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チンポ人事

 部長の執務室のドアをノックした瞬間、空気が変わった。

 重厚な木製の扉は、東京都庁の古い威厳をそのまま纏っていて、叩く音が廊下に反響する。

 「失礼します」

 俺は資料を抱え、静かに押し開けた。  室内は薄暗く、窓から差し込む新宿の午後の光が、埃っぽく霞んでいた。

 L字型の大きな机の向こうに、部長は座っていた。

 背もたれの高い革張りの椅子に深く沈み込み、両手を机の上で組んで、こちらをじっと見据えている。

 相槌の「うん」も「ふむ」もない。ただ、無愛想な面。

 目だけが、俺の顔を、資料を、部屋の空気を、順番に舐めるように動く。

 空調の低い唸りが、沈黙を強調する。  俺は机の前に立ち、備え付けの大型モニターに自分のPCをHDMIで繋いだ。

 画面が切り替わり、資料が映し出される。

 卒なくプレゼンを始めた。数字は揃え、論理は隙なく並べ、声は抑揚をつけて。

 「本日の案件は……」

 部長は動かない。

 肘を机に置き、顎を軽く乗せたまま。

 時折、指先で机の端をトントンと叩くだけ。

 それはリズムでも、苛立ちでもなく、ただの無関心の音のように聞こえた。

 一通り説明を終え、俺は深く息を吸った。

 「以上です。何かご質問は……」

 その瞬間、部長の口が開いた。

 怒涛のダメ出しが始まった。

 「ここは甘い」「視点が浅い」「本質を見ていない」「もっと深く掘れ」――言葉は次から次へと飛んでくるが、正直、何を言われているのかさっぱり分からなかった。専門用語の羅列か、ただの八つ当たりか、それとも俺の理解を超えた何かか。

 ただ、胸の奥で何かがズタズタに引き裂かれる感覚だけが鮮明に残った。プライドが、音を立てて砕け散る音が聞こえた気がした。正直、悔しかった。 


 数日後、俺は悠子と飲んでいた。

 人事課にいる仲の良い女友達。いつものように愚痴をこぼしていると、彼女がぽつりと漏らした。

 「部長さ、あの女を当局に異動させる気なんだって。しかも、あんたのポストにね」   

 「え、何?」

 最初は悠子が何を言っているのか分からなかった。

 言葉が耳に届いた瞬間、意味がぼんやりと浮かぶ。

 段々と、輪郭がはっきりしてくる。

 部長が昔可愛がっていた女を、俺の席に押し込もうとしている。俺を蹴落として、彼女を近くに置きたいだけ。先日のレクでのあの無愛想な視線、あの意味不明のダメ出しが、急に腹落ちした。

 公務員は薄給だ。そこらの中小企業のおっさんにさえ見劣りする額しかもらっていない。それなりの大学を出て、エリートと呼ばれ続けるうちに、プライドだけは肥大化する。

 結局、公務員が出世して手に入るのは虚構の権威だけだ。

 偉くなって初めて、現実と虚構のギャップに気づいてしまう。

 金もないおじさんができることは、その権威を使って、かつての部下だった女にいい顔をすることぐらい。セックスもできないくせに、ただ「いい顔」だけを振りまく。哀れなチンポ人事。


 悠子を抱いたあと、俺は部長に対してオスとしての憐れみを感じていた。

 タクシーの後部座席で、窓の外を流れる夜の東京を眺めながら、静かに呟いた。

 「明日は、そんな哀れな部長のために、ブルシットジョブをやってあげよう」

 与えられた役割の中で、欲望を満たそうと蠢くオス蟻のために。

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