第一話:暗殺者は新生活を告げられる
タルトが配膳を終えて、いつものように俺の後ろに控える。
俺としては一緒に食事をしたいが、他の使用人に示しがつかないこともあり、トウアハーデではこうする必要があった。
朝食のメインは、干し魚のスープ。
領地内に湖があり、領民たちは農業の傍ら、手が空けば川魚を獲り、保存用に干物にして売ることで小遣いを稼ぐ。
干物にすると味が一層深まってくれるのでスープにするならこちらのほうが好きだ。
タルトが用意した干し魚のスープは俺の好物の一つ。
「ルーグ、見たことがない魚だね。なんていう魚なの?」
「ルナンマスだ。美味しいし、大型で食べ応えがあるから、トウアハーデだとよく食べられる」
「へえ、いい匂いがするね」
ディアが大きな切り身が入っているスープを見て、感心していた。
ルナンマスは五十センチほどまでに成長するので、家族の一食分を賄えるのも愛される理由だ。
「さっそく食べよう。料理は口で説明するより、食べるほうがずっとわかりやすい」
「そうだね。食べるのが楽しみ」
タルトが作ってくれた食事を味わうとしよう。
◇
朝食が始まる。
干しマスのスープは想像通り絶品だ。
とてもいい出汁が出てる。
それを干しキノコと出汁と合わせることで旨味は何倍にもなる。隠し味にわずかにレモン汁を入れて味を引き締めるのがトウアハーデ流だ。
大きな切り身と根菜がごろごろして食べ応えがある。
これはもともと母の得意料理で、母がタルトに伝授した。
スープを楽しみながら、朝に絞ったばかりの山羊乳で作った出来立てバターを塗ってパンを食べる。
鮮度のいいバターは普通のバターとは次元が違う旨さだ。初めて、搾りたてのミルクを使った作り立てのバターを食べたときには感動すら覚えた。
そしてパンそのものもうまい。
このパンの秘密は大豆粉を混ぜていること。
化粧品の材料であるレシチンを作るために大豆を絞って脂を手に入れているので大豆の搾りかすが大量に余る。
それを捨てるのはもったいないので、家畜の餌にしたり、肥料にしたり、最近では粉にして小麦と混ぜてパンにする。
こうすると、パンに大豆の旨みが含まれるし、かりっとした焼き上がりになる。しかも小麦を節約できて家計が助かる。
これは俺が領民たちに広めて、流行し始めている。
喉を潤すのは、今が旬のリンゴを使ったジュース。
干しマスも、山羊乳バターも大豆入りパンもリンゴもけっして豪華な食材とは言えないが、どれもトウアハーデの恵みであり、その素材の味を活かす調理をすることで輝く。
都会の贅沢な料理も好きだが、俺の口にはトウアハーデの料理のほうが合う。
「美味しい、相変わらずトウアハーデのご飯は、素朴で美味しいね」
「トウアハーデはそういう領地だ。だからこそ、俺は好きなんだ」
大地と共に生きる。
とびぬけて裕福というわけじゃないが、豊かな場所だと俺は思う。
料理がなくなるころ、父が口を開く。
「これからのことを話すとしよう。ディアがディア・ヴィコーネとして生きていくのは難しい」
「うん、それはわかるよ。反逆を起こして逃亡した身だからね」
「だからこそ、こちらで新たな名と戸籍を用意した。クローディア・トウアハーデ。ルーグの妹として、生きてもらう」
ディアの表情が固まる。
「えっと、私は十六歳だよ。ルーグより、二歳と半年お姉ちゃんなのに妹なんて」
「それは理解している。だが、こちらで用意できる戸籍がそれしかない。今からでも新たに用意できなくもないが……即興で作ったものは調べられると必ずボロがでる。その点、クローディアの戸籍の仕込みは十四年前に行われたもので、ボロはでない」
この戸籍をなんのために作っていたかは、いくつかのパターンが想像できる。
一番可能性が高いのは、俺が死んだときに、代わりに後継者として据えるべき候補がいて、そいつのために用意していた戸籍ということ。
分家に一人、突出した才能を持つ女性がいる。俺には劣るが彼女であれば、トウアハーデを継ぐに足る。
……俺の死を前提にした準備は気分良くはないが、そういった抜け目なさはトウアハーデらしいと言える。
「でも、私が十四才なんて言ったら変じゃないかな? 疑われない」
不安そうに呟くディアの肩を母が叩く。
「大丈夫です。背が低いし、童顔だし、胸だって小っちゃいし、なんなら十二歳でも余裕ですよ!」
「……その言い方、地味に傷つくんだけど。というか四十超えてるのに、十代で通りそうな人に言われたくないから!」
「そういう家系ですからね。でも、悪いことばかりじゃないですよ。この年になると、周りの友達みんな、肌とか、健康とかで大変ですけど、私たちは楽ですよ」
異様な若作りの母がいると説得力がある。
……実際、母は周囲の奥様仲間に嫉妬されている。もしかしたら、ディアも子供を産もうが四十になろうが今と大して変わらないかもしれない。
ヴィコーネの血は、ある意味魔術以上にすごい。
「私はちゃんと成長するから! 去年より背も胸もちょっと大きくなったし!」
「ふふふ、期待しないほうがいいですよ。私もそうでしたから……」
経験者の余裕で母は語る。きっと、母なりの苦労があったのだろう。
「ごほんっ、話を続けていいかな?」
父が咳払いで注意を再び自分に向けさせた。
……ちなみに、母が異様な若作りで父も苦労していたりする。
父も母もパーティの類はなるべく避けているのだが、それでもどうしても出ないといけないパーティはあり、そういうときには若すぎる母を連れて奇異の眼で見られている。
陰口でロリコンなんて言われたり。まあ、若くて綺麗な母と共にいるのだから、それぐらいは許容範囲内なのだろう。
「私がディアを十四にしたのはもう一つ理由があるのだ。このアルヴァン王国では、十四の夏から十六の夏まで、魔力持ちは王立の騎士学園に通うことになっている。貴族は強制参加であり、一般人は魔力持ちの希望者が入学する」
「アルヴァン王国の王立騎士学園。話は聞いたことがあるよ」
ある程度有名なので、スオンゲル王国のディアもその名を知っていたようだ。
「うむ、知っての通り、軍事力というのはいかに多くの魔力持ちを揃えるかにかかっている。……だが、ただ魔力を持っているというだけでは役に立たない。すべての魔力持ちを鍛えて、有事の際に戦力として数えられるようにすることが表向きの目的だ」
魔力持ちは強い。
魔力を纏うだけで、一般兵の剣や矢を弾いてしまい生半可な攻撃は通じず、素手で簡単に一般兵の首をへし折るし、剣を振るえば鎧ごと真っ二つにできる。
だが、それでも訓練をしていない素人ではその力を満足に振るえない。
だからこそ、すべての魔力持ちを二年かけて訓練する。
常備軍の規模が小さく、有事の際にはほとんどの戦力を国中から徴収するアルヴァン王国にとって、魔力持ちを鍛えて使える状態にしておくことには大きな意味がある。
「表向きの理由ってことは裏向きの理由があるんだよね?」
「うむ、貴族たちはアルヴァン王国に仕えているのではなく、自らの領地における王だと思っている節がある。そうなるのは、自らの領地という狭い世界しか知らず、親からそう教育を受けているからだ。だからこそ、この国中の貴族子女を集め、同年代の貴族たちと出会うことで世界を広げ、同時にこの国に尽くすべきだという理念を教育で与える。五年前から始めたことだが、すでに効果が出始めている。少なくとも新たな世代は、古い貴族たちより様々な視点で物事を考えられるようになった」
五年前から出来た、この制度はむしろ後者をメインに作られたのだろう。
貴族たちが好き勝手するのは、それが当然だと思う環境で育ってきたから。
その根本を変えなければどうにもならない。
今の王族はあまり信用できないが、この施策は素晴らしい。
「なるほど、だから貴族は強制で、一般市民は希望者だけなんだね。そして、私が十四でないとダメなのは、十六だと強制のはずだった学園を無視したことになっちゃうから」
「ご名答。十四であれば、今年の入学に間に合う。来月からルーグと二人で学んでくるといい」
そして、この場で父は言わなかったが、俺と同い年の勇者が現れた。
必ず、彼は学園に現れる。
学友としてなら楽に勇者へと近づける。
……二年間、勇者の力を分析し放題。友となり近づけばいくらでも不意をつけるようになる。
はっきり言って、今更学園などに行き、得るものはないだろうが、勇者殺しのためなら付き合ってやってもいい。
「わかったよ。私はルーグの妹になる。でも、ちょっとだけ残念……いつか、ルーグのお嫁さんになりたいって思ってたから」
ディアが悲し気に微笑みかけてくる。
父が首を傾げる。
「それなんだが、どうして兄妹になると結婚を諦めないといけないんだ?」
「えっ、何言ってるの? 兄妹だよ。結婚なんてできるわけないじゃん」
「ディアこそ何を言っているんですか? アルヴァン王国では普通ですよ?」
母も同じように首を傾げていた。
仕方ない、俺が補足しよう。
「ディア、アルヴァン王国では魔力持ちを作りだすのが最優先なんだ……ぶっちゃけた話をすると、魔力持ちってほぼほぼ貴族かその分家しかいない。で、他家の貴族を迎え入れるのはそれなりにハードルが高い。それができない貴族もいる。その場合、一般人から生まれた魔力持ちと結ばれるって場合もあるけど、そうそううまくいかない」
「まさか、それでもだめなら、兄妹でってこと!?」
「……まあな。他にも、身分の低く金に困っている貴族に謝礼を支払って招き、婚姻はしないが子供が出来たら帰ってもらうなんてパターンも多い」
ディアの顔が真っ赤になったり、青ざめていたり大変なことになってる。
まあ、俺もぶっ飛んでいると思う。
貴族たちにとって、次代の魔力持ちを作ることが何よりの義務だ。
だからこそ、必要であれば兄妹だろうが……ときには親子だろうが子供を作るし、それすらできないとあらば金に困った貴族を雇って子供だけ作ってもらう。
こうでもしないと、魔力持ちの家系を維持するなんてできないのだ。
こんなことをしていると血が濃すぎて問題が起きそうだが、魔力持ちは生まれながらに疾患を持つことがまずないので問題になっていない。
「ううう、嬉しいけど、なんか複雑な気分だよ」
「俺たちの場合は、血が繋がってないからいいんじゃないか。あと気にするのは他人の眼だが、この国じゃ気にするものなんていないし。そもそも、一々兄妹だってことを結婚してから言う必要もない」
結局、そこに行きつく。
むしろ、俺としてはそういう理由でディアに避けられるほうが辛い。
「わかった! じゃあ、私も気にしない」
かなり、投げやり感がある。だけど、納得してくれたなら何よりだ。
父が満足げに頷く。
「ではこれで、ディアはルーグの妹、そして私の娘となった。私のことはパパと呼ぶといい」
「じゃあ、私のことはお母さまって呼んでくださいね!」
「いや、それはちょっとハードルが高いよ」
こうして、ディアが妹になった。
「暗殺技術についても、トウアハーデの直系なら教えてもいい。ルーグ、教えてやりなさい。私が教えてもいいが、来月には騎士学校に行く、一か月で放り出すのは心許ない。ルーグなら向こうでも教えられるだろう」
「かしこまりました。責任をもってディアに暗殺術を叩き込みます」
ただでさえ、恋人で守らないといけない存在なのに妹ともなればさらに気が抜けない。
……学園ということは、猿のような性欲をもった若雄どもが集まる場所だ。
ディアを魔の手から守らないといけないだろう。
いや、それだけでは不十分だ。ディアに己の身を守る力を身に付けさせよう。
これから、一か月後には学園に向かう。
いろいろと買い揃えていかないといけないものがあった。
今度、”三人”でムルテウに向かい、買い物をしよう。
あそこなら、全部揃うだろうし、それにイルグとして向こうへ行かなければならない用事もある。