冬里のはじまり
月はおぼろに東山。この場所にピッタリの言葉じゃない?
あ~久しぶりに家に帰れた。今日は満月だね、言葉通りおぼろ月だけど。
その濡れたように霞む月を眺めていると、ふとなにかがよぎる…気になった僕は自分の中に深く深く入り込んでみる…
ああ、シュウが泣いてる、めずらしい。
§ § §
ふーん、こんなふうに出来上がっていくんだね。
僕は興味津々だった。どんどんどんどんやってきては僕の中に積み上がっていく。
ややあって僕はすべてが僕の中にそろったのを確認してから、おもむろに目を開ける。最初に見たのは自分の手。そうして起き上がり横を向くと、窓の外の丸い大きな月を背負った男が、涼しく光る目でこちらを見ている。見目麗しく?はあるけど。僕の方が男前だよ、ぜったい。
そして、それがシュウだった。
「ようやく現れましたね」
「キミは誰?」
「秋といいます。鞍馬 秋。こちらではシュウ・クラマとよばれていますが」
「ふーん? それで、人が出来上がるのを面白がって覗いていたわけ?」
「ハルがもうすぐだと言うので、だれも寄せ付けないように見張っておけと」
「ハル?」
「あとでお連れします。ところで貴方のお名前は?」
「名前はねー、ないよ」
「……」
「そんな睨まないでよ。真面目すぎるって言われない?僕は冬里。紫水 冬里だよ。こっちではトウリ・シスイって事になるのかな。Treeって呼ばれそうだね。呼ばせないけど」
すると彼はふっと微笑んで話をつづけた。
「ずいぶんわがままな方とお見受けしました。とりあえずその格好ではどなたの前にも出られませんので、これを」
そう言いながらクローゼットの扉を開け、中から着るものを一式取り出して僕の横に置いてくれた。僕はそれらを身につけながら彼に言う。
「ねえ、なんでキミはそんなに丁寧な言葉なの?」
「それは、貴方とは初対面ですから」
「まあそうだけど。僕は堅苦しいの嫌いだから、ここからはもうちょっとフランクな言葉遣いにしてくれる?」
そう言うとシュウはちょっと顔をしかめたけど、わがままな方、には逆らわない方が賢明だと思ったのだろう、
「わかりました」
と言って、それからは今みたいに話してくれるようになったんだよね。ホント世話が焼けるよねーシュウって。そして、着替えが終わるとシュウはついてくるように言って部屋を出て行った。
ここはかなり大きなお屋敷らしい。廊下がまるで迷路のよう。
どこをどう歩いたのか?、全部覚えてるよ。
さっきの部屋へ帰れと言われればすぐに帰れるくらいにはね。シュウはそのうちの一つの部屋の前で止まり、ノックをしてすぐに入っていった。
「お、やっと来たか?」
「はい」
一歩はいるとその部屋は、なんて言うか…あったかくって良い感じー。うん、気に入った。そして、そこにいたのが、
「オレは春人だ。樫村 春人、よろしくな」
ハルだったんだよねー。
「名前は?」
「冬里。紫水 冬里」
僕がちゃんと答えたのでシュウがちょっと変な顔をした。
あのさ、僕だってふさげて良いときと悪いときの区別くらいはつくよ。部屋はあったかい雰囲気だけど、ハルのまとう空気はビリビリしてる。今にも感電しそうだね。
「冬里、現れてすぐで悪いんだが。そうだな…」
と、ハルはしばらく僕を眺めながら考えていたんだけど、ふとわかったと言う顔をして、いいこと思いついたっていういたずらっぽい顔で言った。
「お前にはここで家庭教師として働いてもらう。見たところお前はどんなイレギュラーにでも柔軟に対応できそうだからな」
へえーこの人、僕のどこを見てそれがわかったんだろう。しかもたったあれだけで。そう、僕はどんなアクシデントがあっても取り乱さないっていう確信が、なぜか最初からあるんだよね。
でも家庭教師?もうちょっといい役ないのかなあ。そんなことを考えてぷーっとふくれていると、ハルのビリビリがフワフワになった。
「ハハハ、お前は面白い奴だな。そんなにあからさまに嫌そうな顔するなよ」
「だってさ、僕小さい子供ニガテだもん」
「大丈夫だ。お前の生徒はここのお嬢さまで、もう十三歳になる」
「そう、それなら少しは物わかりもいいね」
「ああ、ところで得意科目は?」
「オールマイティ」
「!ほんとにお前はたいした奴だ」
僕は自分が納得できないことはしたくないからね。ハルはまたフワフワと笑いながら、いきさつを話しはじめた。
ハルはそのころ貴族やら王様やら、とにかく位は高くても気苦労の底知れない人たちの相談役をしていたんだよね。もちろんハルのお眼鏡にかなった人限定。だから僕が現れたお屋敷の領主も、治めている街の事を一番に考えるようなできた人だった。もちろん奥様も。
その一人娘であるお嬢さまが最近、許嫁と会うのを避けるようになったらしい。理由を聞いてももちろん言わないし、嫌いになった訳でもないようだ。そろそろ婚約を考えていた領主さんが心配してハルに相談してきたんだって。
それで、あれこれ手段を考えていたんだけど、家庭教師向きの僕が都合良くあらわれたから、理由を聞き出す役目を担ってもらうことになったんだって。
なーんだ、そんなしょうもない(ごめーんでも本当のことだよね?)ことまで解決しなきゃならないの?若い女性の心変わりなんて毎日、いや毎分・毎秒のことだよね。でも、貴族社会の結婚は家同士の結びつきだ。婚礼に支障が出ると、婚家とこちらの関係も悪くなって領主さんが困ると言われ、人助けになるならと引き受けることにした。
翌日引き合わされたお嬢さまは、美人だけど、それを鼻にかけるようなこともない聡明そうな子だった。どうやらわがままで許嫁に会いたくないと言っているわけではなさそうだね。
「はじめまして、トウリ・シスイと申します。今日からお嬢さまの教育係をさせていただきます」
「ごきげんよう。トウリと呼んでいいかしら?」
「はい」
お嬢さまは名前をヴィアンという。第一日目から教えることがほとんど何もないほど、ヴィアンお嬢さまは良くできた子だった。それに偉ぶらないし茶目っ気もあるし。なにより敬語を使わなくて良いって言ったのが気に入ったなー。
それからしばらくは様子見をしていたのだけど。ある日のこと。
「ヴィアンお嬢さま。今日はどんなお勉強を致しましょう」
当時としては珍しく、ヴィアンは料理がしたいと言っては厨房に行きたがった。
「今日もお菓子作りがしたいわ」
「また?」
「ええ、貴方も一緒に覚えるのよ」
「はいはい」
厨房ではシュウをつかまえて料理を教わっている。
そう、シュウはお屋敷の料理人だったんだよね。自己紹介のときに僕がシュウの知り合いだとわかると、ヴィアンはずっと同じ人に教わる方がいいからと言って、シュウをご指名した。シュウは腕の良い料理人だからすごく忙しいんだけどなー。でも、仕事が早いからなんとか時間をやりくりして教えてくれる。言葉遣いはフランクになったけど真面目な性格はそのままだね。
本当はお嬢さまが厨房に入るなどもってのほかなんだけど、ヴィアンはお構いなし。最初は恐れ多くてビビッってた料理人たちも、忙しさと慣れで、今ではお嬢さまの姿が見えるとシュウに声をかけてくれるようになった。
「あ、お嬢さま、今日もごきげん麗しく。おーいシュウ、家庭教師の仕事だぞ」
「はい」
「シュウ、今日もよろしくね」
「かしこまりました」
そうヴィアンに言ってから、同僚を振り返ってあとのことを頼んでいる。
「ではすみませんが料理の方はしばらくお任せします」
「まかせておきな」
そんなやりとりをしている間にヴィアンはいそいそとエプロンをつけ始める。ここではまわりの迷惑にならないよう、何でも自分ですること、と最初に決めたので、エプロンのひもを結ぶのも自分でしなくてはならない。後ろで綺麗な蝶結びをするのはお嬢さまにはなかなか難しく、今日も一苦労している。
いつもはシュウの仕事が一区切りする間にエプロンをつけるのだが、今日は珍しく彼がすでに来ている。それであせったヴィアンは余計にうまく結べないらしい。
と、シュウがすっとヴィアンの後ろへ回り、手を取って一緒にひもを結んであげた。
「申し訳ありません。本来ならお手をとることなどお許しいただけないのですが…」
「え? いいえ、いいえ! いいのよ。私が不器用すぎるのよね、ごめんなさい…」
ヴィアンは真っ赤になってうつむいてしまう。ほんとに…シュウのフェミニストぶりはこんな所でも発揮される。んー?でも。まあ後で確認しよう。
「それでは、今日はスコーンのバリエーションをいくつか作りましょうか?」
「はい!」
無事にエプロンをつけ終えたヴィアンは元気よく返事する。ホント楽しそうだね。
それにしてもシュウの教え方ってとてもわかりやすいんだよ~。おかげで僕も料理上手になっちゃった。このときの経験があったおかげで、料亭の当主になったときもすごく楽だったんだ。
今日のスコーンは、プレーンなのとチョコチップが入ったのと、そして変わったところでリンゴ入り。スコーンにもいろんな作り方があるけど、シュウはいつもどんな料理でも、素人のヴィアンが簡単に上手く出来あがるように工夫してくれる。今回もサクサクとまぜて、あとはオーブンにおまかせ。
ヴィアンはわくわくした顔でオーブンの前を行ったり来たりしている。シュウはそんなお嬢さまを優しく微笑んで見守りながら、道具の片付けに入る。それに気がついたヴィアンが慌ててやってきて、
「ごめんなさい、片付けまでが料理よね」
と、シュウの手伝いを始めた。うんうん、ここら辺は僕の教育のたまものだね。ヴィアンはきちんと片付けを終えると、シュウや他のみんなに今日のお礼を言って厨房をあとにした。
出来上がった料理は厨房で試食してもらい、あとはお茶の時間に領主夫妻と楽しむことにしている。そして午後のお茶の時間までは料理以外のお勉強タイムだ。
僕の方針で、毎日ひとつはヴィアンのやりたい事をして、あとはドイツ語・フランス語、マナー、そしてダンスなど、およそ淑女になるための勉強をする。僕は今日ちょっと気になったことがあったので、ワルツの練習の時にこっそり聞いてみたんだよね。
「ヴィアンってもしかして、シュウのこと、すき?」
それまで流れるようにステップを踏んでいたヴィアンがつまずいた。僕はちゃんと彼女を支えてダンスを続ける。ヴィアンはまた真っ赤になってうつむいているので、
「はい、ちゃんと顔を上げて背筋を伸ばして」
と先生らしく指導する。はっと顔を上げたヴィアンは、ちょっとすねたような顔をして僕を睨む。
わあお。そうかーやっぱりねー、シュウも罪作りだよね。たぶん本人は彼女に好かれるようなことをした覚えは、ぜんっぜんないと思うよ。シュウは天然の人タラシだもん。
でも一料理人のシュウとどこで知り合ったんだろう。料理がしたいと僕にリクエストして、初めて厨房に行ったときには、もうお互い知っていたみたいだから。
「それで毎日のように料理を教えてもらいに行くわけ?」
「…あの、ちょっとストップして下さる?」
ヴィアンはちゃんと承諾をとってからダンスをストップして僕に聞いた。
「どうしてわかったの?」
「以前からちょっと気になってたんだけど今日初めてピンと来た。この僕を騙し通せるなんて、他の人が気づかないはずだよね。エプロンの一件がなければまだわからなかったと思うよ」
とか言ったけど、恋愛をしなくていい僕は、色恋事にはぜんっぜん興味が無いから、そっち方面にはちょっと疎い。だから気づくのがちょっと遅くなっちゃった。ハルをやきもきさせてるかな?
「あの、シュウは私がそんな気持ちでいるなんて思っていなくてよ」
「うん、彼はトンチンカンだからね」
すると彼女はぷっと吹き出して、
「トウリって面白い。なぜか貴方と話していると許される気がするわ」
「なにが許されないの?」
「あの、許嫁がいるのに、他の殿方にも心を向けている自分が…」
と言いながら苦しそうにうつむく。可愛いね。でもまだ十三歳なんだよね、可愛くって当たり前か。こういう年代の子が、ちょっと落ち着いたオジサン(ごめんね、シュウ)にあこがれを抱くのは一過性の風邪みたいなもんだよね。
さて、どうしよう。
話を聞いていくと、ヴィアンがシュウに初めて会ったのは、彼女の叔父さんが来て晩餐をとったとき。久しぶりにお屋敷に来た叔父さんが、その料理のすばらしさに感激して料理人を呼ぶように言ったんだって。
それがシュウだった。彼を一目見たヴィアンは、一料理人であるはずのシュウがまとう雰囲気のただならなさに驚いたんだそうだ。でも、ほかの大人たちはぜんぜん気がついていない様子。ヴィアンの聡明でピュアな感性がシュウの本質を見抜いたんだね、きっと。
そのときは一言も言葉を交わせなかったんだけど、ある時、勉強に疲れていたずら心をおこし、家庭教師の目を盗んでこっそり勉強部屋を抜け出したヴィアンは、庭師の手伝いをしているシュウに出会う。
僕たちって長く生きなきゃならないからかな、百年人に比べると仕事は早いし、教えてもらったわけじゃないのに器用に何でも出来てしまう。だからシュウは自分の手が空くと、お屋敷のあちこちで人の手助けをしていたんだ。まあ、僕もそうだったけど。
その頃いた庭師はかなりのお歳で、もうそろそろ引退しても良いんじゃない?ってまわりが言うんだけど、まだまだ若いもんには任せられない!と頑固に仕事を続けている人だった。そんなところでも、シュウは厚かましくなく、さりげない形で手伝いをする。
ヴィアンは思わず話しかけていた。
「ごきげんよう。あの、貴方もしかしてこの間の晩餐の時、叔父様に呼ばれていらした料理人の方よね?」
「?…はい」
「ああやっぱり。久しぶりに来られた叔父様が、料理の格が上がったって感激していたの。私も貴方が来られてからまだ日が浅いのに、お食事が美味しくてね、少しふくよかになって困っていますもの」
「それは…ほめていただいているとお受け取りしてよろしいのですね?」
「え?あ、ごめんなさい私ったら。もちろんです」
「ありがとうございます。そんなふうに言っていただけると、料理のし甲斐があります」
ヴィアンは自分の茶目っ気をたしなめもせず、淡々と答えを返す大人を知らなかったので、ものすごく新鮮な気がした。
「ところで、料理人の貴方がお庭で何をしていらっしゃるの?」
当然、歳をめした庭師の手伝いをしているという答えが返ってくると思っていたヴィアンは、シュウの思いがけない答えに驚いた。
「ええ…実はこの薔薇の花に恋をしておりまして。少しでも長く咲いていてくれれば良いなと。それで手が空くとこのようにお世話しに来ております」
「!」
「なーにをバカな事言っておるんじゃ。お嬢さま、こいつの話は半分くらいにして聞いておいた方がよいですぞ。こいつはな、この年寄りに気づかいさせずに手伝いをしに来ているだけなんじゃ。全部お見通しじゃわい、バカもんが」
「それは恐れ入ります」
そのやりとりから、庭師がシュウの事をとても信頼して手伝わせているのがわかる。
それにしても、薔薇に恋をしているなんて…ロマンチックなのかふざけているのか良くわからない人だわ、と思いながらも、シュウから目が離せなくなった。見ていると本当に薔薇に恋しているかのように、いとおしみながら世話をしている。薔薇も心なしかイキイキしているよう?
そのあと部屋に戻ったヴィアンは当然こっぴどく叱られて…家庭教師の監視がきつくなり、なかなか部屋を抜け出せなくなってしまった。それでも庭に目をやると、咲いている薔薇の美しさから、シュウの恋がまだ終わっていないんだと想像することが出来る。
こんなにキレイに咲き続けられるなんて、あの人に恋してもらえれば誰でもあんなふうに素敵になれるのかしら。と、ヴィアンがシュウの事を忘れられなくなったのは、そのあたりかららしい。
ははーん、そんなことがあったのか。
シュウも罪作りだね。
許嫁に会いたくないのはやはり嫌いになった訳ではなくて、何も知らない許嫁を裏切っているような自分が情けなくて会えないらしい。だからと言って、あこがれのシュウに料理を教えてもらうのをやめることも出来そうにない。
「じゃあ、ヴィアンが納得するまで料理は続ければいいよ」
そんなふうに言われると思っていなかったのだろう、ヴィアンはものすごくびっくりした顔をして僕を見た。
「…いいの?」
「うん、無理に押さえると、思いって言うのはどんどんふくれあがっていくものだから。でも一つ条件があるんだ」
「はい、なにかしら?」
「許嫁、ってまだ名前も聞いていないけど、彼にはちゃんと会うこと。こちらで会うのが心苦しいなら向こうのお屋敷へ行けばいい」
ヴィアンはしばらく唇を噛んで思案していたが、やがて思い切ったように言った。
「わかったわ。明日にでも近々あちらのお屋敷を訪問することを連絡しておきます。そうね、向こうで会うのならシュウはいないから心苦しくないわね。どうして思い浮かばなかったのかしら」
本当に可愛いね。でもこのぶんだと、少し時間をかければ解決しそう。ハルには本当のことを言うとして、領主さんと婚家には何か適当な理由を考えて婚約だけ少しのばして貰おう。
問題はシュウ。あの石頭にこんな事を言おうものなら、「それでしたら、もう料理をお教えするのはやめておきましょう。」とか言い出しそうだもんね。そんなことしたら、それこそヴィアンの気持ちが離れて行かなくなっちゃうよ。シュウにはしばらくヒ・ミ・ツ。
でもね、僕は彼を見くびっていたみたい。