記憶の風鈴
風鈴堂、と白い布に書かれた文字は、奇妙な優しさが滲んでいた。
その文字に釘付けになるように、足が止まる。
「……ふうりんどう」
繰り返すと、口の中に甘い落雁の味が戻ってくるようだった。
祖父母の家に行くと、必ず出されたそれ。
特に好きでもないのにどうしてだろうと思っていると、四歳の僕がそれを口にして笑っている写真を見て、納得した。彼らは僕を喜ばそうとしているのだ、と。
縁側の風鈴が風になびく。
錘に、白い紙。
ちりんちりん、とガラスを叩く音が、畳を優しく這う。
春先の、寒さがようやく和らいだこの日、僕は風鈴堂の前で立ち尽くしていた。
店はどこか古めかしく、なのにどこか新しい──見たことあるようで、はっきりとした記憶はない、そんな曖昧な店だった。
ふと、風が吹く。
店先には一つも風鈴などないのに、ちりん、とかすかな音が耳に届いた途端、僕の手は引き戸を空け、足は店内に踏み入れていた。
天井からいくつものガラスの風鈴が吊り下げられ、視界が鮮やかに染められる。
その透き通った色とりどりの空間は、まるで別の世界に来たように僕の思考をぼんやりとさせた。
鏡のように、膜のように、ガラスの景色が幾重にも重なる。
「いらっしゃいませ」
風鈴の音のように儚い声に迎えられてハッとする。
カウンターの中にいた彼女は、戸惑った僕を見て微笑んだ。
「お探しの風鈴は、どんなものですか?」
「……あ、その……」
「よかったら、鳴らしてみてくださいね」
彼女はそう言うと、手元に視線を落とし、耳に髪をかけた。
何かの作業をしているらしく、自分の内に入り込むように熱心な瞳を見て、なんとなくホッとする。
頭上に輝く風鈴を見てみれば、一つ、見覚えのあるものが光っていた。
「あ」
その一言で紙が揺れ、風鈴がちりんと鳴る。
その音は、懐かしい記憶を頭の中から引っ張り出すように僕の耳を掴んだ。
澄んだ夏休みも、あぜ道も、車の音がやけに響く空も、青い羽の扇風機も、縁側も。夜のうるさい蛙の声も。
「お取りしましょうか?」
彼女の声で記憶の中から抜け出すと、田舎の空気が鼻に抜けいった。
今の今まであそこにいたかのような浮遊感から現実に戻って、彼女に向かって頷く。
「お願いします。あの、包んでもらえますか?」
「はい」
彼女が丁寧に風鈴を包むのを見つめながら、僕は緩和病棟にいる父を想う。
父はきっと、顔には出さない。
けれど、いつもどこか風鈴の音を探していた父の、少しの安らぎにはなるだろう。




