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第10話:凍てつく荒野のSOS

 ガルガディアの冬は、死神の吐息のように静かに、そして唐突に訪れる。


 国境要塞の執務室。

 分厚い石壁ですら防ぎきれない冷気が、床から這い上がってくる。

 クロトは暖炉の火が爆ぜる音を聞きながら、膨大な羊皮紙の山と格闘していた。

 部屋に充満するのは、乾いたインクの匂いと、焦げた薪の香り。


 彼は羽根ペンを走らせながら、眉間に深い皺を刻んだ。

 着任から3日。

 セレスティアから与えられた最初の任務は、軍の補給線の総点検だった。

 地味で退屈な仕事に見えるが、数字は嘘をつかない。そこには戦場のリアルが隠されている。


「……兵站の記録がおかしい」


 クロトの手が止まる。

 北方第3監視塔。そこでの食料消費ペースが、規定値より1.2倍も早い。

 さらに暖房用魔石の減り方は異常だ。例年の同時期と比較して、すでに3倍の量を焼却している。


 報告書には「例年並みの寒波」と記されている。

 だが、現場の兵士たちは嘘をついているわけではない。書く暇もないほどの異常事態に晒されているのだ。

 極度の寒冷化。そして、ストレスによる過食。


「何かが起きている。……それも、とびきり悪い何かが」


 クロトの脳内で、数字が不吉な未来図へと変換される。

 その時だった。

 執務室のドアが、ノックもなしに乱暴に押し開けられたのは。


「おい、軍師殿! 緊急事態だ!」


 飛び込んできたのは、要塞守備隊長のガルド将軍だった。

 3日前の模擬戦で泥にまみれた屈辱を味わったはずの男だが、今の彼の表情に私怨の色はない。

 あるのは、戦慄に近い焦燥感だけだ。

 その巨体が、小刻みに震えているようにも見える。


「どうした、将軍。挨拶もなしか」

「皮肉を言ってる場合じゃねえ! 北方第3監視塔から緊急魔信だ! スタンピードの予兆ありだとよ!」


 スタンピード。

 魔物暴走。

 その単語を聞いた瞬間、クロトの目が氷のように冷たく細められた。

 自然発生的な群れの移動ではない。何らかの要因でパニックを起こした魔物が、津波のように押し寄せ、全てを飲み込む災害級の現象だ。


「規模は?」

「推定3000。主力はスノーウルフとアイス・ゴレムの混成部隊だ。監視塔の駐留戦力はわずか100名……。救援が間に合わなけりゃ、1時間で全滅する」

「3000か。……僕の予測より早かったな」


 クロトは椅子を蹴るようにして立ち上がり、椅子の背に掛けていた厚手の外套をひったくった。


「予測していたのか?」

「物資の消費データが悲鳴を上げていたからね。現場はすでに極限状態だったはずだ。……セレスティア殿下は?」

「すでに出撃準備に入っておられる! 俺とお前も直ちに合流しろとの命令だ!」


 ガルドがクロトを睨みつける。

 その隻眼には、まだ完全には消えぬ猜疑心と、それ以上に、藁にもすがるような必死さが混じっていた。


「おい、小僧。模擬戦と実戦は違うぞ。魔物は待っちゃくれねえ。お前のその細腕で、3000の怪物をどうにかできるのか?」

「勘違いするな将軍。戦うのは僕じゃない」


 クロトは机の上の地図を鷲掴みにし、部屋を出た。


「戦うのは君たちだ。僕はただ、君たちが無駄死にしないように道を舗装するだけだよ」


          ◇


 要塞の外は、世界が白一色に塗りつぶされるほどの猛吹雪だった。

 轟々と吹き荒れる風雪が、兵士たちの視界を奪い、体温を容赦なく削り取っていく。

 気温はマイナス20度を下回っているだろう。

 吐く息すら凍りつく極寒の地獄。


「総員、構えェッ! 怯むな! ここを抜かれたら王都まで一直線だぞ!」


 最前線では、セレスティアが愛馬に跨り、剣を掲げて兵を鼓舞していた。

 その燃えるような真紅の髪も、今は白い雪に覆われ、凍てついている。

 彼女の指揮する本隊2000が、監視塔へ向かう雪原の街道に展開していたが、その足取りは重い。


「状況は最悪だな」


 クロトは、セレスティアの隣に馬を寄せた。

 乗馬スキルなど持っていないため、鞍にしがみつくのが精一杯だが、その目は吹雪の奥を見据えている。


「クロトか。遅いぞ」

「準備に手間取りました。……視界不良。風速15メートル。敵影、目視できず」

「ああ。斥候を3班出したが、どれも戻ってこない。この白い闇の向こうに、3000の牙が潜んでいると思うとゾクゾクするな」


 セレスティアは不敵に笑うが、その手綱を握る手は白くなるほど力が込められている。

 見えない敵というのは、それだけで兵士の士気を削ぐ。

 どこから襲ってくるかわからない恐怖。

 隣の仲間とはぐれる不安。

 兵士たちの歯が鳴る音が、風の音に混じって聞こえてくるようだ。


 グルルルル……ッ。

 ガァァァッ!


 風の唸りに混じって、獣の咆哮が聞こえ始めた。

 最初は遠く、やがて全方位から。

 白い霧の中から、無数の赤い光、魔物の瞳が浮かび上がる。


「来たぞ! 迎撃ッ!」


 ガルド将軍が最前列で大盾を構える。

 直後、白い闇を裂いてスノーウルフの群れが飛び出した。

 体長2メートルを超える白い巨狼。雪原における最速の捕食者だ。


「撃てェェッ!」


 弓兵部隊が一斉射撃を行う。

 だが、強風に煽られた矢は無残に軌道を逸れ、白い毛皮に弾かれるか、虚空を穿つだけに終わる。


「速いッ! 止まらないぞ!」

「くそっ、どこだ!? どこから来る!?」


 兵士たちの悲鳴。

 吹雪が天然の迷彩となり、狼たちの姿を捉えられない。

 右から、左から、背後から。

 神出鬼没の牙が、兵士たちの喉笛を食いちぎっていく。

 雪が鮮血で赤く染まるが、それも瞬く間に新しい雪に覆われていく。


「ええい、鬱陶しい! 私の魔法で焼き払う!」


 セレスティアが苛立ち、掌に炎を溜める。

 だが、クロトが鋭く制した。


「駄目だ! この風下で火を使えば、煙が味方の視界をさらに奪う! それに熱源はゴレムを引き寄せる!」

「ならばどうする! このままではジリ貧だぞ!」


 クロトは目を閉じた。

 視覚情報はノイズだ。この吹雪の中では役に立たない。

 代わりに、聴覚と肌感覚、そして魔力の流れに意識を集中させる。


 風の切れ目。

 雪を踏む微かな振動。

 獣たちの吐く熱気。

 3000の殺意が描く、戦場の波紋。


 見える。

 全体図が、脳内に鮮明な青写真として描かれる。


 レベル5のステータスでは、狼1匹にも勝てない。

 だが、情報を処理する脳のスペックだけなら、この場の誰よりも上だ。

 カッ、とクロトが目を見開いた。


「ガルド将軍! 部隊を3歩後退! 大盾を斜め45度に傾けろ!」

「ああん!? 退けだと!? 俺に敵に背を向けろってのか!」

「いいからやれ! 死にたくなければ!」


 ガルドは舌打ちをしたが、3日前の敗北が脳裏をよぎったのか、即座に吼えた。


「総員、3歩後退ッ! 盾を傾けろォッ!」


 重装歩兵たちがザッ、と下がる。

 その直後だった。


 ズドォォォォンッ!!


 彼らが先ほどまで立っていた場所に、巨大な氷塊が降り注いだ。

 後方からアイス・ゴレムが投擲した岩石攻撃だ。

 もしその場に留まっていれば、精鋭部隊といえどもミンチになっていただろう。

 斜めに構えた盾が、衝撃波と破片を受け流す。


「なッ……!? 見えていたのか!?」

「次が来るぞ! 弓兵隊、方位030、距離200! 仰角30度で斉射!」


 クロトの指示が飛ぶ。

 弓兵たちは半信半疑のまま、見えない闇に向かって矢を放つ。

 ヒュンヒュンヒュンッ!

 数秒後。


 ギャウンッ!

 グォォッ!?


 風に乗って、魔物たちの断末魔が響いてきた。

 命中だ。

 視界ゼロの中での、神がかり的な狙撃。


「す、すげぇ……本当に当たったぞ!」

「軍師殿には何が見えてるんだ!?」


 兵士たちの動揺が、驚愕と信頼へと変わっていく。

 クロトの声に従えば、生き残れる。

 その確信が、混乱していた軍に1本の芯を通した。


「右翼、槍部隊を展開! 雪の下に狼が潜伏している、突き刺せ!」

「左翼、魔法部隊! 風魔法で雪煙を晴らせ! 敵の連携を断て!」


 クロトの指示は止まらない。

 彼は狂乱のオーケストラを指揮するかのように、戦場を支配していた。

 セレスティアは、隣で叫び続けるクロトの横顔を見つめ、背筋が震えるのを感じていた。

 寒いからではない。

 この男の才能への畏怖だ。

 レベル5の弱者が、3000の怪物を掌の上で踊らせている。

 これが軍師という生き物なのか。


「殿下、出番です」


 不意に、クロトがセレスティアを見た。


「敵の本隊、アイス・ゴレムの統率個体が中央突破を図ってくる。ガルド将軍の防衛線が限界だ。……あいつの首を取れるのは、あなたしかいない」

「ふっ、待ちわびたぞ!」


 セレスティアが剣を抜く。

 刀身に真紅の魔力が宿り、吹雪を赤く照らし出す。


「場所は?」

「正面、距離50。……僕が合図したら、全力で駆け抜けてください。道は僕がこじ開けます」

「任せたぞ、相棒!」


 セレスティアが馬腹を蹴る。

 同時に、クロトが懐から小瓶を取り出した。

 模擬戦でも使った、特製の爆裂薬。

 彼はそれを、風向き計算通りに前方の空へ投げた。


「弓兵、あの瓶を撃て!」


 パリンッ!

 空中で瓶が砕け、着火した油が霧となって広がる。

 一瞬だけ生まれた炎の回廊。

 その熱で雪が溶け、視界が開けた先に、巨体のアイス・ゴレム・ジェネラルが姿を現した。


「見えたァァッ!!」


 セレスティアが炎の回廊を疾走する。

 ゴレムが反応して腕を振り上げるが、遅い。

 赤い閃光が、氷の巨人を下から上へと斬り上げた。


 ズンッ!


 1拍遅れて、ゴレムの巨体が真っ二つに割れ、轟音と共に崩れ落ちる。

 敵将の死。

 それを見た魔物の群れが、統率を失い、蜘蛛の子を散らすように逃走を始めた。


「勝鬨を上げろォォォッ!! 我らの勝利だァァッ!」


 ガルドの咆哮を皮切りに、雪原に兵士たちの歓喜の声が爆発した。

 クロトは安堵の息を吐き、馬上でぐったりと力を抜いた。

 極度の集中による脳の疲労。

 指先が微かに震えている。


「……なんとか、形になったか」


 そう呟いた時、巨大な影がクロトの馬の前に立った。

 ガルド将軍だ。

 全身返り血と雪にまみれた猛将が、兜を脱ぎ、クロトを見上げている。


「……小僧。いや、軍師殿」


 ガルドは無骨な手で、自らの胸を叩いた。

 それは、ガルガディア軍における最敬礼だった。


「命を拾った。……あんたの眼、大したもんだ」

「仕事をしただけだ、将軍」

「フン、可愛げのない。だが……背中を預けるには悪くない」


 ガルドがニヤリと笑い、大きな手でクロトの背中をバシンと叩いた。

 痛い。レベル5の体には骨折しそうな衝撃だ。

 だが、その痛みこそが、この国で認められた証だった。


 吹雪が止んでいく。

 雲の切れ間から差し込む薄日が、戦場に立つクロトと兵士たちを照らし出していた。

 しかし、クロトだけは気づいていた。

 崩れ落ちたアイス・ゴレムの残骸の中に、不自然に脈動する青い結晶体が埋め込まれていることを。


「……スライムの時と同じ、アーティファクトか?」


 このスタンピードは自然災害ではない。

 誰かが意図的に引き起こした、人災だ。

 クロトの戦いは、まだ始まったばかりだった。


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