第二歩
太陽ってやつは、こんなにも白くてまぶしいものだっただろうか。
遮光性にすぐれたガラスの内側にずっと閉じこもっていたおかげで、僕は太陽の光の降りそそぐ中をまともに歩くことすらできなくなっていた。僕はトレンチコートの襟をたて、チェック柄のハンチングをかぶって、大きな丸いサングラスをかけ、頼りない足取りで街路をゆく。イチョウ並木にはさまれた道は、黄色のじゅうたんがずっとしいてあった。
僕は、今後の身の振り方について考えていた。
じつは、先生のおかげで、僕は働く場所と仮の家とをすでに手に入れていた。今は、紹介されたホテルの部屋を出て、就職先へとむかっているところだ。
イチョウ並木を抜け、街頭の立ち並ぶ通りを進むと、右手に巨大な門が見えてくる。岩塩花崗岩と緑化鉄とでできた立派な門には、『トルシュフォード中等院』と刻まれている。幸い、僕には学士――大卒――並みの知能と知識とがあったので、当面はこの中等院の臨時教諭として働くことになったのだ。トルシュフォードは民営学校で規則もゆるく、田舎にあるので環境も良い。何とはいえ中等院にもなれば、学校側でもてあますような問題のある生徒もいない。まさに絶好の肩慣らしというわけだった。
門をくぐると、そこには更なるサプライズが用意されていた。
「ようこそ、トルシュフォードへ!」
僕を歓待してくれたのは、ああ、間違いようがない。忘れもしない柔らかい金髪。マルシア! 彼女はこの中等院で教諭として働いていたのであった。
僕たちはおしゃべりをしなかった。
手紙ではあんなにやりとりをしたのに、いざ面を向き合わせると、言葉など何一つ浮かんできやしなかった。
ただ、僕らは満たされていた。共に陽だまりのできた廊下を歩いていること。前を行くマルシアの金髪が光の川かのように流れていること。乾いた木のにおいを吸い込んで、胸がいっぱいになっていること。
僕らのふたりぶんの足音。かかとが人口樹木の表面を叩く、心地のよい音!
ああ、君がこんなにも近くにいるだなんて!
マルシアは時々、僕を振り返りそうになり、またすぐに前を向いて歩き出した。彼女もとまどっていたのだ。数十年ぶりに現れた僕に。すっかり姿かたちが変わり、声色も変わってしまった、君の記憶を更新する僕という存在に。
アクリルエールガラス張りの教室につくと、そこは大変なお祭りをやっていた。宿題のチェックリストで折られた紙飛行機が端から端まで飛んでいき、机にくっついているシースルーの電子ディスプレイには、反転されたアパレル大セールの文字が見えた。
ませた子どもたち、頭に昔風のリボンを巻いてみたり、一人前に化粧をしているのも! 男子生徒の多くはブランドものの私服を着こみ、まるで家の財力をアピールするかのごとし。
こいつは一昔前のスーパーモールみたいな賑わいだぞ、と僕は生唾を飲んだ。
「さあ、いとしい子どもたち。朝のあいさつをしてちょうだい。
それから、新しい先生を紹介するわね……」
マルシアは朗々と僕の名前を呼んだ。彼女は履歴データなど見なくたって、ちゃんと僕の名を覚えていたのだ。
僕は二、三、テンプレートのあいさつをして、背後で瞬く巨大なタッチパネルに自分の名前を書いた。それからしばらく、先生らしく出席をとり、今日の予定を読み上げるマルシアの隣に突っ立っていた。
始業のベルが鳴ると、僕らは教室を出た。入れ替わりに痩せこけた眼鏡の青年が、忙しなく肩を揺らしながら教室へ入っていった。
「彼は理科の教師で、昨年教員デビューを果たしたばかりよ。ルパートというの。変わっているけど、悪い人じゃないわ……」
それから僕らは学校の食堂へ行き、カフェテラスでコーヒーを飲んだ。
「ごめんなさいね、粋なカフェじゃなくって」
「いいや、素敵さ」
僕とマルシアとは、一杯の有機コーヒーで乾杯した。
「それにしたって、いったい今までどうしていたっていうの?」
マルシアは片眉を吊り上げてみせたが、すぐに首を横に振った。
「ううん、そんなことじゃないわ。とにかくおめでとう。それから、よろしくね……」
僕は安堵しながら頷いた。ああ、マルシア、君は少しも変わっちゃいない。
僕が君のどこを愛しているかなんて、宇宙の面積を求める計算式みたいなもので、終わらないし、何を言ったって正解で、何を言ったって間違っている。
柔らかい金髪も、勝気な眉も、センチメンタルなまなざしも、全部が君だ。陶磁みたいに光る肌も、女性の平均的な体系も、僕に迫るほどの背高のっぽなところも、全部が大好きだ。
僕はマルシアの声を聞いているだけで、自分の失われた時間が一気に巻き戻され、あの頃から再構築されていくかのような感覚にさえ陥る。
今の僕は、マルシアの目に映っている僕だけで構成されている。
校長室へ入ってタブレットにサインを書き込むと、僕の教員生活は正式にスタートした。
頭を角刈りにした、縦幅も横幅もりっぱな校長が、口ひげをなでながら頷いた。
「これからよろしく頼むよ。君には物理と英語を担当してもらうことになる」
「はい、こちらこそよろしくお願いします、ミスター」
僕は平屋の細長い廊下をいったり来たり、校長の背中を追いながら歩き通した。音楽室や食堂、書籍室、情報室などなど、コの字型に曲がった校舎には、ありとあらゆる教室がそろえられていた。
「まあ、造りが単純で一階しかないから、そう迷うこともないでしょう。実技棟に教室の棟、境目には看板もさがってありますから」
それから、放課後のホームルームまで、僕はひとりで自由に校内を散策して歩いた。僕は廊下の感触を靴底でたしかめた。病院の厚膜型弾性ウレタン樹脂を使った塗床とは違う、ハードウッド・フローリングの感触を。
校舎からはマホガニーのほのかな香りがした。
午後4時半。ホームルームとともに、とても長い一日が終わった。
マルシアはまだ残ってやることがあるという。今日回収した宿題のチェックと、明日の授業の仕込みだそうだ。
僕も残っていこうかとも思ったが、僕にもやるべきことがある。マルシアの隣の席はルパートで、居づらかったというのもあったけれど。
生徒たちの靴がずらりとならぶ玄関に出ると、秋口の空気はいよいよ冷たかった。トレンチコートの襟をたぐりよせるようにして、僕はハンチング帽を目深に被りなおすと、サングラスごしの夕日を眺めた。まだ夕日というには高くて、空も青かったけれど、茶色のグラスごしに見ればすっかり夕方だった。
僕は再び、イチョウ並木の道を歩いた。
隣に伸びている硬化プラスチールの道路のうえを、リニアカーがするすると滑っていく。風も音も、光すら切り裂いて、色とりどりの車が群れをなして飛びすさっていく。
低反射鏡のビルディングに映りこんだ僕の姿は、一昔前の映画に出てくる探偵のようで、疲れたサラリーマンのようで、何やらいたたまれなくなった。
僕は88-2ストリートの青い看板を目印に、住宅街の路地へ入った。住宅街といっても、この地区はそれほど賑わっていない。広い庭つきの家々がまばらに隣り合い、忘れ去られた場所の様相をかもし出している。
東の一番端の土地に、果たして、僕の家はまだあった。




