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苦手な方はご注意ください。

薄幸美女と真面目騎士

 ロボ(dirays)様主催のロボカップ参加作品です。

 恋愛の性癖を曝す作品とのことで結構誰得な作品になっております。

 細かいことはツッコミ無用ということで御了承下さい。

 赤。光と揺れを持った赤だ。

 それは、燃え上がる炎だ。炎の海に包まれているものがある。

 人だったモノ。家屋だったモノ。家畜だったモノ。折り重なり、砕け散り、燃え朽ちる灰。

 逃げ惑う声は無い。水分が高温によって弾ける音が響くのみである。

 息絶えた、紅の世界。生きるモノも、生きる糧だったモノも、すべからく炎の中だ。

 かつてニクエリの村と呼ばれた場所は最早無い。

 燃え尽きる村を遠くから見つめる者達がいる。

 鎧を纏う集団だ。馬に乗り、炎から離れた位置に構えている。

 鎧の集団の中心、一人の騎士が、ローブを纏った男を締め上げながら言った。


「邪神教団ッ……!! 何故だ、何故こんなことをする! 何故何もかもを滅ぼすんだ!!」

「知、れ……たこ、と、よ……」


 ローブの男は、絶え絶えに答えた。ローブの男の胸には矢が刺さっている。肺に血が溜まり、呼吸を阻害しているが、ローブの男は笑みを浮かべて言う。


「この、世……をォぼっ……終わ、ら、ぜる……だめに……!!」


 凄惨だ。血を吐き、目を限界まで見開き、それでも口端をつり上げる狂笑である。

 鎧の集団が、ローブの男の呪言に身を固めた。死に掛けの男が発する重圧に押されたのだ。

 ローブの男を締め上げていた騎士が、睨みつつ即答する。


「そんなことはさせない。俺の剣が、身体が、腕が、指の一本が動き続ける限り、絶対にだ!」

「ごォっ、ぁはっ、はは……!」


 ローブの男は、血を吐き、一言だけ放った。


「儀式は、成っ、だ……! 我々の、悲願は……! 成、就しだ……!」


 その言葉に、鎧の集団は、未だ炎の止まぬ村を見た。

 ローブの男に感じた狂気よりも、何か得体の知れない緊張が鎧の集団を突き抜けた。

 既に生存者の居ない筈の村に在る。ただらぬ何かの気配だ。


「これは、何だ」

「おいおい、ローレンス。こいつはやべえんじゃねえか。邪神教団の関わることでやばくねえことなんてねえけどよ」

「ローレンス隊長、ニール副官! 魔力反応が有ります! な、なんか居ますよ、村の中心に!」


 若い騎士が叫び声を上げた。

 ローレンスと呼ばれた騎士は、ローブの男を再び詰問しようと口を開き、閉じた。

 既にローブの男は息絶えていた。しかし、その顔に浮かんだ表情は狂気ではなく、安らかに瞳を閉じた笑みだった。

 ローレンスは、ローブの男を仰向けに寝かせ、男の顔を一瞥して立ち上がった。

 ニールと呼ばれた中年の男が言う。


「どうするよ、隊長さん」

「このまま放って置くことは出来ない。ニール、御前の言う通り、魔力反応が邪神教団の呼び出した何かだとすれば、それが何なのか確かめなければならない」

「藪蛇だったか……。オラ! 聞いたなオマエら! もう一仕事だ! 邪神教団に好きにさせたまま帰る気じゃねえだろうな!」


 ニールの叫び声に従い、鎧の集団が隊列を組み始めた。素早い行動で組まれた隊列は、一分も経たず完成する。

 隊列の最前列には、ローレンスとニールが並んでいる。

 ニールが隊列を確認し、ローレンスに頷きを送る。受け取ったローレンスは、腰の剣を引き抜き掲げて言った。


「これより、村の中心部に出現した魔力反応の正体を調査する! 結界陣形を組みつつ防護術式を展開し、一気に中心部へと向かう!」


 総員ッ、と上がるローレンスの声に、鎧の集団が覚悟を決める。

 そして、ローレンスの剣が振り下ろされた。


「――突撃!」


        ●


 ここは どこ

 あつい あかい もえる

 どうして ここに いるの?

 どうして だれも いないの?

 だれ だれなの だれなの

 わたしは だれ?

 わたし わたしは なに?

 わからない わからない わからない

 どこかも だれかも なにも わからない

 わからない わからない と こわい

 こわい こわい こわい

 たすけて だれか たすけて だれか

 だれか たすけて たすけて わたしを

 わたしは だれ?


        ●


 炎の海を割る一陣がある。ローレンスの率いる騎士団だ。

 結界陣形によって増幅された防護術式で、灼熱はローレンス達に届くことは無い。

 本来は平地での防御陣形である結界陣形を、馬で移動しながら用いることが出来るのは、ローレンス達騎士団の練度が卓越しているからだ。

 一切の乱れが無い陣形のまま、騎士団は村の中心部へと進む。

 そして、中心へ向かうほど、得体の知れない気配は強くなっていく。


「……何がいると思う? 魔物か、悪魔か、それとも邪神か」

「副長~やめてくださいよ、動揺して陣形が少しでも乱れたら僕ら焼死体っすよ」

「ミゼル、良いことを教えてやる。――オマエの髪に火ぃついてんぞ」

「えっ、妙に温かいと思っうわあ本当だ!」


 陣形が一部乱れかけるが、ミゼルと呼ばれた若い騎士を近くにいた騎士がしばいて正気に戻した。

 別の意味で緊張感の増した騎士団にローレンスが言った。


「御前達、この先何があっても動揺するなよ。――ミゼル、御前の頭髪が無くなってるぞ」

「えっ、妙に肌寒いと思っうわあ本当だ!」


 陣形が一部乱れかけるが、ミゼルを近くにいた騎士がしばいて正気に戻した。

 それらを無視しつつ、ローレンスが再び言った。


「十秒後、村中心部! 降下気流ダウンバーストで火を消す! 術式用意ッ!」

聖鋼騎士団アイゼンリッター! 前へ(フォー)!」


 ニールの叫びに、騎士団が一斉に剣を引き抜いた。

 剣を構えた騎士団が、術式となる聖句を告げる。


『地を這う我らに立ち塞がるものを。かかる困難を打ち払う風を与えたまえ!』

「下馬! 密集陣形!」


 聖句が終わると同時、ローレンスの指示が響く。騎士団が一斉に停止し、馬を下りる。

 馬を囲むように密集した騎士団は、低い姿勢で防護術式を構えた。

 瞬間、突風が来た。

 騎士団の唱えた"降下気流ダウンバースト"が、村の中心部に落ちたからだ。

 地面に落ちた気流によって生まれた突風は、家屋を吹き飛ばしながら火を消していく。

 風の衝撃を受けながら、ローレンスは騎士団に指示を飛ばした。


「気流が晴れたら中心を囲むように円陣を組め! 俺とニールが魔力反応体を確認の後、次の指示を出す!」

「いいか! 俺達が指示するまで絶対に円陣を解くな!」

『了解! サー・ローレンス、サー・ニールに御武運を!』


 しばらくその場で風を凌ぐと、徐々に気流が弱まってきた。

 それを感じ取ったローレンスは、立ち上がりつつ口を開く。


「聖鋼騎士団、前へ!」


 おお、と喚声を上げ、騎士達が消失した村の中心部へと進む。

 更地と化した中心部は、燃え尽きた家屋と道の名残が残っていた。しかし、燃え滓の地面の上には、黒い何かが座り込んでいる。

 騎士達はそれを捉えたが、命令を優先し、黒い何かを囲むように円陣を組んだ。

 騎士達が円陣を組み終わると、ローレンスとニールが剣を引き抜きつつ、黒何かへと向かう。

 バスターソードを担ぎながらニールが言った。


「何だと思う? あの黒いのは。奴らの崇める邪神って奴か?」

「解らない。魔力反応はあるが、あれの"質"は禍々しいとも、神々しいとも言えない」

「ああ、そうだな。妙な気配だぜ……」


 何と言えばいいの解らない。そんな風に顔を顰めたニールに、ローレンスは同意した。

 ローレンスは、圧倒的な魔力、それに伴う畏れを肌に感じる。

 同時に、圧力を与える相手の姿が、反して余りにちぐはぐな印象を受けた。


「まるで」


 ――立ち尽くして途方に暮れた迷子のような。そこまで考えて、ローレンスは内心首を振った。

 S字の鍔を持つカッツヴェルゲルを持ち直し、ローレンスはニールに言った。


「いつでも離脱できるように距離を保とう。流石に邪神相手は初めてだからな」

「ドラゴンとやりあったとき、オマエ同じこと言ってたよな」

「あのときは何とかなったじゃないか」

「ミゼルに生肉とか酒とかぶら下げて餌にして、地面に降りたところを杭ブチ込んでオマエが特攻したんだっけか。邪神の好物って何だよ?」

「生贄か……。確かに考慮に入れる必要があるな」

「ちょ、ちょっと何かまた二人で酷いこと相談してますね!? この外道! 悪魔! 邪神!」


 ミゼルの抗議を無視して、二人は改めて邪神らしきものを観察する。

 よく見れば、黒い何かは大量の髪だ。黒髪の塊は、俯きながら座り込んでいる。

 二〇mほど手前で立ち止まりつつ、ローレンスは言った。


「女……?」


 ローレンスの声に、黒髪の塊が揺れた。

 思わず構えたローレンスとニールだったが、黒髪の塊を注視して動きを止めた。

 白だ。黒髪の塊から現れたのは、雪のような白だった。それが人間の顔であると気づくと、二人は一瞬戸惑った。

 放つ魔力は確かに異質。しかし、全身を覆う黒髪から現れたのは、黒曜石の瞳を持った雪のような美女だ。

 どうするべきか、その考えを巡らせたところで、美女がこちらを見つめて言った。


「どなたですか、私に何か御用でしょうか?」


      ●


 ローレンスは混乱していた。最悪殺し合いになると覚悟していた相手から、問いを受けたのだ。

 こちらをじっと見つめる美女は、よく見れば服を着ていない。長い髪に隠れてはいるが、所々に美女の肌である白が見えた。

 極力意識しないようにしつつ、ローレンスは問いの意味を考えた。

 何者であるか、と美女は問うた。自慢ではないが、国の威信でもある騎士団を知らないと言われ、その隊長であるローレンスは少し傷を負った。

 まあ、召喚されたばかりの邪神なのだから当然か、と自分で理論武装しつつ、ローレンスは考える。

 どう答えるのが最善か。相手は美女の姿をしてはいるが、邪神教団の呼び出した"悲願"である。問答無用で切り捨てることが最善なのかもしれない。

 だが、遠巻きに見た印象と、目の前でこちらを見つめてくる美女に、ローレンスは自然と答えていた。


「ノールホルン王国近衛大隊第二騎士団"聖鋼騎士団"団長、ローレンス・ヴェルナンド」

「……同じく聖鋼騎士団副長、ニール・ダインスタイン」


 不満気に合わせてきたニールにすまないと思いつつ、ローレンスは続けて言った。


「我々は、邪神教団が召喚した思われる貴女に対し、交戦権と捕縛権を有している。返答による貴女御自身の意志を確認させて頂く。如何に?」

「……」


 美女はこちらを見つめたまま、表情を動かさない。その反応に、自分の行動を溜息付きつつ覚悟を決める。

 何故かは解らないが、美女の問いに対して、応えてやらねばならないと思った。

 意味は無いかもしれないが、そうするべきだと思ったのだ。いきなり攻撃を受けても何とかなるだろう。ニールも副長だ。何とか出来る実力はある。諦めろ。

 そう思っていると、美女がゆっくりと言った。


「……私には名が有りません。ローレンス様の問いに答えることは出来ないでしょう」


 返答があったことに驚きつつ、ローレンスは疑問を思った。

 ――名が無い? 邪神教団が"悲願"とまで呼んだ存在に名が無いとはどういうことだ。

 疑問する思考が答えを作る前に、名も無き美女が続けて言った。


「しかし、この答えでは、ローレンス様は御困りになるでしょう。故に、ローレンス様に御願い申し上げます」

「何でしょ……何だ」


 一瞬敬語になりかけたが、威圧的な口調に戻して問い返す。ニールの視線を感じるが無視する。

 そうしていると、美女は頷きを作りつつ言った。


「名を御呼びください。私には名が有りません。正確には、私自身の名すら知りません」


 ローレンスは、再び湧き上がった疑問と返答に対する感傷を噛み殺し、続きを待った。


「記憶も、思い出も、名すら無い私には、ローレンス様の問いにどう答えればいいのか解りません」


 なので、と美女は前置きし、


「私の名を、御呼びくださいませ、ローレンス様」


 ローレンスは、自分が美女に対し、敵意を抱いていないことを悟った。剣を構えてはいるが、意志は既に美女の求めへの答えに考えを巡らせていた。

 これが邪神の力なら恐ろしい、と頭の隅で思ったが、すぐさまそれを否定した。

 美女は無表情のまま、こちらを見つめ続けている。魔力の圧力も変わらないままだ。

 意志も感情も感じられない淡々とした問いだったが、ローレンスはそこに一つの考えを持った。もしかすると、彼女はどうすればいいのか解らないのではないか、と。

 彼女自身の言葉を信じれば、自立する根拠を持たない彼女は、不安故にこちらに問うているのかもしれない。

 己を明確に定義することの出来る"名"を求めているのだ。

 ローレンスは、もう一度彼女を観察し、考え、少しだけ悩んでから言った。


「――カトレア、君の名はカトレアだ」

「カトレア……」


 美女は俯き、自身の名となった言葉を呟く。ここに居る自分がいることを確認するように、何度も何度も呟き続けた。

 その様子に、ローレンスは剣をしまい待ちの体勢に入った。美女が、カトレアが納得するまで、もうしばらく時間が掛かりそうだ。その間に指示を出さなくてはならない。

 そう思い隣を見ると、剣を納めたニールが肩を竦めながら背を向けていた。

 撤収の指示はニールに任せても大丈夫だと判断し、ローレンスはカトレアに向き直る。

 すると、カトレアはゆっくりと立ち上がっていた。そして、ローレンスの方を見つめたまま言う。


「カトレアは、自身の事を何も知りません。ローレンス様の問いに対して、理性も感情も、意志による判断も、何も出来ないのだと判断出来ます」

「ならば、いかがいたしましょうか」


 沈黙したカトレアに、ローレンスは戸惑いを感じ取った。どうすればいいのか、それを判断しかねているのだ。それに対し、ローレンスはカトレアに近付き始めた。

 ローレンスは鎧についたマントを外し、距離を詰めてカトレアに纏わせる。カトレアは、為すがまま纏わされたマントを見て、次にローレンスを見上げた。

 見上げた視線の先、微笑むローレンスを見て、カトレアは無表情のまま言った。


「カトレアは、自身の事を知りたいのだと思います。ローレンス様に名を求めたことも、己を知るための手段であったと判断出来ます。故に」


 視線を真っ直ぐ逸らさぬまま、カトレアと名付けられた美女は言う。


「世界の事を教えてください。カトレアの名を与えて下さったローレンス様に、カトレアは己を知る手段として教えを請います」


 ローレンスは、カトレアの求めに対し頷き、


「拝命致しました、――カトレア」

「よろしく御願い致します、――ローレンス様」


 面倒なことになったな、と思いつつ、ローレンスは後悔を得ていなかった。

 抱え込んだ面倒よりも、カトレアと名付けた美女への期待があったのだ。

 何が待つかは解らない。望まない結果になるかもしれない。もしかすれば、この選択を後悔するときが来るかもしれない。

 それでも、とローレンスは思った。

 自分を見上げる彼女の瞳には、幼くも強い好奇心が芽生えていた。これから世界を知ることで、瞳の輝きが良いものに育ってくれれば、と思わずには入れない魅力があった。

 恐らく自分は、この輝きを信じたのだ。なら、信じたものを貫くのが騎士の本懐だ。

 ローレンスは、世界に連れ出すと決めた彼女に、手を差し出した。

 カトレアは、無表情のまま、戸惑うように、おずおずと手を握る。

 ゆっくりとした歩みで、ローレンスは軽く手を引きながら言った。


「行きましょう、カトレア。世界は広いですから」

「手を繋ぐ意味はあるのですか、ローレンス様」

「迷子になっては大変でしょう? それに、騎士が女性をエスコートするのは当然のことです」

「なるほど、騎士とは半裸の女性が迷子にならないように手を繋いでエスコートするものなのですね」

「そう言われるとかなり語弊があるのですが……」

「なんと」


 驚いたというように若干目を見開いたカトレアを見て、あれー? さっきまでと違ってかなり余裕じゃないかな彼女。と首を捻った。

 まあ、ゆっくり教えていけばいいか、とローレンスは思い直したのだった。


    ●


 鬱蒼とした森を進む一団がある。馬に騎乗し進む一団は鎧を纏っていた。

 光を反射する鎧は、機動力を損なわない軽甲冑である。だが、傭兵のプレートアマーとは違い、細やかな装飾が施された値打ちものだ。

 高価な鎧で身を包んだ一団は、確かな財力と権力の背景があることが解る。乱れなく一定の距離を保ちながら進む姿は、鎧に見合う高い練度を想像させるに難くない。

 鎧の襟元に統一された印章がある。雄々しく羽ばたく有翼馬ペガサスだ。それは、鎧の一団がノースホルン王国近衛大隊第二騎士団、通称"聖鋼騎士団アイゼンリッター"であることを示す印章だった。

 聖鋼騎士団は、近衛大隊に属しながらも、その性質上王宮にいる時間は少ない。組織としても新しく、設立されてから二年と経っていなかった。

 邪神教団による事件が頻発した結果、現行の軍による対応では間に合わないことが多々起きた。その為、各領地軍や傭兵団とは別の、王直属の即応兵力として新設されたのが聖鋼騎士団だった。

 現在、聖鋼騎士団は、村で起きた一件を報告する為、王都へ向かっていた。

 設立されてから約二年の間、聖鋼騎士団が王都に戻った回数は多くない。拝命を受ければ任地を転々とし、現地で新たな拝命と報告を済ませて移動する。その繰り返しだった。

 即応態勢を掲げているため、聖鋼騎士団に与えられた補給は多くない。現地調達は控えたものの、騎士達への負担は蓄積していく。

 機密性の高い報告や、欠員の補充などで王宮に戻る必要が出たときは、なるべく休暇を与えるようにしている。

 邪神教団に対応する以上、休みが無いのが実情だ。そういう機会が無ければ、皆サバイバルしながら飢えを凌ぎ、死んだ魚の目で邪神教団を追い続ける日々を送るしかなかった。


「よし、一旦この辺りで二時間休憩を取る。その間に各自食事を取るように」


 停止の合図を出しながら言ったのは、聖鋼騎士団団長"騎士の面構え(ナイトオブフェイス)"ローレンス・ヴェルナンドだ。


      ●


 さて、ようやく半分まで来たか、とローレンスは頭の中で現在地から王都までの距離を測りながら思った。

 抱え込むように前に座る美女、カトレアを拾ってから二日が過ぎた。その間、他の騎士達の警戒も幾分か解けたのは、彼女の人徳なのだろうか。

 無表情だが好奇心旺盛という矛盾した記憶喪失者である彼女は、事あるごとに誰彼構わず話し掛けているようだった。

 見るもの、聞くものが彼女の好奇心を刺激するのか、無表情で頷きながら感想を言う姿は随分馴染んでしまったように思う。

 そう思いながら、頭一つ低いカトレアの頭頂を見ていると、


「――皆様、馬を下りて何処かへ向かったようですが、一体どうなされたのでしょうか」

「ああ、前回の補給が切れたから、皆現地調達に行ってるんだよ」

「なるほど。皆様おもむろに草木を分け入って行きましたので、――ダイベーンやショウベーンではなかったのですね。カトレア反省しました」

「ハッハッハッ! カトレア、婦女子がそういう言葉を使ってはいけないよ。せめて御花を摘みに行ったとかオブラートに包んだ表現をね……」

「では、出すために御摘みを獲りに行った、と」


 新しい、と自分の語彙が広がるのを感じながら、ローレンスはここ二日間のカトレアとの会話を思い出していた。

 素なのかどうか、いや、彼女曰く記憶が無いので素の言動なのだろう。ともかく、彼女の感想は時折思いがけない不意打ちを食らうので心臓に悪い。

 その言動に慣れていっている自分の未来にも、若干危機感を持っていた。

 これは調教されているということでいいんだろうか。二日目にして教師役に調教返しするとは末恐ろしい生徒だ。彼女は何処まで俺を弄ぶ気なのか。けしからん。

 いかんいかん、と頭を振って正常化していると、カトレアがこちらに振り向いて見上げている。

 そして、カトレアは首を傾げながら言った。


「突然頭を振り乱してどうなされたのですかローレンス様。まるで興奮を払うような……はっ! ま、まさか……!」

「ち、違うよ!? 今想像したこととは無関係だよたぶん! こ、これはそう! 最近栄養不足気味でちょっとフラついただけだよ!」

「それはいけませんね。カトレアも少々食料を確保してきます」


 そう言って下馬して離れていくカトレアに一息つき、ローレンスも下馬しつつ思う。

 実際のところどうなんだろうか? ここまで連れてきてしまったが、カトレアの事を報告するには色々考えることがある。

 現在、カトレアを含めた事の次第を報告する為王都へ向かっている。

 任地で新たな指令を受け、そのまま次の任地へ向かうことが多いのだが、今回は事前に報告という名の休暇を申請していたのだ。 

 殺人的な強行軍の中、騎士達は本当によく戦ってくれた。自分がカトレアの面倒を処理している間、――彼等にはみっちり訓練を与えておこう。

 さて、カトレアのことを考えておかなくては。

 彼女について解っていることは多くない。

 邪神教団の呼び出した"何か"であること。好奇心旺盛な性格であること。姿形は寒気がするような美女であること。

 内に秘めたものはともかく、表に出ている彼女の行動は、少々変わっているものの普通の女性のように思える。

 ローレンスには、それが演技あるかどうかの判断は出来なかった。

 しかし、


「多くを知って欲しいよな……」


 彼女に名を与えたとき、彼女の願いを受けれいたとき。自分の立場の許す範囲で、世界のことを教えていこうと思った。

 それは、カトレアの瞳にある光が、純粋なものだと感じたからだ。

 解らないことも多く、何より邪神教団という背景がある。奴らに煮え湯を飲まされた身としては、疑う気持ちが残っているのも嘘じゃない。

 だが、少なくとも、自分はそう信じた。

 こういう甘さが抜けないのが、自分の悪いところだよなあ……。

 そう思っていると、足下まで届く長い黒髪が近づいてくるのが見えた。カトレアだ。

 カトレアは、雪のように白く細い手に、木の器を持っている。

 食料を取ってきてくれたのだろうか、と期待が膨らんでいると、カトレアが目の前で立ち止まった。

 そして、カトレアは、俯き器を見つめて停止した。その思案気な仕草に若干胸が熱くなったが我慢する。

 どうやら彼女は恥ずかしがっているようだ、と思い、ローレンスは笑みを作りながら言った。


「その器、私にいただけないでしょうか、カトレア」

「よろしいのですか、ローレンス様」

「ええ、女性からの贈り物を拒むほど、無粋な男ではありませんよ」

「そうですか。では、ミゼル様がリンゴを焼いていたので、それをカトレア風にアレンジいたしました」

「リンゴですか、この近くに生えていたんですかね?」

「いえ、どうやら以前から隠し持っていたようで、現在ニール様がミゼル様を尋問しております」

「その件は後で報告して貰うとして、楽しみですね、リンゴ」

「喜んでいただけるようで大変よろしいと判断出来ます、では」


 カトレアが差し出した器の中を、ローレンスは見た。


      ●


「どうぞ、焼きリンゴを加熱した――焼きリンゴ焼きです」


 ローレンスは、己の目の前にサーブされた物体を見た。器の中に入っているのは、黒焦げの炭っぽい何かだ。

 リンゴの甘い匂いは無く、明らかな灰の匂いが漂ってくる。

 どうしたものか、と身構えていると、さあ、どうぞ。とばかりにこちらを見つめるカトレア。

 ――ええい、騎士は食事程度で狼狽えない!

 覚悟を決めて、ローレンスは皿の炭っぽい何かを一口で飲んだ。

 まず、口内に広がったのはザラザラとした感触だ。同時に炭の味と、僅かに残った果汁が侵入し、口内が得も知れない感覚に襲われる。

 何と表現すればいいのか、ローレンスは哲学的な疑問を作ったが、カトレアの視線に更なる咀嚼を開始した。

 恐らく、リンゴの芯だったものを砕き、他の部位と共に飲み込みやすいように何度も噛み絞める。その度、ローレンスは敗北しかけたが、騎士の誇りと意地で何とかした。

 砕いて潰した炭っぽい何かを飲み込み、ローレンスは俯いてタメを作った。一度深呼吸し、肉体と精神を整え、顔を上げて言う。


「な、中々に独創的な味だったね」

「そうですか、自分で食べたときは炭と果汁が不快な感触で、ぶっちゃけこれは人の食べるものではないと思いましたが、お気に召して頂けましたか」


 ローレンスは突っ伏し、己の敗北を宣言した。


       ●


 そんな二人は、それからも度々、そのような騒動を繰り返した。

 ローレンスは、相変わらず邪神教団と、カトレア自身の謎を追いながら、彼女に世界の事を教えた。

 カトレアは、邪神教団の悲願という立場故に王城で軟禁されたが、関わる人々やローレンスから学び、世界と己の事を考え続けた。

 聖鉄騎士団の面々だけじゃなく、王や家臣達、彼女に関わった様々な人々も、そんな二人を見守りながら付き合った。

 幾度も考えるべき困難が訪れ、その度にローレンスは頭を悩ませ、周りの力も借りながら、カトレアと共に考え乗り越えた。

 そうして月日が流れ、カトレアとローレンス、その周りの人々との付き合いが一年ほど経ったある日。


「ローレンス様、恐らくこれが最後の問いになるでしょう。お答えください」

「カトレア……! 待ってくれ! 行くな!」


 カトレアの匿われていた王城に、邪神教団の襲撃が起きた。

 その程度なら、多くの精鋭が控える王城はびくともしない。問題は、彼等の悲願であり、得体を知れない力を有したカトレアだった。

 邪神教団の施した術により、彼女は秘めたる力に感化され、王城の半分を消し飛ばした。

 王城に控えた兵士の半数が壊滅し、対応したローレンスや聖鉄騎士団も、邪神教団に邪魔されカトレアに近付くことが出来ない。

 邪神教団を排除し、かつてカトレアの居室であった場所まで辿り着いたローレンスは、瓦礫の中で空を見上げるカトレアを見た。

 姿を異形に変えながらも、初めて出会ったときのようにローレンスを見つめ、カトレアは言った。

 まるで別れを告げるような言葉に、ローレンスは手を伸ばした。

 だが、


「――人間に、愛はありますか?」


 瞬間、ローレンスの意識は途切れた。

 衝撃に吹き飛ばされ、薄れゆく意識の中、ローレンスはいつもの無表情を見た。

 決意した。

 いつか誓った日のように。

 必ず、その答えを教えに行こう。


      ●


 かつての時代。自然の摂理があり、生と死が身近に繰り返され、人もその一部であることを忘れていなかった頃。

 彼女は居た。

 とても強大で、多くの生きるものにとってその強さは尊敬された。

 彼女は自然の意志とも言える存在であり、同時にその守護者だった。

 彼女の庇護の元穏やかに過ぎる日々の中、ある変化が生まれた。

 国を追われ、傷ついた人々が、彼女の住む森の最奥に訪れたのだ。

 彼女は知っていた。自然の中で生まれる生き物の中で、人間という存在は得意だった。

 数十年、数百年の間で巡る自然の摂理とは違い、人間は自ら環境を変え、暮らしやすいように整える。

 それは彼女にしてみれば極短い期間の事だが、明らかに価値観の違う存在の出現に彼女は興味を覚えた。

 彼女は人間達に近付き、様々な交流を図った。その過程で崇められ、彼女を中心として国が出来ていった。

 彼女は初めて戸惑った。極短い、ほんの瞬きに過ぎない時間の筈だった。百年も経てば忘れてしまうような、そんな出来事の筈だった。

 だが、彼女は覚えている。

 彼女と初めて話した青年が、いつの間にか番いを得て子を為した。

 自分から身動きも出来ない不器用な生き物を抱かされ、名を付けてくれと言われた。

 その生き物は呆れるほどの遅さで歩き出し、自分の後を付いてくる。見下ろせば、こちらの脚に抱き付いて笑った。

 成長し、美しく育った少女もまた番いを得て、自分に名付けをせがんできた。

 不器用な生き物を抱きながら、彼女は不可解な感覚を得ていた。

 この生き物がどうか無事に成長するようにと、名前を付けた。それは、彼女が初めて授ける“祝福ギフト”だった。

 その数年後、彼女は人々に縋られた。彼等は、かつて自分達を追い立てた国の軍隊が、自分達を滅ぼしに来たと語った。 

 かつて不器用な生き物だった頃から見知った者達が、傷つき、あるいは死していた。

 彼女は湧き上がった“何か”に突き動かされ、守護者としての力を使い軍隊を滅ぼした。

 不用意だったと自制し、人間達との接触をしばらく断った。己の行動を疑問する中、やがて名付けした少女が母親似の姿で尋ねてきた。

 どうか自分達をこれからも守って欲しいと請われ、彼女はしばらく押し黙った後了承した。

 そうして、ごく限られた者達、たいていは少女の血族だけと交流する内、彼女は人間の国の守護者となった。

 彼女は戸惑いを得た。いつの間にか自分の周囲に森は無くなり、自然の摂理ではなく人間を護る存在として祀られている。

 しかし、彼らの笑顔を見る度に、それを間違いとは思えなかった。

 答えを得ぬまま、彼女は請われるままに留まっていた。そんなある日、ふと彼女は、彼女の為に建てられた神殿を出て、外を見た。

 衝撃だった。そこにはたくさんの建物や人々が居り、かつて森であった場所は何処にもなかったのだ。

 彼女は駆けた。自然の守護者である彼女は大気を流れる風の一部となって遠く遠くまで駆けた。

 森も、自然も在る。同時に、何処であろうと人が居た。集落が、街が、国があった。

 彼女の内が激しくざわついた。これではまるで、人が自然を侵しているようではないか。

 そしてもう一つ、かつて彼女が滅ぼした軍隊と同じ者達が、互いを殺し合っている。戦場だ。さらには、一方は彼女の姿絵を描いた旗を持つ軍隊だった。

 急ぎ、彼女は神殿に戻り、今や国主となった血族達に問うた。

 何故、争うのか。何故、あれほどまでに殺し合うのか。何故、かつて祖先を襲った者達のように弱者を虐げるのか。

 その問いは答えられず、彼女はますます神殿の奥へと閉じ込められた。

 何故、とその疑問に囚われたまま、彼女は再び長いときを過ごした。そうして、かつての血族達の交流も断たれた日々を過ごしていたある日。

 彼女の内が震えた。まるで、自分の一部をもがれたような苦しみ。それは、かつて遠い昔に、彼女が血族に名前と共に与えた祝福だった。

 苦しみを払うように、彼女は神殿の外へ出た。

 そこで見た。以前見た街並みは燃え、血族の暮らす大きな城へと人間の死体が続いている。戦場だ。

 彼女は城へ向かい、途中制止しようとした人間達を薙ぎ払った。手当たり次第城の中を動き回った後、彼女は血族達を見つけた。

 既に死を迎える寸前の血族の生き残りが語ったのは、彼女に対する謝罪だった。

 かつて彼女に問われた祖先達は、己の行いを恥、各国へ向けて戦争の抑止を呼びかけた。これ以上、自分達の都合で祀られた彼女が傷つかぬようにと。

 だが、領土の拡大こそが国是である国際事情の中で、血族達の国家は煙たがられた。

 それでも、少しずつ平和に向けた協力を取り付けつづけた中、諸国連合による侵略が始まったのだ。

 血族達は、味方を得ることに失敗し、窮地に立たされた。迎え撃ち、抵抗した。その結果がこれなのだ、と血族の生き残りは語った。

 血族の生き残りは謝罪し、彼女に言った。人間を許さないでくれ、とそう言って息絶えた。

 彼女は、自分の得た戸惑いも、ざわつきも、全てが消え失せたのを悟った。変わりに芽生えたのは、かつての突き動かされた“何か”と同じもの。

 諸国連合をそれぞれの領土ごと滅ぼし、そこに住まう人々を悉く殺しつくしてもなお治まらぬ激しい“何か”は、彼女を変えた。

 彼女は大陸の果てまで真っ直ぐ駆け、進路上の全てを滅ぼした。果てに辿り着いたとき、彼女はようやく止まった。

 そして、彼女はここまで狂っていながら、己が未だに疑問を抱き続けているのだと悟った。

 自身の“記録”に幾つか条件を施して封じ、彼女は眠りに着くことに決めた。

 あの不器用な生き物を抱くとき、自分は微笑んだことがある。そのとき血族の一人は、それは愛だと言った。

 愛とは何かと問うても、ただ微笑み返すだけで教えては貰えなかった。だがそれは、国主となった血族に問い質したときとは違うのだと感じていた。

 微笑み、愛を育てる人間。嘲り、殺し合う人間。どちらの姿が正しいのか。

 いずれ目覚めたとき、血族にさえ答えられなかった問いに、人が答えてくれることを願った。

 もう一度、強く願ってから、彼女は目を閉じた。


      ●


 邪神教団は、カトレアを盟主として大陸中を荒らした。追うローレンスは、邪神教団誕生の経緯と、カトレアの存在に関する真実を見つけ出す。

 この世界に存在した歴史と、彼女の問いの意味を知り、ローレンスは思った。

 愛とは何か。恐らく、自分には正しく答える術は無いだろう。

 だけど、自分はカトレアを追うだろう。例え死ぬことになっても、答えを返すまで、自分が止まることは無い。

 愛が何かなんて、言葉にする手間すらもどかしい。抑えることの出来ない、ローレンスを突き動かす“何か”が、そのまま答えだ。

 それだけじゃ伝わらず、それだけでは足りないのなら、自分は彼女の前に立つためにあらゆることをしよう。

 邪神教団や、世界とだって戦って見せよう。

 実際、その為にあらゆる協力を取り付けた。聖鉄騎士団の面々、ノールホルン国王陛下、宰相閣下や各大臣、邪神教団関連で知り合った他国の姫や王族方、証人や権力者達。

 正に完全包囲と言わんばかりの布陣で、邪神教団とカトレアを追い込んだ。

 そして今、カトレアの目前まで迫っていた。

 答えは未だ明確ではない。だが、ここまで来たら、することはハッキリしている。世界の仕組みや趨勢を語ることなんて出来やしないが、それでも自分に言えることを見つけてきた。

 後は、世界を滅ぼし得るカトレアを前に、世界に宣誓する勢いで答えるだけだ。

 彼女が見えた。

 ならば言え、ローレンス・ヴェルナンド。自分が知り、感じ得た彼女に向けて、全てをぶつけろ。

 第一声を叫べ。


「――――カトぺッ!!」


 噛んだ。


         ●


「…………」

「…………」

『…………』


 一瞬、対峙するローレンスとカトレアのみならず、戦場全体が止まった。

 ローレンスは、自分に集まる視線を極力無視しながら、カトレアに向けて言った。


「カトレア、――答えを返しに来たよ」

「ようこそ、御待ちして居りました、ローレンス様」


 その会話を聞いた周りも次第に動き始めた。

 しかし、未だに戸惑いが残っているのか、その動きは鈍い。


「お、おのれ邪神教団めー」

「しゅ、守護者様の邪魔はさせぬぞー」

「つーか、アイツよく仕切り直せたな。俺だったらその場で自害する自信があるね、アレは」

「ちょっ、ニール副長! そんな死体蹴りみたいなこと言っちゃ駄目ですって! 団長は既に死に体なんですよ!?」


 ローレンスは一度俯き、深呼吸してから顔を上げた。


「ごめん、ちょっと待ってくれカトレア。――ミゼル、帰ったら王城庭園一〇〇周を命ずる」


 正面のカトレアに断りを入れ、ローレンスは満面の笑みを浮かべ振り返りながら言った。

 ひぃぃ!? と悲鳴が上がるのを無視しつつ、再びカトレアに向き直ると、ローレンスは苦笑した。


「やれやれ、出会ったときのような格好になってしまったね」

「はい、カトレアの方にも“記録”が御座います。あのときからちょうど二年ほどでしょうか」

「君が特別なのは解っていたけれど、まさかここまでとんでもないとは思わなかったよ」

「むしろ、乱戦の中ここまで進軍してきたローレンス様の方が異常かと判断出来ますが」

「まあ、そこは話し合いかな。こうして話す時間も、実はあんまり無いんだ」

「そうですか、ならば急がなければなりませんね。――準備は宜しいですか、ローレンス様」


 ローレンスは黙って頷いた。カトレアはそれに頷き返し、


「それでは、改めて問いましょう。人間に、愛はありますか?」


 世界を掛けた質疑応答が始まった。


     ●


「カトレアは言います。人間は、子を産み、育て、集団を守り、そのための仕組みを作りながら生きている。それは愛なのでしょう」


 一拍置き、


「ですが、同時に集団同士で争い、ときには個人が誰かを貶め、奪い、殺し合います。それは繰り返され、多くの悲しみと痛みを生みます」


 視線を離さず、カトレアは言う。


「何故、愛を語る人間が、愛を穢すのですか? カトレアには解りません。愛の実在すら、人足りえぬカトレアには理解出来ません」


 問うた。


「繰り返します。――人に、愛はありますか、ローレンス様」


 ローレンスは、大きく息を吸い、吐き、もう一度吸って、応えた。


「僕にそれを答えることの出来ないよ、カトレア」


 再び戦場が止まった。

 戦場にいる者達が互いに顔を見せ合わせていると、ニールがさん、はいと手を上下し、


『えええ――――!?』


 敵味方問わず、戦場が絶叫した。


     ●


 周りの絶叫を無視しながら、ローレンスは続けて言った。


「人間は、何かを愛することが出来るよ。だけど愛は、本人の中で完結する真理なんだ」


 息を吸い、確かめるように言葉は吐き出す。


「一人一人が愛という真理を持っている。共有できる場合もあるし、譲れない場合もある。だからこそ、争いが起きるんだと僕は思うよ」


 言いながら、思い浮かべるのはかつて村を滅ぼしカトレアを召還した邪神教団の男の死に顔。

 あの男の生涯を、ローレンスは知らない。だが、安らかな顔の裏には、自分と同じように愛が宿っていたとローレンスは思っている。

 今まで手を下してきた者達も、それぞれ譲れない愛があったのだろう。ここでこうしているこのときも、互いの愛を掛けている。

 だからこそ、ローレンスは言う。


「カトレア、もし君が人間に愛があるかどうかを確かめたいのなら、それは僕に答えることは出来ない。愛の実在は、本人にしか認識出来ない」


 だから、


「僕は僕の、君は君の、人は人の愛があることを証明しなくちゃならない。皆が皆、愛を共有できるわけじゃないけれど、悲しみや痛みを得るかもしれないけれど、それを辞めちゃいけないんだ」

「では、カトレアは、どのように愛を証明すれば宜しいのですか。ローレンス様は、どのように愛を証明するのですか」

「そうだね、まずは言い出しっぺの僕からか」


 ローレンスは苦笑しつつ、剣を捨て、カトレアの前に傅いた。

 手を取り、カトレアを見上げながら、ローレンスは自身の心持を偽らず言った。


「カトレア、僕と結婚してくれませんか」


 三度、戦場が硬直した。


      ●


 カトレアは、ローレンスの言葉を聞いた。


「君が話したいとき、僕は隣で聞こう。

 君が悲しいとき、僕は涙を拭こう。

 君が僕を突き放すとき、僕は黙って離れよう。

 君が答えを求めるとき、僕はずっと一緒に居よう」


 手を握り、そう宣誓するローレンスを見て、カトレアは思う。

 ――世界を教えると言ったとき、同じようにローレンス様はカトレアに誓われましたね。

 思って、カトレアはローレンスの手を握り返した。何故かは解らない。だが、カトレアはローレンスから目を離すことが出来なくなっていた。


「君と一緒に居て、君の一番であり続けることで、僕は僕の愛を証明するよ。だから、君も君の愛を模索して、僕と一緒に証明してくれ」


 ローレンスは、いつか、自身の愛を証明することが出来るのだろうか。自分と一緒に居ることで、彼はそれを叶えようとしている。

 自分はどうなのだろう。人間に、愛はあるのか。それを証明することは出来るのか。

 解らない。だけど、もし、かつて自分に向けられた血族達の微笑みの意味を知ることが出来るのならば、


「――カトレアは、それを愛の証明としたいのだと判断出来ます」


 ローレンスは微笑み、そして立ち上がってカトレアを抱きしめた。

 カトレアは、その胸の中で、ローレンスに言う。


「カトレアに、愛の証明をして頂けますか、ローレンス様」

「証明するよ。ずっと一緒に居るよ。だから、僕と一緒に世界を見に行こう、カトレア」


 互いに顔を見合わせて、カトレアとローレンスは、静かに目を閉じて唇を重ねた。

 数秒後、そっと唇が離れると、カトレアは目を開けて言った。


「それでは、“婿入り”の準備をしていただけますか、ローレンス様」

「うん、解ったよ。……ん? うん? あれ?」

「御任せ下さい、ローレンス様は信者げぼく共に御世話をさせますので」

「いや、ちょっと待ってカトレア!? 今なんて言ったの!?」

「おや、言葉が足りませんでしたか」


 カトレア反省です、と思いつつ、カトレアは続けて言った。


「とりあえず、このまま世界を征服して統一国家を建ち挙げますので、ローレンス様は永世女王であるカトレアに婿入りして貰います」

『待て――――!?』


 邪神教団も含んだローレンス達の制止の声が上がった。

 うんうん、と頷いてから、カトレアは言う。


「カトレア、前回の失敗から学んで直接国政をやれば問題無いと判断しました。今のところカトレアに勝てる生物は居りませんので、喧嘩売られたら滅亡返しでナシつけておけば安全かと」


 戦場の皆が絶句する中、カトレアは予想外の反応を見たとでもいうように首を傾げた。


「おや、どうかなされましたか皆様。――てっきり祝福の言葉を貰えるものと思っておりましたが」


 ローレンスに抱き付きながら言うカトレアに、やがてまばらに拍手が挙がる。


「小さいですね、どうやら自分達の立場が解っていないようだと判断出来ます」

『う、うおおおぉ――!!』


 勢いの良い喚声と拍手が爆発した。

 カトレアは満足そうに頷くと、ローレンスの顔を見上げて言った。


「ローレンス様、愛の証明する手始めに戦場を掌握してみましたが、いかがでしょうか?」

「流石だねカトレア!」


 ローレンスは笑顔を引き攣らせながら、やけくそ気味に叫んだ。


      ●


 その後の歴史がどうなったか。続き、綴られた年代記が示してくれるだろう。

 自然の摂理の一部だからか、それとも愛ゆえか、人の暮らしは未だに続いている。

 書き終わってから思うのですが、甘いのかなあこの話。規定に則っているのか凄まじく不安であります。

 長くなりましたが、これにて閉幕。


 ――たぶん数年後に黒歴史と化すだろうなあ(絶望)

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― 新着の感想 ―
[良い点]  ブラジルの黄色いお菓子くらい甘かったです。 [一言]  愛は主観による観測でしか証明できない。
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