無能として婚約破棄された結晶術師は、隣国の冷徹な氷帝に「君の数式が欲しかった」と終身契約を求められる
「エレナ・ロスタム。お前との婚約を破棄する」
きらびやかな王宮の晩餐会。その中心で、第一王子エドワードの声が鼓膜を震わせた。
彼の傍らには、可憐に怯える男爵令嬢が寄り添っている。
エレナは、手に持っていたシャンパングラスの揺らぎを、ただ物理的な現象として見つめていた。
感情を動かすのはエネルギーの無駄だ。彼女の脳内は常に、この国の結界を維持するための魔術数式で占められている。
「お前はいつも無表情で、地味な石ばかりをいじっている。我が王家に相応しいのは、彼女のように周囲を癒やす光の魔術師だ。お前のような『無能な石ころ』は、今すぐこの国から出ていくがいい」
「分かりました」
エレナの淡々とした返答に、周囲の貴族たちは呆気に取られた。泣き崩れることも、縋り付くこともしない。
彼女にとって、この婚約は王命という名の「最適化されたタスク」に過ぎなかったからだ。
「エレナ、後悔しても遅いからな!」
エドワードの勝ち誇った声を背に、エレナは夜会を後にした。
彼らは気づいていない。エレナが「いじっていた地味な石」とは、国境に張り巡らされた古代結界の負荷を分散するための『魔術結晶』であり、彼女が毎晩その配列(数式)を書き換えていたからこそ、この国は魔獣の襲撃から守られていたという事実に。
エレナがその管理権限を手放した瞬間、カウントダウンは始まった。
王都の外れ、冷たい雨の降る馬車乗り場で、エレナは一人の男と対峙していた。
漆黒の外套を纏い、夜の闇さえもひざまずかせるような圧倒的な存在感。
隣国であるガルダ帝国の皇帝、アルベルト・フォン・ガルダ。冷徹無比と恐れられ、戦場では氷の魔術で敵を塵に還す、生ける神話。
「見つけたよ、我が国の境界線を静かに書き換えていた、美しき魔術の支配者」
アルベルトの瞳は、森博嗣の小説に登場する天才のように、冷たく、そして全てを見透かすように澄んでいた。
「……私の結晶術に気づいていたのですか、ガルダの皇帝陛下」
「気づかないはずがない。君がロスタム王国側の結界の数式をミリ単位で微調整するたび、我が国の魔力伝導率までが完璧に調和していった。私はその美しさに、狂おしいほどの歓喜を覚えた。それを統べていたのが、こんなに華奢な少女だったとはね」
アルベルトはエレナの前に片膝を突き、ガラス細工を扱うように彼女の手を取った。
「あの愚かな王子は、君を『石ころ』と呼んだそうだ。だが、君の手は世界で最も高価値な演算機だ。エレナ、我が帝国へおいで。君に、国家予算の半分と、私の生涯を賭けた魔術研究の全てを委ねる。いや――」
彼の声音に、夜乃凛の描く勇者のような、狂気にも似た強い執着が混じる。
「君という存在そのものを、私の宮殿に永久に閉じ込めたい」
「私の数式は、コストがかかりますよ」
エレナが静かに告げると、氷の皇帝は初めて子供のように艶やかに笑った。
「望むところだ。君の紡ぐ論理になら、私の命さえも支払おう」
それからわずか三日後。
ロスタム王国は、文字通りの「崩壊」を迎えていた。
エレナという唯一のシステム管理者を失った古代結界は、エドワード王子の無計画な魔力注入によって許容量を超え、大爆発を起こして消失した。
防壁を失った王都には魔獣が押し寄せ、無能を露呈したエドワードは王位継承権を剥奪され、鉱山へと送られた。彼が愛した「光の魔術師」の令嬢は、最初の魔力逆流の恐怖で真っ先に逃げ出したという。
一方、ガルダ帝国の最深部。
白銀の結晶で満たされた美しい回廊で、エレナはかつてないほどの最高効率で魔術式を組み立てていた。
「エレナ。少し休憩をしよう。君の脳細胞が加熱しすぎるのは、我が国にとって最大の損失だ」
背後から、アルベルトの逞しい腕がエレナの身体を抱きしめる。彼の低い声が耳元で囁かれ、その体温が、感情を忘れていたはずのエレナの肌をじわりと溶かしていく。
「アルベルト様、私はまだ計算の途中――」
「だめだ。これ以上の演算は、私の許可なくしては許さない」
彼はエレナの指先に口づけを落とし、その瞳に底なしの愛欲と独占欲を滲ませた。
「君のすべての数式は、今や私のものだ。そして、君のその冷たい唇を揺らす言葉も、すべて私だけのものだ。分かっているね?」
逃れられない氷の檻。けれど、それはエレナにとって、世界で最も優しく、最も安定した「絶対的な安住の地」だった。
「――はい。私のすべてを、あなたに委ねます」
不条理な世界を捨て去った天才結晶術師は、今、世界で最も冷徹で一途な男の腕の中で、永遠の溺愛という名の数式に囚われている。
最後までお読みいただき、本当にありがとうございました!
エレナの数式によるざまぁと、アルベルト陛下の執着溺愛を楽しんでいただけたでしょうか?
愚かな王子が自業自得で身を滅ぼすシンメトリーな因果応報は、書いていてとてもスッキリしました。
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