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プロレスラー

作者: ラズ

 勝夫少年の住むアパートのとなりの部屋には男が一人いる。彼はプロレスラーだと言う。

 ぶあつい胸に太い腕と首、背丈はさほどでもないが、耳から下一面をおおっている荒いヒゲにはたしかな迫力を感じた。

 しかし勝夫はプロレス雑誌やテレビなどで男を見かけたことはなかったし、アパートや近所の公園以外で男を目にするといえば、もっぱら駅前のパチンコ店周辺でだった。

 以前、公園のベンチで男がタバコを吸っているところを、勝夫が「強いんか?」と訊いたことがある。男はヤニで黄色くなった歯をニッとして、力こぶを作って見せた。腕がググッと、勝夫の太ももよりもたくましなったのを見て、勝夫は素直に大したものだと感心した。


 勝夫の母はとなりの男とあまり話をするなと言う。ケンカや暴力が大きらいなのだ。たまに勝夫が、プロレスとケンカはちがうものだと説明しようとしても、まるで聴く耳を持とうとしない。

 姉は勝夫と同じくらいプロレスが好きなのだが、やはり母の前ではそうした話をするなと言う。酔っ払ってケンカして、死んでしまった父のことを思い出させるからだ。


 あるとき男があんまりタバコを吸っているのを見て、そんなの吸ってて本当に闘えるのかとたずねると、男は少しムッとしたようで、

「吸うてみい」と勝夫に、口の開いたマイルドセブンの箱を突き出してきた。

 勝夫はどうしようかと思ったが、相手の手が引っ込む様子がないので、仕方なく一本だけ抜き取った。見よう見まねで指にはさむと、すぐに着火したライターが出されたので、先っぽに火を点けた。口にくわえ思い切って吸い込むと、たちまち胸にズーンとくる。

 頭の中がグワングワンになり、景色がななめになった。

 気が付くと部屋で寝ていた。頭の横に向けると母が洗面器のうえでタオルを絞っている。

「おっちゃんは?」と訊いても、母は「寝てなさい」としか言わなかった。

 翌日男に「すまん」と言われたとき、勝夫は「あんなもん吸うてたら勝てんで」といちおうの忠告をしておいた。


 姉が高校を卒業したらプロレスラーになると言ったとき、母はかつてない剣幕で怒り、泣いた。

 勝夫は母の涙を見るのは初めてだった。父の葬式のときだって泣かなかったのだ。勝夫は急に胸が苦しくなったような気がして、ひとり襖の向こうで二人の話を聴いていた。

 しばらくして部屋を出て行った母は、今度は外で隣の男と話を始めたようだった。

 その声があんまりものすごいので、勝夫は二人がケンカを始めやしないかと心配になる。

 あの腕でなぐられたら、母はきっと大ケガをする。


 外へ出ると、母の頭の向こうにしょんぼりとしたクマのような顔がのぞいて見えた。

 男は困ったように、母の頭ごしにチラチラと視線を送ってきたが、勝夫は母が怖くて何も言えない。

 姉が出てきて「おっちゃん関係ないで」と声をかけても、母はずっと背中を向けたまま怒鳴っていた。

 それから姉は学校を卒業し、地元にある女子プロレスの入団試験を受け、合格した。

 姉がアパートを出て行く前日、晩御飯には鳥のからあげが出た。これは姉の一番の好物だったので、良かったなあと勝夫は思ったが、姉も母も何も言わなかったので、それにならってだまって食べた。


 時々姉から手紙が来る。

 ほとんどいつも、「つらい」とか、「キツイ」とか、「ゲロ吐いた」とかしか書かれていないが、たまに同封されている写真には、青いつなぎのユニフォームを着て、真剣な表情で練習に取り組んでいる姿や、同じ格好の人たちと並んで笑っている姿もあったりするので、一生懸命やっているのだと勝夫は思った。

 そうした姉のことを伝えると、男は「そうかあ」といって喜んでくれている様子だったが、どこかつらいような、さびしいような顔もする。そういう時、男はむかし本当にプロレスラーだったのかも知れないと勝夫はなんとなく思うのだった。

 一度、母が言うように姉をそそのかしたのかと勝夫が訊いたとき、男は「ちがう、ちがう」とマジメな顔で手をふった。

 たしかに男を見てプロレスラーになろうと考える人はいないと思ったので、勝夫はそれを信じることにした。

 しかし今度もし自分がプロレスラーになりたいと言ったら、また男は母に怒られるのだろうかと思う。

 勝夫がそのことを話すと、男は「かなんなあ」という顔をして笑うのだった。

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