生徒会執行部を取り戻せ!
生徒たちのさざめいた笑い声と潜めた話し声、食器の重なり当たる音――穏やかな喧噪に満たされていた生徒食堂に、物体が床へと落下する盛大な物音が響いた。
どうにも平穏を乱すその騒音を聞き咎め、周囲の生徒たちがおのおの視線を向けた先には、最近話題の生徒と、見慣れた姿があった。
半ば暗黙の了解として生徒会執行部役員が占有している日当たりのいいテラス席に、近日校内の噂話を独占している転入生が、きらびやかな生徒会役員を侍らすようにして座っている。転入早々に役員全員と『お友達になった』とのたまい、学園内で特権階級たる生徒たちと親しげに関わっている姿は、あらゆるところで物議を醸しだし、今やいつ爆発するともしれない騒動の爆弾庫として扱われている。
その転入生の『お友達』の一人である生徒会長――大道寺政重が一人席から立ち上がり、ある女生徒に相対していた。女生徒は中途半端に両手を上げたままの姿勢で固まっている。生徒会長はそれを疎ましげに鼻で笑った。
「いい加減うざってぇんだよ、消え失せろ」
彼女の足下には、その両手で持っていたのだろう、見事な黒塗りの重箱が転がり、中に入っていた食事を汚らしく床へまき散らしていた。先ほどの物音は、生徒会長がこれをたたき落としたものだったらしい。
見るからにあっけらかんとして事態を把握できていない様子の女生徒に、次第に周りの生徒たちから隠しきれない嘲笑が広がっていった。
女生徒の名前は三崎朋子、生徒会役員でもなければ、その他の特別な役を担っているわけでもない、ごく平凡な一般生徒だ。見目も特別あか抜けてはおらず、髪も染色しないままの黒髪の、どことなく野暮ったい外見である。
そんな地味という言葉の権化たる彼女が、なぜ全校生徒の既知の存在となったかというと、それは彼女の行動にある。
校内で男女問わず注目を集める生徒会長に付きまとっている一人であるからだ。具体的には、朝昼と弁当を作って彼の元へ持っていっている。
それだけならば身の程知らずと陰で笑われるだけであるが、誰のものも手作りは絶対に受け取らない生徒会長が、なぜか眉をしかめながらも三崎朋子の弁当は拒否しないのである。
さらには、制裁に乗り上げたファンクラブ会員たちへ牽制を口にした。弁当などで媚びて…と嫉妬の炎が上がりかけたが、すぐに燃料を見失い、勢いが失速した。
なにせこの二人、まったくあまやかな空気はないのである。生徒会長は拒否しないというだけで、ひどく不機嫌そうに重箱を受け取るし、三崎朋子もまた、きちんと手に渡ったのを見届けると、ろくな会話もなくさっさと離れた目立たない席に下がり、その後は生徒会長など一顧だにせず自分の食事を始める。
手作りを受け取られる唯一の人間というだけで周囲の嫉心は煽られるが、あまりになにがしたいのかわからない二人の関係性に、誰しもが手を出せずにただ成り行きを見守るばかりであった。
しかしそれも今この時までのことだ。学園の代表である生徒会役員が、どこの馬の骨ともしれない転入生を寵愛することは不愉快ではあるが、それはそれとして今まで渋々とした態度ではあるが一度たりとも三崎朋子の弁当を拒否しなかった生徒会長が、ようやく彼らしい傲慢さでその行為を否定したのだ。今まで鬱憤を溜めていた生徒会長のファンは溜飲が下ったような顔つきでにやにやとことの次第を眺めている。
三崎朋子は空になった自分の手を見、足下に転がった弁当箱とだめになった料理を見、最後にゆっくりと顔を上げて小馬鹿にした表情を浮かべる生徒会長を見て――右手をふりあげた。
ぱん、とすがすがしい衝突音がまた食堂内に響きわたった。肉を打つ軽快な音だ。あまりに予想外の出来事だったのだろう、避けもせず受けた生徒会長の頬がじわじわと赤らんでいった。
周囲を含め、時が止まったように硬直していたが、はっと我に返ったのは当事者の生徒会長だった。
「貴様…っ! 何をしやがる!」
「こっちの台詞ですぅ。食べ物を無駄にする人はー、許せないんですー」
三崎朋子はたれ目がちの鈍重そうな顔つきを裏切らずに、やたらと暢気な性格をしており、表情も動作もゆるく、間延びしたしゃべり方をする。口調こそいつものものだったが、その顔に浮かべた表情は、いつものゆるキャラのような間抜けたものではなく、明らかに憤慨しているとわかる厳しいものだった。
「大道寺様はぁ、何か勘違いをなさっていらっしゃるようですねぇ」
「何ごたごた言ってんだか知らねぇが、俺にこんなことをしてお前、覚悟はできてるんだろうな!」
三崎朋子も怒っていたが、それとは比較にならないほどの激怒にまなじりをつり上げた生徒会長は、思わず聞いているだけの無関係な人間も震え上がるほどの威圧感を持っていた。
しかし、三崎朋子はやはり、怒りをあらわにしても変わらないマイペースさで、眼前で噴き上がるかくどの火に構い立てしなかった。
「これがー、大道時様のお答えってことでぇ、いいんですよねぇ?」
「はあ?!」
「もうお食事はよろしいんですね?」
二人の会話に注目していた生徒たちは戸惑い、視線を交わした。まるで三崎朋子の言い様は、生徒会長がこそ彼女の弁当を欲したかのようなものだったからだ。成り行きを見守っていた背後の生徒会役員たちや、応酬の剣幕に呑まれて固まっている転入生も、頭に疑問符を浮かせている。
周囲に頓着しない三崎朋子ばかりが、ただ生徒会長の瞳をじっと見据えていた。微妙にその目が迷うように揺れたことを彼女だけが認めた。
しかし、生徒会長はその動揺を尊大なプライドで覆い隠し、すぐにふんぞり返った。
「そうだ! お前の豚のエサみたいな弁当はもううんざりだ!」
「…なるほどー、お考えはよくわかりましたぁ」
疲れたようにふっと息を吐くと、三崎朋子はしゃがみ込んで、自分の手が汚れるのも構わずに広がってしまった食事だったものを弁当箱に無理矢理押し込み、重箱を抱えて立ち去っていった。不思議なことに、その間誰も一言を言葉を口にすることができず、黙ってその動作を見守っていた。
三崎朋子の小さく平凡な背中が食堂から消えると、途端に芽吹いた春の花のごとき会話が生徒たちの口の端々から膨れ上がって室内を満たした。
戸惑いと疑問が渦巻く生徒食堂から、とある一人の生徒がこっそりと三崎朋子の背を追っていた。
「―待ちなさい、こら、このっ! トロ子!」
三崎朋子は背後からの耳慣れた呼びかけにため息をついて、足を止めた。トロ子、とは三崎朋子のあだ名である。その性格の通り、ちょっぴり感情も表情も動作もとろい三崎朋子は、名前の読み方からもじったその呼び名で揶揄されている。
「…なんでしょうかぁ、生徒会長ファンクラブ会長さん~」
振り返った先には、波打つ豪奢な髪をハーフアップにした、美少女が立っていた。熱心な信者の多い生徒会役員には、それぞれファンクラブが作られている。中でも最大人数を誇る生徒会長のファンクラブ、彼女こそがそのトップである。
家柄、人望に美貌、さまざまな資質をクリアした極上の美少女が、しかしその愛らしい顔立ちを厳しくして三崎朋子を見据えてつけていた。散々今までも弁当のことでファンクラブにはにらまれてきたために、双方顔も人柄も見知っている。
「…『おばあさまにご報告する』ってどういう意味?」
「あれ、聞こえちゃいました?」
「いいえ、聞こえてはいないわ。唇の動きを読んだから」
「読唇術とかぁ、お嬢様がやっちゃうんですかー」
「この程度、淑女のたしなみよ」
ごく当然そうに鼻をそびやかしたファンクラブ会長に、そうかなぁ、と三崎朋子は首を傾げる。この少女、なんと家は旧華族のやんごとなき宮様なのだが、ハイスペックすぎてとても良家の子女とは思われない技能を身につけているのだ。
「お客様のプライバシーにはー、一応気をつけてはいるのですがぁ、まあ、今件で私に障りがでた場合はその中にないとお約束してますしー。会長さんなら大丈夫かなぁ」
うつくしい外見からは想像もできないガッツを秘めた少女のことだ、恐らく答えが手に入るまで諦めはするまい。そう結論づけた三崎朋子は、他言無用でお願いしますよ、と口を添えてから語りだした。
「私がー、大道寺様へお弁当を作らせていただいていたのはぁ、 ビジネスなんですー」
「…ビジネス、ですって?」
「はあ、ご縁がありまして。…会長さんは、うちの家業が何かご存じですかぁ?」
「…みさき屋でしょう? あの、元禄創業の老舗和菓子屋」
突然の問いに戸惑いながらも口にした会長に、三崎朋子は得たりと頷く。
三崎朋子の実家は製菓家業だ。かつては皇室にも品を納めていた時期があるほど、それなりに歴史ある店である。そもそも、スポーツ特待生や成績特待生でもなければ、一定層以下の人間は招かれないはずの学園へ入学してきたことも、それが故なのだろう。生徒会長へ近づく不穏な輩の調査をした結果、そうあたりをつけていたファンクラブ会長であった。
「この学校の茶道部なんかにも卸させて頂いてますねぇ。うちは歴史だけは長いから、古くからのお得意さまもいらっしゃるんですけどー、大道寺様のおばあさまも、そのおひとりなんですぅ」
それでねぇ、と三崎朋子は腹から息を吐き出した。疲弊のにじむ吐息だった。
「ご相談を受けてしまいまして…」
「相談?」
「ええ。お孫様のことで…」
一気に重くなった口を鈍く押し上げて、三崎朋子は語った。
「お孫様が………どうしようもない偏食家だと…」
「…はぁ?」
にんじん、ピーマン、グリーンピース、お子さまの嫌厭する野菜はみんなきらい。しいたけなどのキノコ類もだめ。ほうれん草や小松菜を青臭いと言っては遠ざけ、ごぼうなどの根菜も泥の味がすると顔を背ける。肉は牛ばかりで鶏は苦手、牛乳も砂糖を入れて甘くしないと飲まない。
今までは彼の味覚を熟知したお抱え料理人たちの創意工夫によってなんとかなっていた。しかし、彼が進む高等部は全寮制である。大道寺家の嫡男として、そこ以外に進学する選択肢はない。このままでは成長期の大事な時期に体を壊してしまう…。
「そこで白羽の矢が立ったのが私ですぅ。まさか同じ年に入学することができるからって毎食作れと言われるとは思いもしませんでした」
「…それは…想像できませんわね…」
「まあ、おばあさまには懇意にしていただいておりますし、この寮は金がかかっていてキッチンも個別にあります。学費なども必要経費はすべて持つと仰いますからぁ、お受けしたのですが…」
昨今、和菓子の市場もなかなか明るくはない。三崎屋のような古いタイプの店は、昔からの縁故に支えられている。いずれ店を継ぐ予定の三崎朋子は、金の節約とお得意先へのへつらいに、将来の婿探しも加えてその依頼を受けたのだ。
「でも、いいかげんあのボンボンにはつきあっていられません~! おばあさまには、もし何か問題があって半ばで途絶えたとしても、学費は関係なく支払っていただけるとのお約束でしたからぁ」
祖母は孫の性格の難解さももちろん知っていたので、ビジネスとはいえど同世代の女子にかける負担を気にして、問題が生じた場合は依頼を途中終了していいと確約していたのだった。高校生活にはいる前に本人にも散々言い聞かせたとのことではあったのだが。
「あの転入生?ちゃんの前で、好き嫌いがあるなんてみっともないことを知られなくなかったのでしょうがー、あんなことをされて黙っていられませんー!」
ゆるキャラめいた顔をゆがませてぷんぷんと怒気をとばしている三崎朋子を見ながら、なるほどそれで例のささやきの後で生徒会長の顔色が一気に悪くなったのだなと、ファンクラブ会長は納得した。
「…それで、これからどうなるのかしら?」
「さぁ、存じ上げませんが。おばあさまからお叱りを受けることは間違いないでしょうねぇ。あと、本当にあの偏食は並大抵のことではないのでー、家に一時的に連れ戻されるのではないでしょうかぁ」
今まで甘やかされたぶん、強制的に偏食を直す厳しい指導が待っているかもしれない。他人事の響きで鼻を鳴らす三崎朋子はかなりにご立腹のようだ。
「わたしとしてはー、これ以上あの我がままに振り回されないで済んで万々歳ですぅ」
三崎朋子が面倒を背負い込んでまでこの学園に来た目的は、勉強もそうだが何よりも婿探しだ。三崎朋子は菓子作りは好きだが、経営に関してはどうもぱっとしないことを自覚していた。帝王学を叩き込まれている会社の三男坊か、庶民でも一芸に秀でた男子あたりをうまく取り込んで、金回りを任せようともくろんでいた。
あれはいやだこれは食べないとうるさい依頼人の好みに頭を悩ませて本懐を遂げられないでいたが、これで大手を振るって婿探しができるというものだ。
「そういうわけでー、会長さんにもお世話になりましたがぁ、もうご縁はなくなると思いますので、どうぞお見捨ておきください~」
派手な男の傍によらなくてはいけなかったことで、派手な人々に関わったり時には怒鳴られたりもした面倒な日々とはこれでさよならである。
にんまりと日なたの猫のような笑みを広げて一礼し、立ち去ろうとした三崎朋子の腕が、しかし、がっしと捕まれた。
「…あのぉ?」
引き抜こうとしてもずいぶんしっかり指が回っていて外れない。三崎朋子はおずおずと、見かけばかりは繊細そうな、その実不屈の精神をいだいた美少女の様子をうかがった。
「なるほど、だからあなたの行動には裏を感じなかったのね。でしたら…あなたの方がましです!」
「あのー、手をー」
「あの女狐! 男を侍らせて楽しんでいる転入生に比べれば…!」
「聞いてー、はなしてー」
「トロ子、あなたと生徒会長の縁を見込んでお願いいたしますわ。あの魔性の女の魔手から、生徒会執行部を取り戻して頂戴!」
「ええー! いやですよぅ。あの子絶対性格悪いですもん。いい子ぶってますけどー、お弁当落とされたときも止めもしなかったし、おそらくめちゃくちゃ腹黒いですよぉ」
狂ったとしか思えない突然の発言に、三崎朋子は目を剥いて飛び上がった。その暢気そうな見た目も相まって、カートゥーンアニメのキャラクタのような仕草である。
「だからこそよ! いっそあなたの方がましなの!」
ドン引きしている三崎朋子を追いつめるがごとく、ずずいと身を乗り出すファンクラブ会長だ。
「別に大道寺様に気とかないですしー、むしろ不快なタイプですしー、離したいなら会長さんがやればいいじゃないですかぁ」
「私たちでは決定打にかけるのです! もう何度も忠告申し上げましたが、何を吹き込まれたのか、ファンクラブの声には耳を貸してくださらない…あまつさえ、解散せよとまで言う始末」
「あちゃー、それは悪手…」
人間は長いものに巻かれる生き物だ。集団というのはそれだけで力を持ち、所属した単体は群体になることでその機関への枷を負う。思春期といういつ飛び抜けてもおかしくない時期の少女たちが熱情を抑えていられるのは、公認ファンクラブという檻に入っているからだ。それを解き放てば、なまじ金が有り余り、学力が高い分ほど、凄惨な結果になるだろうことは想像に難くない。
「会長会議によると、ほかの役員方のファンクラブも同じ状態の様子。このままでは恐らく収拾のつかない大惨事になるでしょう」
さらに転入生に魅惑された役員たちは、生徒会の業務を放棄し始めているらしい。辞めたいのなら代理を立てればいいのに、任期途中での辞退は経歴に傷を残すとわかっているからか、それは選ばないために決算待ちの仕事ばかりが溜まっているそうだ。
「このままでは学園存亡の危機です、まさか私たちの代でこのような事態を招くとはゆゆしきこと…! 早いところ、あの女狐を排除して、正気に戻っていただかなくては」
「大変そうですねぇ、がんばってくださーい、それではぁ」
熱の入り始めた言葉に、さらっと逃げ出そうとした三崎朋子の襟首が捕まれてぐえっと締まった。何せ動きが鈍い。トロ子の名前は伊達ではないのだ。
「共に、生徒会執行部を取り戻しましょう!」
「いーやーでーすーぅ!」
今ここに二人の戦いが幕を開け…るのには、まだまだ時間がかかりそうだった。
構想だけ
【三崎朋子】みさきともこ
主人公というよりも狂言回し。
元禄から続く和菓子屋の次期跡取り。
言動がとろいのであだ名がトロ子。
可もなく不可もない外見。和装は似合う。
学園には婿捜しに来た。
【ファンクラブ会長】かいちょうさん
生徒会長の公認ファンクラブをとりまとめている人。
ゴージャスな見た目の美人だが苦労性。
生徒会長への思いはnot恋愛but憧れ。
ちょびーっとは恋愛感情がないでもない。
【大道寺政重】だいどうじまさしげ
オレ様生徒会長。偏食児童。
【転入生】てんにゅうせい
転入してくるやいなや美形をはべらせて反感を買う。
恐らく転生者系。ナチュラル系美少女。
(出てきてないけど設定だけ)
【童子ちゃん】とうこちゃん
三崎朋子の親友で、転入生に一方的に親友断定されている。
黒髪パッツンヘアーであだ名は座敷童。
新聞部に所属し、謎の人脈を持っている。
全然書く予定がないけどボクっこの設定。