はじまり
俺は三百年弱前のドイツに現れた。
あれ?と思ったときはまだ真っ暗だった。そしてどんどんどんどん集まってくる。ものすごく遠くから、ものすごく近くから、右から左から、前から後ろから。そして…、俺が出来上がっていった。
目が見えるようになって初めて見た物は、たくさんの布・布・布。そしてガタゴトとゆれている感じ。
俺はうわっと声を上げて起き上がった。そしてまたびっくりする。
え?俺ってば素っ裸?!でも良く考えて見れば、どんな奴でも服を着て生まれてくるわけないか。
「Standen Sie auf?」
「Ja. …Haben Sie die Kleidung?」
あれ?俺、何でここの言葉が話せるんだろう?(で、ややこしいのでここからは日本語に翻訳することにする。)
「服ならおまえさんの周りが全部そうだ」
どうやらさっきからガタゴトゆれているのは、俺が馬車の荷台に乗っているからだ。で、御者台に乗っているのは、ガンコそうなじいちゃんだ。
「どれでも着ていいんですか?」
「ああ、そんな格好じゃわしが恥をかく」
「ありがとう」
そう答えて荷台を物色する。なんとか形になるようなものを見つけて身につける。
「で? どこのお屋敷で放り出されたんだい?」
じいちゃんが面白そうに聞いてくる。
「え? なんの話ですか?」
「わかってるよ。どうせどこかのお屋敷の奥様と浮気してたんだろ?亭主が帰ってきて追い出されたんだろうよ。おまえさん、いい男だからなー、モテモテだろ?」
絶対何か誤解している。でも、素っ裸で隠れるように馬車の荷台に乗っていたら、そんなふうに勘違いしても仕方ないかな。まあその方が都合がいいや。
「へへ、モテモテなんかじゃないですよー」
「旅人か?」
「まあ…そうなりますかね」
「ふうん。…泊まるところは決まってんのかい?」
「いえ」
「じゃあどっか紹介してやろう」
「ありがとうございます…」
そう言ったはいいけど、考えて見れば俺、今は一文無しだよな。これじゃあ宿どころか、パンの一つも買えやしないじゃないか!
「あの!」
「?」
「泊まるとこよりも、どこか雇ってくれるところはありませんか?!」
じいちゃんは驚いたように振り向いて、まじまじと俺を見ていたが、黙って前に向き直ると聞いた。
「名前は?」
じいちゃんの名はハインツ。俺はハインツじいちゃんと呼んでいる。
じいちゃんは昔、腕の良い洋服の仕立て屋だったらしい。子どもも独立し夫婦二人暮らしになってからは、街の大きなお屋敷をまわっていらなくなった服をもらい受け、村の人に格安で仕立て直してあげている。当時は洋服も貴重品だったからな。俺が現れた時は、ちょうどお屋敷で服を集めたあとだったんだ。
俺が無一文で馬車の荷台に乗っていたり、どこから来たのか言えなかったり(そりゃー言えません。あんときに現れたんだから。)名前は何とか言えたけど、どうにも妙な名前だったりしたことから、記憶喪失だと思われたらしい。やっかいごとは嫌だと言いながら、それでも記憶が戻るまではと、じいちゃんの家に置いてもらえる事になった。
じいちゃんはその時代にはめずらしく一人暮らしだったからな。力仕事と料理の担当をしてくれるヤツが欲しかったんだそうだ。俺は料理はしたことがなかったけど、力仕事なら任せとけって言って、じいちゃんを面白がらせた。で、なぜ料理の担当にもなったかというと…
「出来たぞ、ナツキ」
「はい~って、これは何です?」
「シチューじゃ」
し・シチュー?これが?!
俺はまだこの世界に現れて数時間だけど、その俺でもこれがシチューでないってことくらいはわかる。ただの野菜の水煮。しかも味つけもほとんどなし!
「じいちゃん、いつもこんなもの食べてるのか?」
俺はあきれると言うよりも、切なくなって聞いた。
「ああ? ああそうだ。ばあさんは料理自慢の気のいいやつだったんだが、ちょっと前にわしを置いて逝きよった。わしより長生きすると言っておったから、わしは料理は、なーんにも出来ん」
ふえー。それは困ってただろう。俺はお節介で気のいい性質が、俺の中でムクムクとふくれあがってくるのがわかる。
「よーし! じいちゃん! なら俺が料理を覚えて、じいちゃんにうーんと美味いもんを喰わせてやるよ」
ハインツじいちゃんはあっけにとられていたが、思い立ったら俺の行動は早い。
次の日、近所の人たちに顔見せをかねて紹介してもらうと、俺は料理上手そうな奥さん数人をつかまえて料理の伝授をお願いした。お返しは家の手伝い。なのでもちろんタダ。
最初はみんなうさんくさそうにしていたけど、じいちゃんが日頃の家事に困っていたのは皆が知るところだったし、俺ってどこにでもすぐに溶け込めちゃうんだよね、不思議なことに。
何日かすると、
「ナツキ、ここの修理お願い」
「ナツキ、これも頼むわ」
と、いろんな手伝いをさせて貰えるようになった。
そうやってしばらくはハインツじいちゃんの稼ぎに頼りながら、奥さんたちに料理を教えてもらい、ついでに家事もまかせてもらっていたのだけど、あるとき、じいちゃんに拾って貰った街の方で、料理人を募集していると奥さん方が教えてくれた。
「ナツキ、みてみて!『In Herbst』って言う変な名前のレストランだけど、料理人を募集してるの。私たちが鍛えてあげたんだから、あんたの料理の腕は折り紙付きよ!応募してみたら?」
「へぇー、わかりました。受かったら、じいちゃんに苦労かけなくてすむもんね」
もうわかった?俺が最初に料理人として働き出した店の名前もHerbstだったんだよね。そう、俺はめでたくそこの料理人見習いとして雇ってもらえたのだった。