『はるぶすと』見学ツアー その1
そのあとの数ヶ月。僕は九条じいとふたり、今までに増して厳しい仕事の指導をした。
当然それらには中大路もついてまわってもらった。だからいちばん間近で総一郎のことを見ていたんだ。
僕の容赦なしの引き継ぎに、さすがの総一郎も、ときおり中大路に弱音を吐くことがあったようだ。でも、それがいいんだよね。近いところに本音を言える相手がいれば、何とか乗り切っていける。
その合間に各方面への挨拶回りと顔見せも無事終えることができた。
そうして、ようやく代替わりのめどが付いた頃、総一郎がどうしてもと言い出したことがあったんだ。
「『はるぶすと』へ行きたい?」
「はい、厨房で、料理長やぼくの話をえらい気合いいれて聞いてはった夏樹さんといい、ものすごく穏やかな雰囲気なのに、先代が別格やといいはる鞍馬さんといい、いったいどんな料理をつくらはるんやろうと思って」
「でも、基本『はるぶすと』のふたりは洋食の料理人なんだよ?」
「それでも、和風ランチも出してはる、言うてたし」
「ふうん?それは総一郎の料理人としての興味なんだね?」
「はい」
「わかったよ。でも、料亭はそんなに休めないから一泊だけになるけど、いい?」
すると、なぜかニヤッと笑った総一郎が言い出した。
「先代は一泊だけ、ぼくと中大路はあと何泊かさせてもらったらええですやろ?」
うわっ、そうきたか。さすが七代目直系。抜け目がない。
ええーでもやだなー。なんで僕だけ先に帰んなきゃいけないのー?僕はすねながら、うーんうーんと考え込んでしまった。それをあきれて見ていた総一郎だったんだけど、とうとう笑い出す始末。
「ははは、先代はわかりやすいなあ」
「だって僕だけ先に帰るのヤだもん。どうしようかなー」
「それでしたら、修行の仕上げ旅とでも銘打って、堂々とお休みしたらどうですか?」
あーこの際それでもいいかも?僕はパチンと指を鳴らして言った。
「じゃあそうしよう!」
「先代。京都老舗の当主としては、軽すぎるんと違います?」
「僕だからいいの。それに今の案を言い出したのは総一郎だからね」
僕はさっきのニヤリを思い切り返してやった。でも、総一郎はそんなことでひるむような男じゃない。繊細そうで大胆。だけど、料理に関してはものすごく繊細。
「はいはい、ぜんぶぼくの責任です。それで、いつから行けますか?」
「総一郎、気が早すぎ。向こうには石頭のシュウがいるんだから。三人も来てどこに泊まるんだとか、色々難癖をつけられて泣くのは僕なんだよ?」
「へえー、中大路といい勝負しそうやな」
「ふふっそうだね。このあとすぐ電話してみるよ」
この間の厨房見学の時は、中大路がいなかったから比べられなかったけど、シュウと中大路って石頭なところは似てそうなんだよねー。そんなことを思いながら、総一郎を仕事に送り出した僕は、シュウに電話をかける。
まだ午前中だから家にいるだろう。
「冬里、どうしたの?」
「あいかわらず、律儀に早いね」
「お褒めにあずかって光栄です」
「あのさ…」
そこから僕は何ヶ月か前に約束した、これからのことを話し出したんだ。
ようやく代替わりのメドがついたこと。
そして、それを伝えた総一郎が『はるぶすと』へ行きたいと言い出したこと。etc.…
シュウと話しするの久しぶりだったから、あっちへ脱線し、こっちへ寄り道し。でも、シュウは辛抱強くつきあってくれるんだよねー。
「それで?その『はるぶすと』見学ツアーとやらはいつ始まるんだろうね」
「あはは、そうだね。どうしよう?」
「私に聞かれても。ただし毎週日曜日は定休日でございます」
また脱線しながら、それでもあっちとこっちの兼ね合いを考慮して、だいたい翌々週あたりから三泊か四泊にしようと決めた。
「そういえば今日はうるさい声がしないけど、夏樹は?」
「ああ…、」
と、いったん言葉を切ったあと、少し抑え気味の声でシュウが言う。
「由利香さんとの初デート」
「ええ?!」
僕は腰掛けていた執務室の椅子からひっくり返りそうな勢いで叫んでいた。
「知らなかったの?あの二人つきあいだしたんだよ。由利香さんが弟のように思っていた夏樹に情がわいてね」
あ、この声のトーン。僕をからかうときのシュウだ。もう、びっくりさせないでよ。
「僕をだまそうったってダーメ、シュウは嘘がつけないんだからさ」
「はは、だろうね。でも二人で出かけたのは本当だよ」
「どこへ?」
「さあ、買い出しとか言ってたけど。食材はいつも決まった店で買うし……あれ?」
なんだろう、シュウが少し怪訝な声を出す。
「灯りが消えたんだ…」
と言ったとたん、いきなりパァーン!と言う音がした。
「どうしたの、シュウ!」
僕が慌てて聞いたとたん、電話の向こうから「鞍馬くん、お誕生日おめでとう!」「ハッピーバースデー、シュウさーん!」と、騒がしい二人の声が聞こえてきた。あ。そう言えば。
「あれ、あ!すんません、電話中だったんすか?」「ええ?!そうなの?ごめんなさいね」「いいですよ、冬里ですから」とかなんとか聞こえてきて、いきなり耳に痛い位の声がした。
「冬里!どうしたんすかー。久しぶりじゃないですか」
「夏樹、声でかすぎ」
「あ、すんません。久しぶりで嬉しかったんですよー。それにね、今日はめでたいシュウさんのお誕生日!テンションあがりますよ」
そうだったそうだった。確かシュウがあらわれたのは僕より二週間くらい前。と、いうことは。
「あーじゃあちょうど僕の誕生日は『はるぶすと』へ行ってる間だから、僕にもうーんとお祝いしてよねー」
「え、そうなの?冬里のお誕生日はいつだか聞いてなかったわね。って言うか、冬里こっちへ来るの?なんで?」
今度は由利香の声に変わっている。相変わらずだね、この二人は。
「由利香ひどーい。僕が行っちゃだめなの?」
「そんなこと言ってないわよ。ただ、そんなに頻繁にお店を留守にしてもいいの?」
「今度は十三代目と一緒。じつはこのたび、紫水院 伊織の商号を十三代目に譲ることになりまして。総一郎が最後の修行に『はるぶすと』に行きたいんだって」
「へえー、総一郎さんって言うんだ、十三代目。でも『はるぶすと』に修行しに来るの?なんだか普通とは逆のような気がするけど」
由利香はちょっと可笑しそうに言う。
そうだよね、老舗料亭の当主になるほどの人間が、適度に都会で適度に田舎の住宅街にある、小さな喫茶店に修行に行くなんてね。
「と、ここで種明かし。本当は修行じゃなくて、シュウと夏樹のランチを食べてみたいって。だから連れて行くだけだよ」
「なあんだ、おかしいと思った。あ、でも」
「でも?」
「ある意味、鞍馬くんや夏樹のお料理を食べることが、いちばんの修行になるかもね」
「どういうこと?」
「私たち百年人が何代にもわたって伝承していくことが、あなたたちは一人の中に詰まってるんだもの。素晴らしいことだし、うらやましい限りよ」
「言われてみればそうだけど。僕たちにとってはそれが普通なんだもん」
「あ、そうね、ごめんなさい。人生のスパンが違うだけなのよね。でも、楽しみだわ~。私、十三代目に会うの初めてだから」
「あーそういえば。でも十三代目も僕に負けず劣らずイイ男だから、楽しみにしてて」
そんなふうに言うと、由利香は「またからかって」とか言いながら楽しそうに笑う。
そのあとまたシュウに電話をかわってもらい、おめでとうを言って電話を切った。