第1話 遺言の内容
赤々と燃える炎。視界を塞ぐ程の黒煙。
深夜二時頃。住宅街にある一軒の家が激しく燃え上がった。
近隣の住民はそれを遠巻きに見つめ、より離れた場所からはサイレンが聞こえる。
そんな家屋の中、煙草を咥えた男が一人、落ち着き払った様子で歩いていた。
男はリビングだった空間へ足を踏み入れる。
そこには赤黒い血だまりが広がり、手前には女性が、部屋の中央には男性がそれぞれ倒れていた。
女性は首から血を噴き出し、既に絶命。
男も血だらけのまま俯せに倒れ込んでいたが……その下から、微かに咳き込む声が聞こえる。
「だから言っただろ。オレ達みてぇな人間が普通に生きるなんて、無理な話だってよ」
男は、倒れている男性を仰向けに転がす。
するとそこからは五体満足の幼子が姿を現した。
三歳ほどの子供だ。その瞼は閉じられていて意識はない。
「ったく。どーすんだ、これ」
彼がげんなりとした顔をしたのも束の間。
仰向けに倒された男性から声がした。
「……お前なら、来てくれると思っていた。裕二」
男――瀧裕二は僅かに目を見開いてから男を見る。
「生きてんのか。悪運の強ぇ」
「お陰様でな。だが生憎、ここまでのようだ」
相手は胸元や腹部など、複数個所に銃創を抱えていた。
隙間風のようなか細い呼吸に笑う気配が混ざる。
「死に目を見に来てやったぜ。お前が殺られる時は残った資産を貰う約束だったからな」
「ああ、勿論覚えているさ。遺言書だって作っている。間に合ったようで良かった」
「請求書すら存在しねぇ世界の住人に遺言書、ねぇ」
男性はリビングに置かれた本棚を指す。
裕二は促された通りそちらへ足を運び、本を全てはたき落とした。
空っぽになり、丸見えになった背板。そこには一つの封筒が貼り付けられている。
「それが、俺の最期の望みだ」
男性の声を聞き流しながら裕二は封の中を確認する。
そして現れた一枚の便箋に目を通した彼は驚愕から目を見開いた。
「頼んだぞ」
「おい、榊――」
異を唱えようと、裕二は男性を見る。
しかし彼が見たのは、既に息絶えている知人の姿だった。
裕二はその場に立ち尽くす。
そして数秒ほど時間をかけ、思考を整理した彼は大きな舌打ちをした。
「やりやがったな……っ」
***
三ヶ月後。
裕二は路地裏に倒れる一人の男を冷たく見下ろし、立っていた。
男の胸にはナイフが突き立てられており、倒れている。
(脈はない。死亡確認)
男の首に触れ、絶命を確認してから彼は一つ息を吐いた。
その時だ。
彼のスマートフォンからアラームが鳴る。
瞬間、裕二の顔色が変わった。
「やべっ、時間……っ」
裕二は顔に被った返り血をボディシートで拭い、眼鏡をかける。
また顔と同様に血液を被っていた上着は脱いでバッグに詰め込んだ。
一連の流れを手慣れた手つきで完了させた後、裕二は全速力でその場から離れるのだった。
非常に真剣な面持ちの彼が向かったのは――保育園。
裕二は正門の前で話をしている親子や保育士の前で足を止めた。
「あ、こんにちは」
「こんにちは。すみません、遅くなってしまって」
「いえいえ。今日はまだ他の子達も残っていますから。中入っちゃってください」
「ありがとうございます」
先程までの顔つきからは一転。
腰が低く、気弱そうな空気を纏った裕二は保育士や周囲の親子へ何度も頭を下げながら保育園の中へと足を踏み入れる。
時刻は午後五時を過ぎた頃。
延長保育に切り替わり、全ての学年の児童が集められた大部屋を裕二は訪れる。
中の様子を窺い、すぐに目的の人物を見つけた彼は真っ直ぐとそちらへ向かう。
「千景」
「あ。パパ」
ブロックを組み立てて遊んでいた児童の一人。
大きな瞳と長い睫毛から、少女と勘違いもされそうな可愛らしい見目の少年が裕二を見て笑顔を見せた。
「お待たせ。帰るぞ」
「はぁい。みんな、ばいばい」
「ばいばい~」
持っていたブロックを片付け、千景は裕二の手を握る。
部屋を出る手前で千景の担任から連絡帳を渡された裕二は、また穏やかな微笑みで応対した。
帰り道。
裕二と千景が手を繋ぎながら歩いていると、千景が彼へ話し掛ける。
「パパ、今日のごはんはぁ?」
「さぁな。ママに聞いてみないと」
「あのね、ハンバーグがいい」
「ハンバーグ……は、多分ないな」
「えー!」
最近の買い出しの材料を思い出した裕二の返答に、千景が不満そうな顔をした。
「今度作ってくれるか、聞いてみようか。チーズもいれてもらおう」
「っ! チーズ!」
裕二の提案を聞き、口を尖らせていた千景の顔が一変。
彼は素直に目を輝かせて頷く。
そんな幼子に、裕二は優しい笑みを見せるのだった。
***
保育園からほど近いマンションの高層階。
そこが裕二と千景の住居だ。
「ただいま」
「ただいまぁ」
「千景、一人で手洗えるか?」
「うん!」
頷くや否や、駆け足で洗面所へと消える千景。
裕二はそれを見送ってからリビングへ向かう。
「おかえり~」
入ってすぐ右手にはオープンキッチンがある。
そこでは野菜の皮を剥いている人物が立っていた。
華奢な体格だが、日本人男性の平均身長は優に超えているだろう。
「……ちょっとアンタ、また臭いわよ」
美しいブロンドの長髪を一つに纏めたその人物は化粧を丁寧に施した端正な顔を怪訝そうに歪める。
裕二もまた、千景の前では見せない仏頂面で相手を見ていた。
「んな事より、小十郎――」
裕二が相手の名を呼ぶ。
次の瞬間。
金属同士が激しくぶつかる音がリビングに響き渡った。
相手――小十郎は持っていた包丁を裕二に突き立て、裕二は袖口に隠していたナイフでそれを受ける。
この間、たった一秒。
至って日常的な家庭風景は一瞬にして非日常的な光景へと変貌した。
「その名前で呼ぶなっつってんでしょお~?」
直前までの、鼻にかかった声とは一変した、低くドスの効いた声がする。
笑顔のままではあるものの、彼が纏う空気の圧は凄まじかった。
「日常生活で刃物ぶん回すなっつってんだろ」
裕二はこめかみの血管を浮かせながら小十郎を睨みつける。
二人の間に冷ややかな空気が漂う。
そんな折。
「パパ~! ママ~!」
勢いよくリビングの扉が開け放たれる。
リビングへ飛び込んだ千景は、満面の笑みで両手を掲げている。
「みて、一人であらえた!」
千景の視線の先。
互いに向き合っていた裕二と小十郎の手からは刃物が消えていた。
千景の接近に気付くと同時、二人は凶器を隠したのだ。
裕二は袖の中にナイフを戻し、小十郎は目にも留まらぬ速さで包丁を後方に投げた。
また、壁に深く突き刺さった包丁は小十郎が千景の前に立つことで上手く隠されていた。
そして。
「わぁ~。ちーちゃん、すごいじゃな~い!」
「えらいぞ、千景」
「えへへっ!」
何とか凶器を隠す事に成功した裕二と小十郎は、満面の笑みを千景に向けるのだった。
***
『まあ結論から言うと、『資産を譲ってやるから愛息子を頼んだ』って事だ。
これを読んでいるという事は、俺はぽっくりいっちまったんだろう。
まあ、あんな業界にいたんだ。ある程度覚悟はしている事ではある。
だがどうしても懸念している事もあってな。
俺と俺以上に肝が据わった嫁の事だ。可愛い可愛い息子だけは何があっても守り抜くだろうよ。
だが仮に俺らが死んで息子だけ残ってみろ。心配で死んでも死に切れないってもんだ。
そこでだ、かつて業界に名を馳せた俺の資産全部をお前らに寄越す代わりに、一つ頼まれてくれよ。
俺達の可愛い息子、千景を危険から守ってやってくれ。
業界の連中が千景の事を忘れるまで……安全が保障出来るまででいい。
ま、何だかんだで義理堅いお前の事だ。やってくれると信じてるよ。
ああ、そうそう。
勿論、子育てどころか家事すらまともに出来ないお前に全ての負担を押し付けるつもりはない。
もう一人、同じ事を頼んだ協力者がいる。
お前も知っている奴だ。信頼していい。
まあなんだ、上手くやってくれよ。
お前が何だかんだ悪い話じゃなかったと思えることを願ってるさ。
それじゃ、地獄で会おう。
俺、榊壮太の全財産を瀧裕二と田中小十郎に与えるものとする』
――殺し屋。
それは他者の命を狩る事を生業としている者達の総称。
フィクションの世界ではよく取り上げられるその職を、殆どの者は創作上のみに存在する職であると考えている。
これはそんな職に絡んだ二人の男が偽りの夫婦となり、一人の子供を育てる物語である。




