「良いだろう。婚約破棄してやる」 ―悪役令嬢に転生した魔王、王妃の座を狙う!?―
「イザベラ・デ・モンテローザ!! お前との婚約は、この場で破棄させてもらう!」
ヴァレンティア王国の王城。王立学園の卒業パーティのために飾り付けられた大広間に、王太子エドアルドの高らかな声が響いた。
「エドアルドさまぁ……」
「大丈夫だ。お前のことは私が守る」
黄金の髪に青い瞳。エドアルドは甘さのある端正な顔立ちをキリッとさせると、立ち尽くすイザベラから守るようにビビアナを抱き寄せた。
「…………」
ざわめきが静まっていく。
誰もが固唾を飲んで見守る中、十八歳になったばかりの公爵令嬢イザベラは、言葉もなく静かに佇んでいた。
大きく澄んだ宝石のような青い瞳に、柔らかく波打つ淡い金の髪。物言わぬその姿は、まるで最高傑作のビスクドールのようだった。
だが――
(これは……まさか、転生か――?!)
まさにこの瞬間、イザベラは“前世の記憶”を取り戻していた。
昼でさえ闇に染まる大国を統べていた膨大な記憶が彼女の脳裏を駆け巡る。
彼女――いや、彼はかつて“異世界の魔王”だった。
「おい、聞いているのか? 貴様の悪事は全て把握している。ビビアナの教科書を破り捨て、階段から突き落とし、噴水にも突き飛ばしたそうだな。天使のような顔で――よくもまぁ、そんな非道な真似が出来たものだ」
「エドアルドさまぁ! イザベラさまが睨んできて怖いですぅ……」
「貴様! ビビアナが怖がっているではないか!」
(なんだ、この茶番は……こやつら、串刺しにしてやろうか……)
教科書を破り捨て、階段から突き落とし、噴水では突き飛ばす――それのどこが“非道な振る舞い”なのか、今のイザベラには全く理解出来なかった。
青い瞳を見開いて二人を見つめることしか出来ないイザベラに、エドアルドはひとつ咳払いをした。
「まぁ……婚約破棄されては行き場などないだろうから……側室になら――してやっても良いぞ」
イザベラはぞわりと総毛立った。
ほんのりと頬を染め、含みのある視線を送ってきたエドアルドに生まれて初めてともいえる嫌悪感が湧き上がったのだ。
(この男……発情期のオークよりも気持ちが悪いぞ……)
顔を引き攣らせたイザベラを見つめるエドアルド。
その様子に、ビビアナは彼の腕に縋り付いた。
「そんなぁ……エドアルドさま、イザベラさまはわたしに酷いことをしたんですよ?!」
「……証拠はあるのか」
「え?」
「証拠はあるのか?――と聞いている」
どこまでも澄んだ――それでいて、やけに凛とした声が大広間に響いた。
イザベラの普段と違う様子に、辺りはしんと静まり返っていた。
「それはぁ……だってぇ、イザベラさまがしたんじゃないですか。覚えてないんですかぁ?」
ビビアナの間延びした甲高い声に、イザベラは心底不快そうに眉を顰めた。
(キーキー煩い女だな。見覚えがあるぞ)
イザベラには、ビビアナの姿がストロベリーブロンドの髪を生やした女ゴブリンに見えていた。
「……やってもいないことは覚えておらぬ。さぁ、証拠を出してもらおう」
「証拠など必要ない。ビビアナがそう言っているんだから、間違いないだろう。……それにしても、お前、口調がおかしいぞ」
「黙れ、串刺しにするぞ」
「えっ……?」
「イザベラ様が……まさか、聞き間違いよね?」とざわつく会場で、イザベラは忌々しげにため息を吐いた。
(こんな阿呆の妻や妾になるなど……ゴブリンに転生した方が百億倍もマシというものよ)
「良いだろう。婚約破棄してやる」
「イザベラ……では、私の側室に――」
「抜かせ」
「王太子エドアルド。貴様が言った言葉、よく覚えておけ。……一言一句な」と捨て台詞を残して、イザベラは淡いブルーのドレスの裾をふわりと翻した。
集まる視線に、イザベラはすっと辺りを見渡す。
「「……っ!!」」
不思議な輝きを宿す青い瞳に、会場中の誰もが目を奪われた。
(ククク……我の『魔眼』の威力も、健在のようだな……)
「イザベラ様、素敵……!」
「どこまでもついていきたい……」
阿呆な王太子が婚約破棄を突き付けたことよりも、イザベラの華麗(?)な変貌ぶりに皆の話題は持ち切りとなった。
◇
(まさか、この我が人間の小娘に生まれ変わるとはな……)
王城を後にしたイザベラは、公爵家の馬車に揺られながら、今までのことを思い返していた――
公爵令嬢イザベラ・デ・モンテローザは、生まれながらにして王妃になることを定められた娘だった。
六代前に王女が降嫁した名門の公爵家の生まれで、イザベラは奇跡的に王家の象徴とされる美しい金の髪と宝石のように煌めく青い瞳を受け継いだ。
イザベラの瞳は極めて美しく、歴代の王家でも稀な輝きを持っているとされた。そして、瞳の輝きは魔力の強さに比例する。――つまり、イザベラは強力な魔力を有するといわれる王族の中でも極めて強い魔力を持って生まれたのだった。
故に、生まれた瞬間から『未来の王妃』となることを定められた。
だが、王太子エドアルドはそれが面白くなかった。
――「イザベラ、その目はなんだ! 王族でもないくせに」
――「その人形のような顔も不愉快だ。お前は本当に人なのか?」
エドアルドは、優秀だと評判のイザベラに辛く当たり、年頃になれば冷たく接するようになった。
イザベラは婚約者であった彼とダンスを踊ったことも、ドレスや宝石はおろか花を贈られたことさえ一度もなかった。
まだ幼さの残る少女でありながら、怒ることもせず、不満げな顔すら見せないイザベラに、エドアルドは業を煮やし、更に冷遇を重ねたのだ。
「王太子殿下のイザベラへの態度はあまりに……私は、あの子が不憫でならないよ」
「本当に……あの子には、幸せになって欲しいのに」
(お父様、お母様……)
『王妃とは――国王の御心に常に寄り添い、お支えし、貴族や民の模範となる存在でなくてはなりません』
常日頃から呪文のように掛けられたその言葉が、イザベラの胸のうちに巣食っていた。
幼い頃から、エドアルドを支える王妃になるべく血の滲むような努力を重ねた――否、重ねさせられたイザベラにとって、エドアルドは絡み付いた重い鎖のような存在だった。
けれどイザベラは、公爵家とこの王国のために不満も感情もひた隠し、王妃教育に励み続けた。
対して、エドアルドは先代の国王夫妻の一人息子で、両親に溺愛されて育った。まだ小さかったイザベラが教育に励む傍らで、彼は蝶を追いかけて遊んでいた。
だが、八年前に外交に向かう途中で災害に巻き込まれ、先代の国王夫妻が亡くなってからは、彼を甘やかすものはいなくなった。
「王太子殿下、次期国王になられるのですから……イザベラ様は毎日励んでおられるのですよ」
「うるさいうるさい! 私は王太子だぞ! 貴様たちなど、この城にいられなくしてやる」
エドアルドに忠言した者は、ことごとく城から追い出された。
新たに王位に就いた先代国王の弟であるアレッサンドロが止めてからは追い出されることはなくなったが、エドアルドに本心を告げるものはいなくなった。
皆が、彼に見切りをつけたのだ――
「……それにしても、随分と脆弱な体に生まれ変わったものよ」
イザベラは、ぽつりとそう呟いた。
馬車の窓から見える景色は、すっかり闇に染まっている。
彼女は、傷一つない白い手を小さく握った。細い指先には、桜貝のような爪が並んでいる。
「ひとまず、証拠集めだな……」
「あのゴブリン以下の低能め……目に物言わせてくれるわ」とイザベラは目を細めた。
魔王である自分を冤罪で罵倒した上、婚約破棄を突き付け、更には「側室になれ」とのたまったのだ。許すことなど出来はしない。――イザベラは、すました人形のような顔をしながら、胸の内では煮え滾るような闘志を燃やしていた。
そうして、モンテローザ公爵邸に帰ったイザベラは、早速両親に相談した。
「お父様……っ! わたくし、謂れのない罪で王太子殿下とザネッティ子爵令嬢に責められましたの……このままでは、わたくし……」
「おお、可哀想なイザベラ……!! 父様にすべて任せておきなさい!」
「辛かったわね、イザベラ……泣いて良いのよ」
「わたくしは平気ですわ……幼い頃から、どんなに辛くても王妃教育に励んできたんですもの……」
「「イザベラ……!!」」
青い瞳を潤ませ、淡い笑みを浮かべたイザベラ。
涙ぐんだモンテローザ公爵夫妻は、健気な愛娘をひしと抱きしめた。
(計画通り……)
イザベラは、彼らの胸元に頬を寄せてほくそ笑んだ。
「学園に影を送れ。イザベラのために、全ての証拠を集めるのだ!」
それから、すぐにイザベラの望んだ“証拠”は集められた。
「叔父上……まさか、ビビアナが嘘を言っていたと仰るのですか?!」
「私も調べさせたが間違いない。モンテローザ公爵の訴えの通り、イザベラ嬢は無実だ」
「あのビビアナが、嘘を言うはずがありません!! 私は彼女以外を娶るつもりはありませんから!」
「落ち着きなさい、エドアルド。相手はザネッティ子爵令嬢だったな? あの娘はやめておいた方が良い。王妃には、モンテローザ公爵家のイザベラ嬢を――」
「王妃はビビアナです!! イザベラは側室にしますから!」
「何を言って――」
話も聞かずに飛び出していったエドアルドに、国王アレッサンドロは頭を抱えた。
「国王陛下……いかがなさいますか」
側近の疲れ果てた顔に、アレッサンドロはため息を零した。
「側室になど出来るはずもない。イザベラ嬢には、私が謝罪をしよう」
イザベラは、王家でも稀に見る魔力の持ち主だ。
何より、生まれてから王妃となるために生きてきた公爵家の娘を、衆目の前で一方的に糾弾し、婚約まで破棄したのだ。ましてや『側室』になどと――王太子とは言え、許されたものではない。アレッサンドロはそう考えていた。
そうして、王城の玉座の間において、イザベラは国王アレッサンドロと対面した。
(ほう、この男……魔力はそれなりのようだな)
金の髪に美しい青い瞳を持つ、若き王の凛々しい姿に、イザベラは微かに目を細めた。
(おまけに国王だし、顔も悪くない。……決めたぞ、この男を我の夫にする)
イザベラは、胸の内でそんなことを勝手に決めていた。
「イザベラ嬢、お詫びのしようもない……」
(国王陛下が、頭を下げられるなど……)
アレッサンドロの側近は、腰の低すぎる国王の姿に、ほんの僅かに片方の眉を動かした。
頭を下げたアレッサンドロに、イザベラは淡く微笑むだけで、何も言わなかった。
「……イザベラ嬢、どうすれば謝罪を受け入れてもらえるだろうか」
「わたくしは、幼い頃より王妃教育に励んで参りました。……あのように衆目の面前で王太子殿下に婚約を破棄されて……行き場など、何処にございましょう……」
儚げに睫毛を伏せたイザベラに、アレッサンドロは苦しげに眉を寄せた。
「それでは、王族の――イザベラ嬢と近い年頃の男子を……大公家の、アウグストなどはどうだろうか」
(アウグストか……あの男も見目は良いが、やけに高い声が耳障りだからな……)
イザベラは記憶の中の、マンドラゴラ畑から聞こえる奇声を思い出していた。魔城の裏庭で育てられていたのだ。
「アウグストでは、不服だろうか……」
「国王陛下は……お一人でいらっしゃいますよね?」
澄んだ声で放たれたその言葉に、アレッサンドロと側近は息を呑んだ。
(まさか、イザベラ様は国王陛下の――)
「それは――いや、しかし……私は、エドアルドに王位を譲ってからと……」
(正気か? 国が滅ぶぞ)
食う寝る遊ぶしか能のない阿呆王子の傍らで、イザベラは寝る間も惜しんで王妃教育に勤しんできた。それに、十八年間慈しみ育ててくれた両親もいる。
イザベラは、彼女なりにこの国を守りたいと思っていた。
「国王陛下……わたくしを憐れんでくださるのなら、どうか……」
イザベラは、潤んだ青い瞳でアレッサンドロを見上げた。
「だが……私は三十だ。イザベラ嬢よりも、ひと回りも年上で――」
「王家の婚姻では、珍しいことではありませんわ」
アレッサンドロが気にする年の差は、王族同士の婚姻では少なからず見受けられるものだった。それに、前世で数千年を生きたイザベラにとっては、何の問題にもならなかったのだ。
(三十路男なぞ、生まれたての赤子も同然よ)
「イザベラ嬢……しかし、私は――」
そのとき、玉座の間の大扉が勢い良く開かれた――
「イザベラ! よくも証拠を捏造してくれたな!!」
真っ赤な顔で飛び込んできたエドアルドの姿に、イザベラは顔をしかめた。
「この腐れゴブリンめが……貴様の頭には、オークの糞でも詰まっているのではないのか?」
「おーくのふん? 何だそれは」
「イザベラ嬢……?」
別人のように雰囲気を変えたイザベラの様子に、アレッサンドロと側近は怪訝な表情を浮かべている。
「イザベラ! 余計な真似をしたら、もう私の側室にはしてやらないからな!」
(この腐れ落ちたオークの✕✕めが……聖女のように振る舞うのも、もう限界だ……)
湧き上がった怒りを抑えるために瞼を閉じていたイザベラは、宝石のような青い瞳を開いた。封じていた魔力が解放される――
「国王よ。このオークの糞のような男を王に据えれば、一瞬で国が滅ぶぞ。間違いない」
「「なっ……」」
「なんという不敬……!! しかし、この強大で禍々しいオーラは……」
心の声をそのまま漏らす側近。
イザベラが解放した覇気に、皆が圧倒された。
「イザベラ嬢、君はいったい……」
「我は王妃教育も全て完璧に済ませてある。おまけに、この容姿だ――魔城でも、これほど愛らしい娘はいなかったぞ」
イザベラは自信満々と言った顔付きで微笑むと、白い手をアレッサンドロに差し伸べた。
「さぁ、黙って我の手を取れ。後悔はさせぬ」
呆然と立ち尽くすエドアルドと側近の前で、アレッサンドロは淡く頬を染めてイザベラに跪いた。
「君のような――いや、貴女のような人を探していたんだ!!」
「国王陛下?!」「叔父上?!」
「まさに、女王様だ……」
国王はドMだった。
「女王になってやっても構わぬぞ」
「貴女がそう仰るなら是非――」
「国王陛下!! まずはご婚約ですよ……!」
こうして、王太子に婚約破棄されたイザベラは、国王と婚約することが決まった。
そして――
「こう言ってはなんだが、王太子殿下は頭の方が少し……」
「王家の血筋だけあって、見目は麗しくていらっしゃるのだがな」
家臣や貴族たちの賛同もあり、顔だけ王太子エドアルドは無事に廃嫡された。
「エドアルド。ザネッティ子爵令嬢との結婚を許そう」
「叔父上! ありがとうございます……!」
そこへ、アレッサンドロから贈られた赤いドレスを纏ったイザベラが現れた。
「おめでとう。愛のために王族の身分を捨てるなど、中々出来ることではない……あの小娘も泣いて喜ぶはずだ」
「えっ?」
「あの小娘はザネッティ子爵家の大切な一人娘だろう? 国王陛下の温かな気遣いに感謝するが良い」
(この私が、子爵だと……)
こうして、エドアルドはザネッティ子爵家へと婿入りした。
貴族間の均衡を保つため、彼は王族籍から除籍となり、子爵家の爵位も格上げはされなかった。
ビビアナは「こんなはずじゃなかったのに!」と泣いて悔しがっているとか、いないとか――
(さて、とりあえずは落ち着いたな……)
「イザベラ嬢! 貴女のために用意したんだ」
イザベラとアレッサンドロが婚約して間もなく、王城の庭園を赤い薔薇が彩った。
好きな花の色を問われて、『赤』が好きだと答えたイザベラのために、アレッサンドロが直ちに植えさせたのだった。
「…………」
「イザベラ嬢……?」
「……こういうのも、悪くはないな」
(花を贈られるなんて、初めてだ……)
小さく微笑んだイザベラに、アレッサンドロは安堵の笑みを浮かべた。
こうして、婚約破棄された魔王――否、公爵令嬢は、めでたく国王の婚約者となったのだった。
―End―
アレッサンドロ「私は決してドMなどではない。強気な女性が――イザベラ嬢が好きなだけだ」
◇後日談◇
城下で暮らすようになったエドアルドは、黒いフードを目深に被り、一人の男に声を掛けた。
「お前、小説を書いてるそうだな。この設定で一冊書け」
「えっ……これって、まさか――国王陛下と公爵令嬢の名前と同じじゃないですか?! 嫌ですよ。死にたくありません!」
「金をやるから、とびきりの変態小説に仕上げろ。お前の名は伏せてばら撒けば良い。……出来るな?」
(さぞや恥ずかしい思いをするだろうな……ククク)
ひと月後――
「国王陛下、城下でこのようないかがわしい本が出回っております。作者は『腐れゴブリン』だそうです。いかがなさいますか」
「貸してみろ……なになに、『我に跪いて許しを請え』……『私を貴女の奴隷に――』こ、これは……!」
アレッサンドロが本を持つ手はわなわなと震えていた。
「陛下、直ちに発禁処分に――」
「なんと素晴らしい本だ!!」
「は?」
「いや……実にけしからん本だな。すべて集めろ。そして、作者に金塊をいくつか送ってやれ」
「はぁ、仰せの通りに……」
「アレッサンドロ、時間はあるか」
「イザベラ嬢のためなら、時間などいくらでも空けよう」
やって来たイザベラの誘いに、アレッサンドロは嬉しそうに立ち上がった。
「薔薇を見に行きたい。付き合え」
「すぐに行こう。丁度、新しい品種が咲いたんだ。名前は『レジーナ・イザベッラ』だ」
アレッサンドロは大切そうに本を懐に仕舞うと、イザベラと庭園へと向かった――




