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記憶の風鈴

作者: 藤谷とう
掲載日:2025/12/28




 風鈴堂、と白い布に書かれた文字は、奇妙な優しさが滲んでいた。

 その文字に釘付けになるように、足が止まる。



「……ふうりんどう」


 繰り返すと、口の中に甘い落雁の味が戻ってくるようだった。

 祖父母の家に行くと、必ず出されたそれ。

 特に好きでもないのにどうしてだろうと思っていると、四歳の僕がそれを口にして笑っている写真を見て、納得した。彼らは僕を喜ばそうとしているのだ、と。


 縁側の風鈴が風になびく。

 錘に、白い紙。

 ちりんちりん、とガラスを叩く音が、畳を優しく這う。



 春先の、寒さがようやく和らいだこの日、僕は風鈴堂の前で立ち尽くしていた。

 店はどこか古めかしく、なのにどこか新しい──見たことあるようで、はっきりとした記憶はない、そんな曖昧な店だった。


 ふと、風が吹く。

 店先には一つも風鈴などないのに、ちりん、とかすかな音が耳に届いた途端、僕の手は引き戸を空け、足は店内に踏み入れていた。



 天井からいくつものガラスの風鈴が吊り下げられ、視界が鮮やかに染められる。

 その透き通った色とりどりの空間は、まるで別の世界に来たように僕の思考をぼんやりとさせた。

 鏡のように、膜のように、ガラスの景色が幾重にも重なる。


「いらっしゃいませ」


 風鈴の音のように儚い声に迎えられてハッとする。

 カウンターの中にいた彼女は、戸惑った僕を見て微笑んだ。


「お探しの風鈴は、どんなものですか?」

「……あ、その……」

「よかったら、鳴らしてみてくださいね」


 彼女はそう言うと、手元に視線を落とし、耳に髪をかけた。

 何かの作業をしているらしく、自分の内に入り込むように熱心な瞳を見て、なんとなくホッとする。


 頭上に輝く風鈴を見てみれば、一つ、見覚えのあるものが光っていた。


「あ」


 その一言で紙が揺れ、風鈴がちりんと鳴る。

 その音は、懐かしい記憶を頭の中から引っ張り出すように僕の耳を掴んだ。


 澄んだ夏休みも、あぜ道も、車の音がやけに響く空も、青い羽の扇風機も、縁側も。夜のうるさい蛙の声も。


「お取りしましょうか?」


 彼女の声で記憶の中から抜け出すと、田舎の空気が鼻に抜けいった。

 今の今まであそこにいたかのような浮遊感から現実に戻って、彼女に向かって頷く。


「お願いします。あの、包んでもらえますか?」

「はい」





 彼女が丁寧に風鈴を包むのを見つめながら、僕は緩和病棟にいる父を想う。


 父はきっと、顔には出さない。


 けれど、いつもどこか風鈴の音を探していた父の、少しの安らぎにはなるだろう。

 





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― 新着の感想 ―
「まるで別の世界に来たように」の一文が出る前から、異世界の入り口のように感じられ、さすがの描写力!と思いました。あとは、この異世界の冒険が彼と彼の父親にとって幸福なものであるように、と祈るばかりです!
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