世界最高の暗殺者、異世界貴族に転生する

第一章：暗殺者は生まれ変わる

第二話：暗殺者は家訓を暗殺貴族の流儀を知る

　誰かが私の体を拭き、柔らかい布で全身を包んだ。

　……そう言えば、女神が生まれ変わるのであれば、今の口調は堅苦しく適さないと言っていた。

　であるなら、私と言う一人称から変えるべきであろう。

　よし、私は俺になろう。思考から変えていくことにする。

　体を動かそうとするが、思ったように力が入らない。

　目をあけるとひどく視界がぼやけた。

　だんだんとピントがあってくる。

　視界に映ったのは銀色の髪をした綺麗な女性であり、彼女に抱かれている。

　転生したのだから、この身は赤子だろう。

　さきほどから、早く泣かせないとまずいと、女性が背中をはげしく叩いていた。

　むずむずする。その衝動に任せるままに俺は激しく泣き出した。

　そんな俺を女性が抱きしめる。

「私の可愛い、ルーグ」

　ふむ、俺の名前はルーグというらしい。

　首も座っていないので周囲を見渡すこともできないが、母らしき人物の健康状態や布、視界に映る範囲での調度品の数々から裕福な家に生まれたと推測できる。

　言葉が理解できるのは、女神に与えられた常識のおかげか？

　タイミングよく、女神の声が頭に響く。

『状況確認のために、今日だけの特別サービスですよ。ちゃんと言葉は覚えてね』

　女神はケチなようだ。

　足音が聞こえる。

　数人が部屋に入って来る。

「無事に生まれたのか、エスリ」

「ええ、キアン。元気な男の子です……ねえ、キアン、この子もトウアハーデにしてしまうの？」

「そのつもりだ。この国にはトウアハーデが必要だ。暗殺でしか取り除けない病巣がある」

「……私は嫌です。この子まで、ルフのように失うのが怖い」

「そうならないように強く育てる。同じ過ちは繰り返さない。私とて、我が子を二度も失いたくない」

　厳しく、容赦ない声音。

　だけど、その言葉の裏には微かなぬくもりがあった。

　状況を推測するに、ルフというのは俺の兄か姉であり、トウアハーデの稼業で命を落としている。

　危険な稼業をやっている家に生まれたというのは悪いことばかりじゃない。

　前世の暗殺者としての技術や知識というのは、人間の枠内の身体能力で魔力をもたない相手を殺すためのものでしかない。

　だが、暗殺貴族トウアハーデにそんな相手を殺すためのノウハウがあるはずで、それは俺がもっとも欲するもの。

　加えて、貴族であれば裕福で鍛錬に必要な環境と時間が確保しやすい。

「キアンに従います。だけど、この子まで失うことになれば、もう私はこの家には……」

「約束する。ルーグは死なせない」

　母は俺を抱いたまま、目の前で父とキスをした。

　それが終わると、今度は二人が俺の頬にキスをする。

　……暗殺貴族とやらに生まれると聞いた時、両親の愛なんてものは期待していなかったが、まさかこんなにもまともな親とは。

　物心ついたときから、組織で育てられた俺にとって、愛情というのは駆け引きの道具に使うための演目でしかなかった。

　だけど、なぜか両親が互いに、そして俺に向ける愛は、どこかくすぐったく……尊い本物の愛だと、そう思えてしまった。

　ここでなら、俺は愛というものを学べるかもしれない。

　それは暗殺には必要ない。だけど、ただの道具ではなく人として生きるには必要なものだ。

　◇

　転生してからすでに五年が経っていた。

　幼児の体では、言語と文字の習得に手間取ってしまい、まともに学べるようになるまで二年もかかってしまった。

　それでも、普通の子供と比べれば早すぎる。

　おかげで両親も使用人も神童だと騒いでいる。最初は気味悪がられないように成長速度を抑えようとしたが、どれだけ早熟でも無邪気に周りが喜ぶので、もう自重することを辞めている。

　ただ、話し方や仕草といったものだけは子供らしくしていた。

　両親が望む理想の子供を演じることで、快適な環境を維持するためでもあり……驚いたことに、俺は両親のことを好きになっていたからだ。

　五歳になり、できることが増えてきた。

【超回復】の恩恵が大きい。

　幼い体はひどく疲れやすいが、疲労した端から回復できるため活動時間が長く、筋肉の再生も早く鍛錬した結果のフィードバックが早い、同年代の子供とは比べ物にならないだけの力がある。

　今は書斎に入っていた。

　貴族の中でもとくに多くの記録を残し、さらに世界中から書物を集めるトウアハーデの書斎には、魅力的な情報が多い。

「トウアハーデ、想像以上に闇が深い」

　暗殺貴族と呼ばれるトウアハーデ家は大陸における四大国家の一つ、アルヴァン王国の男爵家だ。

　男爵は貴族の中では下から数えたほうが早い身分であり、さほど広い領地を持っているわけではない。

　だが、トウアハーデは裕福な家だ。

　領地からの税以外に多額の収入がある。

　表ではアルヴァン王国一の医術の名家であり、王族や大貴族からの依頼で国中を飛び回り、優れた技術で治療を行うことで多額の報酬を得ているし、恩も売っている。

　そして、裏では王族ととある公爵家からの依頼でのみ動く暗殺稼業を行い、こちらでも報酬を得ている。

　国の不利益になる要素を暗殺という手段で取り除く。

　トウアハーデの暗殺業は、この国のためだけに使う。

　トウアハーデは、生と死。両方を支配することで男爵家でありながら、強い発言権と財産を持っていた。

「……我が家ながら、先祖代々優秀だ。使い潰されず、七代も暗殺家業を続けられるのだから」

　前世で、あっさりと使い潰された俺とは違い、トウアハーデは少なくとも七代続けて暗殺業を続けている。

　それは、トウアハーデの裏が公になればそれだけでこの国がひっくり返るほどの秘密を抱えていることを意味する。

　いつ、秘密を守るために国から切り捨てられてもおかしくない。対策は必要だろう。

「さて、今日はこんなものか」

　本を閉じると、扉をノックする音が聞こえる。

「ルーグ様、旦那様がお呼びです」

　もう、そんな時間か。

　トウアハーデでは幼児期から脳を活性化させるための教育、定期的な身体能力の把握とそれに応じた強度の運動、魔力を使う練習に加え、極めて合理的な教育をしていた。

　だが、五歳になると本格的な訓練が始まり一気にハードルが上がったのだ。今日も父の技を盗もう。父から得るものは多い。

　◇

　今日は地下にある施設を使うようだ。ここに入ることは禁じられていた。

「ルーグ、これから我らトウアハーデの優れた医療技術と、暗殺技術の秘密を明かす。その前に、トウアハーデの家訓を答えてみよ」

「トウアハーデの技は、アルヴァン王国の繁栄のためだけに」

「では、トウアハーデの医術はなぜ国のためとなる」

「優れた者の命を繋ぐためです」

「その通りだ。我らは何かを生み出すことはできない。だが、優れた者の命を繋げば、救われた者がこの国をよりよくする。では、トウアハーデの暗殺術はなんのために？」

「国の病を排除するため、病となる者を早期に切除することで被害を抑える」

　なんども父から聞かされたトウアハーデの信念を淀みなく答える。

　国にとって有益な者を生かし、国にとって害になる者を殺す。

　生死を操りこの国を繁栄させる。

「その通りだ。もし、欲に狂った貴族が反乱を起こす事態になれば、たとえ鎮圧できたとしても大きな爪跡を残す。この国の民同士の殺し合いになるからだ。だが、我らなら未然に防げる。……法で裁けない、ずる賢い狸であろうが暗殺からは逃れられない」

　トウアハーデの刃は、主に自国の貴族に向けられる。

　この国は、貴族の権力が強い。

　貴族たちはその権力で、法の裁きを逃れ、自己保身に長けており王族とて好きに手出しができない。

　……そんな彼らも、トウアハーデの刃からは逃れられない。物理的に殺してしまえば、権力など関係ない。

　それを為すために必要な力をこれから学ぶ。

「ルーグ、どんな武術も突き詰めていくと、必ず医術の真似ごとを始めることを知っているか？」

「そうでしょうね。人を効率よく壊すには、人の体を知らないといけません」

　結局武術とは人体の構造を理解することで的確に動かし、人体の脆弱性をつくことで効率よく人を壊す方法に過ぎない。

「私からすれば、武術家どもの技など児戯に過ぎない。人体をあまりにも知らなすぎる。だが、トウアハーデは違う。真に人体を理解しているからこそ、誰よりもうまく人を殺せるのだ。世界で一番、人を効率よく殺せるのは医者だ」

　地下を進んでいく。

　そこには巨大な牢があり、捕えられている人々がいた。

　ときおり、街から馬車で何かが運ばれてきているとは知っていたが、その何かがこれか。

「彼らは我が領、そして他領から集められた死刑囚だ。……我らトウアハーデの教材でもある」

「なるほど、殺しても構わない人間。これほど、便利な教材はありませんね。医術のサンプルにも、殺しの練習にも使えます」

　俺の中で、トウアハーデの評価が一つあがる。

　医術が発展し、暗殺者として力を増すわけだ。

　実際に、ばらして、直して、壊して、殺すほど、人の治し方と壊し方を学ぶのに効率的な方法はない。

　前世の世界の医者どもが聞けば、心底羨ましがるだろう。

　新薬や、新たな手術を人間で試したいのに、それはできずモルモットで代替するしかない。

　もし、地球の医者たちが殺してもいい人間を好きなだけ教材にできていれば、医術は数百年先に進んでいた。

「……ルーグは驚かないのだな。私が五歳の時にここへ連れてこられた時は恐怖を感じ、人道的な観点から父を批判した」

「抵抗はありますが、論理的に考えれば納得できます」　

「やはり才能がある。五歳にして、それだけの知性と論理的な思考。将来が楽しみだ。記念すべき、地下での初めての授業だが、今日は殺しの授業だ。五人ほど殺してもらおう。ナイフを渡す。手段は任せるから好きに殺すといい。相手は筋弛緩剤を飲んでいて抵抗できない。今日、最後の問いだ。この殺人に何の意味があるのかを考えなさい」

　動けない相手をただ殺す。

　座学で殺し方を学んでいる以上、五歳児でもナイフを使えばできることだ。

　効率のいい殺し方を実践しながら覚えられるだろうが、それだけでは弱い。

「殺しになれるためでしょうか？　本番で殺しをためらわないために練習でたくさん殺しておく」

「正解だ。人というのは、人を殺すのにひどく抵抗を覚える。その抵抗の強さは、戦場にでた兵士が命のやり取りをしている敵国の兵士にとどめを刺すのをためらうほど。軍部の知り合いに聞いた話では、初陣からためらいなく人を殺せる者は三人に一人。……ためらいが原因で命を落とす者も多い」

「理解しました。僕は本番で躊躇わないよう、今から殺しなれておきます」

　さっそく、父が案内してくれた部屋で動けなくなっている死刑囚に近づく。

　あまり、効率よく殺し過ぎると父に怪しまれる。

　教わった方法しか使わず、ほんのわずかな躊躇いで手元が狂ったようにして殺すとしよう。

「殺す前に質問があります」

「許そう」

「なぜ、人を殺すことを躊躇うように僕を育てたんですか？　お母様が読み聞かせてくれた絵本では命は尊いと語っていました。父さんにも隣人愛を教えられました。……それは殺しの邪魔になる感情です」

　前世で、組織はそう子供を育てた。人の命など無価値だと。だからこそ、俺は今まで人を殺すことをためらったことがないし、罪悪感を覚えたこともない。

　しかし、トウアハーデは情操教育に力を入れていたのだ。

　すこやかで健全な心を育もうとしていた。

　それは、前世の俺が持っていなかったもので、この世界で得られたもの。

　おかげで、俺は幸せというものを少しずつ理解し始めている。

　だが、それは自分の中の刃を鈍らせているようにも感じていた。　

「普通の人間の価値観を持っていなければ、他人の心を深く読めなくなる。人間らしさは暗殺に必要な武器だ。そして、我々は道具ではなく人間なのだ。命じられたまま殺すのではなく、国のためになると判断し、納得した上で殺す。それを忘れてはならない。心を持ったままで、為すべきことを為す暗殺者として私はお前を育てている」

「今は半分わかって、半分わかりません。……だから、考え続けます」

　心を鈍らせる温かさを持ったまま強くなる。

　この変化はきっと喜ばしいものだろう。

　俺は一度目と違い、道具ではなく人として生きるのだから。

　では、やることをやろう。

　人を殺すことに、躊躇するのも罪悪感があるのも初めてだ。

　だが、逃げはしない。

　これはルーグ・トウアハーデとして生きていくために必要な儀式だから。