6.Euphoria 幸福
郷を隠す山の向こう側。そのふもと近くにある街の市場で、ユートは商品の品定めをしていた。ふと、言い知れぬ何かを感じて顔を上げる。店主と目があった。
「いかがですかな? どれも自慢の品ですぞ」
「ああ、そのようだな……」
ユートは頭に布をかぶせ、容易に周囲から顔の見えないようにしている。華奢な身体つきとも相まって、ともすれば女とも見まがうような姿だった。
気のせいか。ユートはひとりごちて、「これと、これを貰おう」と商品のいくつかを指し示した。店主に硬貨を数枚渡して品物を受け取る。これで買い物はすべて終わった。ユートは迷いない足取りで歩きだした。
と、少し進んだところで、装飾品店の店主がその袖を捕らえた。ユートは若干たたらを踏みながら立ち止った。
「……何か用か」ありありと嫌悪感を顔に浮かべるユートだが、店主はにたにたと嫌な笑いを浮かべている。大方、背包みの膨らみ具合から懐に余裕があると判断されたのだろう、とユートはため息をついた。
「お若いの」
「若くない。もう百年近く生きている」
「ははっ、そりゃ面白いご冗談を」
「…………」
ちっともご冗談ではないし、我はちっとも笑えないのだが。とユートは思った。
「まあとにかく、どうですかな、お買いもののついでに? 貴方ぐらいの年頃ならもうそろそろ指輪を贈って、身を固めてもよろしいのでは?」
人間は百歳ごろに身を固めるのか。というかそもそもなぜ我が独り身だと断定しているのだ。とユートは思った。
店主が示したのは、狭い場所に所狭しと並べられた指輪の数々だった。色も形も様々な物が豊富に取りそろえられている。
指輪。ユートは口の中で繰り返した。桃色の石飾りのついた、銀の指輪のことを思い出した。永遠に持ち主を失った指輪。
だがすぐに、まだ自分をつかんでいる店主の手を解こうと腕を振った。ぶんぶん振った。店主の手はなかなか外れない。
「あいにくと、そのような、相手、は、おらん、の、でな!」
店主は両手でがっしりとユートの腕をつかみ、何があっても離さない所存のようだった。ユートの眉間にしわが浮かぶ。
「まあまあまあまあ! そう言わずに! だったらこれからアプローチなさったらいいじゃないですか! さすがに、気になる女の一人もいないってわけじゃあないでしょう?」
「ああもう、やかましい。余計なお世話―――」
と、ユートはそこで言葉をつまらせた。目を奪われてしまったように、店の片隅の一点を見つめる。店主はそんなユートの視線を追って、してやったりとばかりににやりと笑った。
「おやおやお若いの、ずいぶんとお目が高い! これはなかなか手に入らない貴重な貴重な宝石があしらわれていましてね。この金の細工も、この国一番の細工師にしかできない、緻密な細工なんでございますよ」
ぺらぺらとまくしたてながら、店主が手袋をはめて、恭しさのあまりかえって怪しい態度でその指輪を取った。その指輪は、幾本もの細い細い金が複雑に絡み合いながら環の形を作り、そこに一つきり、何かの花の形の、大きな深紅の石がひとつ埋め込まれている。
瞳の色だ。思わずユートはつぶやいた。
「おや、好いた娘さんは赤い瞳をしておいでで? 赤い瞳の女な美人が多いと申しますからねぇ」
人間で赤い目のものなど見たことがないから、店主の口任せだろう。と思いユートは受け流した。代わりに、「この花は」と聞いた。
「花弁が珍しい形をしているが、これは何という花だ?」
「ああ、それはですね、ここからずっとずっと東方にある国の花で、サクラという花のようです。春に木に咲いて、そりゃあもう豪勢で美しいものとか聞きますよ」
サクラ。耳慣れない異国の花の名前の響きが気に入ったように、ユートは何度か繰り返した。それから、「いくらだ」と聞く。
珍しい宝石、国一番の細工。という割には良心的な価格だった。ある程度の誇張は当然含まれているのだろう。ユートは硬貨一袋と引き換えに、指輪を受け取った。
早く帰らねば。小さくつぶやいた口元は、柔らかく綻んでいた。
日が暮れるには、まだ、だいぶ時間が残されていた。