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ヴァルプルギスの夜明け  作者: 六条
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4.Obliteration 消滅

ざわり、と薄墨色の空気がさざ波を立てた気配がした。我は庭園のベンチに腰かけ、背もたれに後頭部を預けて目を閉じていた。……ずいぶんと、とりとめもないことを回想していたものだ。目を開く。

五十年ほど前に最後の庭師をうしなってから庭園は荒れるに任せているが、そのなかのある空間だけは、ずっと変わらないままだった。

まさにその場所へと、薄墨色の空気はそそそと流れていく。

我は静かに立ち上がり、少し距離を置きながら、その空気のあとを追った。ぐしゃりぐしゃりと、枯れ枝をあまた踏む。かつてこの庭園を誇り高く彩っていた花々の骸たち。

そうしてしばらく進むと、突然枯れ枝の茂みが途切れ、ひらけた空間に出る。

王城で最も、月明かりの煌々と照る場所。

花の骸も草もなく剥きだされた大地に、等間隔に埋め込まれた無数の石盤。そこに刻み込まれているのは、その下に眠る者の名。

ここは、コニカ王家専用の埋葬地であった。

我が庭園と埋葬地との境で、何となく立ち尽くしていると、埋葬地に渦を巻いていた薄墨色の空気がほどける。そして女王の姿をかたち作った。有名と言えば有名なヴァンパイアの異能力のひとつ、霧化である。

女王はその装いを、漆黒で統一していた。ドレスの少し長い後裾を地に引きずり、厳粛なヴェールで顔を覆っている。その向こうに月明かりで白く浮かぶ顔と、カメリアの瞳と、紅の唇。それ以外はすべて闇に沈んでいくようで、我はあまり女王の黒装束は好きではなかった。

おそらく、露骨にそれが表情に出ていたのだろう、女王はあきれたように苦笑いを浮かべた。その腕には大切な宝物のように、畳んだ衣服をかかえていた。我は近寄って、それを覗き込んだ。

決して綺麗ではないが、きちんと手入れのされた紺色のローブ。真新しい赤色に染められ、ほとんど元来の白色の見当たらないシュミーズ。

我は、それらに見覚えがあった。

先ほど女王に届けた「晩餐」―――あの若い娘が着ていた衣服であった。

女王はゆっくりと土を踏んで、片隅の、まだ石盤の置かれていない場所へと向かった。そしてドレスに土がつくのも構わず、そこに膝をついた。

そこで、女王はぱちくりと目をまたたいた。そこにはぽっかりと、足を入れたらふくらはぎのあたりまで埋まるであろう穴が空いていたからである。

作業をした我の手は、洗うのが手間で、土でまだらに汚れたままだ。

女王は振り返り、「ありがとう」と心から嬉しげに微笑んだ。それからかかえていた娘の衣服を、まるで硝子細工を扱うかのような手つきで、そっと穴の底に置いた。その時、ぽろ、と女王の足元に小さなものが零れ落ちた。

「女王、なにか落ちましたが」

我はそれを拾い上げ、女王に手渡した。受け取った女王は小首を傾げ、それを眺めた。月光を浴びて輝く、小さな環。女王はああ……と痛ましく顔を歪めた。

「指輪ですね。さっきの女が服に入れていたんでしょう」

「……違うわ、ユート」

女王は環を両手に包み込み、祈りを捧ぐように胸に押し当てた。今度は我が首を傾げる番だった。どう見ても、我には指輪以外の何物にも見えない。小ぶりの桃色の石飾りがゆらゆらと揺れている、いかにも若い娘が好むような指輪。

「何が違うと?」

「これが指輪であることは確かよ。でもね、これは、彼女ひとりの物ではないわ」

女王は静かに、夜風のように静かに、言葉を紡いだ。

「これは、彼女を愛し、愛されたただ一人の男性が、彼女に贈ったものだわ―――ほら、ここを御覧なさい」

と、女王は指先で、指輪の内側を示した。指輪の内側には、緻密な細工で文字が彫り込まれていた。


≪Te iubesc din toata inima,Emilia≫(心からあなたを愛しています、エミリア)


「エミリアとは、彼女の名ね?」

「ええ、エミリア=オールドカースルと名乗っていました」

そう、と頷いて、女王はその指輪も、衣服と共に穴の底に置いた。

男性が愛する女性に指輪を贈ることは、このあたりの人間の古くからの慣習であるらしかった。……今頃、どうしているのだろうか。この指輪の贈り主の男、あの女の恋人は。もう二度と帰ってこないことを、彼は知らないのだろう。

女王は引き結んだ唇を、それでも微かに震わせながら、傍らに積まれた土で穴を埋めていく。汚れていく白い指。

装飾を好まない彼女は指輪などはめていないが、かつてはどうだったのだろうか。もしかしたら、郷を襲った死の連鎖のなかに、女王の想い人などいたのだろうか。

「女王、聞いてもいいですか」

女王は作業を続けたまま、「何かしら?」と応じた。

「恋って、愛って、なんですか」

女王が最後のひとすくいの土を乗せて、手のひらで軽く叩いて固める。墓標どころか遺骸もない、きちんとした供養もしていない、とても簡素な墓ができあがった。

女王はそこに跪いたまま、汚れた手を膝の上に置いて、「そうねぇ」と長い息を吐いた。

「人にもよると思うけれど、その人とずっと一緒にいたいだとか、幸せになってほしいだとか……その人のためになら何だってしたいだとか、そういうことなんじゃないかしらね」

そう言って、ふふ、と微笑んだ。

それから我と女王は、それ以上何を語ることもなく、しばらく二人で月を眺めていた。

ただその身ひとつきりで煌々と闇夜を照らす、孤独な月を。最後の月を。


※ローブ、シュミーズ・・・中世ヨーロッパの庶民の女性の衣服。ローブは丈の長いワンピース。シュミーズはその下に着るブラウスのような下着。

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