第二話:残業の日々
第一話の読者数、パソコン、携帯合わせてたった8人!「たった」なんて言っちゃいけませんね。八人もの人が、僕の文章を読んでくれたんだ!と考えましょう。不安な出だしとなりましたが、全国8名の読者とともに、ひっそりと、第二話を始めましょう!
翌日。午後五時。
「山口君、今日、残業できる?」
上司の橋川が聞いてきた。
「3時間ぐらい、残れるかな?」
(あとは、業務終了のハンコを押して帰るだけだったのに)
春哉は、心の中でがっくりと膝をついた。
3時間の残業――ということは、業務終了が午後八時。書類の整理などで十五分ほど経つから、局を出るのは8時15分過ぎになる。排気量50ccのスクーターをすっ飛ばして帰って、家まで30分。帰宅は8時45分だ。夕飯を作って食べて、風呂に入って汗を流せば9時45分となる。寝るのは午前1時だから――。
(3時間しか、小説を書く時間がない!)
今日も残業だ。郵便配達のアルバイトを始めて半年。自給1000円のために、26歳の毎日をすり潰してゆく日々――。
「あ、いいっすよ!いえ、全然大丈夫です!」
春哉は笑顔を作って了承した。
残業を嫌がっていることが、橋川にばれないように、声は明るく出しておく。残業をすすんでこなし、上司をサポートするさわやかな若者であるかのように。
「これを片付けといてくれる?三時間で終わる分だけでいいから」
「はい、分かりました!」
橋川が指差した小包の山を見る。
(どひゃあああああ)
午後七時。住宅街。
「ありがとうございまーす!どーも!」
春哉は、右手でアクセルを開いた。郵便局のシンボル――レッドカラーのカブ――が動き出す。排気量50cc、乾燥重量75キログラムの車体を器用にユーターンさせ、住宅街を駆け抜けてゆく。
(郵便物を届けた俺のほうが『ありがとうございます』って感謝するのも変な話だよな)
夜風に吹かれながら、次の配達先を目指す。
(次は、筒下さんの家か。寺の入り口を左折した先だったよな)
薄暗いヘッドライトを頼りに、暗い路地を進む。舗装されていない砂利道に入った。タイヤが砂利で滑り、バランスを崩しそうになる。わずかな操作ミスで、転倒してしまうだろう。春哉は体を左右に揺らしてバランスを取りながら、カブを目的地へ走らせる。
(それにしても――)
改めて思う。
(一日3時間じゃ、長編小説なんて書けないよな)
春哉が心酔する小説家、旗山六郎。旗山は大手電気メーカー「パシブル」に勤めながら、32歳でデビュー作「ユシカ大戦記」を書き上げた。シリーズ全十巻。描写はぬかりのない緻密なもので、3000年前の日本が舞台だ。
3000年前、日本にユシカという少女が実際にいた。そして、ユシカは北海道、本州、四国、九州を統一し、「日本列島」という概念を、史上初めて日本人に植え付けた。「日本」という国を創造したのはユシカという一人の天才である。これは神話ではなく、実際に起こった歴史である――そう信じざるを得ないほど、「ユシカ大戦記」は作りこまれていた。完璧な世界が、その十冊の中にはあった。
(『パシブル』に勤めながら、旗山さんは、ユシカを書いたんだもんなあ)
経歴を調べてみると、旗山は「パシブル」のパソコン開発部にいたという。新型パソコンを設計するかたわら、全十巻の長編を書き上げたのだ。旗山がこなしていた残業時間は、春哉の比ではないだろう。
(プロになる人ってのは、脳の問題処理能力が、俺とは桁違いなんだろうな)
脳の問題処理能力の低さ――春哉の大きな劣等感の一つだ。
執筆時間は一日3時間のみ。そんな制約があっても、長編を書ける人間は、きちんと書きあげる。それも、気が遠くなるような作りこみをした作品を、だ。旗山六郎という、生きた証拠がある。この環境の中で作家デビューを掴んでこそ、人生を変える糧となるのではないか――。
筒下家に着いた。カブを止めて、かさばる小包を後部のボックスから取り出す。
「こんばんわー。郵便でーす!」