第2話 返品不可
やたら馴れ馴れしいギャルに絡まれた翌日、俺はいつも通り喫茶店に来ていた。コーヒーの入ったカップをトレーに載せて、空席を求めて店内を歩き回る。
「あっ、おにーさん! こっちこっちー!」
右斜め前の席から金髪のギャルが手を振っている気がするけど、見なかったことにしよう。きっと友達でも探しているんだろう、そうに違いない。
「こっちだってばー!」
さて、空いている席はないかな。夕方の早い時間だし、どこかしらには座れそうだが――
「ちょっ、待て待て待てーいっ!」
「……なんだよ」
目の前に飛び出してきたギャルに、行く手を遮られてしまった。今日はいないと思っていたのに、見込みが甘かったな。
「昨日渡したタダ券、見たっしょ?」
「『今後一切関わりません』って書いてあったな」
「そんなこと書いてないし! いーから、ここ座って!」
ギャルが空いた席を指し示す。今日こそは自分の勉強を進めたかったから、コイツに何か教えている暇はないんだけどな。
「やだよ。勉強させろ」
「お願いっ! また分かんないとこあったのっ!」
「だから塾の先生に聞いてこいよ」
「せんせーより分かりやすいんだもん! いーじゃん、タダ券あげたっしょ!」
「じゃあ返すよ。それでいいだろ」
「よくないっ! 返品不可っ!」
両手を広げて通せんぼをして、ギャルが意地でも座らせようとしてくる。このまま引き返して別の席を探してもいいけど、昨日みたいについてくるかもしれないしな。……仕方ない。
「……分かったよ。少しだけだからな」
「マジ!? ありがと~~! さあご主人、座って座って!」
「お前の主人になったつもりはないけど」
「じゃあー、大統領! どうっ、いいっしょ?」
「そうじゃねえって……」
ギャルが意気揚々と引いた椅子に、ため息をつきながら腰かけたのだった。
***
「えっと……この場合、軸の位置は考えなくていいってこと?」
「そう。判別式の正負と、y軸との交点だけ考えればいい」
「あっ、そっか。これで解の符号が別々になるんだ」
今日のギャルは二次関数に苦労していたらしく、俺は手を替え品を替え教え込んでいた。グラフをいろいろ描いてやったり、計算過程を見せてやったり。さっさとコイツに理解させて自分の勉強をしたいからな。
「じゃ、だいたい分かったか?」
「うん、おにーさんマジ天才! さっすが森中!」
「お前だってそうだろ」
「忘れてた! ねえねえ、これ撮っていい!?」
「勝手にしろ」
シンプルなカバーのついたスマホを取り出し、俺の板書を写真に収めるギャル。ちなみに森中というのは森宮中央高校を指している言葉で、俺とコイツが通う学校の通称である。
「もういいだろ。俺は他の席に行くから」
「無理だよ?」
「は?」
「すっごい混んでるよ?」
ギャルに言われるまま、後ろを振り返ると……いつの間にか、店内の席のほとんどが埋まっていた。しまった、コイツに教えている間に混み始めたのか。
「……マジかよ」
「いーじゃん、ここで勉強しなよ! あたしは一緒でもいいし!」
「俺がよくねえんだよ。しかもお前、また何かあったら俺に聞く気じゃねえの」
「そっ……そんなことないけど?」
しらばっくれた顔をしても無駄だぞ。しかし、どちらにせよ他の席に移るのは無理そうだな。仕方ない、少しの辛抱だ。
「分かったよ。テーブルの上、ちょっと開けてくれ」
「えへへ、よかった!」
ニコッと可愛らしい笑顔を見せて、自分のテキスト類を手前に寄せるギャル。やたら馴れ馴れしいくせに、どうも嫌いになれない。陽気だし、きっとクラスでも人気者なんだろう。
「……ん?」
ふと、頭の中を疑問がよぎる。コイツは一人で喫茶店に来ているんだよな。俺を待ち伏せていたであろう今日はともかく、昨日もひとりぼっちだったわけだし。こういうギャルは常に友達と一緒にいるイメージだけどな。
「おにーさん、どうしたの?」
「いや……なんでもない」
首をかしげるギャルに対し、手を横に振って否定した。きっとたまたま一人でいただけだろうし、気にすることじゃないか。それより、いい加減に自分の勉強をしないと。
床に置いたリュックサックから、物理の問題集とノートを取り出す。夜になったら塾で授業があるし、それまでに何ページ進められるかな。なんてことを考えながら、問題演習を始めた俺であった。
***
しばらく勉強してから、俺は塾に向かう準備を始めた。ゴミをまとめてトレーに載せて、筆箱なんかをリュックサックに収納する。
「ん」
問題集をしまおうとしたら、中から紙が落ちてきた。プリントでも挟んだっけかな、そんな記憶はないんだけど。なんて思いながら、床に落ちたそれを拾い上げる。
「……またかよ」
挟まっていたのは――またしても無料券。知らぬ間にギャルが仕込んでいたらしい。明日も教えろってか? 今度こそ断らないとな。
「おい、お前」
「えっと、解の符号が……」
「聞いてんのか?」
「軸の位置を……」
「……?」
あまりに反応がないので、横から近づいて手元をのぞき込んでみる。すると、ギャルは真剣な表情で――さっき撮っていた俺の板書と睨めっこしていた。自分のノートと見比べながら、一所懸命にペンを動かしている。
「へえ……」
集中力の高さにも驚いたが、なにより俺の教えたことをきちんと実践していて……素直に感心してしまった。他人に勉強を教えることはたまにあるけど、ここまで真っすぐに受け止めてくれる奴は多くない気がする。
「こうじゃない……y軸との交点は……」
「おい」
「ひゃいっ!!?」
耳元で声を掛けたら流石に気が付いたようで、ギャルが素っ頓狂な声をあげた。真っ赤になった顔をこちらに向け、小刻みに震えている。
「ななな、何……?」
「俺、もう塾に行くから」
「あっ、ああ! もうそんな時間なんだ」
「勝手にタダ券入れるんじゃねえよ。俺はお前の家庭教師じゃねえって」
「えー、だめなの……?」
ギャルは残念そうに肩を落とす。コイツに勉強を教えるのは面倒だし、俺の時間も削られてしまう。このタダ券を受け取るメリットはあまりない。
でも、このギャルは勉強に対して真摯に取り組んでいる。素の学力は……お世辞にも高いとは言えないが、努力する姿勢は皆の手本になれるほどのものだと思う。そんな奴が教えを乞うているのに、無下に断るのも後味が悪いな。
「これ、返す」
「いーじゃん! なんでだめなの――」
「そうじゃねえよ。渡すならちゃんと正面から渡せ」
「えっ?」
「こそこそされるのは嫌いなんだよ」
無料券を返すと、ギャルはきょとんとした表情で受け取った。なんか気に食わないけど、少しくらいなら教えるのも悪くないかもしれない。言葉こそ軽いけど、態度は真剣そのものだしな。
「い……いいの? マジ?」
「さっさとしないと帰るぞ」
「じゃあ、えっと……」
ギャルは席から立ちあがり、両手で無料券を差し出してきた。イヤリングを揺らし、深々と頭を下げ――口を開く。
「また今度、勉強教えて!!」
――コイツは入学したばかりなのに、友人と遊ばず喫茶店で勉強している。おまけに見知らぬ先輩であるはずの俺に助けを求めてきたんだ。ひょっとして……何か勉強しなければならない理由があるのかもしれない。
「……分かったよ。また今度な」
「ありがと~~! ほんっとに命の恩人! 神! 仏!」
ギャルが嬉しそうに顔を上げた。あまりに眩しい笑顔に、思わず目をつむりそうになる。まあ……悪い奴ではなさそうだしな。たまに教えるのも気分転換になるだろう。
「あっ」
そうだ、聞かなければいけないことがあった。コイツも新入生なら、北上の娘のことは知っているはずだ。
「どしたの? UFOでもいる?」
「いや……ちょっと聞きたいんだけど、一年生に北上って名字の奴はいないか?」
「……」
「ん?」
ギャルはぽかんとしたまま、じっと俺の方を見ている。そんなに変なことを聞いたかな。
「その……北上って女子がどうしたの?」
「いや、その……ちょっと知りたいことがあるんだ」
「ふ~ん……」
俺の言葉を受けて、ギャルは妙な表情で考え込んでいた。あれ、おかしいな。俺……女子だなんて言ってない気がするんだけど。勘違いか? ちょっと気になるけど、塾の時間だしな。
「じゃ、俺は行くからな」
「あ、うん。ばいば~い……」
無料券を手にしつつ、ギャルに手を振って別れを告げた。混みあう店内を抜けて、大通りに出ていく。塾はここから歩いて五分くらいだ。
「さむ……」
四月とは思えぬ寒さに、身体が震える。そういや、また券に何か書いてあるのかな。どれ、ポケットにしまう前に見てみるか……。
『今日はありがと! また勉強教えてね~!』
なんだ、昨日と同じ内容か。いや……違う。続きがあるな。
『森宮中央高校一年 岩泉陽葵より』
「いわいずみひまり、かな……」
思わず読み上げてしまう。あのギャルに似合いそうな名前だな、なんて。
塾に向かって歩きながら、無料券をポケットにしまったのだった。




