第五話:暗殺者は出会う
王都での試験が始まる。
エントランスから先へ進めるのは関係者のみ。
生徒以外の者は門の外で待つ。
門が閉じる瞬間、もはやエールというより怒号が生徒の親たちから降りそそぐ。
試験が始まってないのにこれだ。夕方、エントランスで試験結果が発表されるが、その際には阿鼻叫喚となるだろう。
案内を担当する教官についていくと講堂にやってきた。ホールのようになっていてかなり広々とスペースが使える。
ここでまずは筆記試験をする。
気を利かせてもらえたのか、俺の隣にはディアとタルトがいた。
十分、休憩をしてから試験が始まるらしい。
最後の準備時間だ。
「緊張してきました。成績と関係なく、ルーグ様と同じクラスになれるとは言っても、ルーグ様の使用人として恥ずかしい点は取れないです」
「いつも通りやればいいさ。そう気負わなくても、俺が教えたことを理解して自分のものにしていれば、十分な成績は残せる。そういうふうに教えた。それとも、俺の言うことが信用できないか?」
「そんなことありません! 私、やれる気になってきました」
こういうタルトの素直で単純なところは長所だ。
ディアのほうは何も言わなくても落ち着いていた。肝が据わっている。
二人にトイレへ行くように勧め、俺自身も済ませる。
深呼吸。教官がやってきて休憩の終わりを告げた。
「未来のアルヴァン王国を担う若鳥たちよ。よくぞ、集まってくれた。これより試験を開始する。まず筆記試験を行い、一時間の休憩をはさんで実技試験を行う。いくつかの注意点を話そう。これらは、君たちの実力を見て、適切な教育を施すためのものだ。背伸びをしたところで、誰も得はしない。……ゆえに不正には厳罰が待っている。不正が判明した時点で退出。実技を見るまでもなく最下級クラスとなる」
騎士学園で最下級クラス。
それは貴族にとって最大の恥辱だ。
この国で、最底辺の無能だという烙印なのだから。
……それでも、一部の者は不正をするだろう。それだけ、周囲からの期待は大きい。
「質問は一切受け付けない。離席も認めない。離席した場合はその時点で答案を回収する。注意事項は以上だ。問題を配布する」
全員の手元に、テストが行き渡った。
裏向きになっており、まだ内容は見えない。
「では、開始!」
教官の言葉と共に、一斉にテストを表返し。
まずは、軽く内容を確認する。
……すべてとは言えないが、おおよそ想定通りの問題が並んでいる。
この国の歴史と法律については、抜けもれなく教えることができていて安心だ。
問題を見てわずかに苦笑する。出題傾向が偏っている。
貴族たちにこの国が理解させたい歴史や法律の割合が多い。そういう意図で作られた学園らしい問題だ。
思考力と計算力を求める問題については、二人なら対応できる範囲。
これなら、三人とも高得点をだせるだろう。
事実、隣でタルトもディアも軽快にペンを走らせていた。
『筆記で、ポイントを稼げるのは全体の三割ってところか』
自国の歴史と法律など、貴族なら知っていて当然だと思うだろうが、下級貴族はそうではない。
親から教わる歴史などは、わりと各領地ごとに都合のいい脚色がされているし、教えたい部分しか教えない。そもそも、自らの領地を中心にせまい範囲しか知らないことが多い。
まんべんなく知識が得られる本は貴重であり、高額だ。
加えて、正しい内容を書かれている本を探すこと自体が難しい。嘘や間違いだらけの本のほうが多く、そんなゴミを掴まされることは多々ある。
この試験は本人の才覚というよりは、どちらかと言うと育った環境が重要になる。
改めて、トウアハーデに生まれて良かったと思う。俺の家は知を尊ぶ、だからこそ書庫には高価かつ正しい内容の本がいくつも並んでいたのだ。
……ここで点を稼いでおけば、午後の試験では悪目立ちせずに済む。
可能な限り、点を稼いでおこう。
◇
試験が終わる。
おおよそ、三時間ぶっ続けでひどく疲れた。
日本での試験のように科目ごとにわけるのではなく、まとめてやるのでボリュームがすごい。
たんに頭の良さだけじゃなく、集中力なども見ているのかもしれない。
……ただ、三時間離席をできないというのは、それなりに辛いものがある。
とある生徒はトイレを我慢し続け、それでも限界が来て顔を真っ赤にして泣きながら途中退席したし、もっとすごい奴は漏らしながらテストを続けた。
自らの家の優秀さを示さないといけない。だから、そこまでするんだろう。
試験に疲れてげっそりした顔で生徒たちは次々と、外に出る。
これから一時間ほど休憩があり、その間に採点が行われる。
俺たちは広々とした庭に行き、ベンチで休むことにした。
ディアが興奮した様子で戦果を伝えてくる。
「たぶん九割は解けたよ。いい得点だけど、他のみんなより点が取れたかは不安かな」
「私もそれぐらいです。ルーグ様に教わったことばっかりだったので、ちゃんと解けました!」
「順調で良かった。九割も解ければ、十位以内に入っているんじゃないかな。まともに問題を解けているのが三割ぐらいしかいなかったしな」
「試験結果が楽しみだね。ルーグはどうだった」
「ミスしてない限り満点だ。……ただ、かつて学んだ答えが正しいとは限らないからな」
記録の精度があいまいなので、書物によって記載内容が違うこともザラなので、これは仕方ない。
「ルーグ様が一位なら、今日はお祝いです! 奮発してたくさん美味しいものを作りますよ!」
「それは必要ない。たぶん、入学を祝って寮で何かするだろうし」
「ううう、残念です。でも、デザートを作る方向で頑張りますね!」
苦笑する。いつもタルトは自分以上に俺のことを考えている。
そんなタルトが、バスケットを取り出した。
「疲れた頭には甘いものです! 実は早起きしておやつを作っていたんです」
「素敵だね。ちょうど小腹が減ってたんだ。これで午後もばっちりだね」
バスケットの中には、黄色い蒸しパンが入っていた。
最近、ムルテウで流行り出した物で、パンを焼くのではなく蒸すことでふわふわにする。
そして、卵黄を多く入れることで卵の味をたっぷりと味わうのが最先端。
「じゃあ、さっそくいただこう」
ふわふわの生地をちぎって口に運ぶ。濃厚な卵の旨味と優しい甘さ。
これはいい、とびっきり美味しいわけじゃないが心が安らぐ。
脳に糖分が補給されていくのがわかる。
「タルト、美味しいよ」
「私も、このお菓子が気に入っちゃった。また作ってよ」
「任せてください! 気に入ってもらえて良かったです。初めて出すお菓子だから気に入ってもらえるか不安だったんですよ」
これは俺や母さんも作ったことがない菓子だ。
いつの間にか、料理や菓子作りでは自分で新たなレシピを見つけるようになっていたのか。
こういう自発性はタルトにない物だと思っていたが、見えないところで成長していたようだ。
ディアが、お菓子のお礼だと言ってお茶を淹れる。
調理器具なんてないが、ディアが土魔術で器を生み出して、ポシェットから茶葉を取り出し、俺が水を生み出し、火で温める。
魔術というのは、こういう使い方もある。
各家の威信をかけた入学試験だというのに、甘い卵蒸しケーキと美味しいお茶でまったりとした時間が流れていた。
これなら、実技試験を万全の体調で迎えられそうだ。
しかし、そんな平穏を壊す者が現れる。
「やあ、トウアハーデの皆さん。僕も茶会に混ぜてもらえないかな」
そんな俺たちのところに、鮮やかな金髪の美少年がやってきた。
そう、白馬に乗って現れウインクを送ってきた男。ゲフィス公爵家の長男だ。
……正直、貴重な休憩時間に疲れたくはない。
ただ、トウアハーデは男爵であり、目の前にいる彼は公爵だ。
断れるはずはない。
「ええ、どうぞ」
「悪いね。僕の名前は知っているだろうけど、一応自己紹介をしておこうか。ノイシュ・ゲフィス」
「私はルーグ・トウアハーデです」
「ははは、敬語なんていい。この学園内では、実力がすべてで家柄なんて関係ない。王家がそう言っているのだからね。王家に忠誠を誓う我々は従うべきだ」
まさか、公爵家の者がその建前を言うとは思わなかった。
だが、ここで敬語を使い続ければ不評を買うのは間違いない。
「では、お言葉に甘えよう」
「そうしてくれ。僕もそっちのほうが気が楽だ。そこの君、お菓子をもらっていいかな?」
「はっ、はい。でも公爵家の方が食べるようなお菓子じゃ」
タルトの忠告を聞かず、手づかみで卵蒸しパンを食べる。
「この菓子はうまいな。僕の城にはこういう素朴な菓子はない。気に入った。もう一つもらうよ」
あまりにも貴族らしからぬ振る舞い。だが、ノイシュがやるとそんな様すら絵になる。
「何のために来た? まさか、菓子を食べるためじゃあるまい」
「君には挨拶をしておこうと思ってね。僕の夢のためには君が必要だから。まあ、簡単に言うとスカウトに来た。卒業までに、この学園で優秀な人材を集めて、大事を為す。そのためには他の誰よりも君がほしい。だから、真っ先に君の元へ来た」
……こいつどこまで知っている?
まだ、入学試験で実力を披露していない以上、ただの男爵家の子に声をかけるなんてありえない。もっと有名な血筋がこの場にはごろごろしているのだから。
裏の顔を知っているのならわかるが、トウアハーデの裏の顔は、王家、そしてとある公爵家だけしか知らない秘密だ。
「なぜ、俺を」
「この場にいる誰より優秀だからだ」
「少なくとも、勇者のほうが俺より強い」
「ただ、強いだけの馬鹿も、それなりに使い道はあるけど、総合的に考えると君が一番欲しい。まあ、今日は挨拶だけにしておくよ。考えておいてくれ。……僕たちで、この腐った国を変えよう。君なら、そうしないといけない理由はわかるだろう。放っておけば手遅れになる。あと、お菓子美味しかったよ。そこの君が作ったんだね。これは礼だ」
それだけ言うと、ハンカチをタルトに向かって投げて、彼は立ち去っていった。
タルトは茫然として、そのハンカチを見る。
「これ、すっごくいい物ですよね」
「最上級のシルクに、刺繍の技も使われている金糸も超一級。そうだな、売れば二か月ぐらいは遊んで暮らせるようなものだ」
「そっ、そんなのもらえません。返してきます!」
「いや、止めておけ。それは逆に失礼だ」
タルトがわたわたとしている。
この子は未だに小市民癖が抜けない。
「ねえ、ルーグ。国を変えるってどういうことなんだろうね」
「……ある程度見えている貴族なら、このままじゃアルヴァン王国はスオンゲルのようになると理解している。ノイシュもそうなんだろう。それを防ぐつもりなのか、あるいはそうなってしまうような脆弱な国ならばいっそひっくり返すつもりか。どちらにしろ、大層な野心家だ」
……たしかに騎士学園は人材を集めるには向いている。
なにせ、外野がいない状況で力ある者に接触できる。
それにしても、この国を変えるなんて言葉を真っ直ぐに言う男に会ったのは初めてだ。
白馬に乗って現れた時は、どんな勘違いお坊ちゃんかと思ったが、その中身には熱い何かがあった。
ただ、それは考えなしの無謀な夢なのか、実現のためのヴィジョンを持った計画なのかはわからない。
「タルト、ディア、向こうで試験結果が張り出されたようだ。見に行こう」
「はいっ、ルーグ様が一番だといいですね」
「そうだな。ここで点を稼いでおかないと、実技で目立たずに最上位クラスなんて無理だ」
「そういうことじゃなくて、ルーグ様のかっこいいところがみたいんです」
三人で、人だかりに向かう。
さて、試験結果はどうなっているだろう?