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ヴァルプルギスの夜明け  作者: 六条
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3.Taboo 禁忌

山と山の間の、広くひらけた場所に、ヴァンパイアの郷は静かにあった。我はそこに生まれ、育った。吸血の性、そして呪われた身体を持って。

ヴァンパイアは決して不死ではない。ただ人間より幾分頑丈で、屈強で、死ににくいというだけのこと。老いれば死ぬ。もし死なず増えるばかりでは、山の向こうの人間の里にまで棲み処を広げなければいけなくなる。

たまさかに生まれ、たまさかに死に。まとわりつく哀しみと、少しの歓び。そういう種族で、そういう郷だった。

けれど我は、その郷の異端だった。


―――不死の身体。


はじめは、母親が赤子の我を抱いて、庭をそぞろ歩いていたとき。そばの樹齢何百年とかいう大きな木を、技師が登って剪定していた。そこで、どういうはずみでか技師が手を滑らせ、剪定に使っていた鋭利な刃物がまっすぐ落ちてきて、赤子の我に突き立ったのだそうだ。

我の、心臓を一突き、だったのだそうだ。

刃が身体を貫通した程度でヴァンパイアは死にはしない。ただ、唯一にして最大の急所である心臓だけは別だ。別の、はずだった。

母は動転しながらも、すぐさま我の胸から刃を抜き取った。噴き出す血のなかで、母は、はっきり見たのだそうだ。

真っ二つに裂けた心臓が、じわりじわりと、元のひとつにくっ付いていく様を。

何事も無かったかのように皮膚も再生能力でふさがった。ただ我の産着にはさっくりと開いた穴が残った。

それが、母が我に触れた最後の時だったらしい。記憶には無いが。


ヴァンパイアは決して永い生を望まず、安楽の死を祝福とみなす。神の救いの手につかまり、神の国へ往くのだと。よって永遠の生を持つ我は呪われた存在とされ、異端者と呼ばれ、物心ついた頃から長いこと古塔に幽閉されて育った。

具合の悪いことに、我の生まれたヴァルプルギス家は、郷において「貴族」と呼ばれる、ヴァンパイアのなかでも特別な一族だった。その嫡男が呪われた身であると郷に知れては一族の権威に関わる―――我は名さえ与えられることなく、その存在は家の外には決して漏れぬよう細心の注意がはらわれた。

両親の姿はいつも窓の格子のうちから、外を歩く二人を遠目に眺めるばかりだった。使用人たちはみな、我の呪いがうつると信じ、おそれをなして決して塔には近寄ってこなかった。

それでも、たったひとりだけ。使用人のなかで最も年長の老婆だけが、我を憐れむこともおそれることもなく、我の世話役をしてくれていた。彼女は我にとっての親だった。食事や衣服を与えてくれただけではない。言葉、本の読み方、日記の書き方、礼儀作法、人間の街で子供のする遊び。あらゆることを我に教えてくれた。

けれど、彼女は我の世話役になってから三年を待たずして、死んだ。

老衰といえば、老衰。けれどあまりにも突然だった。前日まで、彼女は息も切らさず真っすぐ背筋を伸ばして、塔の階段をのぼってきていたのだ。

それからだった。ヴァルプルギス家では人が次々に死んだ。屋敷から毎週のように棺が運び出された。そのうちの二つ。ほっそりと少女のような顔立ちの、波打つ亜麻色の髪の女性。髪と同じ銀色の髭を豊かにたくわえた、翳りのある顔立ちの男性。

ははうえ、ちちうえ……。その時はじめて呼んだ。もちろん遠ざかっていく棺に届くはずはないし、届いても、もう彼らは答えない。

僅かに残った使用人たちは、荷をまとめて散り散りに出て行った。おそらく、郷の外に住むべき場所のあてがあるのだろう。

誰も出てこないひっそりと静まり返った屋敷。少しずつツタが絡んでいく屋敷。本当は、我にはこの塔を出る方法があった。けれど出ないまま、ずっとそこにいた。何も食べずとも、飢餓感も、やせ細ることもなかった。

どれぐらい、時が流れたことだろう。十数年かもしれないし、実は五日かもしれなかった。あまりにも何も考えずにいたから、さっぱり分からない。

「―――あら、ずいぶん風情のあるお住まいだこと」

久方ぶりに誰かの声を聞いた。幻聴かと思いつつ振り返れば、そこには確かに誰かが、階段をのぼりきるところだった。

ばあさんが語り聞かせてくれたラプンツェルという女性は、こんな風に美しかったのだろうか。そう思った。

「こんにちは、はじめまして、これからよろしくね」

女性はにっこりと笑って、そう言った。

我が呆気にとられているうちに、彼女は我の手を取り、長い長い階段を跳ねるように下り、薄霧の外を踊るように駆けた。まろぶ我を、少女のように明るく笑い飛ばしながら。

美しい人がようやく止まったのは、王城だった。

「はい、ここが今日からあなたの家よ」

「は、家? いや、あの、あなたは?」と我はようやくまともな言葉を発することができた。

「わたくし? プリムラ=オブ=コニカよ」

我は再び唖然とした。この郷の統治者にして、世界各地に散らばるヴァンパイア血族の王。「漆黒の女王」との異名を取る、畏怖の女傑。

正直、人違いであろう、と思ったのは秘密である。

「あなたのお名前は?」

と女王が、我の両手を握ったまま聞いた。

「名前……我には、無い」

ふむ、と女王は顎に手をやった。そして何を思ったか家臣に羊皮紙とペンとを持ってこさせ、流れるような筆致で、こう記して見せた。


『Uto Walpurgis』(ユート=ヴァルプルギス)


それが、我に与えられた名前だった。その瞬間、我は他の誰でもない、ユートという存在を得ることができた。

城での女王との暮らしは平穏だった。幸福だった。愛していた。

家臣も城下の者も、誰もかれも心優しく、我が「自分は呪われているのだ」と説明しても、「それがなんだね」とあたたかく迎え入れてくれた。我はそこではじめて、自分がヴァンパイアのなかにおいてはまだ幼い子供だったのだと思いだした。

そして、忘れてしまった。呪いのことなど、すっかり。


数年後。

悲劇は惨劇として、ふたたび幕を開ける。


はじまりは給仕長だった。いつも我と女王に、食事となる人間の生き血を運び、その際に下の人間の街で見聞きした話を面白おかしく語り聞かせてくれた。

その彼女が、ある日突然亡くなった。

夜が更けても姿を現さないのを心配して部屋まで見に行けば、給仕長は寝床の棺桶のなかで眠っていた。静かすぎるほど静かに、眠っていた。

それからは二十年前と同じ。我の周囲から次々と死んでいった。

はやり病のように―――呪いの、ように。


そして、我は思いだした。

己の、永遠の孤独の運命を。


城の者が我と女王を残してみんないなくなってからは、次は城下の者たちが死にはじめた。それから郊外の者たちが。それからさらにその先の、山のなかに住む者たちが。

死神のワルツのように、滑稽な、滑稽な、死の連鎖。

「おそれることはないのよ、ユート。わたくしたちにとって、死は祝福。みな、今頃は神の国からわたくしたちを見守ってくれているわ」

死は祝福。……本当に? みな本当に、喜んで最期の刻を迎えたのか? 我と女王を残し、どことも知れない神の国へ往くことを、本当に良しとしたのか?

死の連鎖は、止まらない。

まるで女王のお陰で広がった我の世界が、悪だとでもいうように。止まらない。


それから五十年近く。

郷には、もう、我と女王の二人きり。

そしてその女王も、少し前から徐々に衰弱しつつある。血液から摂取する養分だけでは足りず、人間の身体を骨も髪も残さず丸ごと食べることで、ようやく命をつなぐことができる。

だから我は定期的に人間の街へと下りて人間を捕らえ、女王にささげている。

「それは正しくない延命策よ」と、女王は悲しげな目で言った。

そう、正しくない。ヴァンパイアは本来、人間の血を啜りはしても、その身を丸ごと食らいはしない。それは忌まわしいこと。

正しくない。ただ我は、我自身の願いのためだけに、とうに尽きるはずの女王の命を永らえさせている。他のあまたの命を犠牲にして。

正しくない。正しくない。そのすべての根源を、けれど女王は決して口にしない。きっと、我なのだ。死の連鎖の原因は、我の呪いのひとつに違いないのだ。

なのにどうして、あの人は我を恨まないのだろう。

どうして、我は呪われた不死の身なのだろう。愛した人たちに置いてゆかれてしまうばかりの、運命なのだろう。


―――我の、生きる意味とは何なのだろう。


なにひとつ、分からない。

ただ、あなたにだけはいなくなって欲しくない。願いはそれだけ。それなのに、幼少の折、両親に遣わされて我を視た術者の老婆。彼女の言葉が、その願いをひどく揺さぶる。


『お前は孤独だ。たとえ幸せを手に入れたとしても、それは仮初めのあだ夢。すぐにまた孤独がやってくる。そんなことを繰り返す宿命だよ。永遠に、永久に、久遠にな』

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