るところで、ノイシュが駆け寄ってきた。
「三人とも、せっかくだから一緒に教室まで行こうじゃないか」
「別にそれは構わないが」
「ははは、さすがの僕も一人じゃ心細くてね。さっそく朝からひどい目にあったよ」
「朝?」
「そうそう、朝食を食堂で済ませようとしたんだけどね。僕が座った席が、上級生の指定席だったみたいで大目玉。初日だから、特別に許してもらえたけどね」
この寮はSクラスの生徒専用。
それは、上級生も含めての話であり、こういうことも起こりえる。
「面倒な縦社会だな。他にもいろいろとありそうだし、気を付けたほうがいいかもな」
「まあね。適当に、取り入れそうな先輩がいたから、いろいろと情報を引き出してみるよ」
ノイシュはそう言って笑う。
彼も使用人は連れてきている。それでもあえて食堂を使ったのは、人脈を作るためだろう。
上級生の指定席もあえて自分を印象付けるためにやったのかもしれない。
「いろいろとほどほどにな」
「……へえ、わかるんだ。うん、ほかならぬ友の忠告だ。気を付けよう」
三分ぐらい歩くと、授業棟に着き、俺たちの教室へとたどり着いた。
金の腕章をつけた四人が歩くととにかく目立って注目を集めて、こそばゆかった。
始業の十分前に着いたが、すでにSクラス全員が揃っている。
ここにいる中でも、特に注意をしないといけないメンバーが三人いる。
ゲフィス公爵家の嫡男、ノイシュ・ゲフィス。
騎士の名門であり、戦いに特化した貴族、マックール伯爵家の次男、フィン・マックール。
勇者エポナ・リアンノン。
その他も優秀ではあるが、要注意とまではいかない。
ノイシュやフィンとは敵対しないほうがいい。
家柄も高いが、何より本人が優秀だ。
純粋な剣術だけならフィンは俺より優れている。
頭もいい。パーティでフィンと話した感じ、物静かだが、かなりの切れ者だとわかった。
ノイシュと違い、自らの能力を見せびらかしたりはしないが、鋭い爪を隠していて油断ならない。
「おはよう」
にこやかに微笑んで、クラスメイトに挨拶をすると、みんなが返事をくれる。
少なくとも、表だって男爵家だからと見下してくるものはSクラスにはいないようだ。
ノイシュは、俺と二言、三言、話したあと、フィンのところへ行った。
おそらく、フィンを篭絡するつもりだろう。
ノイシュならフィンの優秀さは気付くだろうし、なにより次男という立場である彼は、家を継ぐことがないため、しがらみが少なく、引き込みやすいのだ。
そうこうしていると、教官がやってきて、同時に鐘の音が鳴る。
「揃っているようだな。では、最初に挨拶をするとしよう。私はこのクラスの担当になった。マイル・ドゥーンだ」
この学園の教官の多くがそうであるように、鍛え抜かれた体をしている。
黒い肌はたくましく、眼光は鋭く、纏う空気は実戦を知っているもののそれだ。
「諸君らは、現時点で学園において飛びぬけた力を持っている。……だがな、あくまで現時点でしかない。半年後、どうなっているかはわからない」
半年後。それは試験のタイミングだ。
定期試験の結果しだいで、上位クラスと下位クラスが数人入れ替わる。
「君たちはこう思っているだろう。優秀な自分たちが、誰よりも優遇された環境を手にしているのに抜かれるはずがないと。それはある意味で正しい……だが、這い上がろうとするものの執念は君らの想像を上回る。あるいは、今まではろくに学ぶことができず、くすぶっていた天才の才能が学びを得て開花することもある。毎回、試験の度にメンバーは変わっている。危機感を持ちたまえ、そうでないと早晩、このクラスから消えるだろう」
生徒全員が神妙な顔をしている。
……今の環境を奪われたくなければ、こちらも死に物狂いでないといけない。
その認識はあったが、改めて突きつけられると胸にくるものがある。
「では、前おきは終わりにして、授業を始めるとしよう。君たちには、この二年で、アルヴァン王国の剣として相応しい力と、それを振るうに値する教養をつけてもらう。……一つ言い忘れていたな、君たちは最高の環境を得ている。それにふさわしい振る舞いをしてほしい、Sクラスはこの学園の顔なのだ」
生徒たちが頷き、学園で最初の授業が始まった。
最初は座学。
この国の歴史からだ。横目でクラスメイトの様子を見ると、さっそく、勇者エポナが頭を抱えていた。
あとで、勉強を教えると言って会話のきっかけを作るとしよう。
ふと、懐かしい気配を感じた。
窓の外を見ると、白い鳩が飛んでいた。
トウアハーデで使っている特殊な伝書鳩だ。そいつが、俺の部屋を目指している。
あれを使って俺に連絡を取るのは、父かマーハだけ。
父が連絡を取ることは稀だし、マーハへ勇者エポナの追加調査依頼を出したのは昨日だ、彼女が優秀とはいえ、まだ調査結果など出ていない。
となれば、マーハでは対応しきれない非常事態が起こったということ。
……授業が終わればすぐに確認しよう。
送り人が父であれば、超緊急案件での暗殺だろうし、マーハであれば、マーハと偽兄、あの二人で対応できないとんでもなく厄介な事件が起こっている。




