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――およそ、この世の者ではない。
盗賊である男は、眼前に立つ少年に対し、そう結論を下した。
眼前の少年の体格は、盗賊が見た所、五尺七寸(約171㎝)。
筋骨隆々たる肉体にも関わらず、その動きは鳥のように素早い。
越後の武士かと見まごう程の体格だが、顔は幼い少年の童顔そのものであり、服も麻で出来た貧相な着物一着のみである。
そんな少年に対して盗賊は、――ガチガチガチ、と冬でもないのに歯が震えた。
当然、今は冬どころか夏である。
時は、天文5年(西暦1536年)、夏。
ここ、越後の国では、梟雄名高い長尾 為景が隠居し、その長男である長尾 晴景が家督を継承したばかりである。
長尾 為景は越後の守護である上杉家を傀儡にし、国内でも権力の地盤を固めつつあった。
だが、主人を傀儡として扱う為景に反発する国人達が反乱を起こした。為景は反乱の鎮圧に専念する為、息子の晴景へ家督を譲ったのが、この年の出来事である。
その為、この時代の越後は混迷の中にあった。
このような情勢下に陥ると、武士の大半は戦に駆り出されており、支配地域村の警護がおろそかになる。
よって、国境の村々では盗賊が跋扈する事になった。
逆を返せば、彼ら盗賊にとっては今が稼ぎ時なのである。
盗賊達は十人で徒党を組み、とある村から食料を強奪するべく、真っ昼間の内に堂々と村へ襲い掛かった。
標的になったのは、妙高高原に存在する、霞村と呼ばれる小さな村である。
盗賊達は、食料を調達し、あわよくば女子供をさらい、街で奴隷として売りさばこうとも考えていた。
だがそれも、一人の少年が乱入した事により、彼らの目論見は見事に頓挫した。
盗賊達は全員、落ち武者狩りで得た鎧や刀、槍で武装していたのである。
むしろ少年の方が、徒手空拳の丸腰だ。
それにも関わらず、――
「たああぁぁっ!」
裂帛の掛け声と共に、少年は盗賊に向けて踏み込んだ。
盗賊の構えていた刀を風のようにスルリと躱し、その懐に飛び込む。
すかさず、少年は風切り音を立てて岩のような握り拳が振り抜いた。
その拳は、見事に盗賊の腹部に命中し、――そして『陥没』させた。
――馬に蹴り飛ばされた、と錯覚するような衝撃が盗賊の体を貫く。
「ぐふぅあぁっ!?」
盗賊の男が声を上げた時、その体は文字通り吹き飛ばされていた。
放物線を描いたその体は、冗談のように広場の外に叩き付けられ、動かなくなる。
だが少年の盗賊に対する折檻はこれで終わりではない。
ドシン、ドシンと足音を立てながら、少年は広場の隅で気絶している盗賊の両
足をギュっ、と引っ掴んだ。
「ふん!」
少年は自身の脇に盗賊の両脚を挟むと、自身の両踵を軸にし、風切り音を立てながら独楽のように回転する。
そして、――
「とりゃあああぁぁぁっ!」
掛け声と共に少年は盗賊を放り投げてしまった。
当の盗賊は、そのまま放物線を描き、村に設置された溜め池へと水音を立てて投げ込まれてしまった。
市で安売りされた魚のような扱いである。
その溜め池には、既に他の九人の盗賊が気絶した状態で、水面で漂っていた。
人工で作った溜め池の為、大人の肩くらいまでしかない溜め池だが、けが人を拘置するには十分なものである。
「まったく、野良仕事の邪魔をしてっ!」
そう悪態をつくと、少年は村の仲間に盗賊を退治し終わったと声を掛け始めた。
この少年こそ、弥太郎である。
この時、十歳。
後に、鬼と呼ばれる男も、今は農民の子供であった。