プロローグ:暗殺者は新たな家族を迎える
朝が来た。
目を覚ます。時計を見るといつもの時間だった。
体内時計は正確に機能している。
左腕に温かい感触があり、そちらを向く。
「ルーグさまぁ、そんな、らめれすよぅ」
寝言を言いながら十四歳で出るところが出た金髪美少女……タルトが抱きついてきている。
タルトは幼くして家族に不要だと言われて山に捨てられた。
そのことがトラウマになっており、時折不安定になってしまう。だから、彼女が寂しさに耐えきれない時は、こうして一緒に眠ることにしていた。
人の体温というのは安らぎを与える力があるのだ。
……一度、タルトとマーハが一緒に寝ている時に夢精をするという最悪の醜態をやらかしたが、二人は俺を軽蔑しないでくれたし、あれ以降は定期的に処置をしており、問題は起こっていない。
暗殺者にとって重要なのは学習能力。同じ過ちを繰り返したりはしない。
ただ、それでもここまでくっつかれると厳しいものがある。
「いったい、どんな夢を見ているんだか?」
タルトの幸せそうな寝顔を見てると、こちらまで幸せな気分になる。
最近、一緒に寝る頻度が増えている。
最初は精神がより不安定になったのかと心配していたが、よくよく見ていると、ただ甘える口実にしているようだと気付いた。
本来は諫めるべきだろうが、タルトとこうするのは悪い気がしないので黙認している。
それにこの子は必死に尽くしてくれている。
これぐらいのわがままは聞いてやりたい。
「タルト、起きろ」
寝顔を見ていたい気持ちを抑えて、タルトの肩を揺する。
そろそろ起きないと、朝食の支度が間に合わなくなる。
タルトが目をうっすらと開く。
「ルーグさまぁ、らいしゅきれす」
呂律がまわらない口調で、タルトが抱き着いてくる。
タルトはネグリジェ姿で、薄い生地しか纏ってないせいか、立派に育った体を嫌でも意識してしまう。
そして、追い打ちで俺の胸板に頬ずりを始めた。
「……大好きなのはわかったが、離してくれないか」
「いいじゃないれすか。さっきまで、あんなことをしてたんですよ。夢の中でぐらい、あまえたって……いひゃい」
タルトの頬をつねると涙目になった。
「いい加減、目を覚ませ」
「あっ、あれ、もしかして、これって、夢じゃ」
「おはよう、タルト」
「あうっ、はわわわわぁ、こっ、これ、ちがっ、ちがって、ルーグ様、きゃっ」
真っ赤になって慌てて俺から離れたタルトは尻餅をつき、そのまま後ずさってベッドから落ちた。
盛大にいろいろと見せてはいけないものを見せているが、本人はそれどころじゃないようだ。
「あの、違うんです。これはその」
「わかっているさ。寝ぼけることぐらいある。それより、時計を見てみろ」
「……あっ、急がないと」
タルトが赤くした顔を青くして、俺のクローゼットを開き、使用人服を取り出した。
タルトに背中を向けると、タルトが着替え始める。
こうして一緒に眠る頻度が多いので彼女の服を何着か部屋に置いてある。
俺の部屋は水場に近い。タルトが自分の部屋に戻ってから、水場に行って身だしなみを整えるより、ここで着替えたほうがずっと早く支度が終わる。
「でっ、では行ってきます! ルーグ様、朝のこと、また後で謝らせてください!」
振り向くと、いつもの使用人服を着たタルトが頭を下げて、猛スピードで出ていった。
これから水場に向かって身だしなみを整えて、それから朝食の準備をするのだろう。
「ああいう寝ぼけ方をしたタルトは初めて見た」
タルトは割と目覚めがいいほうだ。
俺に起こされることなんて滅多にない。
きっと、昨日の無理が響いているのだろう。
限界を超えて、ディアの元へ向かう俺を援護し、その後はずっと俺たちの帰りを待ってくれていた。
今日のことをからかったり、怒るのは可哀そうだ。
……それにしても。
「やっぱり、この年齢の体は理性と本能が別の生き物になるな」
ため息を吐く。
十四歳という性欲まっさかりの体にとって、薄着で抱き着いてくるタルトの柔らかさと匂いは毒だ。
目に見える形で反応しているし、実際、そういう欲望が湧き上がるのを感じた。
……俺はあの子の師匠であり、父として接している。
朝から、こんなテントを見せてしまえば、彼女が俺に抱いている信頼など吹き飛んでしまいかねない。
もっと気をつけねば、さらなる対策が必要と言えるだろう。
◇
いつもの時間にリビングへ向かう。
席にはすでに両親、そしてディアがいた。
「おはよう。ルーグちゃん。見てみて、ディアちゃんに私のお古をあげたんです。似合っているでしょ?」
「とても可憐だ。ディアには白がよく似合う」
ディアは白い薄手のサマードレスを着ていた。
装飾は少ないが、品が良く華奢なディアにはよく似合っていた。
ディアの真っ白な肌と銀髪には白い服がぴったりだ。
「ありがと、でも、ちょっと照れるね」
「ふふふっ、やっぱりディアちゃんは私の服がぴったりですね。タルトちゃんの場合は、身長はともかく、胸が大きすぎて着せ替え人形に……ごほんっ、お洒落をさせてあげれなくて残念だったんですよね」
「いや、母さんはたまにタルトの服も縫っているよね。それも母さんの趣味が丸出しの服を」
「一から作るといろいろと試せないじゃないですか。でも、私の服が着せられるならやりたい放題です!」
母はタルトのことが気に入って、あれこれ世話を焼くし、得意の裁縫で服を仕立てたりもしていた。
……ただ、ことあるごとにタルトに向かって、『孫はまだですか?』とセクハラじみた質問は止めてほしい。
「ねえ、ルーグ。タルトって誰?」
ディアが表情を若干固くして問いかけてくる。
「俺の専属使用人で、弟子で、助手だ。優秀だし、素直で、よく頑張ってくれている。ディアを助けに行く際にも全力を尽くしてくれた。噂をすれば、本人がきたようだ」
タルトがキッチンから配膳にやってきた。
まずは、飲み物を全員に配る。今日は搾りたてのリンゴジュースか。頭を覚醒させるには最適だ。
「その子がタルトなんだ」
「ああ、そうだ。タルト、ディアに挨拶を」
「はっ、はい。ディア様、私はルーグ様の使用人で、タルトと申します。ルーグ様の助手もしてます」
「私はディア、よろしくね。それから、ありがと。私を助けるために頑張ってくれて」
「いっ、いえ。私はルーグ様の助手ですから」
「ふうん、さっきから態度を見る限りルーグのこと好きみたいだね」
「えっ、いえ、その、すごく尊敬してますし、大好きですけど、その、そういうのじゃなくて」
タルトが慌てふためいているが、ディアは落ち着いている。
「別に隠すことはないし、私に遠慮する必要もないよ。ルーグは貴族だからね。妾の一人や二人はいて当然」
貴族なので、そういうことに理解はある。
もし、妻が一人しかいない場合、後継ぎが生まれず家が断絶するリスクがある。
子供が生まれても、その子が後を継ぐまで無事な保証もない。
複数の妻を持ち、後継ぎの予備を作るのは貴族として当然の判断だと言える。
そして、複数の妻が同格であれば後継ぎ争いのリスクが生まれる。
だから、二人目、三人目の妻は本妻よりも身分が低いものというのが一般的だ。
その点、平民の出で魔力持ちというタルトはうってつけと言える。
……もっとも、俺は今のところタルトとそういう関係になるつもりはない。
タルトが俺のことを男性として意識し始めたのは知っているが、俺のほうがそうは思えない。
少なくとも理性では。
「そっ、そんな、とんでもないです。私はルーグ様の傍に居られればそれで」
「それを好きって言うんだよ。ルーグは幸せ者だね。こんな可愛い子に慕われて」
「ああ、タルトにはいつも感謝してる」
タルトが顔を真っ赤にしていた。
「そっ、その食べ物をすぐに持ってきます」
タルトが走ってキッチンに戻っていく。
すると、ディアが真剣な表情を浮かべて父を見る。
「この度は、危険を顧みず、トウアハーデの力をヴィコーネのために振るっていただき感謝します。キアン様、ルーグ様。ほとんど着の身着のまま来たせいで、謝礼として渡せるものはこれぐらいしかありません。どうか受け取ってください」
ディアが父に大きな宝石がついた指輪を渡す。
……これぐらいとディアは言ったが、それは国宝クラスの代物だ。
普通の一家であれば、三代先まで遊んで暮らせるだろうし、そもそも金で買えるようなものではない貴重なものだ。
「私はそれを受け取るわけにはいかない。ディアの母親が残した形見だろう。……謝礼はいい。もうずいぶんと前にヴィコーネ伯爵から受け取っている。加えて、実際に手を動かした息子は君との約束を守っただけだと言っているのだから」
「かしこまりました。……では、授業料として受け取っていただけませんか?」
「授業料とは?」
「私に暗殺術を教えてください。トウアハーデの暗殺技術が私には必要です。うまく魔法を使える。それだけじゃ駄目なんだって思い知らされました。だから、お願いします」
ディアが頭を下げる。
きっと、今回の件で自分の無力さを思い知らされたのだろう。
ディアはこう見えて、伯爵令嬢として一通りの戦闘訓練を受けている。それは歩き方を見ればわかる。
だけど、その先へ行くためにトウアハーデの技術を求めている。
もしかしたら、いずれヴィコーネ伯爵の力になりたいとでも考えているのかもしれない。
「トウアハーデの技を託すのは、トウアハーデの直系だけだ。……例外として道をたがえれば即座に自らの手で処刑することを条件にルーグに教えさせている者がいることはいるが。いや……いいのか、ディアは私の娘になるのだから資格はある。そのあたりのことを話すのは、朝食の後にしよう。せっかく、可愛い使用人が作ってくれたスープが冷めてしまう」
タルトがスープを注いだ皿をもってやってきた。
魚のスープで、いい匂いが漂ってくる。
たしかに、このスープが冷めてしまうのはもったいない。
「俺も賛成だ。タルトが作ってくれた料理を美味しく食べたい」
「わかったよ。じゃあ、食事のあとに改めて」
まずは食事だ。
そして、その後に父はディアが俺の妹になることと、これから何をするかを告げるはずだ。
アルヴァン王国で五年前から始まった、新たな試みを。
若い魔力持ちたちが貴族を中心に集まり、友情を育み、競い合う。
ディアを妹にするのは、あの場所に俺と共に行くためでもあるのだ。
あそこに行くのは少し面倒で、だけど楽しみでもあった。
 




