第十九話:暗殺者は暗殺する
馬車に揺られていた。
ヴェンカウル伯爵夫人はマーハが手配した新作の案内に、すごい食いつきを見せて、是非来て欲しいと連絡をしてきた。
だからこそ、こうして新商品を持って馬車でヴェンカウル伯爵領に向かっている。
イルグとして向かうため、銀髪を黒く染めて眼鏡をかけていた。
この格好をしている限り、例え人目がなくてもルーグ・トウアハーデではなく、イルグ・バロールとして振る舞う。
隣にはマーハが座っている。いつもクールな彼女だが今日は上機嫌に鼻歌を奏でていた。
「久しぶりに、イルグ兄さんと一緒ね」
「別れてから一か月も経ってないさ」
「私にとって、イルグ兄さんのいない十日は長すぎたわ」
甘えるようにして、マーハがもたれかかって来る。
こういう甘え方は、ムルテウに居た頃は見せなかった。
寂しさの反動だろう。
「オルナ代表代理のマーハが、ここに来ることはないだろう」
「必要性は薄いけど、私が会いたかったの。ちゃんと今日一日不在にしてもいいように手配はしているわ。ベルイドもいるしね」
「それなら問題ないか」
暗殺のサポートのために、バロール商会の力を使うのはマーハにしかできないが、表の仕事はベルイドで対応できる。
「それとね、イルグ兄さん。頼まれてた、あれ手に入りそうよ」
「そうか、朗報を待っている」
あれというのは、神器だ。
この世界にはどうやら、けっして人の手では作れない。ありえない性能の武具が存在する。
材質、加工技術、すべてが常識外、そう言ったものを神器とよぶ。
俺はSランクスキル【魔剣生成】で生み出された武器が各地に残っていると予測していた。
代表的なものは、現状でもっとも勇者である可能性が高い、クランの猟犬の二つ名を持つ少年が所有としているとされる魔槍ゲイ・ボルグ。
かつての大戦の英雄が振るった魔剣フラガラッハなど。
勇者を殺すのに、そういう武器を使えば楽になるかもしれない。
だから、ありあまる資金を使い、一つでも多くの神器を手に入れようとしていた。
それに、ただ使うだけでなく、実物を見れば、それを参考に強力な魔術や武器を作れるかもしれないという期待もあった。
「マーハには、いつも助けられている。ありがとう」
「どういたしまして。……ねえ、イルグ兄さん。あっちに行ってからタルトと進展があった? その、男女の関係的な意味で」
「あるわけないだろう」
俺がそう言うと、呆れたようにマーハがため息を吐いた。
「そう? でも、大変でしょ? イルグ兄さん、たまに娼館に行って発散してたし、地元じゃそういうの使えなくて困るんじゃないかしら? ディア様のところに行ったり、娼館に行く度にタルトは泣きそうになってたし。いっそ、タルトを使ってあげると、あの子も喜ぶわ」
……一瞬、むせかけてしまった。
娼館に行っていたことがばれていたのもそうだし、タルトを使うなんて言い方をしたからだ。
「どうして、そういう関係にしたがる」
「前から思っていたけど、イルグ兄さんって私たちのこと、無理やり恋愛感情から離れたところに置きたがるわよね」
「俺たちは家族だ。いったい何年一緒にいると思っている」
そう過ごしてきた。何年もかけて、家族としての絆を育んでいたんだ。
今でも、彼女たちと出会ってからの日々を思い出せる。
だからこそ思う。そういうのとは違うだろうと。
「それだけど、小さな頃はイルグ兄さんのことを頼れるお兄ちゃんだって思っていたのは間違いないの。でも、私たちは成長するわ。成長すれば、そういう感情を持つものよ。身近に、他のどんな男性よりも素敵な人がいるのに、惚れないわけがないでしょう。イルグ兄さん……一番辛いのは相手にもされず、無視され続けることね。とくにタルトはため込んで文句ひとつ言わないから。そういう態度を取り続けると、いつか爆発するわよ」
どこまでも真剣で、深刻な声。
ああ、そうか。マーハはタルトのために言っているのか。
「一度、先入観を捨てて、タルトのことを見てみよう。だが、そう見たとしても受け入れてはやれない」
「ディア様がいるからね。そっちも問題ないと思うけど。あの子、二番目だろうが、都合のいい愛人だろうが、ルーグ様に愛してもらうならなんでもいいだろうし。そんな都合のいい女の子他にはいないわよ? 可愛くておっぱいが大きいのもポイントが高いわ。そもそもルーグ様は貴族よね。妾の一人や、二人持つべきよ」
「そういうものか」
「そういうものよ。というわけで、イルグ様を大好きな女の子が二人いると理解してもらえたかしら?」
「一人増えてないか?」
「もちろん、私も愛しているから。ただ、積極的なアタックはもう少し後からにするわね。オルナをもっと成長させて、情報網を緻密に張り巡らせて、私が絶対に手放せなくなったら、それを盾にして交渉するわ。そっちのほうが成功率が高そうだから。イルグ兄さんが教えてくれたもの。交渉は対等な立場じゃないと成立しないって」
しっかりしている。今ですらマーハが絶対に欠かせない人材だというのに。
これ以上、重要になれば何があっても手放せなくなる。
「本当に優秀な弟子だ」
「ええ、だから覚悟しておいてね」
マーハが上目遣いになって微笑する。
その仕草には色気があり、どきりとした。
……子供だった彼女たちは女性になりつつあるか。そんな当たり前のことに気付けないなんて俺もまだまだだ。
生まれ変わって、普通の感情というものを手に入れたつもりではあったが、こちらの精進は足りないらしい。
◇
ヴェンカウル伯爵領に着いた。
農地が広がる、緑豊かな土地だ。どこか、トウアハーデに似ている。
だが、剣を構えた物騒な連中がそこらかしこを見回っていた。
彼らがこちらにやってくる。
やましいことをしているからこそ、こういう私兵を使っているのだろう。
馬車の窓を開け、にっこりと微笑み口を開く。
「なんのためにヴェンカウルに来た?」
威圧的に聞いてくる。それに対してにこやかに微笑む。
「私どもは、オルナの者でして。奥様に新作化粧品を案内するために参りました。こちらが、奥様から預かった招待状です」
その言葉と共に、招待状を見せると事前に話を聞いていたのか、男たちは付いてこいと言った。
そして、案内された屋敷を見て驚く。
領地はトウアハーデとどこか似ていると感想をもったが、屋敷はまったく似ていない。
豪華絢爛、使っている素材からして違う。武骨なレンガではなく白く艶めかしい石材を使い、意匠を凝らしている。
到底、こんな領地では稼げない金額が必要なはずだ。
「あらあら、いらっしゃいまし。オルナの新作、楽しみにしておりましたわ」
屋敷の扉が派手に開き、少々肥満気味で背が低い夫人が、金魚のようにひらひらしたドレスを揺らしながらやってくる。
両手にはじゃらじゃらと指輪を、首には大きなサファイアが付いたネックレスを。
……そして、けばけばしいという言葉では表現しきれない厚化粧。
「ヴェンカウル伯爵夫人。この度はお招きいただきありがとうございます。この度の新作は自信作でして、最初にヴェンカウル伯爵夫人のような麗しい本物の貴婦人に使っていただきたいと思い参りました」
「んまぁ、うれしいことを言ってくれるわね。入って頂戴! オルナの乳液をつけてから肌の調子がいいのよ。きっと、次の新商品もすごいのでしょ」
そうして、俺たちは部屋の中に招き入れられた。
◇
新作の化粧品として用意したのは、乳液の新型だ。
今まで使っていたオリーブオイルに、アーモンドオイルをほんの僅か加えることで香りを良くし、塗ったときに肌の発色を良くしている。薬効成分も改良した。
マイナーチェンジではあるが、こういう相手だと質よりも、世界で自分だけが新作を試しているという特別扱いこそが重要だ。
俺とマーハはひたすらヴェンカウル伯爵夫人を煽てる。
「本物がわかる貴方だからこそ、試して欲しい」
「もし、あなたが認めてくれれば、きっと他の女性がこぞってほしがる。それだけの影響力がありますわ」
「彼女の言う通りです。これからもぜひ、新作が出来た時には最初に使っていただきたい」
そんな言葉を何度も繰り返す。
簡単に乗せられて、どんどんとヴェンカウル伯爵夫人は上機嫌になる。
……やりやすい。
そうして、上機嫌にすれば雑談に交えた何気ない質問で、いくらでも必要な情報を引き出せる。
最近、ヴェンカウル伯爵領の景気がいい理由を聞くと、隣国との商売がうまくいったからだと答えた。
その内容を聞いても、よくわからないと言う。初めは隠しているのかと思ったが、本当に知らないらしい。
嘘を見抜くのは得意だ。彼女は本当に知らない。
良かったと思う。もし、商売を知っていれば彼女も殺さないといけなかった。
なにせ、夫亡きあと、その商売を続ける可能性があるのだから。
それから、さらに情報を集める。
「夫は、就寝前に月を見ながらゆっくりワインを味わうのが何よりの楽しみですの」
ほら、とんでもなく有用な情報が漏れた。
伯爵夫人はヴェンカウル伯爵が戻ってくるのは三日後であること、彼の部屋は二階の南にあり、就寝前にバルコニーで月を眺めながらワインをゆっくりと味わうのが最大の楽しみであると話す。
「本当に、夫の商売がうまくいって良かったわ。だって、ほんの二、三年前まで、貧乏貴族でろくな贅沢もできなかったですもの。こうして美しく着飾ることができることがうれしくて、うれしくて仕方ないですわ」
「ええ、私どもも感謝しなければ、おかげでこうして美しいヴェンカウル伯爵夫人を見ることができるのですから」
「まあ、お上手ね。おほほほほ」
ヴェンカウル伯爵夫人が、機嫌良さそうに笑う。
彼女は知らないのだ。
彼女たちの幸せのために、隣国に売り渡された情報が原因でどれだけの兵士たちが命を落としたのかを。そして、何百もの人々が街で麻薬に人生を狂わされて廃人になっているのかも。
このまま放っておけば、数千人、数万人の死体と廃人が積みあがることに。
……ルーグとなった俺は一度目と同じく暗殺者。だが、今度はただの道具ではない。殺すか殺さないかは自分で決める。そして、今回は決めてしまった。
殺すべきだと。
◇
三日後、俺とタルトの二人でやってきた。
前回は下調べのため、連れてこなかったが殺しを行うとなると、助手のタルトが必要となる。
……この前のマーハの言葉が気になるが、今は暗殺に集中だ。
屋敷は見晴らしがいい位置にあるが、さすがに三百メートルも離れれば、それなりに隠れやすい場所がある。
屋敷の警備が先日より厳重だ。主であるヴェンカウル伯爵が帰宅しているからだろう。
屋敷が見える小高い丘に生い茂っている草に姿を隠している。土魔術で軽く大地を掘り、伏せて、その上に草ごと土を被せた。
すでに、日が落ちているのでまず遠目には気付けない。
先日の情報がなければ、奴が戻ってくるまで何日も張り込まないといけなかっただろうし、屋敷に忍び込み殺すという面倒な手順を踏まなければならなかっただろう。
だが、ヴェンカウル伯爵夫人は楽し気に、ヴェンカウル伯爵が戻ってくる日も、わざわざ屋敷に忍び込む必要がないとも教えてくれた。
寝そべっている俺の手には、魔術で作られた筒があり、すでにタングステンの弾丸が込められている。
魔力持ちというのは、無意識下でもある程度の魔力を体に纏い、普通の人間に比べて頑丈だ。並み大抵のことでは死なない。
それはターゲットであるヴェンカウル伯爵も同じだ。
それでも、銃撃なら確殺できる。
トウアハーデの瞳で見つめるのは二階のベランダの一点。この眼であれば、この距離でも十全に見える。
深い集中状態になり、それ以外を視界から追い出す。
そうなった俺の代わりに助手のタルトが周囲を警戒している。
だからこそ、こうして狙撃だけに意識を集中できる。
十分ほど経つと、バスローブ姿でワイングラスをもった太った中年がベランダにでてきた。
月を見上げて、充実した笑みを浮かべる。この世界で自分こそがもっとも幸せだと言っているようだ。
『夫は、就寝前に月を見ながらゆっくりワインを味わうのが何よりの楽しみですの』
その言葉は正しかった。
おかげで、こんなにも簡単に殺せそうだ。
ベランダで月を見つめて無防備な状況は狙撃するには都合がいい。
屋敷に忍び込む必要など微塵もない。
集中力をより高める。ほぼ無風、距離三百二十メートル。……これならば外しはしない。
火の魔術を起動し、筒内で爆発を起こす。
筒そのものを特殊なクッションで覆っているため、サイレンサーの役割を果たし音はほとんど出ない。
超重量、超硬度のタングステンの弾丸が音速で吐き出され、一秒もせず目標へ到達。
あっさりと頭蓋を貫通し、その圧倒的な運動エネルギーにより首から上がはじけ飛ぶ。
「撤収だ」
「はい、ルーグ様」
タルトにそう告げて、俺たちはそのまま山の中に逃げ込む。
このまま山道を抜けて反対側の街道にでれば、そうそう追っ手には見つからない。
狙撃なんて概念はこの世界にはない。しばらく、屋敷内でいるはずもない暗殺者を探すだろう。問題なく逃げられる。
こちらの世界で初めての暗殺が成功した。
必要だと自らが認め、自らの意思で殺した。
かつての俺は、殺しという行為に何一つ心が動かなかった。
だけど、今の俺はどうだろう?
若干だが、鼓動が速くなっている。
わけもなく立ち止まってしまう。なんだ、この感情は、わけがわからない。
タルトが心配そうに振りむき、ゆっくりとこちらにやってきて、抱きしめてくれた。
「タルト、何のつもりだ」
「なんとなくです。ルーグ様が心細そうに見えたから」
「……そう見えたか」
衝動に任せてタルトを抱きしめる。
タルトはにっこり微笑んで抱きしめ返してくる。甘くていい匂いがした。
そうすると不思議と落ち着いた。タルトの柔らかさと暖かさがいつもの俺を思い出させてくれる。
……タルトが成長しているという意味がよく分かった。
深く深呼吸。大丈夫、いつもの俺だ。
「悪かった。行くぞ」
「はいっ!」
そうして、山道を駆けていく。
きっと、あの夫人は夫を殺した者を恨むだろう。
真実を知らない彼女にとっては理想の夫だっただろうから。
この暗殺を後悔するつもりはない。だけど、忘れないようにしよう。
それがルーグ・トウアハーデにとって必要なことだから。