第三話:暗殺者は神器を手に入れる
騎士学園に通うための一通りの買い物は済ませ、俺は仕事、そしてディアとタルトには観光を楽しんでもらうために一泊して明日に備える。
イルグの家ではなく、宿を使う。
今回とった宿は商会で働いていたときに知った宿だ。
街の外から来た客をもてなすのであれば、絶対にここで間違いがないと言われており、値段はムルテウでもトップクラス。
その分、サービスは行き届き、何より食事がうまい。
ディアを楽しませるために奮発した。
食事を終えて部屋に入る。
インテリアが素晴らしい、それ以上に掃除が行き届き、シーツはパリッとしているのが好印象だ。
「さっき食べたご飯、美味しかったね! お酒も知らないのがたくさんあって興奮しちゃった。贅沢な料理は食べ慣れてると思ったけど、食べたことがないものがいっぱいでわくわくしたよ!」
「ムルテウは港町だからな。世界中から美味しいものが集まってくる。ムルテウ料理、なんてものは少ないが世界中の料理が楽しめるっていうのがこの街の面白さだな」
実際、あれほどの種類の香辛料や調味料を使って料理を提供するのはムルテウぐらいだろう。
これらはどうしても、港町でないと手に入らないものだ。
「へえ、明日の観光も楽しみになってきたよ」
「楽しみにしておいてくれ。絶対にこの街は客を退屈させない」
ディアと明日の観光プランについて盛り上がる。
いつもなら、会話に参加するタルトだが、今日は居心地が悪そうにしてた。
「……ルーグ様、使用人の私までこんな贅沢をさせてもらってよろしかったんでしょうか? それに、ちょっと落ち着かないです。その、いつもお世話しているので、こうやって何から何まで世話をしてもらうと変にそわそわしちゃいます」
今のタルトは使用人服ではなく、お洒落をしている。この宿に来る前に買い与えた服だ。
トウアハーデの使用人服も可愛いが、たまにはめいっぱいお洒落をしたタルトが見たいと、ディアと二人で似合いそうな服を見繕った。
美少女のタルトが、お嬢様然とした格好をしていたこともあり、街中では多くの男を振り向かせていた。
「たまにはタルトも羽を伸ばさないとな。毎日使用人の仕事を続けていれば息が詰まるだろう」
「私がルーグ様のお世話で疲れることなんてありえません!」
「そう言ってくれるのはうれしいが、タルトには自分のための時間だって必要だと思う。……それに、タルトと一緒に食事できる機会なんてそうそうないしな。やっぱり、一緒に食べたほうが食事は楽しい」
「私と一緒にご飯を食べるのが楽しいんですか……うれしい。……そっ、その今日はルーグ様の優しさに甘えちゃいますね」
タルトは、頑張りすぎで心配になる。
こうやってたまには無理にでも休ませないと。
「二人を見てると妬けちゃうね。こう、すっごく一緒にいるのが自然って感じがする」
「そ、その、私とルーグ様は付き合いが長いので」
タルトが照れている。
相変わらず、この子はこういうからかいには弱い。
そのせいか、雑談の合間に食べているお菓子で口元を汚してしまっており、それに気付いてない。
今、この場で彼女の口を拭いてやるとどんな反応をするだろうか?
ちょっとしたいたずら心が湧いてきたのを自覚しつつ、俺はナプキンを手に取った。
◇
翌朝、二人に改めて別行動になることを告げて出発した。
途中で変装をしている。
髪を黒く染めて、眼鏡をかけるイルグ・バロールとしての姿だ。
イルグになってから街を歩くと、途端に次々と声をかけられるようになった。知り合いと話すのは楽しいが、おかげで予定より若干遅れがでた。
目的地であるバロール商会の化粧品ブランド、オルナの本店にやってくる。
本店は一階が店になっており、二階には倉庫と事務所があった。
裏から入り、警備のものに挨拶して中に入る。
階段を上り、マーハがいるであろう執務室をノックした。
「入っていいわ」
マーハの返事が聞こえてから中に踏み込む。
「ただいま、マーハ」
「お帰りなさいイルグ兄さん。イルグ兄さんと会える日を首を長くして待っていたわ」
俺を笑顔で出迎えるのは、かつて俺が拾い育てた孤児であり、イルグ・バロール不在時には化粧ブランド、オルナを取り仕切る才女であるマーハ。
ピシッとしたパンツルックで、理知的な彼女の魅力をより際立たせていた。
タルトと同じく十四歳でありながら、彼女の佇まいには隙がない。商人として実戦を積んできたからだろう。
「相変わらず、マーハは綺麗だ」
タルトは可愛い、マーハは綺麗。昔から思っていたことだが、最近はよりその傾向が強くなっている。
「綺麗と言ってもらえてうれしいわ。イルグ兄さん、その綺麗な女をものにしたくならないかしら? 私はいつでも手を出してもらって構わないわ」
「考えておく」
苦笑しつつ、部屋の中央にあるソファに腰掛ける。タルトと違って、マーハはいつもストレートにこういうことを言う。
マーハがお茶を淹れてから、俺の隣にやってくる。
嗅いだことない匂いだ。好奇心に従い口に含む。
「面白い茶葉だ」
「新しく海路が開拓された南のほうから仕入れたのよ。甘味と渋みのバランスがいいし、飲むとリラックスできるの。気に入ったのなら、トウアハーデにも送るわ」
「それはいいな。頼む。最近、トウアハーデのほうでもいろいろと気をもむ案件が多くてな。こういう茶はありがたい」
異国の茶葉は貴重な品だ。自分で楽しむのもいいが、来客をもてなすのにも使える。
マーハと近況報告を兼ねて雑談をしながら茶を楽しむ。
「例のものが手に入ったと聞いてやってきたが、さっそく実物を見せてもらえないか?」
「せっかちね。もう少し会話を楽しんでいたかったのに。ちょっと待っていてね」
マーハは金庫に向かい、中からそれを取り出した。
古びた布に包まれており、それが特別であることを示すように魔力を感じる。
マーハが包みを解くと、赤と青で染め上げられた革袋があった。サイズ的には腰に吊り下げるとちょうどいいぐらいだ。
「これが神器か」
「ええ、【鶴革の袋】と呼ばれているわ。神器と言われているけど、あまり使い道がなかったみたいで、お金を積むだけで手に入ったわ」
これはどうみても武器には見えない。
神器には、武器の他にさまざまな道具もあり、これもその一つ。
「使い道がない? 事前に説明を聞いた限りではこれ以上ないほど素晴らしいものに思えたが?」
「たしかに機能を見るだけなら最高よ」
そう言いながら、マーハがその袋の中に茶道具をすべて片づけてしまった。
ティーポット、茶葉の入った筒、カップ、茶菓子が入った籠、シュガーポット、ミルクピッチャー。
それだけでは飽き足らず、部厚い資料の束や、挙句の果てには椅子まで。
「魔力を注ぐことで、いくらでも容量が増えて好きなだけ収納できる魔法の袋。それに、これだけいろんなものをいれても重さは変らない。流通面では反則と言えるわね」
「そうだな。世界中の商人たちがどんな対価を払ってでも手に入れたくなる品だ」
「……機能的にはね。でも、致命的な欠点があるの。イルグ兄さん、冷静に考えてみて。それだけのものを私がオルナの経営に影響を与えない範囲の金額で購入できると思う?」
首を振る。
オルナの代表代理という肩書きは大きく、マーハが運用できる金額は膨大。
それでも足りない。
「思わないな。例えばバロールなら、こちらの予算上限の三倍払ったとしても、二年で元を取れると考える。バロールクラスの商会と争奪戦になれば勝ち目がない」
「その通りよ。これの致命的な欠点はね。かなりの魔力を注ぎ続けないと、たいした容量が入るわけじゃないし、魔力の供給を止めた瞬間、こうなっちゃうこと」
一瞬にして、袋の中身すべてがぶちまけられる。
「……なるほど、これじゃ使い物にならないわけだ。魔力持ちじゃないと使えない上に、絶えず魔力を注ぎ続けるのはしんどい。貸してみてもらっていいか?」
「ええ、どうぞ」
鶴革の袋に魔力を込めてみる。
なんとなく、魔力を込めたことでどれだけ容量が膨らんだかがわかる。
一般的な魔力持ち一人が放てるであろう全力魔力放出量でようやく馬車一台分というところだろう。
全力で魔力放出なんてすれば三十分も持たない。魔力が底を突くというより、疲労感に耐えられない。
一般的な魔力持ちがこれをまともに運用しようとすれば、せいぜいリュック一つ分ぐらいというわけか。
なら、普通にリュックを背負ったほうがいい。
「よくわかった。一応使い道がないこともないが便利とは言えない」
「そうね。暗殺者としては嵩張らずに武器を持ち込んだりできるし、泥棒とかあたりなら重用できるとは思うわ」
「だが、俺ならこれを運用できる。ありがたく使わせてもらおう」
常人の千倍以上の魔力容量を持っている俺にとって、この程度の負担はまったくもって問題ない。
ただ、魔力放出量自体は未だに常人の八倍程度までしか伸びてないから、一人分の魔力を注ぎ続けるのは厳しい。
そもそも、一瞬でも途切れれば中身がぶちまけられるというのがひどく怖い。睡眠時にも魔力を放出する訓練はしているが、それでも一瞬の途切れぐらいは起こりえる。
いや、待て。
この魔法の袋、誰のどんな魔力であろうと利用できている。
それなら、あれが使えるかもしれない。
ポシェットの中からファール石を取り出す。
常に武器として持ち歩いている三百人分の魔力を込めた宝石だ。
戦場では、これを暴発させて爆弾のように使うが、緩やかにため込んだ魔力を放出させるという使い方もできる。
手に取ったファール石に魔力を注ぎ、魔力を放出し続けるようにして、鶴革の袋に入れた。
「やっぱりな。これなら、俺の魔力放出量を圧迫しない」
読み通り、鶴革の袋は緩やかにファール石から放出される魔力を吸収して容量を増やしてくれていた。
「これ、どれぐらいの容量が入るのかしら?」
「ぱっと見た限り、馬車の半分ぐらいだ。これが一番ファール石を長持ちさせられる出力。一つのファール石で二、三週間は持つ」
……俺は魔力容量と瞬間魔力放出量を上げるために常に魔力を放出していた。
その魔力を無駄にするのはもったいないので、ファール石を生み出し、さらにそこに魔力を充填し続けている。
おかげで、倉庫の中にはファール石が詰まった鞄がごろごろと転がっている。
もちろん、そのすべてに魔力が最大まで充填されている。
「すごいわね。ファール石とセットでオルナに預ける気はないかしら?」
「そうすれば、儲けは増えるだろうが却下だ。神器を徹底的に調べてみたい。神器共通の何かを見つければ、他の神器対策、あるいは神器を生成することにつながるかもしれない……それに、純粋にこいつは便利だからな。有効活用する」
馬車の半分ほどの積載量かつ、入れたものの重量を感じない。
ただの便利道具としてでなく、武器としても十分に使えるだろう。
少々、ひねくれた使い方をすれば対勇者用切札の一枚にすら数えられそうだ。
「ありがとう。マーハ、本当にいいものを手に入れてくれた」
「感謝の言葉だけかしら?」
「なにか、望みはあるのか?」
「そうね、キスをしてほしいわ」
微笑しながら俺の顔を覗き込んでくる。
マーハはいつものように俺をからかっているのだろう。
「ふふ、もし駄目なら、そうね」
「ああ、わかった」
「えっ、ええええええ!」
断られると思っていたマーハが狼狽する。
そんなマーハを抱き寄せて……頬にキスをした。
マーハが真っ赤になって硬直した。
いつものクールな姿はそこにはなかった。
「これでいいか」
俺の問いにもなかなか返事がない。
「……どうしよう」
マーハが自分の手元を見てようやく言葉をひねり出す。
「……どうしよう、うれしすぎて、恥ずかしすぎて、今日一日、仕事が手につきそうにないわ」
そんな彼女が可愛くて。
思わず、もう一度頬にキスをしてしまった。
「ふぁう」
マーハは変な鳴き声をあげてから、完全にフリーズしている。
面白いから、正気に戻るまで見ていよう。
いつもからかわれているんだ。たまにはこちらから仕掛けるのも悪くないだろう。